証明不可のⅩ=1

 そんな暇も無く誰かが絶命した。
 プレハブ小屋の出入り口から足音。
 2人。
 今の銃撃を切っ掛けに遁走を計るのだろう。こちらからは遮蔽の影で姿が確認できない。
 その2人を足止めする銃撃。
 自動小銃の連射。
 その連射は2人を狙ったものだろうが、何れも命中せず。
 この銃声には聴き覚えがある。AK-47だ。
 確か、味方にその使い手が居た。
 安堵し、匍匐前進でプレハブの出入り口に方向転換。
 背後から遁走を計る2人を仕留めに掛かる。
 照明弾が完全に落下していないので少々危険だが、いつまでも怖がっていられない。
 頭を低くして駆け出す。
 AK-47を構える男が30m先に見える。
 その前方15mの辺りで、泡を食った2人がボストンバッグやブリーフケースを放り出して尻餅を搗いている。
 実に好機。
 男2人をAK-47の銃口で恫喝してくれている背後から漁夫の利といわんばかりに、2人の男の右手側に伏せて照準を定める。
 距離10m。当てられる。
 サイティングは必要ない。勘で充分だ。
 軽い銃声。
「!」
――――どこから?!
 引き金を引き引き絞ろうとした瞬間に、指が緩んで引き金が引けなかった。
 目前で左側頭部を撃ち抜かれたAK-47を使う長身の男が糸を切った人形のようにその場に崩れ落ちた。
 照明弾の明るさが手伝っていたとはいえ、どこから狙ってAK-47の男を仕留めた? 確かに軽い銃声。聴きなれた銃声。9mmショートの銃声。
 命が繋がった2人は、這う這うの体で雑草を掻き分けながら雑木林へと走り出す。
 逃がす事は沽券に関わると、勇気を振り絞って、狙撃手の正体も解らぬのに、当初の予定通りに右手側を走るボストンバッグを肩に掛けた男の背中を狙って撃つ。
 銃声。2つ。重なる。
 1つは詩織の物。
 逃げる男の背中に命中した。
 照明弾の照らす世界で、その男が前のめりにつんのめって顔面から地面に飛び込むのが見えた。
 もう1つの銃声。
 その弾頭の行方は詩織が伏せていた正に目前。
 着弾した瞬間、激しく地面の砂利が吹き上がり、反射的に目を強く瞑る。
 両手を伸ばして両手でFN M1910を保持した状態の、両手から顔までの僅かな空間に着弾した。
 頭でなくとも、握ったままの両手に命中していたら深刻な打撃となって今後の人生が不自由していた。
 背中に冷たい汗が噴出する。
 氷の手で心臓を鷲掴みされた錯覚。
 進むも退くも今の体勢では無理が有る……。
 故に、左手側に激しく体を回転させて雑草を押し倒しながら、より背の高い雑草が多い茂る辺りに転がり込む。詩織の無様な離脱を追いかける銃弾!
――――やっぱり、9mmショート!
――――着弾……。
――――発砲位置は東側の雑木林!
 無為に逃げ回らずに、回転する世界で首を巡らせ、自分の命を執拗に狙う銃撃を分析する。
 発砲音と距離、銃火とその大きさ。
 自分と同じ9mmショートを使う警護要員が居る。
 それもかなり腕が立つ。
 詩織の体が、背の高い雑草の中に埋没するのと同時に、照明弾の効果は切れた。
 取引現場の3人に『痛い目を見せて』、1人を逃がした。
 呼吸を殺して、額を砂利に擦りつける様にして目を固く閉じる。
 警護専門の『守り屋』、あるいは、警護の依頼しか受けていないのなら連中はこれで引き下がる。
 何故なら、最早銃撃は聞こえないからだ。
 この場にい居る『こちら側』は詩織1人だ。
 こちらにもあちらにも殲滅の意思は無い。
 こちらは取引現場を荒らせば最低条件はクリアで、あちらは取引現場を守れば最低条件はクリアのはずだからだ。セオリーならば。
 言うなればゲームセット。
 この場は最低条件を満たしたこちら側が辛うじて勝利だ。
 連中が取引現場に現れたどちらの勢力で、誰を何を守るか知らない。確実に3人を脱落させて1人を取り逃がした。
 殺すまでに到らなかった、取引要員の重傷者を連れて還ればボーナスくらいは出るだろう……。
 銃声。
 また、あの小癪な9mmショートの発砲音だ。
 地面に倒れていた、今し方背中に致命傷から遠い9mmを叩き込んだ取引要員の男の体が大きく震えた。
「!」
――――そんな!
 星明りの下に血飛沫が舞い上がる。
 あの大粒の血飛沫は体への被弾ではない。
 頭部に被弾した証拠。……炸裂した脳漿だ。
 更に銃声。
 口封じにまだ息が有るかも知れない取引現場の要人を殺して廻っている。
 銃声に機械的な冷たさを感じた。
 試合が終わったから、コートやグラウンドを整備するような、無機質な印象。
 自分が狙われる心配が無いと悟ったのか、その人物は茂みから出てきた。
「…………」
 少年。第一印象はそうだった。
 胸の膨らみを見て、無造作に伸ばしたベリーショートの髪を見て、デニムの半ズボンから伸びる白い足と丸みを帯びた腰を見て、その人物が少女だと段々と理解した。
 無様に顔を砂利で汚す詩織の前に……5mの距離に、その少女は悪びれもせずに堂々と現れた。
 身長も体格も詩織よりも僅かに小柄。
 手にしたベレッタM1934が鈍く光る。
 抽象的な顔立ち……まだ女としての成長よりも、少女としての瑞々しさの方が多い。
 少年のように引き締まった精悍な顔。
 そこに収められたパーツは流麗で、確かに『少年っぽい美少女』を形成するに相応しい部品が揃っていた。
 女子校なら王子様として同性に好かれる顔立ち。
 無造作な短い髪。
 前を開いた半袖で、作業着の水色のブルゾン。
 佇まいが、『活発明朗で利発な少女』を表現していた。
 右手に下げたベレッタM1934が、美麗なデザインのヨーロピアンオートが悔しいほどに様になっている。
 その少女のためにデザインされたのかと勘繰ってしまう。
 その少女に殺意は無い。
 その証拠に、少女は右手の小指でコンチネンタル型マガジンキャッチを操作し、空の弾倉を自重で落下させたまま再装填しなかった。
 無様の上に、無様と解っていても、詩織は右手の人指し指にFN M1910を引っ掛けて、両手をホールドアップした。
 地面に顔を伏せたままの、地面にうつ伏せで寝転がったままの踏み潰されたカエルのような姿だ。
 もうこの場は収まったのだ。
 互いに怨恨が有ったり、落とし前を付ける理由は無い。
 金で雇われた者同士の『汲む事が出来る、情けない事情』で2人は心が通い合った。
 言葉は必要ではない。
 健闘を讃えあう握手のようなものだ。
 男同士の世界とは少しスタイルが違うだけだ。
 少女は顔を必死で逸らし、こちらを見ている詩織に対して何も言わなかった。
 そろそろと詩織が尻ポケットに左手を伸ばして、やおらハンデルスゴールド・バニラの紙箱を取り出した。
 中身を1本、唇で抜いて、無言で彼女に自由を許された左手でセロファンを剥いて口に銜える。
 ごろんと仰向けになる。
 星空が綺麗だ。
 自分は今まで何をしていたのだろう。
 哲学や思想に耽るにはこのような条件が必要だ……と、一瞬で逃避行動に陥る。
 その逃避を現実に引き戻したのは、少女のマッチの火だった。
 少女は火の点ったマッチを詩織の口元に持っていき、ドライシガーに火を吐けた。
 いつの間に頭の上にしゃがみこんでマッチを擦ったのか。
 深く一服。
 バニラの香りが夜空に舞い上がる。
 そもそもFN M1910を保持した右手を動かさずに、ハンデルスゴールド・バニラを吸う必要が有ったのか? それは不明。
 単純に吸いたかったからとしか答えられない。
「今度は『仲良くやろう』……」
 少女は唐突にそう言うと立ち上がり、踵を返し、砂利を踏みながら雑木林の中に消えていく。
「参ったな……」
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