遠い海の下

 その廊下の左右に1人ずつ潜んでいる。今し方、指切り連射で頭を押さえたが直ぐに体勢を整えただろう。
「!」
 右手側の壁により右肘で角付近の壁を強く叩く。
 その音に反応して、大型自動拳銃――ベレッタM92FSのコピー――が右手側の角から突き出される。
 その手首を空かさず、左掌で押す。
 同時に銃声。9mmパラベラムの突き抜けるような銃声が廊下に響く。
 右手側の男が突き出したベレッタM92FSのコピーは発砲直前で銃口のベクトルを逸らされて、発砲を止める事が出来なかった。
 放たれた9mmパラベラムは左手側の、美華からもその角に潜む男からも死角になっている場所に吸い込まれ、遮蔽の影の中で何者かが呻き声を挙げた。……どさりと足元へ崩れる音。
「……!」
「!」
 仲間を誤射した精神的ダメージを受け流した右手側の男は、咄嗟にバックステップを踏み、遮蔽の奥へと消えようとする。
 逃げるのが目的ではないのは明らかだ。
 影の暗さを利用して『そこに敵が潜んでいる』と言うプレッシャーを与えるための作戦だ。
 それを見破った美華は、咄嗟に左体側面から廊下に倒れ込む。
 左手はスチェッキンを握る右手を強く支え、レーザーサイトの差す方向を必死で眼で追う。
 赤いポイントは影の中まで追いかけ、男の動作を凹凸の陰影で美香に報せた。
 刹那、美華はダブルタップで発砲した。
 マズルフラッシュが瞬き、その瞬間的な光源で銃弾が影の中で両手で拳銃を構えていた男を照らし出した。
 男の頭部と胸部に9mmマカロフが命中していた。影の向こうでその男が仰向けに倒れるモーションを見たような気がした……。
 美華は立ち上がる。茂田の書斎へと走って向かった。
 4m先に書斎へのドアが有る。そのドアに鍵が掛かっているか否かを確認するまでも無い。
 鍵は掛かっている。
 鍵が掛かっていると信じた。
 少なくとも美華なら鍵を掛ける。
 自分ならそうする。
 4m前からそのドアノブに向かって3発銃弾を叩き込む。マホガニーのドアを守るスチールのドアノブは、脆くも根元から千切れ飛んで着弾の衝撃で撓んで開く。
 ドアの前に立たず、隙間から3、4発の盲撃ちを放つ。
 挨拶代わりの探りだ。
 その銃声に呼応するように室内から腹にくぐもる銃声が轟く。
 木製のドアに握り拳で殴りつけたような孔が開く。銃身を短く引き切った散弾銃からの発砲だ。
「…………」
――――あーもう!
――――楽には進まないな!
 この依頼を受けた時から嫌な予感はしていた。
 素直に仕事が進まない予感だ。麗子の情報が足りなかったのではない。
 麗子が自分で想像できる範囲で起こりうる可能性を示唆しなかった事だ。
 それがあの時に見せた悪い笑顔だ。
 可能性の問題だった。
 それは同時に美華が考慮する問題でも有る。
 だから麗子としては、この仕事は楽で儲けが良い代わりに、何が起きるか解らないと言外に表情で語っていた。
 悔しいがいつもの事だった。
 護り屋が張り付いているのは美華にも想像できた。どこの誰が、どこに所属する、どんな集団が担当なのかを調べていなかった落ち度だ。
 それに、それは『調べて、知る事が出来ない問題』でもあった。
 護り屋は自分と警護対象の関連性を疑われた時点で、仕事を下りる事が有る。
 職務放棄ではなく、護り屋が得意とするケースを読まれては対象を完全に警護する事が難しくなるからだ。
 護り屋からすれば些細な情報漏洩が命取りだ。その些細な情報を美華は拾えなかった。
 散弾銃の銃声。
 この部屋に近付けまいと、ドアに幾つも穴を開ける。
 銃声の数からして2人。互いの装填時間のロスをカバーしあっている。
「……!」
――――拙い!
 直感が脳裏を過ぎる。
 見取り図の上では8畳間ほどの空間の書斎。
 そこに3人だと仮定した。
 その内1人は散弾銃を所持していない標的の茂田。
 残り2人が護り屋で、散弾銃を用いて弾幕を張っている……これが不自然だった。
 『この部屋の中に宝物が置いてある』と言う演出が整い過ぎている。 ドアの向こうで散弾銃をブッ放している仮定の2人は囮だ。
 この部屋に標的は居ない。
 この部屋の中が重要であると言う印象を強く植えつける為に、必死で襲撃者と戦う演技を行っている役者担当の護り屋が居るだけだと勘が働く。
 標的は今頃、駐車場にでも誘導されている頃だ。
 踵を返し、今来た廊下を走る。
 背後から忍び寄り排撃を任されたと思われる護り屋を、振り向き様に撃ち倒す。
 男は完全にイニシアティブを握っていたと思い込んでいたらしく、意表を突かれて、手に構えた大型自動拳銃を発砲する前に両肩に銃弾を叩き込まれて尻餅を搗いた。
 男の体を飛び越え様に頭部を蹴り飛ばし、気絶させる。
 駐車場へは正面玄関へ向かうのが一番近い。
 家屋内部の警備要員は大方、片付けたのか、誰も追撃してこない。
 駐車場が見渡せる正面玄関に飛び出る。
 既に閂が外された木製の門扉が解放されて、並み居る高級車の中の車輌が1輌分だけ空いている。……舌打ち。
「チッ……!」
 その様子を呆然と見守る事はしなかった。
 殺害遂行不可能だと判断したのだ。
 早くこの場を去る必要が有る。
 今から足で走れば撤収ポイントに到着するまで充分だ。
 屋外の中へ入り、スチェッキンを左右に振りながらキッチンへと向かう。家屋内に有る、侵入経路とは違うルートからの脱出を目論む。
――――?
――――静か……だ。
――――静か過ぎる……。
 屋内が、まるで自分独りしか居ないように静謐が席巻する。
 それが気に掛かる。
「…………」
――――まさか、な……。
 キッチンへと向かう早足を止めて、ぴたりと停止。
 耳を澄ます。
 遠くに騒音。
 近所の住人が騒然としているのだろう。警察からの先遣……パトカーが到着するまで5分程度。
――――5分?
 美華の心にざわつく物が渦巻く。
 一階の全ての部屋を開けて廻る。
 トイレ、バスルーム、倉庫、応接間。2階へ戻り、足音を消す。消しながら廊下を進む。耳を澄ます。
「…………」
 美華の聞こえない領域の音が聞こえた。
 それは気配と言える。
 誰かが居る。
 無力化された護り屋の呻き声の中に混じる、『正常な呼吸』。
 秒針がきっかり1周する。
 小さな物音。
 布が擦れるような小さな聞き取り難い音。
 負傷者の呻き声や身じろぎとは違う。
 『負傷していない、健常な人間の所作』だ。
 音源を更に探る。
 気配の探知。屋外の喧騒が邪魔。足音を殺して前進。この家屋にはパニックルームは無い。部屋は大きくとも部屋数は知れているがたかが6LDKだ。
 床に落ちている空薬莢を3個、拾う。
「……」
――――鎌、掛けるか……。
 足を止めて見渡す。
 廊下の前後。右手側に1階へ降りる階段。
 1m前方に1畳間ほどの倉庫。
 その倉庫のドアに向けて空薬莢を放り投げる。
 乾いた音を立てて空薬莢が転がる。気配に変化は無い。
「…………」
――――あいつらもいない。
 書斎で立てこもっていたはずの、散弾銃を発砲していた2人の気配も無い。
「……」
――――臭い……よね。
 孔だらけになった書斎のドアの前に立つと空薬莢を2個、放り投げる。
「!」
 気配を感知。複数。書斎に未だ立て篭もっている。
 しかし、『数が合わない!』
 散弾銃の乱射は無かった。
 書斎の蝶番に9mmマカロフを2発ずつ叩き込んでドアの役目を果たさなくさせる。
 ゆっくりと廊下側に倒れるドア。
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