遠い海の下
最初からそのように打ち合わせが行われていたのだろう。
『公平なルール』が設けられていたのだろう。
賭場を操作する為の工作が織り込まれていたのだろう。
長物……即ち、両手で構えるような自動小銃や軽機関銃、はたまた散弾銃。
それらを持ち込まれては面白いようにゲームが展開しない恐れがある。……だから、全員の得物が拳銃なのだ。
その中で『外注』として雇われた美華はゲームバランスを保つ為の要員の1人であるのは想像に難くない。
この場に投じられた面子を、全員の顔ぶれを窺ったわけではないが、どこかで見たような風体の拳銃遣いも含まれていた。
凡そ、今の時点まで生き残っているのは報酬を貰う契約でこのゲームに参加せざるを得なかった荒事稼業の人間ばかりだ。
三下連中よりは数は少ないが、若しかすると、3つの勢力のそれぞれが1つのチームとして勝利を収める条件ではなく、合計30人、それぞれにオッズが割り振られて、自分も競走馬と同じ扱いを受けていると思われる。
そこに考えが到るのに鉄火場が形成されて30分後の事だった。
今はもう忘却の彼方だ。
目の前の敵を打ち倒して生き残ることに専念するのに必死だ。
目立つようなカラーラベルは特に無い。
たまに同士撃ちも発生する。……『雇われた鉄砲玉連中の抗争』なら充分に起こりえる事故だ。
セレクターをフルオートに切り替える。
引き金を引き絞りながら左から右へと銃口を振る。
大型の蜂の羽音に似た発砲音が唸る。
牽制ではなく、前方の遮蔽に潜む複数の標的の頭を押さえたかった。左手を翳して美華の背後に控える友軍に前進を促す。
右手だけでフルオート射撃をこなしたものだから、震動で手首を持っていかれる錯覚を覚える。
トリガーガードの左右の付け根に有るマガジンキャッチを押し、空になった弾倉を自重で落下させ、素早く新しい弾倉を叩き込む。
スライドを前進させて薬室に実包を送り込む。
このグリップのギミックはロシアのアクセサリーメーカーが開発したアイデア商品で、梃子の原理を利用した単純な拵えのマガジンキャッチだった。
グリップ内部にバーが1本通っているだけの簡素な拵えで故障が少ない。
それでいて実戦で有用。
更に安い。
個人輸入でも大して割高にならないと言うのも大きな魅力。
スチェッキンの本来のグリップよりも若干、前後幅が広くなるのでグリッピングが楽になる。
9mmマカロフの反動は軽い。だが、20連発の間断無い全自動ともなると片手でチェーンソウを扱っているような感触を覚える。
確かに強力な全自動。
乱用は出来ない。
銃身の寿命が短くなるだけでなく、スチェッキン本体にもダメージが蓄積する。
何より、反動ゆえに命中精度が全く期待できないので牽制を主にした遣い方以外に遣いどころが見当たらない。
美華は友軍の2人を前進させると、踵を返し、遮蔽伝いに先ほどまで目前にしていた敵勢力と思しき集団の背後に回るべく迂回を始める。
そろそろ上着が邪魔になる気候。翻るパーカーが邪魔になる。
鉄錆び臭い細い路地を駆ける。
この辺りの地図は全く頭に無い。
最初にこの区画の俯瞰図を貰ったが、それはコンビナートが稼動していた時分の地図で、今では思わぬ場所にフェンスや廃材が詰まれて描き込まれている地図通りに行動できる保証が無かった。
あちらこちらで銃声が聞こえる。
お互いが一撃に欠ける、牽制の応酬を繰り返すのが銃声のリズムで解る。
罵声が混じる銃声。銃声よりも威勢がいい罵声。
「!」
目の前の三叉路を左に折れようかと踏み込んだ時に大型自動拳銃――CZ-75かそのコピー――を携えた二十代前半の男と鉢合わせする。互いの視線が一瞬、絡む。
距離、2m。
2人とも瞬間的に理解する。
敵だ、と。
男は水色の作業着を思わせるブルゾンを着ていた。
身長は美華より僅かに高い。軟弱な印象からは遠い精悍な顔付き。
その体躯を裏切らない反射神経……素早い。美華も男も2mの距離から拳銃を構え直す真似をせずに互いが1歩、踏み出して距離を縮める事に執着した。
近過ぎる。
肘を引き気味に拳銃を互いが構えるよりも、相手の体を一旦、突き放して体勢を崩させるようなロスを作り、その隙に相手の体に銃弾を叩き込んだ方が得策だと考えた結果だ。
左右2mも無い狭い路地。作業員用通路。
美華と男は、左肩を突き出して相手の体幹を崩す為の体当たりを繰り出した。
「!」
――――負ける!
衝突した瞬間に美華は息をのむ。
体重……質量が生む運動エネルギーの勝負に脆くも負けてしまう自分のイメージが脳裏を過ぎる。
空かさず美華は、左に軸足を切り替えて、予備弾倉を掴むはずだった左手の親指以外の4本指で、相手の半開きのブルゾンの襟に差し込み、掴む。
大きく吹っ飛ばされる美華の体はそれで防ぐ事が出来た。
相手も馬鹿ではない。
彼女の掴む腕自体にCZ-75の銃口を向けて発砲しようと目論む。 自分の左手が千切れ飛ぶイメージが浮かぶ。
体勢が整う前の美華は、折角、指先で掴んだと言うのに、弾かれるように相手のブルゾンの襟から指を離す。
大きく視界が倒れる。
アンバランスな体勢を保持する為に相手の襟を掴んだのに、その指を離した結果、派手に右手側に倒れるモーションに移行し、地面と衝突。 地面にぶつかる瞬間、咄嗟に右手のスチェッキンを左手にお手玉のようにスイッチしてしっかり握り込み、碌な照準も定めずに頭上に、殆ど空に向けて発砲。
男は怯みを見せて顔面を逸らす。
銃口からの火薬滓に顔を炙られたか、鋭い呻き声を挙げる。
男の体が2m以上離れたのを見計らって地面に寝転んだまま、左手だけで保持したスチェッキンを発砲する。
腹部から胸部にかけてのダブルタップ。
できるだけしっかりと保持して一番大きなバイタルゾーンである腹部に2発素早く放った。1発目で早くも反動で銃口が跳ね上がって胸部に2発目が命中した。
どの道、この男はここでリタイアだ。
軍用や司法用で有名な9mmパラベラムと比べれば、薬莢長は9mmマカロフの方が1mm短い。
然しながら、それに伴う威力低下のアドバンテージは計算値以上で、1発で無力化させるには心許ない。
故に2発放った。
2発ともバイタルゾーンに吸い込まれた。
男は空気が抜けるような息を口から苦しそうに吐いて仰向けに倒れた。男の右手側にタンフォグリオのCZのコピーが転がる。
重症の男を飛び越えた。男の恨めしそうな視線を無視した。
リタイアしたが今のところ、命に別状は無い。
あれだけの殺気が放てるのなら充分に助かる可能性がある。美華は心の中で軽薄な応援を飛ばす。
走りながら左手で懐を探る。
見慣れた黄色い正方形に近い箱を取り出し、器用に片手でその紙箱を開けて中身をこれまた器用に取り出して口に銜える。
少し大振りなシガリロ……モンテクリスト・クラブだ。
急激に湧いたニコチンへの渇望を抑える戦いを展開する前に、さっさと欲望に負けた彼女は走りながらモンテクリスト・クラブを銜え、角ばったチープな拵えのイムコ・ストリームライのオイルライターで火を点ける。
走りながらなので、顔面にウイックを向けて着火させる。
走る事により発生する風向きの都合上、この方がシガリロの先端を炙り易い。
『公平なルール』が設けられていたのだろう。
賭場を操作する為の工作が織り込まれていたのだろう。
長物……即ち、両手で構えるような自動小銃や軽機関銃、はたまた散弾銃。
それらを持ち込まれては面白いようにゲームが展開しない恐れがある。……だから、全員の得物が拳銃なのだ。
その中で『外注』として雇われた美華はゲームバランスを保つ為の要員の1人であるのは想像に難くない。
この場に投じられた面子を、全員の顔ぶれを窺ったわけではないが、どこかで見たような風体の拳銃遣いも含まれていた。
凡そ、今の時点まで生き残っているのは報酬を貰う契約でこのゲームに参加せざるを得なかった荒事稼業の人間ばかりだ。
三下連中よりは数は少ないが、若しかすると、3つの勢力のそれぞれが1つのチームとして勝利を収める条件ではなく、合計30人、それぞれにオッズが割り振られて、自分も競走馬と同じ扱いを受けていると思われる。
そこに考えが到るのに鉄火場が形成されて30分後の事だった。
今はもう忘却の彼方だ。
目の前の敵を打ち倒して生き残ることに専念するのに必死だ。
目立つようなカラーラベルは特に無い。
たまに同士撃ちも発生する。……『雇われた鉄砲玉連中の抗争』なら充分に起こりえる事故だ。
セレクターをフルオートに切り替える。
引き金を引き絞りながら左から右へと銃口を振る。
大型の蜂の羽音に似た発砲音が唸る。
牽制ではなく、前方の遮蔽に潜む複数の標的の頭を押さえたかった。左手を翳して美華の背後に控える友軍に前進を促す。
右手だけでフルオート射撃をこなしたものだから、震動で手首を持っていかれる錯覚を覚える。
トリガーガードの左右の付け根に有るマガジンキャッチを押し、空になった弾倉を自重で落下させ、素早く新しい弾倉を叩き込む。
スライドを前進させて薬室に実包を送り込む。
このグリップのギミックはロシアのアクセサリーメーカーが開発したアイデア商品で、梃子の原理を利用した単純な拵えのマガジンキャッチだった。
グリップ内部にバーが1本通っているだけの簡素な拵えで故障が少ない。
それでいて実戦で有用。
更に安い。
個人輸入でも大して割高にならないと言うのも大きな魅力。
スチェッキンの本来のグリップよりも若干、前後幅が広くなるのでグリッピングが楽になる。
9mmマカロフの反動は軽い。だが、20連発の間断無い全自動ともなると片手でチェーンソウを扱っているような感触を覚える。
確かに強力な全自動。
乱用は出来ない。
銃身の寿命が短くなるだけでなく、スチェッキン本体にもダメージが蓄積する。
何より、反動ゆえに命中精度が全く期待できないので牽制を主にした遣い方以外に遣いどころが見当たらない。
美華は友軍の2人を前進させると、踵を返し、遮蔽伝いに先ほどまで目前にしていた敵勢力と思しき集団の背後に回るべく迂回を始める。
そろそろ上着が邪魔になる気候。翻るパーカーが邪魔になる。
鉄錆び臭い細い路地を駆ける。
この辺りの地図は全く頭に無い。
最初にこの区画の俯瞰図を貰ったが、それはコンビナートが稼動していた時分の地図で、今では思わぬ場所にフェンスや廃材が詰まれて描き込まれている地図通りに行動できる保証が無かった。
あちらこちらで銃声が聞こえる。
お互いが一撃に欠ける、牽制の応酬を繰り返すのが銃声のリズムで解る。
罵声が混じる銃声。銃声よりも威勢がいい罵声。
「!」
目の前の三叉路を左に折れようかと踏み込んだ時に大型自動拳銃――CZ-75かそのコピー――を携えた二十代前半の男と鉢合わせする。互いの視線が一瞬、絡む。
距離、2m。
2人とも瞬間的に理解する。
敵だ、と。
男は水色の作業着を思わせるブルゾンを着ていた。
身長は美華より僅かに高い。軟弱な印象からは遠い精悍な顔付き。
その体躯を裏切らない反射神経……素早い。美華も男も2mの距離から拳銃を構え直す真似をせずに互いが1歩、踏み出して距離を縮める事に執着した。
近過ぎる。
肘を引き気味に拳銃を互いが構えるよりも、相手の体を一旦、突き放して体勢を崩させるようなロスを作り、その隙に相手の体に銃弾を叩き込んだ方が得策だと考えた結果だ。
左右2mも無い狭い路地。作業員用通路。
美華と男は、左肩を突き出して相手の体幹を崩す為の体当たりを繰り出した。
「!」
――――負ける!
衝突した瞬間に美華は息をのむ。
体重……質量が生む運動エネルギーの勝負に脆くも負けてしまう自分のイメージが脳裏を過ぎる。
空かさず美華は、左に軸足を切り替えて、予備弾倉を掴むはずだった左手の親指以外の4本指で、相手の半開きのブルゾンの襟に差し込み、掴む。
大きく吹っ飛ばされる美華の体はそれで防ぐ事が出来た。
相手も馬鹿ではない。
彼女の掴む腕自体にCZ-75の銃口を向けて発砲しようと目論む。 自分の左手が千切れ飛ぶイメージが浮かぶ。
体勢が整う前の美華は、折角、指先で掴んだと言うのに、弾かれるように相手のブルゾンの襟から指を離す。
大きく視界が倒れる。
アンバランスな体勢を保持する為に相手の襟を掴んだのに、その指を離した結果、派手に右手側に倒れるモーションに移行し、地面と衝突。 地面にぶつかる瞬間、咄嗟に右手のスチェッキンを左手にお手玉のようにスイッチしてしっかり握り込み、碌な照準も定めずに頭上に、殆ど空に向けて発砲。
男は怯みを見せて顔面を逸らす。
銃口からの火薬滓に顔を炙られたか、鋭い呻き声を挙げる。
男の体が2m以上離れたのを見計らって地面に寝転んだまま、左手だけで保持したスチェッキンを発砲する。
腹部から胸部にかけてのダブルタップ。
できるだけしっかりと保持して一番大きなバイタルゾーンである腹部に2発素早く放った。1発目で早くも反動で銃口が跳ね上がって胸部に2発目が命中した。
どの道、この男はここでリタイアだ。
軍用や司法用で有名な9mmパラベラムと比べれば、薬莢長は9mmマカロフの方が1mm短い。
然しながら、それに伴う威力低下のアドバンテージは計算値以上で、1発で無力化させるには心許ない。
故に2発放った。
2発ともバイタルゾーンに吸い込まれた。
男は空気が抜けるような息を口から苦しそうに吐いて仰向けに倒れた。男の右手側にタンフォグリオのCZのコピーが転がる。
重症の男を飛び越えた。男の恨めしそうな視線を無視した。
リタイアしたが今のところ、命に別状は無い。
あれだけの殺気が放てるのなら充分に助かる可能性がある。美華は心の中で軽薄な応援を飛ばす。
走りながら左手で懐を探る。
見慣れた黄色い正方形に近い箱を取り出し、器用に片手でその紙箱を開けて中身をこれまた器用に取り出して口に銜える。
少し大振りなシガリロ……モンテクリスト・クラブだ。
急激に湧いたニコチンへの渇望を抑える戦いを展開する前に、さっさと欲望に負けた彼女は走りながらモンテクリスト・クラブを銜え、角ばったチープな拵えのイムコ・ストリームライのオイルライターで火を点ける。
走りながらなので、顔面にウイックを向けて着火させる。
走る事により発生する風向きの都合上、この方がシガリロの先端を炙り易い。