遠い海の下

 建物の陰に隠れて裏手に廻る。
 左右に分かれた2人が分かれ、建物に近付くのが気配で分かる。
 この建物は俯瞰すればL字を為している。遮蔽が多い建物ではない。 連中の火線の真ん中に立たされれば、背後が無いだけに拳銃でも厄介だ。
 こちらの強みはフルオート射撃が出来るスチェッキン1挺のみ。
 そのスチェッキンも弾薬が心許ない。
 弾倉の数は具体的に3本だ。
 セミオートなら充分な火力と言えるが、今までの調子でフルオート射撃を繰り返していては5秒も持たない。
 自分の心に焦るなと言い聞かせる。
 言い聞かせながらもいつものモンテクリスト・クラブを口に銜え、弾倉を手探りで数え終えたばかりの左手でイムコ・ストリームラインを取り出して火を点けている。
 今、自分が鉄火場で喫煙していると気が付いたのは、モンテクリスト・クラブの先端が2cmほど灰になった時だった。
 抑えようの無いニコチンへの渇望に襲われたと言うよりも、惰性で口に銜えていたと言う感じだ。
 銜えたばかりのモンテクリスト・クラブを吐き出そうと口に一杯の空気を吸い込むが、連中を見ると、連中も煙草に火を点け始めた。……両者とも、間抜けな話に、何秒間続くか分からない小休止を入れる事になった。
 落ちていたサイドミラーの破片を拾って街灯のハレーションを作らない様に気をつけながら周囲を伺う。
「…………4人」
 4人以上の数は見当たらない。
 場を何度か移動し、周囲を警戒する。4人以上の人数は、この敷地内に確認できなかった。
「…………」
 連中の正体は不明。
 恐らくこのまま不明のままだろう。
 クライアントの正体を自分で喋ったり痕跡を残したりする間抜けは居ない。
 この集団のクライアントが判明したところで、反撃に出る事は難しい。
 この集団は報復活動でいう、『釣り針』の一部でしかない。
 皆殺しにする必要は無い。手出しをすれば痛い目を見ると言う警告を与える意味で何人か生存させておいた方が賢い。
 口が利ける人間なら、建物の中で呻き声を挙げている。
 見事なまでに、糞ったれな銃撃戦は何も生まない。無為なタマの取り合いなのだから、仕掛けられた美華にとっては堪ったものではない。
 銃撃戦の果てにオチも意味も無い。
 複数の殺し屋が組んで、一人の殺し屋を『何かしらの理由で』殺すだけの素うどんみたいな筋書きだ。
 いつもの事とは言え、吐き気がしてくる。様々な思惑の末に美華を仕留める流れになったのだろうが、恐らく、居酒屋で呑みながらその場の勢いで決まった依頼ではないかと疑ってしまう。
 物事に、必ずしも辻褄が合う展開が待っている訳ではない。理不尽を知る。
 この世界では当たり前に転がっている。
 表の世界でも、例えば交通事故で死んだと思われた人物は殺意を以って交通事故の体で殺されていたなどとは良く聞く話だ。
 喫茶店でコーヒーをオーダーするような感覚で、殺し屋が雇われ、注文――死体――が運ばれてくるこの世界。
 敵の数を数えるだけ無駄なのだ。
 新規事業者が旗を揚げる前に雑草を引っこ抜くのと同じ理由。小物の同業者を片付けるのも日常茶飯事。
 右を向いても左を向いても嫌な話ばかりだ。
 その嫌な話に巻き込まれるのは、もっと嫌な話だった。
 口に銜えたモンテクリスト・クラブが半分を過ぎた辺りで地面に吐き出す。爪先で蹂躙した。
 たっぷりと10分は時間が経過した。
 喉が渇く。ニコチンへの渇望は満たされた。体力もある程度挽回してきた。
 連中の包囲網を再び、拾ったサイドミラーの破片で確認する。
「……」
 1人足りない。人影が遮蔽を伝って移動を繰り返しているが、どうしても数が合わない。
 目前の3人は陽動だ。
 一番の脅威だと思われる短機関銃の遣い手が居ない。
 こちらを伺う姿。連中も煙草休憩を行いながら作戦を開始していたらしい。
 静か。静寂。
 耳鳴りが聞こえそうな緊張。
 世界は静かだった。
 足音が聞こえない。姿が見えているのに、挙動が確認できるのに音がしない。
 不気味だ。連中からの距離は精々20m。
 拳銃では少し不安が残る距離。散弾銃は脅威でも銃口を振って牽制しているだけ。
 恐らくレミントンM870の3連発チューブ弾倉と思われる散弾銃は、拳銃と違って実包が大きく、嵩張るので大量の弾薬を携行していないから温存しているのだろう。
 3連発のチューブ弾倉なら弾幕を張っても、再装填がスチェッキン以上に大きな弱点となる。
 拳銃は大型軍用拳銃のシルエットが見て取れる。
 SIG P226かそのコピーだ。この場から姿を消して目下裏を掻くべく別行動中の短機関銃はTEC-9のシルエットだった。最優先で短機関銃のTEC-9を黙らせなければならない。
 スチェッキンのセレクターを指先で確認。セミオート。
 足の運び方は中堅程度のプロ。
 美華もそのレベルゆえに、戦闘区域が『静か』なのだ。
 建物を背後にして左手側を壁にしてアソセレススタンスでTEC-9を構える男の方へ出向く。……先に片付けたい気分ばかりが先行する。
 背後に廻ったであろうTEC-9の遣い手を先に片付けるべく移動を始める。
 どう考えても30m四方の戦闘区域。
 狭い空間で短機関銃は厄介だ。
「!」
 外灯の下を避けて歩く美華の足が止まる。
 コルト・ウッズマンのシルエットが浮かんでいるのだ。
 ……その人物の手に。
「これはこれは……意外性が無さ過ぎて興醒めだ……」
 本当は意外ではなかった。
 興醒めではなかった。
 頭の中で疑問符が踊る。
 麗子。
 いつもの黒尽くめでスーにパンツ。
 足元は意識してか、革靴に似せた運動靴を履いている。
 彼我の距離20m。
 麗子は外灯の下で姿を隠しもせずに、右手にコルト・ウッズマンを収めたまま立っていた。
 今し方、初めての射殺を経験したような顔付き。
 唇の端にはいつもの性悪な微笑を浮かべているが、精気が無い。
「!」
 その背後に人の気配。
 そいつらとの関連性は不明だが、この場は麗子と共闘して切り抜ける状況ではないと言う事だけははっきりと解った。
 麗子の背後に短機関銃を携えた影が見えたのに、今なら一連射で麗子諸共、美華を仕留める事が出来たのに……それをしないと言うことはこの場に居る連中と麗子は、連携する立場の関係なのだ。
「君がご執心の噂の拳銃……どんなものか気になってね。自前で人を雇って手に入れたらこれが中々……うん。いい物だね。試し撃ちにこれを探してくれた情報屋をその場で撃ってみたけど……随分と簡単に命中するんだ。不思議だなあ。人差し指を向けた先にタマが命中するのと同じ感触でね」
 誰に聞かれたわけでもなく、麗子は語り出す。
「手前ぇ……情報屋を殺したのか。もうこの街では生きていけないぞ……『呑みこまれちまいやがって』」
 美華の頭の中は次々とパーツが組み立てあげられて、今回の……否、今度の話の筋が見えてきた。
 美華が興味を示しすぎたコルト・ウッズマン。
 それを先に回収したのが麗子。
 恐らくは商売的なサプライズなのか、足元を見て探索費用を釣り上げるのが目的だった。
 なのに、いざそれを手にしてみれば麗子自身がコルト・ウッズマンの魔力に簡単に呑み込まれてしまった。……コルト・ウッズマンを入手するのに雇った情報屋は恐らく殺す必要は無かっただろう。
 『突然、撃ちたくなった』のだ。
 美華でさえスチェッキンを忘れ、そのコルト・ウッズマンの鈍い輝きに呑まれたのだ。
 銃火器に触れる機会が少ない麗子なら簡単に得体の知れない魔力に魅せられるだろう。
16/18ページ
スキ