遠い海の下
BMWの運転席に座ったまま、今し方発生したコンビニ強盗の情報をリークしてもらうべく麗子のPCアドレスに文面を送信する。
この時間帯はどこで何をしているか予想できないので、確実な方法を取る。
事件発生から10分も経過していない。
パトカーが漸く駆けつけた段階だ。
この事件に関して、今現在では有益な情報は得られないだろう。それに……唯の見間違えの可能性も大きいのだ。拾える情報は拾っておきたい。
今夜の買い物は諦めて自宅に戻る。
翌日午後に、刑事が美華のマンションを訪れたが、防犯カメラに映っていた車種とナンバーから昨夜のコンビニ強盗の目撃者に直接伺って話を訊きにきただけだ。
面倒ごとに巻き込まれたくないので、その場から去ったと答え、犯人の姿形は全く覚えていないと、恐怖に震える姿を演じる口調で言うと刑事は直ぐに引き下がった。
麗子から電話が有ったのはコンビニ強盗発生から48時間が経過した頃だった。
夜中に突然の電話。
ホームバーで白州12年のロックを傾けながらモンテクリスト№2を手元に仕事依頼のメールを整理している時だった。
麗子の着信だと分かると、携帯電話に手を伸ばして応答する。
「前のコンビニ強盗だけど」
「何か解った?」
「ライフルマークが『一致』したわ」
「…………詳しく聞かせて」
あの晩に目撃したコルト・ウッズマンは見間違えようも無い捜索対象だった。
コルト・ウッズマンは世界に1挺しかない拳銃と言うわけではない。ベストセラーを誇れるだけの名銃であり、大量生産されて今でもユーザーは多い。
それは拳銃の所持が容易な諸外国での話しだ。
嘗ての……オールドモデルの22口径10連発の典型的プリンキングガンであるコルト・ウッズマンは生産が終了して随分と年月が経つ。
現在は後継機が販売されているが、嘗てのモデルに憧憬を抱くユーザーも多い。
元は射的競技用のピストルとして開発されたが、後にアメリカの森林警備隊のサイドアームとして愛用された事から『ウッズマン』の名前を戴いた謂れが有る。
今では22口径と言う手頃な弾薬のお陰で庭先で空き缶を撃つプリンキングガン扱いだ。そんな頼り無さそうな自動拳銃でも拳銃自体が反社会的活動のシンボルである日本に於いては脅威。
22ロングライフルの心許ない停止力でも違法改造したガスガンから発砲されるBB弾とは桁違いの威力。
相手を怯ませる事を念頭に置くのなら強盗に持って来いの拳銃だ。
所謂プロが使う拳銃ではない。
その拳銃が持ち主を転々としながら生きながらえている様は、何かしらの呪いすら感じる。
麗子からリークされた内容によると、コンビニ強盗は合計で3人組。1人が実行。1人がバイクの運転。1人が下調べ担当。
このところ頻発している、近辺のコンビニ強盗の手口が同じ事から間違いないと言う。
防犯カメラを非合法な手段で覗いた麗子の証言によると、コルト・ウッズマンで確定だ。
3人の氏名、年齢、職業、住所、電話番号は全て麗子が探り出した。コピーしたデータから防犯カメラの解析を専門のギークな情報屋に依頼した結果だ。
3人の中でコルト・ウッズマンを所有しているのは橘恵子(たちばな けいこ)と言う高校3年生の子供だ。
17歳。市内の私学に通う。
住所もコンビニ強盗が発生している圏内の中心。
土地鑑が有って当然。他の2人もその私学に通う悪友で、どこにでも居る素行不良の生徒だった。
今までにコンビニ強盗でコルト・ウッズマンは10回火を噴いて4人を負傷させている。
警察に先手を打たれては依頼が遂行できなくなる……尤も、依頼を迂遠に押し付けてきたのは、警察を操る司法関係者なのは判明しているが、美華も依頼人も口には出さない。
警察に押収されても煙のように消えてしまう凶銃だ。
犯人を確保して、凶器だけ溶鉱炉かプレス機にでも任せれば安心なのだろう。
コルト・ウッズマンの処分方法は任されている。
兎に角、忌まわしい拳銃を形が無くなるまで処分して欲しいと言う依頼だ。
麗子から一通りの情報を聞き出す。
相手はカタギだ。『コンビニ強盗を繰り返しいるだけ』では闇社会の人間とは言えない。
寧ろ『病み社会の生み出した人間』に過ぎない。
橘恵子の手に渡り、確認されている中で、今までに10回火を噴いた。
これは大きな情報だ。
このまま予備弾を持っていない事を願う。
若しも、予備弾を所有していたとなると……病み社会ならぬ闇社会に片足を突っ込んでいると看做す。
高校生が簡単に22口径を入手できるわけが無い。豆鉄砲でも実弾には違いない。
これを免許も無しに入手するには、美華達が棲んでいる世界に埋没した方が早いからだ。
故に10発以上の実包を所持していない事を願うまでだ。
何度も念を押して麗子に尋ねた。
それはモデルガンではないのかと。その度にライフルマークが確認できたと麗子は答えた。
空薬莢に残されたエジェクターの引っ掻き跡も一致。
疑う余地は無い。
橘恵子という女子高生がコンビニ強盗を計った時期を狙ってコルト・ウッズマンだけを強奪できれば理想。
不良というだけで堅気には違いない。
鉄火場に発展するとも考え難い。
狙うべき対象が判明すれば楽な仕事だ。
携帯電話を切る。静かに置く。
情報屋を雇うまでも無い。麗子に任せるまでも無い。入念な下調べも必要が無い。
そんな楽な仕事だと楽観してしまう。
詰まらない仕事だったと、美華は白州12年の円やかでスムーズな喉越しを愉しみながら、トルペドのビトラをしたモンテクリスト№2を吸って何もかもが無事に終わったような顔で瞑目した。
麗子に送信してもらった橘恵子の住所を元に張り込みを始める。
暫くは、急な案件が舞い込んでくる気配がないので、時間の余裕はある。依頼のメールの確認は麗子に代行してもらう。
コンビニ強盗を働いて小銭を稼ぐのは決まって午後11時半以降。
夜中に家を出ても、必ずコンビニを襲撃するわけではない。
繁華街で遊び呆ける事が多い。
その間に飲酒喫煙は見受けられたが、薬物やこの界隈を縄張りにする闇社会の住人と接触した痕跡は無い。
豪奢な家屋に家族3人暮らしのはずだが、健在な両親の姿が見えない。
外部から察するに、健全な生活を営んでいる匂いがしない。
理解した。……家庭崩壊だ。
橘家は戻れない場所まで家庭崩壊を起こしている。
美華はふと、自分の家庭を思い出した。似た者同士の匂いを嗅ぐ。
1週間の張り込み。
決まった時間に決まった場所へ繰り出して放蕩を続ける。
両親の背景を調べたが、両親とも絶賛不倫中で家に寄り付かず、生活費だけを振り込んでいる状況。
これ以上の張り込みや探索は無意味だと自前の調査を打ち切る。
土曜日の午後10時にスチェッキンを懐に呑んでいつもの姿――黒いパーカーに黒いカーゴパンツとバラクラバ――で橘邸に忍び込む。
以前に侵入した茂田の家と比べるとセキュリティは皆無。
2階の窓に電灯が点っているだけで、護り屋どころか番犬の存在も確認できない。
第一、暗い世界とは縁の無い人間だ。この仕事は一瞬で終わる。
橘恵子は外出する時には必ず三角形を為す小さなボディバッグを背負っていた。
大きさからしてコルト・ウッズマンを忍ばせるには充分な大きさ。
他の仲間の2人も同時に調査していた。手ぶらかもっと小さなボディバッグしか携行していない。
この時間帯はどこで何をしているか予想できないので、確実な方法を取る。
事件発生から10分も経過していない。
パトカーが漸く駆けつけた段階だ。
この事件に関して、今現在では有益な情報は得られないだろう。それに……唯の見間違えの可能性も大きいのだ。拾える情報は拾っておきたい。
今夜の買い物は諦めて自宅に戻る。
翌日午後に、刑事が美華のマンションを訪れたが、防犯カメラに映っていた車種とナンバーから昨夜のコンビニ強盗の目撃者に直接伺って話を訊きにきただけだ。
面倒ごとに巻き込まれたくないので、その場から去ったと答え、犯人の姿形は全く覚えていないと、恐怖に震える姿を演じる口調で言うと刑事は直ぐに引き下がった。
麗子から電話が有ったのはコンビニ強盗発生から48時間が経過した頃だった。
夜中に突然の電話。
ホームバーで白州12年のロックを傾けながらモンテクリスト№2を手元に仕事依頼のメールを整理している時だった。
麗子の着信だと分かると、携帯電話に手を伸ばして応答する。
「前のコンビニ強盗だけど」
「何か解った?」
「ライフルマークが『一致』したわ」
「…………詳しく聞かせて」
あの晩に目撃したコルト・ウッズマンは見間違えようも無い捜索対象だった。
コルト・ウッズマンは世界に1挺しかない拳銃と言うわけではない。ベストセラーを誇れるだけの名銃であり、大量生産されて今でもユーザーは多い。
それは拳銃の所持が容易な諸外国での話しだ。
嘗ての……オールドモデルの22口径10連発の典型的プリンキングガンであるコルト・ウッズマンは生産が終了して随分と年月が経つ。
現在は後継機が販売されているが、嘗てのモデルに憧憬を抱くユーザーも多い。
元は射的競技用のピストルとして開発されたが、後にアメリカの森林警備隊のサイドアームとして愛用された事から『ウッズマン』の名前を戴いた謂れが有る。
今では22口径と言う手頃な弾薬のお陰で庭先で空き缶を撃つプリンキングガン扱いだ。そんな頼り無さそうな自動拳銃でも拳銃自体が反社会的活動のシンボルである日本に於いては脅威。
22ロングライフルの心許ない停止力でも違法改造したガスガンから発砲されるBB弾とは桁違いの威力。
相手を怯ませる事を念頭に置くのなら強盗に持って来いの拳銃だ。
所謂プロが使う拳銃ではない。
その拳銃が持ち主を転々としながら生きながらえている様は、何かしらの呪いすら感じる。
麗子からリークされた内容によると、コンビニ強盗は合計で3人組。1人が実行。1人がバイクの運転。1人が下調べ担当。
このところ頻発している、近辺のコンビニ強盗の手口が同じ事から間違いないと言う。
防犯カメラを非合法な手段で覗いた麗子の証言によると、コルト・ウッズマンで確定だ。
3人の氏名、年齢、職業、住所、電話番号は全て麗子が探り出した。コピーしたデータから防犯カメラの解析を専門のギークな情報屋に依頼した結果だ。
3人の中でコルト・ウッズマンを所有しているのは橘恵子(たちばな けいこ)と言う高校3年生の子供だ。
17歳。市内の私学に通う。
住所もコンビニ強盗が発生している圏内の中心。
土地鑑が有って当然。他の2人もその私学に通う悪友で、どこにでも居る素行不良の生徒だった。
今までにコンビニ強盗でコルト・ウッズマンは10回火を噴いて4人を負傷させている。
警察に先手を打たれては依頼が遂行できなくなる……尤も、依頼を迂遠に押し付けてきたのは、警察を操る司法関係者なのは判明しているが、美華も依頼人も口には出さない。
警察に押収されても煙のように消えてしまう凶銃だ。
犯人を確保して、凶器だけ溶鉱炉かプレス機にでも任せれば安心なのだろう。
コルト・ウッズマンの処分方法は任されている。
兎に角、忌まわしい拳銃を形が無くなるまで処分して欲しいと言う依頼だ。
麗子から一通りの情報を聞き出す。
相手はカタギだ。『コンビニ強盗を繰り返しいるだけ』では闇社会の人間とは言えない。
寧ろ『病み社会の生み出した人間』に過ぎない。
橘恵子の手に渡り、確認されている中で、今までに10回火を噴いた。
これは大きな情報だ。
このまま予備弾を持っていない事を願う。
若しも、予備弾を所有していたとなると……病み社会ならぬ闇社会に片足を突っ込んでいると看做す。
高校生が簡単に22口径を入手できるわけが無い。豆鉄砲でも実弾には違いない。
これを免許も無しに入手するには、美華達が棲んでいる世界に埋没した方が早いからだ。
故に10発以上の実包を所持していない事を願うまでだ。
何度も念を押して麗子に尋ねた。
それはモデルガンではないのかと。その度にライフルマークが確認できたと麗子は答えた。
空薬莢に残されたエジェクターの引っ掻き跡も一致。
疑う余地は無い。
橘恵子という女子高生がコンビニ強盗を計った時期を狙ってコルト・ウッズマンだけを強奪できれば理想。
不良というだけで堅気には違いない。
鉄火場に発展するとも考え難い。
狙うべき対象が判明すれば楽な仕事だ。
携帯電話を切る。静かに置く。
情報屋を雇うまでも無い。麗子に任せるまでも無い。入念な下調べも必要が無い。
そんな楽な仕事だと楽観してしまう。
詰まらない仕事だったと、美華は白州12年の円やかでスムーズな喉越しを愉しみながら、トルペドのビトラをしたモンテクリスト№2を吸って何もかもが無事に終わったような顔で瞑目した。
麗子に送信してもらった橘恵子の住所を元に張り込みを始める。
暫くは、急な案件が舞い込んでくる気配がないので、時間の余裕はある。依頼のメールの確認は麗子に代行してもらう。
コンビニ強盗を働いて小銭を稼ぐのは決まって午後11時半以降。
夜中に家を出ても、必ずコンビニを襲撃するわけではない。
繁華街で遊び呆ける事が多い。
その間に飲酒喫煙は見受けられたが、薬物やこの界隈を縄張りにする闇社会の住人と接触した痕跡は無い。
豪奢な家屋に家族3人暮らしのはずだが、健在な両親の姿が見えない。
外部から察するに、健全な生活を営んでいる匂いがしない。
理解した。……家庭崩壊だ。
橘家は戻れない場所まで家庭崩壊を起こしている。
美華はふと、自分の家庭を思い出した。似た者同士の匂いを嗅ぐ。
1週間の張り込み。
決まった時間に決まった場所へ繰り出して放蕩を続ける。
両親の背景を調べたが、両親とも絶賛不倫中で家に寄り付かず、生活費だけを振り込んでいる状況。
これ以上の張り込みや探索は無意味だと自前の調査を打ち切る。
土曜日の午後10時にスチェッキンを懐に呑んでいつもの姿――黒いパーカーに黒いカーゴパンツとバラクラバ――で橘邸に忍び込む。
以前に侵入した茂田の家と比べるとセキュリティは皆無。
2階の窓に電灯が点っているだけで、護り屋どころか番犬の存在も確認できない。
第一、暗い世界とは縁の無い人間だ。この仕事は一瞬で終わる。
橘恵子は外出する時には必ず三角形を為す小さなボディバッグを背負っていた。
大きさからしてコルト・ウッズマンを忍ばせるには充分な大きさ。
他の仲間の2人も同時に調査していた。手ぶらかもっと小さなボディバッグしか携行していない。