44マグナム

 ふと思い出す。
 踵を返してエアバッグのクッションで命を助けられた、脳震盪で動けない男の元に来ると、緩やかに回転している脳味噌で悩まされているその頭蓋を44マグナムの弾頭で叩き割る。
 今晩のこの襲撃はまだまだ前哨戦でしかない。
 小癪なゲリラ活動を行う、どこかの誰かが居る事をアピールする。
 それだけだ。
 そうなれば、考えれば考えるほど、第三勢力を束ねてどこの組織にも組しないと決め込んでいる顔役と接触を図った理江の存在は、顔役とその一派にとって邪魔で仕方が無いだろう。
 本懐を遂げた暁には自分で自分の頭を撃ち抜くまでもなく顔役が手配した殺し屋に命を狙われて呆気なく絶命するかもしれない。……それは結果の果てのおまけだ。
 あくまで、玉置一の背後に潜むあいつを殺す。
 報復。
 社会的抹殺では気が晴れない。
 あいつに殺された家族はあの世で揃って冥府魔道に突き進む理江を塞き止めようと必死で叫んでいるかもしれない。
 死んだ人間は黙っていてくれ。
 これは生きている人間の戦いなのだ。
 『大事な家族を殺された』という瑕を心に刻まれた人間が唯一、気が晴れると信じた拙いまでの思考だ。
 拙くともその思考は彼女の原動力であり教義である。
 キャンバスシートを覆い被せて隠していた2個のバッグを回収して港湾部を後にする。
 人気の無い港湾部を女が1人で歩いているのは異様に見えるであろうから、できるだけ無人の路地裏を通り、一般道へ出る。
 タクシーは拾わない。
 人通りの多い通りに出る直前、IWハーパーのバーボンを一口飲む。もう一口、少量を口に含むと口を濯いで吐き出す。
 それからIWハーパーを掌に少し塗り、そのアルコールを喉や頸に塗りつける。
 ……演技の、軽い千鳥足を行いながら、数十m歩くと手を挙げる。
 直ぐにタクシーが止まってくれた。
 タクシーを呼び止めた辺りは、繁華街から離れているものの、シフト明けのタクシードライバーや長距離トラックドライバー目当ての飲み屋が軒を連ねている辺りで、ここなら女の酔客の1人や2人がフラついていても誰も何も思わない。
 呂律が回らない演技で行き先をタクシードライバーに告げる。
 行き先は顔役に手配してもらっていたセーフハウスの近所だ。
 学生や単身赴任をターゲットにした1Kマンションが並ぶ住宅地で、これまた荷物を抱えた女が1人で住んでいても不審に思われない条件が揃っていた。
 ドヤ街で借りていた部屋の支払いは明日済ませることにして、そのセーフハウスに転がり込んで予め揃えられていた調度品や家具を眺める。
 生活習慣がばらばらの人間が密集する1Kマンション。
 夜更けにどこの誰かも知らない人間が隣にやって来ても、自分の迷惑にならなければ誰も何も言わない。
 希薄な近隣関係はこんな時には大変有り難い。
 その日の明け方近くまで、何本もの安葉巻を灰にしながら奪った携帯電話のアドレスやフォルダを漁って重要だと思われるアドレスを自分の携帯電話にコピーしていた。
   ※ ※ ※
 セーフハウスは、万が一の拠点として温存すべく、余り立ち寄らない場所であると認識を改めた。
 あの場所は顔役の息がかかった不動産屋が手配した物だと想像に難くないが、余り甘え過ぎていると思わぬ場面で足元を掬われる可能性を危惧したのだ。
 ドヤ街へ再び戻る。今度は違う宿だ。
 猥雑な空気は同じだ。衛生的にも気が配られているとは思えない。
 人間が寝るに耐えられるだけの場所である。
 宿泊施設や消防に関する法律も無視された宿。外見は4階建てのテナントビル。
 その内部がベニヤ板で仕切られただけの簡易宿泊施設。
 台所と言う名の給湯室もトイレも男女共用。
 何人も懐に拳銃を呑み込んだ人間と擦れ違った。
 例外なく煙草の臭いを纏って硝煙の臭いを消していた。
 普通の人間なら誤魔化せるだろう。明るい世界の人間なら誤魔化せるだろう。……だが、硝煙と紫煙が混じった臭いは一種独特で、その世界に馴染む人間なら名刺代わりのような役目も果たす。
 理江はそれを覆い隠す為に革製の草臥れたハーフコートを羽織っている。
 疲れた革製品の臭いも独特だ。安葉巻の匂いは紙巻煙草とはまた違った趣の香りがする。その辺に居るヘビースモーカーの口臭の方が余程の悪臭だった。
 一時の拠点としたドヤ街から近い公園に出る。
 都市区画の計画によって無理やり作られた広いだけの公園だ。
 この区画一帯が災害などに見舞われたときに大勢の人間が一時的に避難できるように設けられただけの公園。
 このような公園は人口の密集地帯であればあるほど合計の面積分、その区画に確保されている。
 そのベンチしかない公園にコンビニの袋を提げて理江はやってきた。
 午後2時。
 少し遅れた昼食。天候は珍しく晴れ。雲の流れが緩慢で今日は一日好い天気だそうだ。
 コンビニで買った昼食をモソモソと腹に収める。
 有り触れたツナマヨとおかか梅干。
 コンビニで淹れたインスタントのカップ味噌汁。
 たったこれだけの食餌に日本人の『痒い所に手が届く設計』の精神が高い密度で押し込まれている。
 握り飯の包装自体が奇跡のような発明だ。握り飯の中心を這う1本のビニール紐を周回させるように捲れば包装はそれだけで左右に分離し、『一番力を込め易い部分』である左右の角を引っ張るだけで中身が開放される。
 しかもウエットティッシュの出番を挫かんばかりに、握り飯本体は大きな海苔で包まれている。
 手に付着する米のべたつきから解放された瞬間を享受している。
 海苔越しに握り飯をかぶれば名産地の米で炊いたと言う白飯が具材と相俟って、程よい塩分を口内に満たしてくれる。
 最初に手に取ったのはツナマヨ。
 嘘か本当か、具材によって白飯に混ぜられる塩分は微妙に調整されている場合もあるらしい。余程、味覚に自信が有るマイスターでなければ判断するのが難しいらしい。
 その飯の味を損なわないように厳選された海苔。
 握り飯一つ取っても、米ありきなのか海苔ありきなのかで味の微調整は難しくなる。そこへ具材を包み込むのだ。
 飯と海苔が逸品の味でも具材で大きく崩壊する味では意味を成さない。
 中身か外側か。
 単純にそれだけでは推し量れない世界の末に、この握り飯は完成している。
 否、進化の過程の途にあると言うべきか。
 これから先、もっと開封し易い包装が現れるかもしれない。
 職人魂を煽る具材が登場するかもしれない。
 誰も気が付かなかった名産の米や海苔の組み合わせが発見されるかもしれない。
 唯の握り飯だが、人間とは理不尽な胃袋を持っている動物で、たった一食、食事をしなかっただけでも大きく気力を削がれて、その後の作業効率が想像以上に低下する。
 炭水化物と塩分と脂とたんぱく質の権化でしかないツナマヨおにぎりは、これ一個で充分にカロリーを補給できる。
 単純に腹を膨らませて、それに伴うエネルギーを摂取するだけならツナマヨおにぎりだけを食べればいい。
 だが、日本人の探究心はバリエーションを生み出すことで顧客のニーズに応えて来た。
 当初は物珍しかったツナマヨおにぎりだけでは勝負できないと見るや、日進月歩で無数の握り飯が開発され、展開された。
 たった1枚の硬貨で買える握り飯に正に感謝だ。
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