44マグナム

 理江は情報屋から聞き出すべき情報と、おまけのリークを反芻して頭に叩き込む。
 雑多な人間が行き交う治安が良くない路を遠慮なく大股で歩く。
 ホンジュラスの葉巻の煙を吐き散らす。
 ドヤ街で借りたあの部屋は日払いだ。いつチェックアウトしても構わないシステムだ。
 そもそも宿泊に関するシステムが皆無に近いのが、あの手の宿の良いところだ。
 記帳は形式だけ。チェックアウトしたければその日の代金さえ払っていれば、屋外からの電話一本で完了する。
 理江が借りていた部屋には今も痕跡は無い。
 借りた毛布が部屋の真ん中に放り出されているだけだ。
 理江はこの街に辿り着いてから、何箇所かのドヤ街を徘徊し、定まった宿を決めなかった。
 自分の正体や素性が感知されて逆撃を受けた場合の危険性を鑑みての事だ。
 自分1人を殺しに来るのならまだマシだ。
 自分1人を殺す為に宿全体に……防火設備や避難ルートが皆無の宿に火を点けられたら大惨事を引き起こす。
 隣の部屋の人間や人種を気に掛けているのではなく、文字通り、炙りだされるのを危惧しているのだ。
 予測不能や非常事態の混乱は『何も覚悟が決まっていない時ほど』絶大な効果を発揮する。
 タクシーを拾い、徒歩と窃盗した車を継いでこの街の港湾部に訪れる。
 タイメックスの腕時計は午後11時を差している。
「…………」
――――警戒していると思っていたけど……。
 足元に残り2cmほどの長さになった安葉巻を落として踵の裏で蹂躙する。
 情報屋から仕入れた情報を確かとするのなら、今夜のこの時間前後に、この場所で『出迎え』がある。
 湾内の作業現場を往来する作業船を次々と乗り継いだ、連中にとっての要人がここの桟橋で上陸し、迎えに来た【野川一誠会】の出迎えで案内されるはずだ。
 低速で航行する船での移動を鑑みて多少のズレが生じたのだろう。
 接岸する桟橋も判明しているので焦らない。
 外灯を頼りに辺りを歩いて探る。
 足元に落ちていた重く湿ったキャンバスシートを捲ってそこに肩に掛けていた2個のバッグを隠す。
 このバッグの位置は退路として目星を付けた場所の一つだ。
 必要な物――弾薬。実包のバラ弾、スピードローダー――は既に必要なだけポケットに移した。
 ポケットに小型のタクティカルライトとコンパクトを忍ばせてある。暗がりや遮蔽の角ではいつもこれらに助けられている。
 喉の奥が渇きを訴える。
 水でも酒でも受け付けるようなそんな渇きだ。
 軽く緊張してきたのだろう。いつもの癖で懐に手を差し込んでセロファンで包まれた安葉巻を取り出しそうになる。
 今、自分から灯りを点ける訳には行かない。
 自分から潜伏している場所をアピールする必要など無い。
 コンテナ群やパレットの山の間を伝いながら、潮風の当たり具合がマシな位置を探す。……まだまだ風は冷たい。こんなところで長く突っ立っていると風邪を引きそうだ。
 足の裏からじわりと冷たさが伝わる。
 速乾性と放湿性に優れた運動靴なので、余計に足元の風が沁み込んで来る。
 IWハーパーのポケット瓶は尻ポケットに差し込んでいるから、いつでも呑める。だから安心しろと自分を宥める。
 今、アルコールを摂取すれば毛穴が開いて余計に寒さが堪える。……万が一の気付け薬として使うつもりで持参した。
「!」
 小型のランチが桟橋に近付いてくる。
 辺りにはランチは無い。
 この桟橋……港湾部の一番端っこの桟橋は廃棄が決まったので現状では誰も使っていない。
 曳いては、普通の人が近寄る理由も無い。
 それも夜中にランチで忍ぶように訪れるなど普通は有り得ない。
――――来たか……。
――――! ……あそこか。
 ランチが停泊する桟橋は理江の位置から直線距離で40mほど。
 その直角を成す位置、岸壁より内陸に30mほどの位置でトーチ型ライトが大きく円を描くように照らされる。
 LEDライトのように明るいトーチ型ライトの光源に、数人の人影が浮かぶ。
 あの辺りは一般道へ通じる道路が敷かれてある。
 勿論、チェック済みだ。……その一般道を用いた進入と退路も予想できる。
 この港湾部へは幾つかの大型通路が延びていたので理江1人では全てをカバーできなかった。だから、一番、怪しい桟橋を中心に『来客を待っていた』。
 使い捨てカイロを持ってこなかったのが悔やまれる。
 指先が軽く悴む。頻繁にグーとパーを繰り返して血行を促す。
 右手の人差し指先端を少し強く噛んで、指先の神経を逆立たせて敏感にさせる。
 喉の渇きや足元の寒さを、意志の力で一瞬だけ忘れる。
 左手はハーフコートのハンドウォームからスピードローダーを1個掴んで取り出す。
 右手を静かに左脇へと滑り込ませる。
 連中……【野川一誠会】の出迎えがぞろぞろと桟橋まで歩いてくる。
 右手を左脇に差し込んだままのスーツやコートの男が目視で4人確認できる。
 それ以外の無警戒な2人を加えると合計6人。
 ランチ側は2人を下船させると、それ以上誰も降りてこなかった。
 ランチは男達の会話を掻き消さんばかりのエンジン音を立てて低速で後退する。
 鉄錆び臭い潮風が一層強くなる。
 今の時期の寒気が過ぎれば本格的な春の到来だ。……その気配すらも感じさせない冷たい風。
 ランチ側と出迎え側。合計8人の人影。いずれも男。
 ランチから降りた男と握手を交わして何事か挨拶をするスーツの男。
 ランチから降りた男は2人ともフィールドコート姿で、顔付きは解らないが、ジェスチャーや物腰などの雰囲気からして日本人ではなさそうだ。
「……」
 ニコチンの渇望を抑えてS&W M29を握り直す。
 撃鉄は起こさず、その一団がこの場から完全に撤収するまでにカタを付ける。
 ランチから降りた男達には用は無い。
 出迎え側の……【野川一誠会】の6人に用が有る。
 その為に来客のもてなしの邪魔をする。
 街中の事務所を襲撃しても、そのリスクに適う有益な情報が引き出し難いと判断したので、今はまだ往来の多い街中での襲撃は避ける。……故に、夜の桟橋だ。
 照準を定める。
 警護要員ではなく、ランチから降りた男の1人で、今し方、煙草を銜えて火を点けた。
 その蛍の光ほどの光源で距離を把握した。
 先ずはその来客を仕留める事にする。
 呼吸を軽く吸い込み……吐き出さない。
 その間に照準を定める。
 定めると迷いは抱かない。
 既に起きている撃鉄。
 僅かに後退した引き金。
 軽い引き金。
 この軽さが人の命を奪う、必殺の命令の重さ。
 銃声を越えた銃声。
 空気が爆ぜるような銃声。
 レミントンのジャケッテッドホローポイントが15.6gの弾頭を毎秒360mの速さで弾き出す。単純計算で初活力1000Jの破壊力が数十m向こうの桟橋に立つ、何も知らない男の胸部に吸い込まれて海中に弾き飛ばされた。
 騒擾沸き立つ現場。
 ランチから降りたもう一人の男は、桟橋に係留されていた発動機付き小型ボートに咄嗟に飛び込んで身を伏せた。
 あの身のこなしと反射神経は只者ではない。
 他の【野川一誠会】の出迎え組も拳銃を抜き、海を背中に放射状に陣を組んで拳銃を乱射する。
 その陣は万が一に備えた訓練が功を奏したのではなく、全員が背中から撃たれる危険性は無いと判断して隣の人間を左右の壁にして前方に銃口を向けただけの素人判断だった。
 先ほどの銃声で理江の居場所は割れたも同然だ。
 直ぐに移動する。連中のまともでない乱射が命中する可能性も低い。
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