44マグナム
復讐。
それだけの為に。
それゆえが為に。
ただただ、粛々と淡々とそれを執り行う。
本懐の親玉には未だ遠い。
この街は広い。潜む街を特定しても、速やかに銃弾が叩き込める『距離』に居るとは限らない。
もうそろそろ、この街に『姿の無い殺戮者』が紛れ込んだと情報屋がリークする頃だ。
この街に巣食う暗黒社会の人間は、誰も彼もが自分を殺しに来たのではないかと戦々恐々風声鶴唳としているだろう。この街はそんな街だ。脛に瑕の無い人間など居ない。
それでも一定の均衡が保たれていたのは単に、有象無象の組織の群れにあって一際大きな勢力を保持していた暴力団が仕切っていたから他ならない。
顔役が仕切る第三勢力はその暴力団に関わりたくない、ひっそりと存在していたいだけの組織や個人を束ねる『集団の長』だった。
顔役からすれば、後から湧いて出た一大暴力団は邪魔な存在だった。誰も彼もが、均衡を保つ事で平穏を過ごしていた矢先に……具体的には20年前に突如として現れた勢力がその暴力団だった。
最初は小さなシノギから始まった。
やがて取引に手を染めて、
地方議員を買収し、たったの20年で、誰も何も知らない間に巨大な勢力に成長していた。
任侠道を重んじるヤクザとは一線を画す、社会不適格者の集団が組織化された暴力を用いて、蔓延っている。
誰の眼にも留まらずに、静かに余生を送りたかった暗黒社会の人間は忌避した。
この街から逃げ出す者は早々に逃げ出していた。
逃げ出せない者は顔役の元に集結し、いつの間にか、『顔役を中心にした名前の無い組織』へと変貌していた。
暴力団。
【野川一誠会】。
現在では構成員が100人を下らない。
汚職が元で没落した地元議員の息子で50歳になる、玉置一(たまき はじめ)を会長が務め、その指揮の下、日夜、警察への賄賂を惜しまない活動で名を馳せている。
【野川一誠会】の玉置一。
誰も彼もが、自分の身の上を恨んで暴力団などと言う詰まらない集団を組織したと思い込んでいるだろう。
高森理江は玉置一には用は無い。
顔役も本当に邪魔だと思っているのは玉置一ではない。
玉置一と言う男は、飾り物、あるいはトカゲの尻尾だ。
暴力団【野川一誠会】を20年前に創立した本当の首魁に用が有り、邪魔なのだ。
その上で高森理江は顔役と利害が一致した。
高森理江は玉置一のその向こうに控える、隠れた存在を屠りたい。
顔役はこの街を我が物で練り歩く【野川一誠会】を排除したい。
理江は銃を取り、長い修練を積んでその男を追ってきた。
復讐を遂げる。
唯、その一点だけが彼女の教義。
間違いは無い。
大切な、大事な、かけがえの無い家族を殺された。
それだけで殺す動機としては充分だ。
殺す方法などと言う面倒臭い手順は不要。
狙って撃って当たって死ねばそれでいい。
その為の修練だった。
その為のS&W M29だ。
家族を殺された。復讐。今時、古典的な報復。
人道主義者は復讐の為に殺して、それで本当に殺された人間は喜ぶのか? と題目のように唱える。
少なくとも理江の心は晴れる。
死んだ人間は死んだ時点でそこでその歴史は止まる。時間は止まる。永遠となる。
だが、理江は生きている。
停止してしまった時間の人間の姿や声や心を脳内に刻まれたまま生きるしかない。
彼女は忘れると言う選択や癒されるまで待つと言う方法を選ばなかった。
自分から積極的に行動したまでだ。
落とし前を付けさせる。
単純明快な思考。思考は単純だが、そこに到るまでの道のりは暗く細くどんな暗渠を走ったのか解らない隘路ばかり。
普通の思考の人間なら既に心が折れている。
既に自分を宥めて引き返す。
理江はそれを復讐の意思だけで跳ね除けた。
※ ※ ※
【野川一誠会】の詳細な情報の一部が手に入った。
あの夜に三下から奪った携帯電話だ。
顔役の傘下に収まる情報屋と携帯電話のアドレスに控えられた内容を照らし合わせて、顔役の傘下の情報屋だけをピックアップする。
ドヤ街の暗く狭い一室でディスプレーを睨みながらの細かい作業。ディスプレーの時計は午前1時を報せている。
時折、IWハーパーのバーボンを瓶から呷る。
禁煙ではなかったが、この狭い空間で安葉巻を吸おうものならもうもうと煙に攻め立てられて、思索に耽るどころではない。
火を点けていない安葉巻を唇に挟んでいたが、火を点けずに唾液で濡らすばかりだった。
「…………」
三下の携帯電話から得た情報を元に、顔役の眼下に収まった情報屋に迂遠な言い回しを何重にも使って情報のリークを求める。
勿論、料金は発生する。敵の敵は味方とは限らない。即ち、理江は無料で情報を提供する顧客ではない。
ただの客だ。
情報屋の情報の精度は有り体に言えば金額で決まる。
イロを付ければ思わぬ収穫が期待できる。
今回もその『法則』に漏れず、幾らかのチップを弾んだら小出しの情報をおまけしてくれた。
「あんたが探している……その……玉置一のバックに付いている奴についてだけどな」
情報屋は付け加えるように言う。
「あんたが言う通りに、玉置をボスに仕立て上げた疑いが強いな。あの地方議員の息子が突然、暴力に目覚めて猛威を振るい出したのには前から噂になっていたんだ……暴力団と言うほどの構成員を揃えるのに必要な人間の頭数とどうやってシノギの縄張りを手に入れたのか謎な部分が多くてな……他の街から流れて来た流れ者なのは解っているんだ。顔役も玉置一の背後関係を調べているが、書類上は玉置一が1人で全てを興したように記録されているので難しいところだ。ま、顔役の手が届かない場所でどこかの誰かが、何かで突然旗揚げした暴力団だというのは解っている。ただ、この街に流れ着いてまで、旗揚げする必要性が見えないだけだ……これ以上調べるのならチョイト、値段が張るけどどうする?」
「いや、今はそれだけでいい。有難う」
狭い部屋の中で携帯電話でひそひそと通話する理江。
ささやかな情報の片隅に商売の種を撒こうとする情報屋の商魂に苦笑いしながら通話を切る。
ボストンバッグとスポーツバッグを肩に掛けて部屋の外へ出る。
猥雑な表通りに出て漸く葉巻に火を吐ける。
使い捨てライターでじっくり炙りながら煙を口の中一杯に吸い込む。バッグを持って来たのは防犯の為だ。あのドヤ街の全ての宿の、全ての部屋は犯罪者の巣窟だ。
ドヤ街を縄張りに窃盗を働くコソ泥も居る。
ドアの鍵など何の役にも立たない。
女が泊まるような宿ではないので、既に何人ものコソ泥や小悪党に目を付けらている。
ハーフコートの左脇で静かに待機しているS&W M29。
出来る限り、【野川一誠会】以外の人間に用いたくは無い。
最後の一発と心に言い聞かせているジャケッテッドホローポイントはリムとプライマーを保護したラバーで包んで首からネックレスのようにぶら下げている。
全ての大願が成就した時、この44マグナムの1発を用いて自らの頭を撃ち抜くためだ。
既に死んでいる家族とは違い、精神は死んでいても気概は死んでいない彼女には明確に目的を達成した暁の『自分への褒美』が必要だった。
それだけの為に。
それゆえが為に。
ただただ、粛々と淡々とそれを執り行う。
本懐の親玉には未だ遠い。
この街は広い。潜む街を特定しても、速やかに銃弾が叩き込める『距離』に居るとは限らない。
もうそろそろ、この街に『姿の無い殺戮者』が紛れ込んだと情報屋がリークする頃だ。
この街に巣食う暗黒社会の人間は、誰も彼もが自分を殺しに来たのではないかと戦々恐々風声鶴唳としているだろう。この街はそんな街だ。脛に瑕の無い人間など居ない。
それでも一定の均衡が保たれていたのは単に、有象無象の組織の群れにあって一際大きな勢力を保持していた暴力団が仕切っていたから他ならない。
顔役が仕切る第三勢力はその暴力団に関わりたくない、ひっそりと存在していたいだけの組織や個人を束ねる『集団の長』だった。
顔役からすれば、後から湧いて出た一大暴力団は邪魔な存在だった。誰も彼もが、均衡を保つ事で平穏を過ごしていた矢先に……具体的には20年前に突如として現れた勢力がその暴力団だった。
最初は小さなシノギから始まった。
やがて取引に手を染めて、
地方議員を買収し、たったの20年で、誰も何も知らない間に巨大な勢力に成長していた。
任侠道を重んじるヤクザとは一線を画す、社会不適格者の集団が組織化された暴力を用いて、蔓延っている。
誰の眼にも留まらずに、静かに余生を送りたかった暗黒社会の人間は忌避した。
この街から逃げ出す者は早々に逃げ出していた。
逃げ出せない者は顔役の元に集結し、いつの間にか、『顔役を中心にした名前の無い組織』へと変貌していた。
暴力団。
【野川一誠会】。
現在では構成員が100人を下らない。
汚職が元で没落した地元議員の息子で50歳になる、玉置一(たまき はじめ)を会長が務め、その指揮の下、日夜、警察への賄賂を惜しまない活動で名を馳せている。
【野川一誠会】の玉置一。
誰も彼もが、自分の身の上を恨んで暴力団などと言う詰まらない集団を組織したと思い込んでいるだろう。
高森理江は玉置一には用は無い。
顔役も本当に邪魔だと思っているのは玉置一ではない。
玉置一と言う男は、飾り物、あるいはトカゲの尻尾だ。
暴力団【野川一誠会】を20年前に創立した本当の首魁に用が有り、邪魔なのだ。
その上で高森理江は顔役と利害が一致した。
高森理江は玉置一のその向こうに控える、隠れた存在を屠りたい。
顔役はこの街を我が物で練り歩く【野川一誠会】を排除したい。
理江は銃を取り、長い修練を積んでその男を追ってきた。
復讐を遂げる。
唯、その一点だけが彼女の教義。
間違いは無い。
大切な、大事な、かけがえの無い家族を殺された。
それだけで殺す動機としては充分だ。
殺す方法などと言う面倒臭い手順は不要。
狙って撃って当たって死ねばそれでいい。
その為の修練だった。
その為のS&W M29だ。
家族を殺された。復讐。今時、古典的な報復。
人道主義者は復讐の為に殺して、それで本当に殺された人間は喜ぶのか? と題目のように唱える。
少なくとも理江の心は晴れる。
死んだ人間は死んだ時点でそこでその歴史は止まる。時間は止まる。永遠となる。
だが、理江は生きている。
停止してしまった時間の人間の姿や声や心を脳内に刻まれたまま生きるしかない。
彼女は忘れると言う選択や癒されるまで待つと言う方法を選ばなかった。
自分から積極的に行動したまでだ。
落とし前を付けさせる。
単純明快な思考。思考は単純だが、そこに到るまでの道のりは暗く細くどんな暗渠を走ったのか解らない隘路ばかり。
普通の思考の人間なら既に心が折れている。
既に自分を宥めて引き返す。
理江はそれを復讐の意思だけで跳ね除けた。
※ ※ ※
【野川一誠会】の詳細な情報の一部が手に入った。
あの夜に三下から奪った携帯電話だ。
顔役の傘下に収まる情報屋と携帯電話のアドレスに控えられた内容を照らし合わせて、顔役の傘下の情報屋だけをピックアップする。
ドヤ街の暗く狭い一室でディスプレーを睨みながらの細かい作業。ディスプレーの時計は午前1時を報せている。
時折、IWハーパーのバーボンを瓶から呷る。
禁煙ではなかったが、この狭い空間で安葉巻を吸おうものならもうもうと煙に攻め立てられて、思索に耽るどころではない。
火を点けていない安葉巻を唇に挟んでいたが、火を点けずに唾液で濡らすばかりだった。
「…………」
三下の携帯電話から得た情報を元に、顔役の眼下に収まった情報屋に迂遠な言い回しを何重にも使って情報のリークを求める。
勿論、料金は発生する。敵の敵は味方とは限らない。即ち、理江は無料で情報を提供する顧客ではない。
ただの客だ。
情報屋の情報の精度は有り体に言えば金額で決まる。
イロを付ければ思わぬ収穫が期待できる。
今回もその『法則』に漏れず、幾らかのチップを弾んだら小出しの情報をおまけしてくれた。
「あんたが探している……その……玉置一のバックに付いている奴についてだけどな」
情報屋は付け加えるように言う。
「あんたが言う通りに、玉置をボスに仕立て上げた疑いが強いな。あの地方議員の息子が突然、暴力に目覚めて猛威を振るい出したのには前から噂になっていたんだ……暴力団と言うほどの構成員を揃えるのに必要な人間の頭数とどうやってシノギの縄張りを手に入れたのか謎な部分が多くてな……他の街から流れて来た流れ者なのは解っているんだ。顔役も玉置一の背後関係を調べているが、書類上は玉置一が1人で全てを興したように記録されているので難しいところだ。ま、顔役の手が届かない場所でどこかの誰かが、何かで突然旗揚げした暴力団だというのは解っている。ただ、この街に流れ着いてまで、旗揚げする必要性が見えないだけだ……これ以上調べるのならチョイト、値段が張るけどどうする?」
「いや、今はそれだけでいい。有難う」
狭い部屋の中で携帯電話でひそひそと通話する理江。
ささやかな情報の片隅に商売の種を撒こうとする情報屋の商魂に苦笑いしながら通話を切る。
ボストンバッグとスポーツバッグを肩に掛けて部屋の外へ出る。
猥雑な表通りに出て漸く葉巻に火を吐ける。
使い捨てライターでじっくり炙りながら煙を口の中一杯に吸い込む。バッグを持って来たのは防犯の為だ。あのドヤ街の全ての宿の、全ての部屋は犯罪者の巣窟だ。
ドヤ街を縄張りに窃盗を働くコソ泥も居る。
ドアの鍵など何の役にも立たない。
女が泊まるような宿ではないので、既に何人ものコソ泥や小悪党に目を付けらている。
ハーフコートの左脇で静かに待機しているS&W M29。
出来る限り、【野川一誠会】以外の人間に用いたくは無い。
最後の一発と心に言い聞かせているジャケッテッドホローポイントはリムとプライマーを保護したラバーで包んで首からネックレスのようにぶら下げている。
全ての大願が成就した時、この44マグナムの1発を用いて自らの頭を撃ち抜くためだ。
既に死んでいる家族とは違い、精神は死んでいても気概は死んでいない彼女には明確に目的を達成した暁の『自分への褒美』が必要だった。