44マグナム
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マグナムリボルバーを懐に呑んだ彼女の名は高森理江(たかもり りえ)。
人を撃ち殺すのに何の呵責の念も抱かない人間だ。
オーバーキルだと非難されても文句が言えない44マグナム実包を用いる拳銃を遣い、目的の為に虐殺も辞さない。
寧ろ、確実に標的を仕留める為に……手負いの獣の恐ろしさを知っているかのような思い込みで、強力な実包を用いる。
自分自身が追い詰められた手負いの野獣であるかのようなアピールすら感じる。
繁華街の外れにあるドヤ街で畳一枚分の床面積しかない宿泊施設を仮の住まいとしている。
天井にハンガーや荷物を吊るすバー。
その下の僅かなスペースで寝る。
頭上のハンガーバーにハーフコートとボストンバッグ、それに僅かな私物だけを詰めたスポーツバッグを吊るしている。
理江はこの粗末な宿で借りた毛布に下着姿で包まって暫しの休息を取っていた。
体のあらゆる部位に創傷や銃弾の擦過傷を拵えた瑕だらけの体だった。
見事なまでの肢体にその生傷の数々はアンバランスな造詣を思わせる芸術の香りを立ち上らせる。
女として花盛りの年齢のはずだが、彼女は暗い瞳を閉じて休息を貪る。
今眠らなければもう二度と眠れないという危惧感。
S&W M29は、枕代わりにしている衣服を丸めた物の中に潜ませている。
ショルダーホルスターは頭上のバーに吊るしている。この部屋の天井からぶら下がる裸電球は荷物を吊るしたバーのお陰で大した明るさを提供しない。
電球は点けっ放しだ。
皹の入った漆喰の壁は薄く、隣の部屋から狭い空間だというのに男女のまぐわいの声や生々しい肉がぶつかり合う音が聞こえるが、全く意に介さず眠っている。
出入り口は簡単なベニヤ板のドア。
靴を脱ぐ場所も無く、この部屋を借りた時にカウンターで100円均一で売られているようなプラスチックの四角いトレーを渡された。そこに脱いだ靴を置けという事だ。
勿論、この宿の中で窃盗や強盗が発生しても誰も何も責任を負わない。
寧ろ、そのような反社会的行為を働いた人間が一時の隠れ家としてこのような安くて非合法な宿を多用する。
アシを特定されたら困る犯罪者の巣窟だ。
その只中で安らかな息を立てて眠っている理江も大したものだ。
ピクリと伏せられた長い睫が動く。
眼球が瞼の下で忙しなく動く。
眉目が歪み、弾かれたように目を覚ます。
目を覚ました途端に脂汗が吹き出る。
額に珠の汗が浮かび始める。
丸めた衣服のズボンのポケットからハンドタオルを取り出して雑に汗を拭く。
元から化粧はしていないので、大雑把な汗の拭き方だ。
毛布を跳ね除けて上半身を起こす。わざとホックを外していたブラの紐が腕に纏わりつく。
手首に巻いたままの腕時計に視線を落とす。タイメックスのミリタリーウォッチは午後10時を差している。
天井から吊り下げられた荷物やハーフコートに邪魔されながらも衣服を整えて身に纏う。
丸めていた衣服の中に4インチのS&W M29が無造作に突っ込まれていた。
2個のスピードローダーも転がり出る。
ズボンを穿き、予めベルトを通していた予備弾薬を収納するポーチを手で重さを測り、異常が無い事を確認する。
黒く分厚い生地のタートルネックを着てからショルダーホルスターを装着。
右脇には合計で6個のスピードローダーが収納できるポーチが付いた特注品だ。……それなりの体躯が無いと嵩張ってしまい、行動が制限される。
ポケットやスポーツバッグの中身を目視で確認。
何も紛失していない。
昨夜、三下から奪った携帯電話は枕代わりの丸めた衣服の横に置いてあったので確認済みだ。
悪夢で以って叩き起こされた理江は、私物を納めたスポーツバッグからIWハーパーのポケット瓶を取り出し、喉を鳴らして飲む。
安物のアメリカンバーボンで若い味。
喉が消毒されるような熱さを感じる。気付け薬としては充分だ。
ハーフコートに袖を通して三下から奪った携帯電話を確認する。
着信は一切無い。
メールの受信も無い。
中身のアドレスは万が一に備えてプリペイド式の携帯電話にコピーしてある。
彼女の目的を成就させるには、この携帯電話に登録されたアドレスが必要だ。
この街の人間で無い彼女には知らない情報源や便利屋に分類される闇医者や運び屋などのアドレスも登録されていた。
先日に頼った、この街の第三勢力だけを束ねる顔役が使役する闇医者や、情報屋のアドレスも登録されていた。
この携帯電話の価値は大きい。
余所者の彼女にとっては情報源の確保は何よりも優先される。
顔役と伝を取るだけでも可也の金額が必要だった。
あの裏路地に入るだけでもかなりの情報料が必要だった。
その金を稼ぐ為に一体、幾らの強盗を働いたのか知れたものではない。
無辜な市民から金を奪ったのではないと解っていても、無為に強盗致傷の被害に遭った被害者のヤクザ連中にほんの少しだけ同情した。
同情したが、呵責の念で押し潰される事は無かった。
理江は自身の本懐を遂げるまでは手段を選ばない覚悟を貫徹する。
それまで自分の命が保障される宛ても無い。
自分の命が吹き消える可能性の方が高い。
その覚悟の現れがS&W M29だ。
決して得物は逃がさない。
標的に容赦はしない。
体のどこに命中してもハンマーで殴ったようにぶっ飛ばせる44マグナムを用いる。
357マグナムでは生温い。
彼女の能力と体格が許されるのならS&W M500を用いたいほどだ。
もっと欲を言うのなら、破壊力の意味で世界最強を謳う拳銃と実包を携行して用いたい。
これは人間の殺意と言う闇を解り易く表現したアイテムだと思っている。
狙撃銃で狙撃する時は一番憎い人間ではなく、二番目に憎い人間を連想しろとジョークでよく言われる。
一番憎い人間は、狙撃銃で狙い難い拳銃での狙撃で連想すればいい、と。
拳銃ほど、射手の想いを込めて運用される『道具』は無い。
狙い、定めて、引き金を引く。
後は弾丸に意思が宿り、悪魔的な破壊力を標的に叩き込んでくれる。勿論、本当に弾丸に意思など宿らない。離れた位置に『自分の心を破壊力に置き換えて』届けてくれる。
故に拳銃を選んだ。
だけども深い考察は無かった。
人間が人間に対してケジメをつける銃は拳銃しかないと思った。
第一印象で決まった。……数多有る拳銃の中で、入手可能な『最強の拳銃』がS&W M29だった。
懐に忍ばせ易いように4インチを選択した。
街中でも『あの顔』を見つければ躊躇う事無く抜き放ち、引き金を引けるように。
彼女のドグマは唯一つ。
殺したい人間を殺す。
副次的に……その為なら、手段を選んでいないだけの話だ。
殺したい人間の顔と名前を探して彷徨った結果、この街に流れ着いた。
この街で今度こそカタを付ける。
この街の第三勢力である顔役と渡りを付けるのは当然の第一歩だった。
顔役も弾薬の供給ルートとして利用する。他にも逃走ルートや負傷した場合のセーフハウスの確保など使い道は多い。顔役と呼ばれるあの人間はこの街でどこの組織にも組しない勢力の長だ。
金を払っているうちは嫌な顔をしながらでも手配に不備は無いだろう。