44マグナム
※ ※ ※
男が追われる。追われている。
灰色のワゴンセールで売られているようなスーツに身を包み、特売品の合成皮革で拵えられた靴を履いた、下っ端。
中年の三下。
襟にバッジが付いているが、赤銅色で高い地位に居る人物ではない。人相だけはヤクザ者のレッテルだらけで職業を判断し易い。
それにその右手に握られたマカロフだ。
廃棄区画での商談を終えて、他の三下連中と引き上げようとしたところ、目前の商談相手が……非合法な商品とロンダンリング済みの金と『交換』し終えたばかりの相手が突然の銃撃で頭部を失った。
商談相手が連れていた警護要員の2人も背中や胸部に被弾してその場に崩れ落ちた。
凄まじい銃声。
爆発音かと勘違いした。
自分が懐に呑み込んでいるマカロフが豆鉄砲に思える銃声だった。
数少ない鉄火場の経験から、襲撃者はマグナム拳銃を用いているのが解った。
子飼いの殺し屋曰く、銃声が長く尾を引いて腹にくぐもる発砲音は殆どの場合、マグナムリボルバーだと。
それにこうとも言っていた。
マグナム弾なら心臓に命中しなくとも手足の大動脈に命中しただけで衝撃波が血液を遡り、心臓に到達して心臓麻痺を誘発させて即死すると。
冗談ではない。
どこの組織の横槍かは知らないが、こんなところでくたばる訳にはいかない。
自分も警護要員の三下連中を連れて、商品を抱きかかえて直ぐに走り出した。
咄嗟に遮蔽に飛び込んだ仲間の三下が、遮蔽としたドラム缶を易々と貫通した弾丸により、腹部を撃ち抜かれて呻き声も挙げずに倒れた。
右手側を走っていた仲間は後ろ腰から拳銃を抜き、振り向いた途端に胸部を撃たれた。
一方的な屠殺。
銃声というより空気が破裂するような爆発音の凶悪なマグナム。
自分とて全くの素人ではない。
商品は捨ててしまったが、手には反撃するのに充分なマカロフが有る。
それにこの時間のこの区画だ。逃げ切れる可能性が高い。何より、マグナムと謂えど輪胴式だ。装弾数はたいしたことはない。
既に5発撃った。
後は薬室の1発を撃たせれば再装填のロスが出来るので充分に逃げられる。
確かに彼の目算は普通なら正しい。
人気の無い港湾部の区画。
午前1時。
遮蔽が豊かな状況。光源が乏しい。
襲撃者の銃声と銃火から位置も把握している。
背後30m。
そこの闇に襲撃者が居る。
こちらからは光源の恩恵に与られずに目視で確認できない。
時間を与えるなと男の本能が叫ぶ。
マカロフを乱射。盲撃ちに等しい。遮蔽は役に立たない。
細かい移動を繰り返しながら、自分が銃口に捉えられないようにジグザグに走る。
商品を捨ててしまった。もう組には戻れない。戻っても殺される。
ここでも大人しくしていれば殺される。
逃走の旅路へと赴く前に、この場を逃げ切らなければ!
9mmマカロフの心許無い銃声が8発。
弾倉を交換しながら更に乱射。
コンクリブロックの壁に廻りこみ、一息吐く。
寒いはずの空気が心地よく感じられる。
口から白い息が大きく吐き出される。
……背筋に冷たい感触。牽制の心算の乱射が功を奏したのか、最初の襲撃地点から40mは離れる事が出来た。
ここまで来れば呼吸を整えるだけの時間は稼げる。
今の内に組織の息が掛かっていないフリーの運び屋を手配して『自分を運んでもらう』手筈を整える。
左手をスーツのポケットに突っ込んで携帯電話に触れる。
「!」
銃声。
あの、爆発音のような銃声。
思わず左右前方にマカロフの銃口を振って暗闇に目を凝らす。
街灯の直下ではないので、こちらの姿は見え難いはず。
左右は木製のパレットで遮蔽を構成しているので、防弾効果は低くとも、正確な位置を悟られ難いはず……。
それでも尚、銃声。
その銃声は一拍分の間隔を置いて発砲される。
どこから撃っている? どこへ撃っている?
男の心臓が再び冷たい思いをする。肝まで冷やされたその時に答えが解った。
「!」
『4発目』の銃弾が背後のコンクリの壁を穿つ。
5発目が訪れる。
訪れると解っていた。
あの凶悪なマグナムはコンクリブロックの壁を4発で脆く破壊し、5発目で止めを刺すのだと理解した……理解していた。
なのに……撃たれる自分の姿が脳裏を過ぎりながらも、自分自身は一歩も動けずに居た。
まるで速やかに訪れた死神の指先に突付かれるのを待つように。
違わず、5発目の弾頭はスーツの男の背中に命中した。
コンクリに握り拳ほどの孔が開いていた。
その向こう……外灯の真下で大型リボルバーを構える女が居た。
その襲撃者の性別がどちらで有るのか、今となっては瑣末な問題だ。 男は、背中を見えない巨大な掌で押されたようにつんのめって顔面から地面に倒れた。男の背中に命中した弾丸は確実に肩甲骨を砕いてその向こうに有る重要な器官を破壊した。
男は脳震盪なのか死に掴まれたのか解らない震えを起こし、ホールドオープンしたままのマカロフを握ったまま、やがて絶命した。
「…………」
コンクリの壁の向こうで、安葉巻を横銜えにしたポニーテールにハーフコートの女が悠々と愛用の拳銃を操作して再装填していた。
S&W M29。4インチ。
細身の短いグリップにアダプターを装着して握り込み易くしているモデルで、艶消し処理が施された黒いスチールの肌が獰猛さに拍車を掛けていた。
女の足元に6個の空薬莢が転がって落ち、不規則に跳ねる。
今となっては世界最強から数えて何番目かの座に落ち着いてしまった44マグナムを使用する大型リボルバーだ。
4インチ銃身で通常よりも小型のグリップとはいえ、重量は1kg前後、全長は25cm近い。
本来は狩猟の分野でサイドアームとして使用されたり、バーミントハントとして用いられる。
この銃を生んだ米国でも、最初から人間を撃つ為に携行していると精神が疑われる。それほどに強力な実包を使用する。
米国の映画で初めて登場してから一気に知名度を上げた拳銃。
それまでは強力過ぎるために売り上げも今一つ芳しくなかった。
メディアの効果は抜群で、映画のヒットを境に様々な噂や伝説もおまけで広がる結果となる。
その輪胴式拳銃を身長170cmほどの彼女は中型の輪胴式でも扱うように、滑らかに操作して左懐に仕舞い込む。
安葉巻を銜えた女が、今し方仕留めた男の前に来る。
男の左手から携帯電話を奪って自分の懐に落とし込む。
最早、意識が消えて眼が濁っていた男には何の感慨も覚えていなかった。
最後に仕留めたのではない。
仕留めるのが最後になっただけなのだ。
元からこの携帯電話の中身に用が有る。商品を自ら運ぶ役。あの場で居た『標的側の3人』の中では、一番高い地位に居たと思われる。
三下風情が3人でも、この世界では年功序列で優位性が決まる。だから、この男の携帯電話が重要だと悟った。
踵を返して歩き出す女の容貌が外灯で僅かに浮かび上がる。
手負いのネコ科の野獣を想像させる鋭い眼。
内包する意志の強さを代弁するかのように引き締まった薄い唇。シャープな顎先。
ふとした瞬間に見せる儚げで物憂げな表情。
30代前半と思しき彼女はS&W M29を懐に忍ばせたまま夜陰に紛れるように消えた。