44マグナム

 その焦りが『あいつ』に伝わったのか、『あいつ』はおかしな演劇でも観ているかのようにきゃらきゃらと笑う。
 笑いながらも50口径の銃口を片手で保持し、こちらに向けたのだから、更に大粒の冷や汗をかく。
 鉄筋の柱に大きな弾痕が幾つも拵えられる。
 軽快に薬莢が転がり、理江の神経を逆撫でする。
 耳を聾する銃声はやがて50口径だけのものになる。44口径は静まり返る。
 理江の心が萎縮したのではない。
 反撃や応戦の余地を与えてくれないのだ。
「ほらほら! 撃ち返さないと僕は殺せないよ? 君の憎い『男』は殺せないよ?」
 『あいつ』は今、耳を疑う事を言い放つ。
 『男』だと言った。
 僕と言う一人称を使う年齢不詳の若作りではない。
 確かに『男』だと言った。
 ある種のセクシャルマイノリティーなのだろうか。
 憎い相手には違いないが、今のこの状況であいつをプロファイルする資料が増えたのは軽い驚きだった。
 柱の影から飛び出す。
「!」
 『あいつ』が初めて驚く顔色を見せる。
 柱から飛び出した人影を確かに50AEで仕留めたと思ったのに、それは理江が脱いで放り出したハーフコートだった。
「……!」
 ハーフコートを放り出した反対側の陰から頭を低く、理江は隣の遮蔽物――積み上げられた木製のパレット――に飛び込む。
 ドラム缶や一斗缶の山を迂回しながら『あいつ』を撹乱するように走り回る。
 理江の体力は限界だった。呼吸を整える暇も無い。太腿が軽く震える。
 S&W M29を掴む両手が更に下がり気味になる。
 理江は隣の梁を支える柱に身を滑らせて潜ませる。
 左手にS&W M29を持ち替え、右手をデニムパンツのポケットに差し込んで赤い樹脂グリップのアーミーナイフを取り出す。
 器用に片手だけでハサミを展開する。ちらりと右脇腹に視線を走らせた後に、その視線を真っ直ぐ前方に向ける。
 『あいつ』が頭部を破砕して殺した殺し屋の死体が転がっている。
「早く出てきなよー」
 『あいつ』が間延びした退屈そうな声で理江が潜む柱に向かって話しかける。
 徹底的に小馬鹿にした態度。
 自分が万が一にも殺されず、負けず、陥れられる事を考慮していない気楽な口調。
 『あいつ』は柱の左手側をデザートイーグルの速射で、コンクリを激しく削る。
 『あいつ』に再装填の隙が生まれるが、『あいつ』はそれすらも意に介さず、悠々と弾倉を交換する。
 再装填の隙を有り難く利用させてもらう理江。
 『あいつ』も理江が次にどのような行動を起こすのが愉しみで仕方が無い表情だ。
 理江は撹乱を目論むように走り回った。
 この疾走が終われば自分の命も終わると言うのに。
 それほどまでに体力を消耗している中、彼女は背後で吼える50口径の銃声を無視した。
 駆ける。
 遮蔽を曲がり、柱に飛び込みながらも、勢いを殺さず踵を反転させて元来たルートを走り、汗の粒を額から払いながら走る。
 頭部が破砕された殺し屋の死体を跨ぎ、木製のパレットの裏側に回る。速度を落とさず25平米の戦闘区域をそこかしこに走る。
 途中で拾ったコンクリ片を壁際の頭上に有るキャットウォークに向けて投げつけた。
 その向こうに有る、換気用窓のガラスが派手に割れてガラスが降り注ぐ。
 そのガラス片から頭を庇いながら理江は走る。
 その行動の意味するところが今一つ飲み込めない顔つきの『あいつ』だったが、構わず、追い立てるような発砲を続ける。
 それにしても『あいつ』は一体どれだけの弾倉を所持しているのだ……理江は弾切れを知らないデザートイーグルに疑問を持つ。
 その疑問に対して答えるようにあいつは焦げ茶色のランチコートを大袈裟な動作でばさりと脱ぎ捨てる。
「!」
 全身が弾倉ポーチだらけの特性BDU。
 防弾プレートは無いようだが、弾倉のポケットが軽く20箇所を越えていた。
 それはハーフコートのように腰下まで丈が有った。
 装弾された50口径のデザートイーグルの弾倉はそれだけで鈍器足り得る。
 それを20個以上も着衣型として携行しているのは、尋常ならざる体力の持ち主だといえた。
 汗一つかかずに、自律型砲台のように『あいつ』は理江を追って必ず先手を打つ。
 必ず理江は後手に回ってしまう。
 ランダムに駆けている理江の行く先々に、50口径の弾頭を叩き込んで、もぐら叩きのように遊ぶ。
 その度に理江は踵を直角に向け、反転させ、飛び跳ねて遮蔽の陰を抜けていく。
 あの化け物拳銃の前では遮蔽は役に立たない。
 梁を支えるコンクリの柱に飛び込んで停止すれば、今度はもう動ける自信が無い。
 喉がカラカラだ。安葉巻をもう随分と長い間、吸っていない気がする。コンビニで買ったIWハーパーのポケット瓶の感触が懐かしい。
「!」
 笑顔のまま、『あいつ』の顔が固まる。
「おい……君! 『拳銃はどうした?』」
 『あいつ』が表情とは裏腹に、焦燥を見せる口調に理江はニヤリと口角を上げる。
「『拳銃を何処へやった?』」
 理江はS&W M29をいつの間にか握っていなかった。
「よう……やっと気が付いたかい」
「……!」
 不敵に笑う理江の凄惨な顔。
 寒気の色を表情に見せる『あいつ』。
「な!」
 理江は左足首を、見えない相手に向かって足払いをかけるように思いっきり蹴りだす。
銃声。44マグナムの銃声。
「!」
 『あいつ』は咄嗟に右手側に振り向きデザートイーグルを構える。
 そして、またも発砲。44マグナムの銃声。
 『あいつ』は膠着したまま動かない。
「君!」
 叫びながら『あいつ』は左手側へと身を滑らせ、木製のパレットの陰に飛び込む。
 飛び込むや否や、デザートイーグルを、全身を何にも隠さずに突っ立っている理江に向ける。
「!」
 壁に掛かった水銀灯が、それを照らし出していた。 
 理江の右手に握られた毛糸。
 セーターの解れた部分から伸ばして切った毛糸。それらを見て『あいつ』は『ようやく悟った』。
「……こんな!」
 足元はセーターの毛糸が遮蔽の陰に巧妙に偽装され、見え難く細工されている。
 その毛糸は理江の足捌きだけで、威嚇の為だけの発砲をするようにS&W M29の引き金に命令できる。 
そして、はたと気が付いたように『あいつ』は理江の右手に垂らされた風に靡く15cmほどの毛糸を見て驚愕する。
「い、いつの間に!」
 理江の右手にある毛糸の先には、頭部を破砕された殺し屋が使おうとして、未然に防がれた手榴弾の安全ピンが繋がっていた。
 あいつは弾かれたように頭上のキャットウォークを目で追い、自分の足元に目線を持ってくる。
 そこに……右足の横30cmほどの空き缶に差し込まれていたであろう手榴弾が、安全レバーが外れた状態で転がっていた。
 『あいつ』は驚愕の顔から……福音を聞いたかのような歓喜に包まれた表情に変化し……『爆風の中に消えた』。
 『あいつ』の悲鳴よりも、手榴弾の爆発音の方が遥かに大きかった。 悲鳴を挙げていたのなら、だ。
 『あいつ』の足元で炸裂した手榴弾は、『あいつ』を肉片レベルまでバラバラに吹っ飛ばして臓物を撒き散らしていた。
 手足や胸骨より上の上半身のパーツが血液に塗れて転がっている。
 彼我の距離15m。
 爆風の圧力を身に感じる距離だ。
 破片が理江の頬を掠って浅い瑕を負わせる。
 セーターは臍より遥か上、下乳辺りまで短くなっていた。
 フリース生地のハイネックを着ていなかったら風邪を引きそうだ。
 指先に掛かった手榴弾の安全ピンが繋がった毛糸を捨てる。
 今立っている、壁際の位置に『あいつ』が来なかったら本当に死んでいた。
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