44マグナム
「そうだよね……君だよね。だと思って、遊びに来てあげたよー」
鈴を転がしたようなよく通る、透明感のある声。
少女。
リップミラーの予備として所持していたコンパクトを柱の影から突き出して声の元を探る。
「…………」
――――『あいつ!』
その反転された世界で、理江が渇望して仕方の無かった標的が幽鬼のように佇んでいた。
焦げ茶色のランチコート。
身長は160cmに満たない、ひっそりとした佇まいの少女。
腰まで有る艶やかで健康的な黒髪。
三千世界の何もかもを見通す黒い水晶のような瞳。
桜色の可憐な唇。
筋がはっきりと通った鼻。
シャープな輪郭に細い顎先。
理江のローキック1発で複雑骨折しそうな華奢な体躯。
……そしてその全てのイメージを裏切る、右手に携えられた10インチ銃身のデザートイーグル。
剣呑に伸びた図太い銃身は50口径モデルであることを無言で語っていた。
小さな掌は超大型拳銃のグリップを握り込めていない。S&W M29の倍以上の重量が有るデザートイーグルを片手でだらりと提げ、その少女はそこに確かに立っていた。
『あいつ』……理江が追い求める、復讐の対象。
決して自分の手を『快楽以外で汚さない』異常者。
外見は10代前半の幼い容貌だが、『20年前から何一つ変わっていない』。
揶揄的表現ではなく、本当に時間が止まったかのようにあの時と同じ姿形でここに現れた。
情報屋を殺さなかったのは、自分がまだ優位に立っているという表れ。
この場を生きて出られると思っている表れ。
情報屋を殺してしまったら後々の商売に障りが出る。
使い物にならない殺し屋を殺したのは、早く無様なショーを終わらせたかったため……『あいつ』の考えている事は何もかも悔しいほどに解ってしまう。
なのに優位性や有利に働く要因が何も見つけられない。
アナコンダに巻き取られた獲物のような気分だ。
「君……理江ちゃんだったかな? 僕の大事なオモチャをこんなにも簡単に台無しにしてくれたのは君が初めてだよ」
そこで『あいつ』は一区切りして、前髪をさらりと左手で跳ね除ける。
「……と、言いたいところだけど、君のような刃向かう嫌な奴の登場を待っていたのも事実なんだよね。長く生きているとさ、娯楽が乏しくなるんだよ」
理江は荒くなる呼吸を深呼吸で抑えようとする。
動悸が五月蝿い。鼓膜が痛いほどの耳鳴り。口の中から喉の奥までカラカラに渇く。
人形のようなという形容はまさに彼女の為に有る。
腹の奥底の竈に火を投げ入れられたように、20年前のあの日の光景が脳裏を占拠する。
幻覚や幻聴の姿を借りた当時の憎悪や怨念が、暗く激しく燃焼し始める。
竈に掛けられた鍋では20年前の……家族を殺された復讐心だけがグツグツと沸騰し、今、見えた『あいつ』の憎たらしい顔が投入された事で大いなる敵意から、純粋な殺意へと昇華する。
『あいつ』がうつる、左手に保持したコンパクトを握りつぶさんばかりに震える。
『あいつ』が20年前と同じ姿なのが余計に理江の殺意を結晶化させる。
何もかもが……憎い。
あれほど今直ぐ殺してやると息巻いていたのに、あいつを、20m向こうに『あいつ』を捉えたというのに、体が激しい武者震いに襲われてS&W M29が巧く握れない。
恐怖で震えているのかと、自分を叱責する。
いや、違う。
すんなりと、この機会が訪れた事をあらゆる世界の神様に感謝しているところなのだと。
奥歯で舌を強く噛む。
血が滲むほどの痛み。
武者震いが過ぎ去る。
「ねえ、理江ちゃん。折角来てくれたんだ。遊ぼう……その為にあの『おばあさん』と手を組んだんでしょ? ここで僕と遊ばないと次はいつ遊べるか解らないよ? それとも挨拶だけで満足なの?」
『あいつ』の挑発。
顔役と水面下で手を組んでいたのは既にばれている。
ばれていなかったのは【野川一誠会】の連中だけ。
矢張り『あいつ』が全てを裏で仕切っていた。
再確認の手間が省ける。
それに……『あいつ』が自分から出張ってくるのは、まともに使える駒が少ない時か、『遊び甲斐が有るオモチャ』を見つけた時だけだ。
自分で手配したであろう5人の殺し屋は思ったより愉しませてくれなかったようだ。
……そうなれば今度は自分が場に乱入し、復讐にのみ突き動かされる面白そうなオモチャを弄って愉しむだけだ。
『あいつ』は20年前もそうだった。
それ以外でも『あいつ』に関する事件を辿ると必ず、自分で凄惨極まりない死体を造る事に愉しみを見つけていた。
それに理江だけではない。
必ず自分が殺した、強い繋がりの親類縁者を1名だけ生存させて姿を消す。
自分を追って来いと挑発し、辿って喰いつくのに充分なだけのエサを撒いている。
20年の歳月が経過しても、自分の奥底にある『あいつ』に対する心情が何一つ変わっていない事を確認すると安心した。
大きく息を吸い、S&W M29を握り直す。
空気が震える。
空気を伝う振動は鼓膜を劈く。
44マグナム対50AE。
只管の移動。駆け足。直進しての全速力は自殺行為だ。
軌道が読まれて先読みで発砲されるとあっという間に被弾してしまう。
デザートイーグルの50AEは確かに強力。……当たらなければどうと言うことは無い。
だが、それは理江の44マグナムも同じだ。
最初から互いに決定打に欠ける無為で無謀な追いかけっこに始終する。
停止した方が負けだ。隙を見せた方が死ぬ。
44マグナムを避けるのに必死な『あいつ』。危機や危険や窮地を楽しむ『あいつ』。
……見た目は10代の少女でも、弾丸に当たると死ぬのは確かなようだ。
見た目以上に実年齢が不詳。
そんな『あいつ』も頻繁にデザートイーグルの弾倉を交換しながら理江が潜む遮蔽を悉く無力化する。
弾頭のエネルギーが強力すぎて錆びたドラム缶や一斗缶の山など防弾効果が全く期待できない。
故に移動を繰り返し、互いが互いの直線上に並ばないように陣取りゲームを繰り返している。
イニシアティブが激しく2人の間を往来する。
『あいつ』はそれを愉しんでいる。
理江は、はちきれんばかりの心臓を抱いて錘としか認識しなくなったS&W M29を操る。
誰が……どちらが最初に発砲したのかすら解らない。
『あいつ』は憎たらしい笑顔こそ浮かべているが、紙一重の余裕で44マグナムの一撃を回避している。
弾道を見切っていると錯覚する。
実際は、理江の銃口と指の動きを確認し、牽制の発砲を先に繰り出して照準を妨害する戦法を取っている。
自分から銃口の前に立っておきながら、挑発するかのような行動。
何もかもが腹立たしい……そうだ。そうでなくてはいけない。
長年追い続けた標的が、簡単に仕留められる雑魚であったのならこのような苦労はしない。
理江は梁を支える柱の影に滑り込み、スピードローダーでリロードを行う。
――――拙い!
右脇のスピードローダーのポーチが軽くなっているのをバランスの変化から感じ取る。
予備のスピードローダーが心許ない。
5人の殺し屋を相手に弾をばら撒きすぎた。どんなにあいつを狙ってもあいつはヒラヒラと舞う蝶のように44マグナムを『避ける』。
44マグナム以上の一撃が必要だ。
「!」
思案する理江を嘲笑するように跳弾が右脇腹を掠る。
ハーフコートに孔が開き、セーターの右腹が弾かれて毛糸がほつれる。
被弾したと思い、思わず右脇腹を左手で押さえる。
鈴を転がしたようなよく通る、透明感のある声。
少女。
リップミラーの予備として所持していたコンパクトを柱の影から突き出して声の元を探る。
「…………」
――――『あいつ!』
その反転された世界で、理江が渇望して仕方の無かった標的が幽鬼のように佇んでいた。
焦げ茶色のランチコート。
身長は160cmに満たない、ひっそりとした佇まいの少女。
腰まで有る艶やかで健康的な黒髪。
三千世界の何もかもを見通す黒い水晶のような瞳。
桜色の可憐な唇。
筋がはっきりと通った鼻。
シャープな輪郭に細い顎先。
理江のローキック1発で複雑骨折しそうな華奢な体躯。
……そしてその全てのイメージを裏切る、右手に携えられた10インチ銃身のデザートイーグル。
剣呑に伸びた図太い銃身は50口径モデルであることを無言で語っていた。
小さな掌は超大型拳銃のグリップを握り込めていない。S&W M29の倍以上の重量が有るデザートイーグルを片手でだらりと提げ、その少女はそこに確かに立っていた。
『あいつ』……理江が追い求める、復讐の対象。
決して自分の手を『快楽以外で汚さない』異常者。
外見は10代前半の幼い容貌だが、『20年前から何一つ変わっていない』。
揶揄的表現ではなく、本当に時間が止まったかのようにあの時と同じ姿形でここに現れた。
情報屋を殺さなかったのは、自分がまだ優位に立っているという表れ。
この場を生きて出られると思っている表れ。
情報屋を殺してしまったら後々の商売に障りが出る。
使い物にならない殺し屋を殺したのは、早く無様なショーを終わらせたかったため……『あいつ』の考えている事は何もかも悔しいほどに解ってしまう。
なのに優位性や有利に働く要因が何も見つけられない。
アナコンダに巻き取られた獲物のような気分だ。
「君……理江ちゃんだったかな? 僕の大事なオモチャをこんなにも簡単に台無しにしてくれたのは君が初めてだよ」
そこで『あいつ』は一区切りして、前髪をさらりと左手で跳ね除ける。
「……と、言いたいところだけど、君のような刃向かう嫌な奴の登場を待っていたのも事実なんだよね。長く生きているとさ、娯楽が乏しくなるんだよ」
理江は荒くなる呼吸を深呼吸で抑えようとする。
動悸が五月蝿い。鼓膜が痛いほどの耳鳴り。口の中から喉の奥までカラカラに渇く。
人形のようなという形容はまさに彼女の為に有る。
腹の奥底の竈に火を投げ入れられたように、20年前のあの日の光景が脳裏を占拠する。
幻覚や幻聴の姿を借りた当時の憎悪や怨念が、暗く激しく燃焼し始める。
竈に掛けられた鍋では20年前の……家族を殺された復讐心だけがグツグツと沸騰し、今、見えた『あいつ』の憎たらしい顔が投入された事で大いなる敵意から、純粋な殺意へと昇華する。
『あいつ』がうつる、左手に保持したコンパクトを握りつぶさんばかりに震える。
『あいつ』が20年前と同じ姿なのが余計に理江の殺意を結晶化させる。
何もかもが……憎い。
あれほど今直ぐ殺してやると息巻いていたのに、あいつを、20m向こうに『あいつ』を捉えたというのに、体が激しい武者震いに襲われてS&W M29が巧く握れない。
恐怖で震えているのかと、自分を叱責する。
いや、違う。
すんなりと、この機会が訪れた事をあらゆる世界の神様に感謝しているところなのだと。
奥歯で舌を強く噛む。
血が滲むほどの痛み。
武者震いが過ぎ去る。
「ねえ、理江ちゃん。折角来てくれたんだ。遊ぼう……その為にあの『おばあさん』と手を組んだんでしょ? ここで僕と遊ばないと次はいつ遊べるか解らないよ? それとも挨拶だけで満足なの?」
『あいつ』の挑発。
顔役と水面下で手を組んでいたのは既にばれている。
ばれていなかったのは【野川一誠会】の連中だけ。
矢張り『あいつ』が全てを裏で仕切っていた。
再確認の手間が省ける。
それに……『あいつ』が自分から出張ってくるのは、まともに使える駒が少ない時か、『遊び甲斐が有るオモチャ』を見つけた時だけだ。
自分で手配したであろう5人の殺し屋は思ったより愉しませてくれなかったようだ。
……そうなれば今度は自分が場に乱入し、復讐にのみ突き動かされる面白そうなオモチャを弄って愉しむだけだ。
『あいつ』は20年前もそうだった。
それ以外でも『あいつ』に関する事件を辿ると必ず、自分で凄惨極まりない死体を造る事に愉しみを見つけていた。
それに理江だけではない。
必ず自分が殺した、強い繋がりの親類縁者を1名だけ生存させて姿を消す。
自分を追って来いと挑発し、辿って喰いつくのに充分なだけのエサを撒いている。
20年の歳月が経過しても、自分の奥底にある『あいつ』に対する心情が何一つ変わっていない事を確認すると安心した。
大きく息を吸い、S&W M29を握り直す。
空気が震える。
空気を伝う振動は鼓膜を劈く。
44マグナム対50AE。
只管の移動。駆け足。直進しての全速力は自殺行為だ。
軌道が読まれて先読みで発砲されるとあっという間に被弾してしまう。
デザートイーグルの50AEは確かに強力。……当たらなければどうと言うことは無い。
だが、それは理江の44マグナムも同じだ。
最初から互いに決定打に欠ける無為で無謀な追いかけっこに始終する。
停止した方が負けだ。隙を見せた方が死ぬ。
44マグナムを避けるのに必死な『あいつ』。危機や危険や窮地を楽しむ『あいつ』。
……見た目は10代の少女でも、弾丸に当たると死ぬのは確かなようだ。
見た目以上に実年齢が不詳。
そんな『あいつ』も頻繁にデザートイーグルの弾倉を交換しながら理江が潜む遮蔽を悉く無力化する。
弾頭のエネルギーが強力すぎて錆びたドラム缶や一斗缶の山など防弾効果が全く期待できない。
故に移動を繰り返し、互いが互いの直線上に並ばないように陣取りゲームを繰り返している。
イニシアティブが激しく2人の間を往来する。
『あいつ』はそれを愉しんでいる。
理江は、はちきれんばかりの心臓を抱いて錘としか認識しなくなったS&W M29を操る。
誰が……どちらが最初に発砲したのかすら解らない。
『あいつ』は憎たらしい笑顔こそ浮かべているが、紙一重の余裕で44マグナムの一撃を回避している。
弾道を見切っていると錯覚する。
実際は、理江の銃口と指の動きを確認し、牽制の発砲を先に繰り出して照準を妨害する戦法を取っている。
自分から銃口の前に立っておきながら、挑発するかのような行動。
何もかもが腹立たしい……そうだ。そうでなくてはいけない。
長年追い続けた標的が、簡単に仕留められる雑魚であったのならこのような苦労はしない。
理江は梁を支える柱の影に滑り込み、スピードローダーでリロードを行う。
――――拙い!
右脇のスピードローダーのポーチが軽くなっているのをバランスの変化から感じ取る。
予備のスピードローダーが心許ない。
5人の殺し屋を相手に弾をばら撒きすぎた。どんなにあいつを狙ってもあいつはヒラヒラと舞う蝶のように44マグナムを『避ける』。
44マグナム以上の一撃が必要だ。
「!」
思案する理江を嘲笑するように跳弾が右脇腹を掠る。
ハーフコートに孔が開き、セーターの右腹が弾かれて毛糸がほつれる。
被弾したと思い、思わず右脇腹を左手で押さえる。