44マグナム

「有難うね」
 若い男の後頭部をS&W M29のグリップで殴りつけて昏倒させる。
 理江は邸宅に向かって走る。台所へと通じるドアが見える。台所だと確信している。……脳内の見取り図がそう、囁いている。
 ドアを蹴破る真似はせずに、静かに開けて中に侵入する。
 表のトラックの騒ぎに2人の警備要員が割かれている。
 心配になった家族のうち、何人かの影も確認した。この邸宅内部には3人程度の家族と3人の警備要員が居るだけだ。
 ドアを後ろ手に閉める。
「…………」
 ドアの感触に違和感。
 脳内で展開している見取り図と照らし合わせて、おかしな部位は見当たらない。
 もう一度ドアノブに触れて軽く捻る。
「!」
 疑問は氷解。この部屋の壁やドアの厚さが尋常じゃない。 
『防音材でも挟んでいるように分厚い』のだ。
 ならば好都合と、理江は靴のまま小上がりから台所へ上がり、S&W M29を右手に保持し、肘を引き気味して腰の辺りで構える。
 正統なCQCとは程遠い構え。
 経験上、腕を伸ばして角や遮蔽の多い閉所をクリアリングするのは数人のチームだからこそ活きる技術が発展した。
 彼女のように1人で仕事を為そうとする拳銃遣いは『たった1挺の拳銃を奪われると全てがお仕舞いに直結する』。
 ……なので、拳銃を守りつつ自分も守る消極的な構えで前進する。
 玉置一の私室へ向かう。
「!」
「!」
 角を右に曲がってそこに有るはずの階段を目指す。
 階段を昇ろうとした時に、包丁を持った中年女性と出遭い、その女が金切り声を上げて包丁を振り回す前に理江は左拳を女の鳩尾に叩き込んで気絶させる。
 玉置一の女房だ。女が取り落とした包丁が安っぽい音を立てて静かな廊下に響く。
 硬質な音響。矢張り防音処理が施された壁だ。
 音を吸収し、吸収し切れなかった音響は建物内部や室内の機密性で封じる金の掛かった拵えだ。
 階段を昇る。
 銃口を片手で保持したまま。
 廊下は暖色の室内灯で満遍なく照らされているので遭遇した互いを見誤る事は無い。
 2階へ上がろうと踊り場で体を反転させた。
 瞬間に轟音。44マグナムとは違う轟音。
 尾を引いて廊下に木霊する。
「来るな!」
 若い男。あの顔は玉置一の次男だ。
 手に上下2連発の散弾銃を持っている。階段を昇りきるまでにあと10数段。
 その手前で足止めを受ける。
 20代後半と思しき玉置一の次男は続けて散弾銃を発砲する。
 腰溜めでの発砲。
 構えも照準も何もなっていない。
 ダブルオーバックは床に大穴を開ける。勿論、その散弾銃はそれで弾切れだ。
 再装填の必要が有る。
 焦る次男に向けてS&W M29の銃口を向けて引き金を引く。耳を聾する銃声が廊下に響き渡り、次男の顔を消し飛ばす。
 頭部を失った9mほど向こうに有った次男の体は壁に叩きつけられてズルズルと床に崩れる。
 一気に階段を駆け上がり、左右の角から銃口を振る。
 素早く視認。左右に脅威の陰は無し。
 右手側に折れて玉置の私室を目指す。
 背後からの銃声。先ほど、次男を屠った辺りからの発砲。
 約9m向こう。
 拳銃弾。突き抜ける鋭い銃声。
 9mmパラベラムではない。
 振り向き様、背中から倒れながら両手でS&W M29を保持して体が中空に有るうちに発砲。
 一発目は角の遮蔽を削っただけ。
 それに構わず、背中が床に着地したのを感じると一呼吸吸い込んでから背後からの襲撃者の遮蔽から覗く右膝を狙い、発砲。
 右膝に命中した44マグナムの弾頭は、その膝下を千切り飛ばす。
 悲鳴を挙げながら、遮蔽の角に隠れていた男がトカレフを放り出して前のめりに倒れる。
 露になった頭部に向かって発砲。頭部にこそ命中しなかったが、左頚部から斜め下、左脇下へと弾頭が進む。
 貫通はしなかった。ジャケッテッドホローポイントの弾頭だ。体内を好き勝手に方向を変えながら進んで、満遍なく臓器を破壊した。
 男は吐き出すような呻き声を挙げて絶命した。脈を取ったわけではないが、あの負傷では助からない。
 起き上がりながらサムピースを押してシリンダーを解放し、エジェクターロッドを半分ほど押し込む。
 こうすれば空薬莢が全て地面に落ちる事は無い。
 薬室内部の薬莢が半分ほど迫り出されるだけだ。
 そのうち、未使用の実包を爪で掻き出してハーフコートのハンドウォームに落とし、スピードローダーを押し込み、シリンダーを再び填め込む。
 完全に体勢を整えた理江は脳内に投影した見取り図に従い、玉置の私室に来るとドアノブに左手をかけて捻る。
 鍵が掛かっている。
 単純な屋内で用いるステンレスのドアノブで44マグナムの前では防御の役目を果たさない。
 ドアノブを至近距離からの発砲で破壊。
 玉置の私室に踊り込む。場所は一つしかない。
 小さな執務室を模した部屋。
 フローリングに木製のデスク。
 2人掛けのソファが対になった応接セット。
 壁には木製の本棚。
 観葉植物の大きな鉢が2つ。
 10畳間程度の広さを、高級な書斎にアレンジしたかのようだ。
 デスクに回り込み、デスク上のノートパソコンをどける。
 思わず笑みが零れる。
 ノートパソコンの下にログインに必要なパスワードやアカウントの一覧が書き記されたB5の紙が貼り付けられている。
 それを携帯電話のカメラで撮影し、ノートパソコンを元に戻して直ぐに踵を返す。
 この部屋に用が有るのはこれだけだった。
 つまり……『この部屋で陣取られては厄介なので、玉置一を長期入院する羽目』に遭わせたのだ。
 この部屋の秘密を知るだけでかなりの金額を消費した。
 ドヤ街を頼れなくなる度に金をつぎ込んだ。
 利用したのは情報屋だけではない。
 【野川一誠会】内部の、玉置一に宜しくない印象を持つ高級幹部や側近に鼻薬を嗅がせた。
 女を宛がって秘密を聞き出した。宛がった女への報酬は計り知れなかった。預金残高が二桁は減った。
 それでも本懐をなせば大した金額ではない。
 玉置一や【野川一誠会】に感づかれずに事を運ぶのに大層に神経を磨り減らした。
 何もかもが髪の毛一本のタイミングで繋がないと台無しになる作戦だったからだ。
 その後も執務室だけを狙ったのではなく、あらゆる部屋を荒らしたと見せかける為にドアノブを破壊した。
 玉置一の三男と四男を発見したが、抵抗の意思が無かったので気絶させた。
 邸宅に戻ってきた警備要員の足音を聞くと、2階の窓から屋根に飛び降りて無用な殺生を避ける。
 そろそろ近隣住民も騒ぎ出すだろうし、警察も駆けつける。
 それに各所に点在する【野川一誠会】系列の暴力団も応援に馳せ参じるだろう。……馬鹿正直にここで篭城を展開する必要は無い。
 侵入してきた裏手口から再び遁走。
 途中で息を吹き返し始めていたジャージ姿の三下を見かけたが、念の為にもう一度鳩尾に爪先をめり込ませて黙らせる。
 防犯カメラを管理する警備員室の場所も解っていた。敢えて襲撃しなかった。
 襲撃者が拳銃を所持し、警備要員も拳銃を所持していて屋内で射殺された死体が転がっていると、玉置一家や【野川一誠会】も警察に痛くない場所まで探られてしまう。
 証拠映像を大々的にメディアに流したり、警察に捜査資料として提出する可能性は低い。
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