44マグナム

「玉置一にはこれ以上は手出ししない。あの男の役目は一応終わり。これで『大きな動きが出来なくなった』あいつらがどのように動くか……ね。面目上、【野川一誠会】のドンは病院で引き篭もり。隠居する気が無いならナンバー2やナンバー3に引継ぎなんてしないだろうけど、私はこの後ろに控える『あいつ』に用が有るのよ。『あいつ』を引き摺り出したいだけ。なんなら『あいつ』の前に私が出向いて直接、マグナム弾を叩き込んでもいい」
 怪訝な顔をするメッセンジャーの男。
「『あいつ』? 玉置の背後に誰か居るのか?」
「見えないけどね。あいつが【野川一誠会】の基礎を作った……顔役とはその辺りの話で利害が一致しているの。『あいつ』を殺さないとトカゲの尻尾は幾らでも出てくる。この街の本当の平穏は守られない……顔役もきっと、私を都合のいい殺し屋として利用したいんでしょ……だから、何度も言うわよ。玉置一にはもう用は無い。【野川一誠会】への揺さぶりが成功したからこれからは本陣を叩く。だからあんたに頼みたい事が幾つか有るの」
「おいおい……この期に及んでまだ顔役を顎で使いたいのか?」
「料金を払ったら満足かしら? 私との明確な金の流れが誰かに掴まれたら顔役も立場が危なくなるんじゃない?」
「脅してるのか!」
「まあまあ、そう血圧をあげなさんなって」
 そう言うと理江は携帯電話を男に放り投げた。奪った携帯電話だ。
「これは?」
「その携帯電話には連中のアドレスと『重要なフォルダ』が入っているわ。玉置のスケジュールはもう役に立たないけど、非常時の連絡網が解り易く整理されていたの。それを『誰の息も掛かっていない情報屋に渡してほしい』、そして今から言う通りの情報を引き出して欲しいの。金に糸目はつけないわよ」
理江は唇を薄くして微笑を浮かべると、安葉巻を銜えて使い捨てライターでフットを炙りながら紫煙を吸い込んだ。
 乾燥気味な葉巻は軽く火で撫でると直ぐに焦げ目が付いた。
  ※ ※ ※
 玉置一を襲撃して1週間目の夜。
 深夜1時。
 玉置の豪邸は静まり返っている。
 人の気配は少ない。玉置の家族4人と最低限の警備要員が6人居るだけだ。
 静かな住宅街。辺りは負けず劣らずの豪邸で埋め尽くされた特権階級の巣窟で逆に異様な豪奢振りが目に付く。
 玉置の邸宅の壁は高い。軽く身の丈の倍を超える。
 玉置一には用は無いが、この邸宅内部に有る玉置の私室に用が有る。 新人の、『357マグナムを使う殺し屋』を雇ってまで玉置一に揺さぶりをかけた甲斐があって、殆どの戦力は玉置の周辺警護に回されているらしい。
 今夜の警備状況も顔役のメッセンジャーに渡した携帯電話を元に既に割れている。
 アドレスとそれらを振り分けるフォルダを眺めているだけでも、誰がどのような役割を担って、どこの地位に居るのか簡単に解る。
 それらの解析を、顔役を仲介にしたフリーランスの情報屋に依頼したのだ。
 黒い革のハーフコートが寒気を孕んだ大きな一薙ぎで揺れる。
 理江は道すがらで奪った4tトラックの運転席に乗り込む。
 乗用車が横に2台並んで通過できそうな大きな門扉を一瞥する。
 エンジンに火を入れる。そのまま……バックの状態で門扉へと突入する。
 馬鹿正直にトラックを真正面から門扉と正面衝突させると、エアバッグが展開して頭を打ちつけて脳震盪を起こしかねない。……それに、ほんの少しの間だけ騒ぎを大きくすればいい。
 車体に走る衝撃。ヘッドレストに後頭部をぶつける。
 轟音。門扉はびくともしない。
 夜更けの住宅街に大音響を轟かせた。
 後頭部の鈍い痛みを我慢して運転席から転がり落ちるように飛び出すと、一目散に走る。
 向かう先は玉置邸の裏口。
 防犯カメラが事実上の飾りであるのは解っている。
 ちゃんと彼女の行動は記録されているが、今夜、今し方の一連の行動をリアルタイムで観察している人間は居ない。
 この時間帯は不寝番が休憩する時間帯だ。隣接する邸宅の防犯カメラはインターホンを押してから作動するタイプであるのも、調べが付いている。
 正面の門扉にトラックが衝突。
 直ぐに行動を起こすのは精々、家族と警備要員の2人。
 残りの警備要員は非常時のマニュアルに沿って行動する……裏の勝手口を開いて増援を直ぐに招き入れられるように手配するのだ。
 その隙を突く。
 古典的な戦法だが、何もかもがデジタル化された時代だからこそ、『人間が鍵を開ける為にわざわざ、その扉まで出向いてロックを解除する』手段が重要だった。
 非常時のマニュアルでは、デジタルよりもアナログが強い場面が多い。
 この騒ぎはこの界隈や近隣に点在する【野川一誠会】の事務所に通達され、増援が来るのを待つまでの時間稼ぎ。
 増援が来るまでに玉置一の私室に入る為に全力で走った。
 脳内では、この邸宅の見取り図を展開させている。
 大量に植えつけられた外灯のお陰で光源には困らない。
 この地区の条例では、ペットの飼い犬に厳しいので警備の仕事をする『ペット』は飼っていない。
 少しばかり荒いが、この隙を無理矢理作る為に態々人目の多い場所で目撃され易い条件を揃えて玉置一を襲撃したのだ。
 『大人数の警護要員を連れて病院に引き篭もるのを計算して』。玉置一がこの邸宅に居たのでは警護要員が邪魔で仕方が無い。
 警備の数も今まで以上に多いだろう。
 裏口には防犯カメラが有ったが、移らない場所で待機し、目前10mにあるステンレスのドアのノブが作動するのを待つ。
 早くドアのロックを解除しに来いと心が逸る。
 数十秒後にガチリと音を立てて裏手口のロックが解除される。……音を耳で確かに聞き届けると、10mの距離を猛然と走り、ドアノブを捻った。
 その姿は防犯カメラに記録されているだろうが、犯行をリアルタイムで確認している人間は居ない。
 ドアを派手に開け放つ。
 目の前でジャージの上下にニット帽を被った二十代前半の男が心臓を掴まれたような顔して立っていた。
 ジャージのハンドウォームが膨らんでいる。小型の輪胴式拳銃を忍ばせているのだろう。
 男は驚愕の顔色を浮かべながらも、右手をハンドウォームに差し込んで拳銃を抜き放とうとした。
 彼我の距離70cm。
 男が拳銃を抜くよりも理江の前蹴りの方が早かった。
 サイドキックに近いモーションで足の裏を男の右手にぶつける。
 ハンドウォームから拳銃を抜く事が出来ないまま、男は理江の足裏で押し返されるように吹っ飛び、尻餅を搗く。
 ポケットからS&W M36が零れ落ちる。
 男は呻き声を食い縛り、転げ落ちた拳銃に飛び掛るように腕を伸ばし、正に、今、その銃口を襲撃者の女に向けようとグリップを握った。
「動くな」
 男の銃口が明後日の方向を向いている間に女は銃を抜き、その男の側頭部に銃口を押し付けた。
「……!」
「立て」
 女の冷たい声。乾燥した抑揚の無い声。
 S&W M36から静かに手を離した若い男は、襲撃者の方向に視線だけを向けて静かに両手を揚げて立ち上がる。
 側頭部に熱い鉄パイプでも押し当てられているかのような苦悶の顔でこちらを向く銃口を恐れる。
「質問に答えて。玉置の家族4人と警備があなたを含めて6人……それで合ってる?」
「……!」
 若い男は捥げんばかり首を上下に振って肯定した。
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