銃弾は間違えない
「…………? どうしてそれを?」
優子は繁華街の外れに有る場末の喫茶店で訝しげな顔をした。
少し仕切りのガラス板が高いボックス席で大して美味くも無い、熱いだけが取り得のような珈琲を前に。
灰皿にはクザーノ・コロナが静かに置かれ、ゆったりと紫煙を立ち昇らせている。
紙巻煙草での使用を想定した瀬戸物の小さな白い灰皿に太い葉巻はアンバランスで場違いだった。
辺りにドミニカ葉巻特有の甘く小さく鼻腔を擽る香りが漂う。この喫茶店では条例に反してひっそりと喫煙が可能なので利用客は多い方だ。 利用する客層は寡黙な喫煙家ばかりで、煙草を平常から愛好する人間にとっては数少ないオアシスだ。
そんな喫茶店での出来事。
テーブルを挟んで目前に座るのは同業者の……殺し屋を生業にする男だった。
見た目は40代前半だが、実際の年齢は知らない。
そもそも本名を知らない。
プロフィールの詳細が皆目不明と言う人間は珍しくない界隈だ。
別にそこを怪しんだりしていない。それを言ってしまえば、大波優子という彼女の名前すら、優子がばら撒いている嘘の情報で、実際には違う名前だと思われている節がある。
この世界で馬鹿正直に自分を語る人間など存在しないのが普通だ。
やや白髪交じりの、無精髭を伸ばした、茶色のブルゾンに灰色のハンチング帽を被った老け気味に見える男は納田(なだ)と名乗っている。その納田が危険な組織関係の間を往復して、伝言や書類を運搬するメッセンジャーボーイ的存在の『伝達屋』――『運び屋』ではない――のアルバイトをしている最中に仕入れたと言う噂を優子に漏らしたのだ。
彼の仕事内容には『一切触れない』。
付随的に集まった情報を情報屋や探偵に売り込むアルバイトもしているのだろうと想像できた。
兎も角、殺し屋を看板に掲げる男からZKR-551に関して有益な情報が突然聞き出せるとは思わなかったのだ。
今回の会合は納田がクライアントから依頼を預かり、指名された殺し屋たる優子に仔細を伝えるだけ。
依頼を出す手段に『伝達屋』を用いるとは随分と用心深い依頼人だと思っていた。報酬もそれなり。
即ち、少々の鉄火場が予想されるいつもの仕事だった。
先端が3cmほど白く灰燼に帰したクザーノ・コロナを左手の指に挟んで口元に持っていく。
暫しの沈黙。
実は優子は既に理解していた。
目の前の男は自分に恩を着せて、いざと言う時のちょっとした『小道具』として使うためにストックするつもりなのだと。
納田が依頼と共に持って来た情報は『地下』でガンスミスを生業にしている女が居るとの事だった。
特徴は、精巧な偽物を作り出すこと。
本物と同じ性能と外見の偽物を作り出す事が出来る、変わったガンスミスらしい。
何ゆえ本物の認可を貰えないのかは知らない。
……だが、本物と性能が同一の代物を作り出せる腕前は一見の価値が有ると記憶に留めた。
納田から依頼の全文が入力されたフラッシュメモリを受け取ると再び大きく煙を吐いた。始終、優子の顔色は平坦だった。
納田経由で舞い込んだ依頼。
この依頼を遂行すれば、そのガンスミスとやらを追いかけるのも悪くないと心の中で呟く。
どう足掻いても、仕事道具が寿命を迎えてしまったら暫くは休業を余儀なくされる。
銃身を加工中であれ、使えないほどに傷んでも休業は訪れる。
※ ※ ※
皮肉。
今度も『他の連中』の尻拭き同然の仕事だった。
今度は丁寧な殺しを提供しなければならないだけだ。
残党狩りと言う点ではつい先日の仕事に似ていた。
否、残党狩りと言う言葉は当て嵌まらないかもしれない。
予定通りに行けば、追い立てられる連中がこのルートを通りながら各方面の逃走経路を辿って逃げる。
それを阻止する……阻止すると言う体の罠で、罠その物の毒の刃を仰せつかったのが優子だ。
先日の港湾部での仕事振りが伝聞で遠くに伝わったか? それはそれで良い。
何もしなくても宣伝してくれるのだから、今後の収入にも好い影響を与えてくれるだろう。
今回も港湾部。
但し、地元から少々離れた街の港湾部。
シチュエーションはほぼ同じ。
深夜。潮風が少し弱い。月は隠れている。外灯以外の光源は期待できない。寒さは先日よりマシ……それでも日中と比べると格段に冷えるので、使い捨てカイロを新調したトレンチコートのハンドウォームの内部で良く揉む。
指先の血行が鈍るのは出来るだけ避けたい。
右太腿に持たれかかる様なガンベルトの重み。
太腿に簡易的に革紐で固定してある。走り回るにはやや制限を受ける。
慣れてしまったので今は何とも無いが、慣れるまではガンベルトを庇って歩いていたために、体中の予想外の筋肉が小癪な筋肉痛で悲鳴を挙げていたものだ。
ショルダーホルスターではZKR-551の本領を発揮できないし、レッグホルスターではグリップが『浅過ぎて』クイックドロウに不便だった。
身に染みるほどの寒さではない。
惰性的にスキットルに手を伸ばして一口呷る。
口の中がノンエイジのウイスキーで染め上げられる。
軽く鼻腔から口中のアルコールを抜く。喉を湿らせた若いウイスキーが胃袋に活力を与える。猛然と生ハムやベーコンやローストビーフを所望する。
惰性でアルコールを口に含んだ罰だと苦笑い。それ以上に失策だった思いが強い。
この状態で胃部に被弾すれば血液を大量に失い、死に到る確率が跳ね上がる。
心の片隅に湧き上がる不安を掻き消すように、黒い革の3連シガーケースからクザーノ・コロナを抜き取り、ナットシャーマンのダブルラウンドシガーカッターで吸い口を切り落とた。いそいそと口に銜えてウエンガーのアウトドア用ターボライターでフットを炙る。
ロンジンの腕時計を見る。蛍光塗料が午前1時半を報せていた。
「…………」
この地点で罠を担当する最後の残党狩りを仰せつかった。
全長40cmほどのボトルネック型に狭まった道路。
ここで迎撃。
連中の総戦力は事前の連絡では20人以下。
勿論のこと、想定外も想定する。
敵がそれよりも多かったら? 違う方向に遁走を試みたら? 20人全員がこちらに一斉に向かって来たら? ……夜と言うのは交感神経と副交感神経の関係上、集中力が増す時間帯だ。
夜に考え事を始めると集中力が倍増する人間が多いのと同じで、心を病んだ人間がマイナスのベクトルに考えを集中させると突然自殺を図る。
そこまで病的でなくとも、夜中に眉毛を整えると抜き過ぎて必ず後悔すると行きつけの美容院で美容師に話を聞いたことが有る。
夜と言う時間帯は不思議な存在だ。
自分で心身共に頑強だと思っている人間でさえ……優子でさえ、このような可能性や確率の話で深みに嵌るのだ。
要らぬ思考に脳内のタスクを割いているのは無駄だと切り捨てて、舌先を前歯で噛んで痛みを与えて覚醒させる……その方法も残念な事にアルコールとニコチンのお陰で、程よく舌先が麻痺しているので大きな効果は得られなかった。
更に10分経過。
銃声。遠くで銃声。乾いた銃声。軽い。多数。
クライアントの作戦通りなら最初の一連射で半分以上の戦力が削られているはずだ。
銃声が連なる。短機関銃の銃声も聞こえる。
どこの組織がどこの組織とドンパチをしているのかは知らない。
優子はこのルートを通過しようとする生存者を全員殺せと命じられただけだ。
優子は繁華街の外れに有る場末の喫茶店で訝しげな顔をした。
少し仕切りのガラス板が高いボックス席で大して美味くも無い、熱いだけが取り得のような珈琲を前に。
灰皿にはクザーノ・コロナが静かに置かれ、ゆったりと紫煙を立ち昇らせている。
紙巻煙草での使用を想定した瀬戸物の小さな白い灰皿に太い葉巻はアンバランスで場違いだった。
辺りにドミニカ葉巻特有の甘く小さく鼻腔を擽る香りが漂う。この喫茶店では条例に反してひっそりと喫煙が可能なので利用客は多い方だ。 利用する客層は寡黙な喫煙家ばかりで、煙草を平常から愛好する人間にとっては数少ないオアシスだ。
そんな喫茶店での出来事。
テーブルを挟んで目前に座るのは同業者の……殺し屋を生業にする男だった。
見た目は40代前半だが、実際の年齢は知らない。
そもそも本名を知らない。
プロフィールの詳細が皆目不明と言う人間は珍しくない界隈だ。
別にそこを怪しんだりしていない。それを言ってしまえば、大波優子という彼女の名前すら、優子がばら撒いている嘘の情報で、実際には違う名前だと思われている節がある。
この世界で馬鹿正直に自分を語る人間など存在しないのが普通だ。
やや白髪交じりの、無精髭を伸ばした、茶色のブルゾンに灰色のハンチング帽を被った老け気味に見える男は納田(なだ)と名乗っている。その納田が危険な組織関係の間を往復して、伝言や書類を運搬するメッセンジャーボーイ的存在の『伝達屋』――『運び屋』ではない――のアルバイトをしている最中に仕入れたと言う噂を優子に漏らしたのだ。
彼の仕事内容には『一切触れない』。
付随的に集まった情報を情報屋や探偵に売り込むアルバイトもしているのだろうと想像できた。
兎も角、殺し屋を看板に掲げる男からZKR-551に関して有益な情報が突然聞き出せるとは思わなかったのだ。
今回の会合は納田がクライアントから依頼を預かり、指名された殺し屋たる優子に仔細を伝えるだけ。
依頼を出す手段に『伝達屋』を用いるとは随分と用心深い依頼人だと思っていた。報酬もそれなり。
即ち、少々の鉄火場が予想されるいつもの仕事だった。
先端が3cmほど白く灰燼に帰したクザーノ・コロナを左手の指に挟んで口元に持っていく。
暫しの沈黙。
実は優子は既に理解していた。
目の前の男は自分に恩を着せて、いざと言う時のちょっとした『小道具』として使うためにストックするつもりなのだと。
納田が依頼と共に持って来た情報は『地下』でガンスミスを生業にしている女が居るとの事だった。
特徴は、精巧な偽物を作り出すこと。
本物と同じ性能と外見の偽物を作り出す事が出来る、変わったガンスミスらしい。
何ゆえ本物の認可を貰えないのかは知らない。
……だが、本物と性能が同一の代物を作り出せる腕前は一見の価値が有ると記憶に留めた。
納田から依頼の全文が入力されたフラッシュメモリを受け取ると再び大きく煙を吐いた。始終、優子の顔色は平坦だった。
納田経由で舞い込んだ依頼。
この依頼を遂行すれば、そのガンスミスとやらを追いかけるのも悪くないと心の中で呟く。
どう足掻いても、仕事道具が寿命を迎えてしまったら暫くは休業を余儀なくされる。
銃身を加工中であれ、使えないほどに傷んでも休業は訪れる。
※ ※ ※
皮肉。
今度も『他の連中』の尻拭き同然の仕事だった。
今度は丁寧な殺しを提供しなければならないだけだ。
残党狩りと言う点ではつい先日の仕事に似ていた。
否、残党狩りと言う言葉は当て嵌まらないかもしれない。
予定通りに行けば、追い立てられる連中がこのルートを通りながら各方面の逃走経路を辿って逃げる。
それを阻止する……阻止すると言う体の罠で、罠その物の毒の刃を仰せつかったのが優子だ。
先日の港湾部での仕事振りが伝聞で遠くに伝わったか? それはそれで良い。
何もしなくても宣伝してくれるのだから、今後の収入にも好い影響を与えてくれるだろう。
今回も港湾部。
但し、地元から少々離れた街の港湾部。
シチュエーションはほぼ同じ。
深夜。潮風が少し弱い。月は隠れている。外灯以外の光源は期待できない。寒さは先日よりマシ……それでも日中と比べると格段に冷えるので、使い捨てカイロを新調したトレンチコートのハンドウォームの内部で良く揉む。
指先の血行が鈍るのは出来るだけ避けたい。
右太腿に持たれかかる様なガンベルトの重み。
太腿に簡易的に革紐で固定してある。走り回るにはやや制限を受ける。
慣れてしまったので今は何とも無いが、慣れるまではガンベルトを庇って歩いていたために、体中の予想外の筋肉が小癪な筋肉痛で悲鳴を挙げていたものだ。
ショルダーホルスターではZKR-551の本領を発揮できないし、レッグホルスターではグリップが『浅過ぎて』クイックドロウに不便だった。
身に染みるほどの寒さではない。
惰性的にスキットルに手を伸ばして一口呷る。
口の中がノンエイジのウイスキーで染め上げられる。
軽く鼻腔から口中のアルコールを抜く。喉を湿らせた若いウイスキーが胃袋に活力を与える。猛然と生ハムやベーコンやローストビーフを所望する。
惰性でアルコールを口に含んだ罰だと苦笑い。それ以上に失策だった思いが強い。
この状態で胃部に被弾すれば血液を大量に失い、死に到る確率が跳ね上がる。
心の片隅に湧き上がる不安を掻き消すように、黒い革の3連シガーケースからクザーノ・コロナを抜き取り、ナットシャーマンのダブルラウンドシガーカッターで吸い口を切り落とた。いそいそと口に銜えてウエンガーのアウトドア用ターボライターでフットを炙る。
ロンジンの腕時計を見る。蛍光塗料が午前1時半を報せていた。
「…………」
この地点で罠を担当する最後の残党狩りを仰せつかった。
全長40cmほどのボトルネック型に狭まった道路。
ここで迎撃。
連中の総戦力は事前の連絡では20人以下。
勿論のこと、想定外も想定する。
敵がそれよりも多かったら? 違う方向に遁走を試みたら? 20人全員がこちらに一斉に向かって来たら? ……夜と言うのは交感神経と副交感神経の関係上、集中力が増す時間帯だ。
夜に考え事を始めると集中力が倍増する人間が多いのと同じで、心を病んだ人間がマイナスのベクトルに考えを集中させると突然自殺を図る。
そこまで病的でなくとも、夜中に眉毛を整えると抜き過ぎて必ず後悔すると行きつけの美容院で美容師に話を聞いたことが有る。
夜と言う時間帯は不思議な存在だ。
自分で心身共に頑強だと思っている人間でさえ……優子でさえ、このような可能性や確率の話で深みに嵌るのだ。
要らぬ思考に脳内のタスクを割いているのは無駄だと切り捨てて、舌先を前歯で噛んで痛みを与えて覚醒させる……その方法も残念な事にアルコールとニコチンのお陰で、程よく舌先が麻痺しているので大きな効果は得られなかった。
更に10分経過。
銃声。遠くで銃声。乾いた銃声。軽い。多数。
クライアントの作戦通りなら最初の一連射で半分以上の戦力が削られているはずだ。
銃声が連なる。短機関銃の銃声も聞こえる。
どこの組織がどこの組織とドンパチをしているのかは知らない。
優子はこのルートを通過しようとする生存者を全員殺せと命じられただけだ。