銃弾は間違えない
男の腹を思いっきり蹴ったのに、軽い、砂の詰まっていないサンドバッグを蹴ったように足の裏に重みを感じなかった。
「!」
――――ヤバイ!
左足で繰り出したその蹴りを引っ込める。
そのまま伸ばしていれば太腿にナイフが深々と突き刺されているところだ。あるいは内腿の動脈や膝裏の筋を切断されていたか。
バックステップで距離を取っても、優子と同じ歩幅で刹那の間に詰め寄られてしまう。
男は執拗にLEDライトを狙う。
ZKR-551の長大な銃身がこの場合では不利に働いている。
標的が近過ぎて狙って撃つ事が出来ない。
腰溜めでのファニングを試みようとするもその隙さえ見せてくれない。
お互いが決定打に欠ける一進一退。
ナイフを躱しながら膝蹴りや肘打ちを繰り出し、至近距離から打撃を与える。
男の衣服が思った以上に生地が分厚く、こちらの打撃が浸透しているように思えない。
男の呼吸に乱れが感じられない。
顔は二十代後半だろうか。身長は優子と同じくらいの170cm強。男女の筋骨の比率やスタミナ勝負で言うと、少しばかり年上で体力のピークを過ぎた辺りの優子には少し分が悪い相手だ。
何より、こんなにも密接されての戦闘は初めてだ。
プロの『護り屋』というより、腕の立つCQCのトレーナーと言った体捌き。
段々と圧される。
左右の壁に肘が当たる。
自然と自分の体が振り回されているのに気が付く。
この小さな動作の積み重ねは、想像以上に体力を消費させられる。……優子の息が上がり始める。
「!」
踵が足元のゴミであるナイロン袋を蹴る。
給湯室まで圧されていたのだ。
この直線廊下を真っ直ぐに……否、左右に振られながら後退を強いられていた。
背後は給湯室。逃げ込むとそこで終わりだ。
――――まてよ……!?
――――!
給湯室。『生活臭が漂う』。
給湯室を探索した折に見つけた物が脳裏に閃く。
優子は態と大きくバックステップを踏む。給湯室の出入り口まで退く。
勿論、ナイフの男も反射的に追って来る。
――――来た!
左手のLEDライトを大きく背後を見ずに背後に振って屈む。
「う!」
初めて男の顔に焦燥が浮かぶ。
そして視界が閉ざされる。
給湯室の壁に掲げられていた鏡――洗面所に有るのと同型――にLEDライトの光が反射して男の顔を明るく彩る。
男は左掌を翳して真正面の鏡から顔を逸らす。
僅か、コンマ数秒。
それだけで充分だ。
ZKR-551が屈んだままの優子の手中で吼える。
漸く……このフロアで息遣いと素早い何かが空を切る音以外の音が聞こえる。
38口径の銃声。聞き慣れた軽い発砲音。
軽い反動だろうと予想させるその発砲音は余韻を形成する。
ナイフ遣いの男の咽頭に孔を拵えて、頸が前方に激しく折れたかと思うと、衝撃で眼球を飛び出させながら仰向けに倒れる。
大の字に倒れたまま絶命する。
「………………」
優子の鼓動が最高潮に達している。
心臓が破れそうだ。
喉がカラカラに渇く。
背後で足音が聞こえる。
階段からこのフロアに降りてきた足取りだ。
自分の体にもう一つ鞭をくれて、その人影を追い、階段の踊り場で体の向きを変えようとした瞬間に、お互いの銃口はお互いに向けられ、お互いが同時に引き金を引いた。
38口径と25口径。
低威力の決定戦が始まれば上位に入賞できる25口径の弾頭がコルト25オートから撃ち出されたが、優子の左手側2m辺りの壁に浅い弾痕を拵えただけだ。
優子の38口径は目下の踊り場で安っぽい光沢のコルト25オートを握っていた男の額に命中し、その衝撃で背後の壁に叩き付けた。
懐中拳銃を放り出した小柄な男は一瞬だけ、壁に大の字を描いたが、どさりと床に崩れ落ちた。
その男の顔にLEDライトを当てる。
標的の男だ。
皺だらけで良く見ると解れがある灰色のスーツにノータイ。
皺の入った白いシャツがどんどん赤く染まっていく。
この男がどこの誰でどの様な素性の男なのかは詳しくは知らない。
顔と名前と簡略化されたプロフィールだけを渡されて報酬を貰って殺しただけだ。
密閉に近い建物内部の2階と3階フロアに、鉄錆に似た臭いが漂い始める。
ナイフで端々を刻まれたり銃弾で孔を開けられた酷いトレンチコートを見て苦笑い。
ZKR-551をガンベルトのホルスターに戻す。
早々にこのテナントビルから出て逃走ルートに就く。
予定に無い、ルートに一箇所だけ寄る。……自動販売機でミネラルウォーターを買って浴びるように水を飲んだ。
※ ※ ※
ZKR-551。出自は全く不明。38口径6連発の射的競技用のシングルアクションリボルバー。
銃身は約6インチ。
東側陣営で設計されて販売されたマイナーな部類に入る拳銃だ。
射撃競技に使用する事を前提に設計されているだけに、サイティングは微調整が利く。
角ばった長大な銃身。
ダブルアクションリボルバーかと勘違いするフレーム周辺のデザイン。
ローディングゲートやエジェクションロッドが無ければ……否、これらが有るお陰でZKR-551のシルエットが余計に歪に見るのかもしれない。
特筆に価する精度ではない。
後継モデルが存在しないのか無名なのか、551というナンバーの根拠も不明。総生産数も不明。
気が付けば地下の市場にこの銃がぽつんと流れており、箸にも棒にも掛からない中古品として叩き売りされていた。
故障してしまえば交換が利かない。
磨耗しても純正パーツは手に入らない。
それらを踏まえて手に取った優子は常にZKR-551の供給ルートを探している。
一部では博物館でしか扱われていないとさえ揶揄されるリボルバー。 少々の部品の磨耗ならば拳銃の部品だと悟られないように『明るい世界』の金属加工業者に依頼して削り出しを作ってもらっている。
木製のグリップは手垢や血の脂を吸い込んで真っ黒に変色している。 銃身に刻まれた刻印は無数の瑕に埋もれ、削られて掠られてどのような文字が彫られていたのか判然としない。
エジェクションロッドなど、モデルガンショップで購入した実銃でも使える寸法の物を切除切断して嵌め込んでいる。
オリジナルの部分など最早スタイルだけだろう。
そんな雑な扱いでも確実に38口径を撃発してくれる頼もしい相棒だ。
銃身の磨耗が最大のピンチだった。
どんなに確実に作動しても、ライフリングが削れてしまっては命中精度に大きな誤差が生じる。
サイティングをこまめに調整してもこればかりはカバーできない。
ZKR-551が工業製品であるからには必ずガタが来る。
耐用年数も存在する。
元から中古ゆえに何時、拳銃としての寿命が訪れるか解らない。
まるで、老人ホームで余生を送っていた元エースパイロットにレシプロ戦闘機を与えてジェット戦闘機と戦わせているようなものだ。
今の優子に課せられた最大の難問は、銃身を掘る事のできる専門の技師を探す事だった。
スライドを持つ自動拳銃のように銃身だけ交換すればそれで問題解決とはいかない。
外見もライフリングもそっくりそのままの形状を再現できる技師が必要だった。
目の前に迫る脅威としてZKR-551と過ごしている優子は常に暗い世界で店を構えている銃器加工業者の選出と選択と選別に余念が無かった。
そんなある日の事だ。
唐突だった。
予想外の方向からの情報提供だった。
「!」
――――ヤバイ!
左足で繰り出したその蹴りを引っ込める。
そのまま伸ばしていれば太腿にナイフが深々と突き刺されているところだ。あるいは内腿の動脈や膝裏の筋を切断されていたか。
バックステップで距離を取っても、優子と同じ歩幅で刹那の間に詰め寄られてしまう。
男は執拗にLEDライトを狙う。
ZKR-551の長大な銃身がこの場合では不利に働いている。
標的が近過ぎて狙って撃つ事が出来ない。
腰溜めでのファニングを試みようとするもその隙さえ見せてくれない。
お互いが決定打に欠ける一進一退。
ナイフを躱しながら膝蹴りや肘打ちを繰り出し、至近距離から打撃を与える。
男の衣服が思った以上に生地が分厚く、こちらの打撃が浸透しているように思えない。
男の呼吸に乱れが感じられない。
顔は二十代後半だろうか。身長は優子と同じくらいの170cm強。男女の筋骨の比率やスタミナ勝負で言うと、少しばかり年上で体力のピークを過ぎた辺りの優子には少し分が悪い相手だ。
何より、こんなにも密接されての戦闘は初めてだ。
プロの『護り屋』というより、腕の立つCQCのトレーナーと言った体捌き。
段々と圧される。
左右の壁に肘が当たる。
自然と自分の体が振り回されているのに気が付く。
この小さな動作の積み重ねは、想像以上に体力を消費させられる。……優子の息が上がり始める。
「!」
踵が足元のゴミであるナイロン袋を蹴る。
給湯室まで圧されていたのだ。
この直線廊下を真っ直ぐに……否、左右に振られながら後退を強いられていた。
背後は給湯室。逃げ込むとそこで終わりだ。
――――まてよ……!?
――――!
給湯室。『生活臭が漂う』。
給湯室を探索した折に見つけた物が脳裏に閃く。
優子は態と大きくバックステップを踏む。給湯室の出入り口まで退く。
勿論、ナイフの男も反射的に追って来る。
――――来た!
左手のLEDライトを大きく背後を見ずに背後に振って屈む。
「う!」
初めて男の顔に焦燥が浮かぶ。
そして視界が閉ざされる。
給湯室の壁に掲げられていた鏡――洗面所に有るのと同型――にLEDライトの光が反射して男の顔を明るく彩る。
男は左掌を翳して真正面の鏡から顔を逸らす。
僅か、コンマ数秒。
それだけで充分だ。
ZKR-551が屈んだままの優子の手中で吼える。
漸く……このフロアで息遣いと素早い何かが空を切る音以外の音が聞こえる。
38口径の銃声。聞き慣れた軽い発砲音。
軽い反動だろうと予想させるその発砲音は余韻を形成する。
ナイフ遣いの男の咽頭に孔を拵えて、頸が前方に激しく折れたかと思うと、衝撃で眼球を飛び出させながら仰向けに倒れる。
大の字に倒れたまま絶命する。
「………………」
優子の鼓動が最高潮に達している。
心臓が破れそうだ。
喉がカラカラに渇く。
背後で足音が聞こえる。
階段からこのフロアに降りてきた足取りだ。
自分の体にもう一つ鞭をくれて、その人影を追い、階段の踊り場で体の向きを変えようとした瞬間に、お互いの銃口はお互いに向けられ、お互いが同時に引き金を引いた。
38口径と25口径。
低威力の決定戦が始まれば上位に入賞できる25口径の弾頭がコルト25オートから撃ち出されたが、優子の左手側2m辺りの壁に浅い弾痕を拵えただけだ。
優子の38口径は目下の踊り場で安っぽい光沢のコルト25オートを握っていた男の額に命中し、その衝撃で背後の壁に叩き付けた。
懐中拳銃を放り出した小柄な男は一瞬だけ、壁に大の字を描いたが、どさりと床に崩れ落ちた。
その男の顔にLEDライトを当てる。
標的の男だ。
皺だらけで良く見ると解れがある灰色のスーツにノータイ。
皺の入った白いシャツがどんどん赤く染まっていく。
この男がどこの誰でどの様な素性の男なのかは詳しくは知らない。
顔と名前と簡略化されたプロフィールだけを渡されて報酬を貰って殺しただけだ。
密閉に近い建物内部の2階と3階フロアに、鉄錆に似た臭いが漂い始める。
ナイフで端々を刻まれたり銃弾で孔を開けられた酷いトレンチコートを見て苦笑い。
ZKR-551をガンベルトのホルスターに戻す。
早々にこのテナントビルから出て逃走ルートに就く。
予定に無い、ルートに一箇所だけ寄る。……自動販売機でミネラルウォーターを買って浴びるように水を飲んだ。
※ ※ ※
ZKR-551。出自は全く不明。38口径6連発の射的競技用のシングルアクションリボルバー。
銃身は約6インチ。
東側陣営で設計されて販売されたマイナーな部類に入る拳銃だ。
射撃競技に使用する事を前提に設計されているだけに、サイティングは微調整が利く。
角ばった長大な銃身。
ダブルアクションリボルバーかと勘違いするフレーム周辺のデザイン。
ローディングゲートやエジェクションロッドが無ければ……否、これらが有るお陰でZKR-551のシルエットが余計に歪に見るのかもしれない。
特筆に価する精度ではない。
後継モデルが存在しないのか無名なのか、551というナンバーの根拠も不明。総生産数も不明。
気が付けば地下の市場にこの銃がぽつんと流れており、箸にも棒にも掛からない中古品として叩き売りされていた。
故障してしまえば交換が利かない。
磨耗しても純正パーツは手に入らない。
それらを踏まえて手に取った優子は常にZKR-551の供給ルートを探している。
一部では博物館でしか扱われていないとさえ揶揄されるリボルバー。 少々の部品の磨耗ならば拳銃の部品だと悟られないように『明るい世界』の金属加工業者に依頼して削り出しを作ってもらっている。
木製のグリップは手垢や血の脂を吸い込んで真っ黒に変色している。 銃身に刻まれた刻印は無数の瑕に埋もれ、削られて掠られてどのような文字が彫られていたのか判然としない。
エジェクションロッドなど、モデルガンショップで購入した実銃でも使える寸法の物を切除切断して嵌め込んでいる。
オリジナルの部分など最早スタイルだけだろう。
そんな雑な扱いでも確実に38口径を撃発してくれる頼もしい相棒だ。
銃身の磨耗が最大のピンチだった。
どんなに確実に作動しても、ライフリングが削れてしまっては命中精度に大きな誤差が生じる。
サイティングをこまめに調整してもこればかりはカバーできない。
ZKR-551が工業製品であるからには必ずガタが来る。
耐用年数も存在する。
元から中古ゆえに何時、拳銃としての寿命が訪れるか解らない。
まるで、老人ホームで余生を送っていた元エースパイロットにレシプロ戦闘機を与えてジェット戦闘機と戦わせているようなものだ。
今の優子に課せられた最大の難問は、銃身を掘る事のできる専門の技師を探す事だった。
スライドを持つ自動拳銃のように銃身だけ交換すればそれで問題解決とはいかない。
外見もライフリングもそっくりそのままの形状を再現できる技師が必要だった。
目の前に迫る脅威としてZKR-551と過ごしている優子は常に暗い世界で店を構えている銃器加工業者の選出と選択と選別に余念が無かった。
そんなある日の事だ。
唐突だった。
予想外の方向からの情報提供だった。