銃弾は間違えない

 素人なら素人らしいリアクションが見られるのに、呼吸を殺してまで気配を消している。
 H&K MP5を破壊された男は、今頃懐の拳銃を抜いて反撃の機会を窺っているだろう。
 その行動は読めるのに気配が読めない。
 場慣れした『護り屋』だと、直感が囁く。
 ZKR-551の銃口を覗かせる代わりにリップミラーを遮蔽の角から突き出す。LEDライトの点滅が隠れる男のシルエットを浮かび上がらせてくれる。
 姿形が見えるのに気配が窺えない不気味さ。
 リップミラーを引っ込めると今度は左手にZKR-551を持ち替えて、思い切って遮蔽の陰から飛び出る。
 この時ばかりは本当に覚悟を決めたものだ。
 この場所が自分の墓場だとさえ思った。
 喉はカラカラに渇き、体はニコチンを欲し、耳鳴りと鼓動が五月蝿くて喚き散らしたい衝動に駆られていた。
 即ち、再び訪れる膠着よりも、先制に出て早くカタを付けたかったのだ。
 床に落ちている仲間の短機関銃を拾われると厄介だ。
 飛び出る。遮蔽から。
 呼吸が止まっているのを実感する。
 呼吸を忘れたのかもしれない。
 時間すら停止したような感覚。
 軽い遊離感を覚える。
 自分が滑らせたLEDライトの点滅が非日常の空間を一層際立たせている。
 警護の男よりもLEDライトを銃弾で叩き潰したい。
 たった1歩、遮蔽から飛び出るなり、左腰に左手に構えたZKR-551をしっかり握り、右掌を撃鉄に覆い被せる。
 引き金は撃鉄が起きていないのに引き絞ったまま……そして、右手の人差し指で撃鉄を起こして滑らせるように弾く。
 撃発する。
 続いて中指も同じアクション。引き金は引き絞ったままだ。
 撃発。
 薬指。
 撃発。
 小指。
 撃発。
 合計4発の速射。
 命中精度もへったくれも無い。
 僅か4発の弾幕を張るだけの曲芸技。
 それが今の優子に出来る最良の方法だった。
 立った状態からの4連射。
 空かさず、伏せて左手の小指側の付け根で撃鉄を起こす。
 4発の38口径に肝を潰された男を一時的に膠着させる。
 更に発砲。
 今度は様々な複雑な思いを抱きながらLEDライトのグリップエンドを狙って撃った。
 愛用のLEDライトはグリップエンドを弾かれて再び高速回転を開始する。
「!」
 明らかに男の動揺が伝わる。
 無秩序に廊下中を点滅で舐めるLEDライトに驚いている呼吸が聞こえた。……その時に遮蔽から突き出た爪先を狙って撃つ。
 男は短い呻き声を挙げてその場で蹲る。
 優子は駆けて一気に距離を詰める。
「!」
「…………」
 優子はZKR-551の銃口を、自動拳銃を放り出して蹲る男の頭頂部に押し付けて無言で恫喝する。
 男も片足の爪先を砕かれるという重傷を負いながらも、大粒の汗を額に貼り付けながら、黙り込む。
 頭頂部に押し付けられている物が何であるのかを理解したようだ。
「……動かないでね」
 優子は静かに男を見下ろしながら言う。
 素早く辺りに視線を走らせる。
 人の気配も殺気も無い。
「一応訊くわ。あなた達が護っているクライアントはどこ?」
「…………言うとでも?」
 男は爪先に戻りつつある激痛を堪えながら、食い縛った歯の間からそう、言葉を押し出した。
「……そう」
 ZKR-551の撃鉄を起こす。
 輪胴が回転する無慈悲な作動音。
 優子は素早く、銃口を明後日の方向に向けると、そのグリップエンドで男の後頭部近辺を強打する。
 男は不意に襲い掛かった激痛に堪える事ができず、気を失う。
 ZKR-551の薬室には1発も実包は残っていない。
 空薬莢が詰まっているだけだ。
 排莢と装填を行いながら、建物内部を探索する。
 暗がりが続く。窓から差し込む光源が頼りなので見落とさないように細心の注意を払う。
 壁に生えたフロアの蛍光灯を一斉に点灯させるスイッチを操作するが反応は無い。軽く舌打ち。
 LEDライトの残骸は一応回収。完全にグリップ底部が破損してスイッチを入れても明かりは点かない。蓄光ドット専用の超小型のLEDライトを応急的に点けて辺りや足元を照らす。
「………………」
 3階フロアに来た途端に生活臭が漂う。
 誰かが潜んでいる臭いだ。
 体臭のような臭い。
 食べ物の残飯などを放り込んで縛った半透明のゴミ袋が給湯室の近辺に有る。
 給湯室には紙コップや紙皿、割り箸などが転がっている。
 ZKR-551を右手に構え、予備のLEDライトを握る左手と胸の前でクロスさせる。
 銃口と視線とライトの照射先が一致している構えだ。
「……!」
 銃口、視線、照射を右手側に素早く振る。
 物音を聞いた。
 確かに誰か居る。
 だとすれば、潜む誰かは、最高の反撃の機会を失った。
 こちらが明後日の方向を向いているうちに発砲すれば、それで脱出の糸口は掴めた筈なのに、それをしなかった。
 銃を持っていないのか?
 全てのテナントが開錠されているわけでは無さそうだ。
 じっくりと自分の勘を頼りに気配を探りながら歩く。砂利を踏みしめる小さな音が耳障りだ。
 給湯室の探索から反対側の非常階段へのドア近辺まで来て、ドアに錠が掛かっているのを確認すると、踵を返して背後を振り返ろうと徐に右回転に振り向く。
「!」
「!」
 優子の前髪を黒い切っ先が掠る。
 空を切る。ナイフ。
 その人影が握っているのが黒いブレードのタクティカルナイフだと確認したわけではない。
 直感だ。
 ナイフを使う人物が背後から頸根を狙って振り翳していたのを、振り向く事で間一髪回避しただけだ。
「こいつ!」
 標的の男にしては若い。
 LEDライトを照射しようと銃口も合わせて視線を追わせるがその先をことごとく躱す俊敏性を持っている。
 お互いが殴りかかれる距離。
 1mも離れていない。
 なのに優子の銃口は男の人影を捉える事が出来ない。
 男と思しき人影の繰り出す切っ先を躱すので精一杯だ。
 トレンチコートの襟元に刃が掠る。掠ったという感触も覚えずに襟元が裂ける。……かなりの切れ味。
 ナイフの振り方が大振りなのは最初だけだった。
 後は小刻みなリズムに乗るかのような小さな刺しと切りが襲い来る。
 右手にナイフ。
 左手は常に優子の体の一部を捕らえようと掴む掌を広げてくる。
 ナイフの斬撃の隙間にその左手が紛れているので、いつまでも至近距離で銃口、照射、視線を合わせるのが難しくなってきた。
 LEDライトで男の顔を照射させようとフェイントを掛ける。
 この男の顔を……厳密には眼球をLEDライトの高い光量で炙れば網膜に焼付けを残し視界に一時的な障害を負わせられる。……はずだが……。
 どちらが先に視界を制するかが肝心な戦闘にシフトする。
 男の左手は掴むだけではない。
 2本指で眼突きを繰り出し、優子の目を狙う動作も行っている。ナイフ一辺倒ではない。巧みに左右の半身をスイッチさせて距離感を狂わせてくる。
「……!」
 ナイフの小さなモーションの切りつけが頸を捉える。
 その瞬簡に咄嗟に翳した左手のLEDライト。ライトの金属部位にナイフが当たり、火花を散らす。
――――拙い!
 LEDライトの金属部位を刃を滑らせて握る左手の指を削ぎ落とそうとする意図が見えたので、優子は男の腹部をサイドキックで蹴り飛ばした。
 男はそのモーションも見切っていたのか、サイドキックを腹に受けながら体を自分から軽く浮かせた。
 これはダメージの軽減が目的ではない。
 距離を離されまいとする機転の良さだ。
 副次的に、床に踏ん張っていないのでダメージは軽減されるが、最大の目的は優子の蹴りを受けても『大して吹っ飛ばされない』事。
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