銃弾は間違えない

 無限に食べられる気がする食事。
 一仕事終えて一夜が明けると必ず健啖を発揮する。
 茶碗一杯150gの白飯を結局二杯も食べた。味噌汁も二杯。
 今から冷静に考えれば味噌汁に冷凍のカット葱を彩りに落としても良かったと反省している。
 卵2個と厚さ5mm全長20cmのベーコンは4枚重ねればステーキ一片に相当する厚さだ。
 下味の塩胡椒は期待を裏切らずに本領を発揮して脂分と交じり合って満足の行く濃厚なメインディッシュを務めた。
 そもそもベーコンエッグからして常人二人分に相当するカロリーだ。仕事を終えて帰宅して寝て起きて……たったそれだけでも想像以上のカロリーを消費している。
 速やかなエネルギーの補給が必要なのだ。
 粗食だけでは体は維持できない。
 体が維持できないとクライアントが望む仕事を遂行できない。
 遂行できないと収入は減り、まともな食事が出来なくなる。
 だからこそ、質素でも栄養価の高い食事を心掛ける。
 体が資本なのはどこの世界でも同じ事だ。
 小さなげっぷを出した後、熱い紅茶を入れて一息吐く。
 紅茶はティーバッグの有り触れた物。紅茶に拘りは無い。
 緑茶よりも紅茶が好きなだけだ。それにティーバッグなので後片付けが簡単なのも気に入っている。
 高い味覚を持っていない。
 それでも毎日の中に小さな幸せを見つけようとする気概は捨てたくは無い。
 優子にとって一番、幸せを感じるのが、食べたい時に食べたい物を食べたいだけ食べる事。
 食べて寝る事が出来れば病気ではないと定義した人物も居るらしいが、半分は同意だ。
 人間は管に繋がれて栄養を血管から注入されているだけでは幸せを感じ難いものだと思っている。
 味わえるうちに味わう……彼女が愛飲する葉巻もそうだ。
 葉巻を地位と所得を得て、年齢相応になってから吸おうと思っている人間は多いが、その時が来ると人間は老齢に差し掛かり、葉巻を充分に楽しめる時間が少なくなっている上に身体的条件が欠落しすぎて吸えない環境に置かれている事がまま有る。
 命が短いから恋をせよと謳われるのと似た概念だ。
 紅茶で一息吐いてテレビを点ける。別に興味の有る番組が始まるわけではない。
 番組と番組の間の天気予報とニュースの方が貴重なのだ。
 今ではデータ情報のボタンを押せば文字で表示されるが、台所で食器を洗いながらだと文字を読む事が出来ないのでテレビを点けているだけだ。
 ラジオの導入も考えたのだが、この辺りは違法電波が飛び交っており、常に電波が乱れるので試しに買った携帯ラジオは埃を被っている。
 昼食が終わってテーブルの上に置いたままのロンジンの腕時計を見る。
 午後1時。
 後片付けも終えて軽い眠気を覚えた。
 それを振り払うべく、どてらを羽織ってルームシューズを吐き、ニット帽を被って全ての部屋の窓を開放する。
 天候は快晴なれど、冷たい風が途端に頬を撫で付ける。
 風通しを良くしたところで昨夜に活躍してもらったZKR-551をダイニングにクリーニングキットと共に持ち込んで古新聞を広げる。古新聞の上でウエスを撒いてZKR-551のクリーニングを念入りに行う。
 構造的に輪胴式なので大してメンテナンスを行う部位は無い。
 クリーニングを念入りに行うだけだ。
 火薬滓を執拗なまでに削ぎ落とす。古い火薬滓が付着したまま発砲するとガス圧で噴出して眼に飛び込んで失明する危険性も有るからだ。
 ゆえにシリンダーギャップの周辺を何度も磨く。
 サイト周辺は弄らない。微調整が可能なアジャスタブルサイトなので1クリック程度の誤差で命中精度が大きく狂う。
 尚、30m先の標的を狙う為に調整してある。
 それ以下かそれ以上の距離だと、経験と勘に恃んだ射撃でカバーするだけだ。
 だから何よりも彼女は標的との距離感を大事にする。
 間隔を測る感覚。
 咄嗟に片手で発砲しても30m先までは確実に命中させられる腕を売り物にしている優子の表看板と言えた。
 撃鉄を起こし、シリコンのダミーカートを装填したZKR-551を空撃ちして引き金のフィーリングに異常が無い事を確認する。
 グリップパネルやサイドフレームを外して目視。
 ダストブロワーを吹き付けて再びサイドフレームを被せる。可動部位にオイルを必要なだけ注して終了だ。
 あらゆるケミカルを用いる為に通気性の良い場所でしかメンテナンスが行えないのは仕方が無い。
 冬場のメンテナンスは冷たい風が辛い。
 密室状態だと揮発した気体のお陰で中毒症状を起こしたり、引火する危険性が有るので必ず風通しを良くしてからメンテナンスとクリーニングに臨む事にしている。
 使用済みのストラップにも38splを嵌め込む。こんな玩具のようなアイテムでも有るのと無いのとでは大違いだ。
 シングルアクションリボルバーは現代では射的競技や懐古趣味のコレクション以外では出番が無いとまで言われている。
 それを使う優子は単純に握り易くて、狙い易くて、撃ち易いから使っているだけだ。
 大口径マグナムも多弾数軍用オートも当たらなければ役に立たない。一発で必ず命中させるのは銃じゃない。使う人間だ。
 人間が引き金を引かない限り、銃弾は撃発しない。
 同じシングルアクションの38口径でもコルトはフィーリングが合わなかった。
 グリップが握り難いと感じた。
 それとサイトが大雑把で重たいだけという印象を抱いた。
 後年にレトロ趣味の波に乗って様々なモデルがリバイバルされたりリテイクされたりしたが、ZKR-551に迫る相性の良い拳銃は見つからなかった。
 どれもこれも重いの一点に尽きる。
 一時期357マグナムを使うルガー・ブラックホークを使っていたが、威力は確かに魅力的だった。
 その威力が得られると言う事は反動が大きいと言うことだ……標的の頭部が爆ぜる。
 即ちそれだけの反動が掌の中で発砲の度に発生している証拠だ。
 疲労の蓄積具合やストレス反応から、連続しての射撃には不向きだと悟り、片手で充分に制御できるZKR-551に回帰した。ZKR-551なら少々の無理が祟らない程度の増薬――38spl+程度――なら問題無く発砲できる。
 弾頭を一般的なジャケッテッドホローポイントにすればバイタルゾーンに叩き込まれてまともに立ち上がれる人間は少ない。
 薬物中毒患者でも、頚部から上か、へそから下の胴体を狙えば無力化できる。
 最終的に腕でカバーできれば全てが瑣末な問題だ。
 22口径だろうと32口径だろうと当たれば痛い。
 下手をすれば死ぬ。
 当てられる前に当てれば良い。
 単純な世界だ。
 床に放り出したままのガンベルトと一体のホルスターにZKR-551を差し込んで古新聞やウエス、クリーニングキットを片付ける。
 もう充分に室内からリキッドから揮発した引火性の気体は抜けた。臭いも残っていない。
 手をしっかり石鹸で洗う。
 折角、ZKR-551をクリーニングしても指先に錆の元になる様々な物質が付着していれば元も子もない。
 クリーニングを終えて完全にそれらの後片付けを終えると、全ての窓を閉めてから別室に移る。
 キッチンで淹れた紅茶を持って洋間の別室に篭る。どてらの懐から3連シガーケースを取り出す。
 この部屋にはエアコンと2畳のカーペットと……空気清浄機が3台しか置かれていないスモーキングルームだ。
 この日はこうして一日が終わった。太陽は高いが依頼が無ければこんな生活だ。
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