銃弾は間違えない

 下着姿。正確にはパンツのみ。ブラは外している。
 30代後半でも全く衰えを見せない筋骨。
 僅かに腹筋が割れている。
 胸筋が発達しているので胸は引き締まって見える。
 妖艶とは違う、機能美が凝縮された体躯。
 しなやかな四肢の隅々にまでバネが仕込まれたように、挙動の度に躍動する。
 腰から尻に廻るまでの穏やかな稜線は女性らしい丸みを残しながらも、大腿部の活動を存分に発揮する筋肉を蓄えている。
 上腕部から肩、背中、腰への見事な筋骨のライン。薄っすらと浮かぶ筋肉の筋が更に彼女の背中を美しく際立たせる。
 鍛えたというより、鍛えさせられた筋肉。
 実戦でのみ培われる、ひとひらの無駄の無い筋肉。
 無為に大量の筋肉を鎧のように纏っていると、それだけで不利な場合が多い。ボディビルダーのように魅せる筋肉は必要無い。
 今の自分が欲するだけの筋肉が、必要な部位に必要なだけ耕されていれば問題は無い。
 大量の鍛えた筋肉は柔軟性に欠くだけでなく、維持にも大量のカロリー摂取と出費を強いられる。
 筋肉は維持しなければ廃れて衰える。彼女にとって日常の中で鍛錬が可能な範囲の筋肉でなければ無意味だ。
 筋肉の容積と面積が大きければ、それだ大量にカロリーを摂り、新陳代謝を活発にする為の運動も付随的に必要になる。
 そうなれば食費が掛かると言う問題も有るが、何の為の筋肉なのか判然としなくなる。
 仕事の為なのか筋肉の為なのか。
 どちらの為に体を鍛えて身体を維持しているのか解らない。
 故に必要なだけの筋肉が有ればそれでいい。
 少なくともZKR-551を片手で扱うだけの筋肉が必要だ。
 拳銃は片手では『扱えない』。
 片手で扱う為には肩、腰、太腿、足首に到る体幹を基準とした膂力が必要だ。
 ……引いては効率よく膂力を引き出すために体幹バランスを整えなければならない。
 ……結果的に優子が重要視しているトレーニングは背筋を中心とした前後上下左右斜めのバランス感覚だ。彼女にとっては筋肉こそ付随する存在だ。
 右利きでも絶妙なバランス感覚を養う努力は惜しまない。
 バランスは筋肉と違い、維持に出費は掛からない。
 特別な訓練方法も必要ではない。
 難点が有るとすれば、優子の歩く姿が、姿勢が正しすぎて逆に疎らな雑踏では浮いて見える事だろう。市井の眼を掻い潜って生きねばならない彼女にとって目立つのは不本意だ。
 質素なデザインのベージュのパンツ姿で、足元に落ちていたスキットルを拾い上げると気付け薬と言わんばかりに一口煽る。
 中身はジャパニーズブレンディッドの安物ウイスキーだ。大衆向けにブレンドされた国産ウイスキーが味わいも風味も関係無く、舌を舐め、頬を焼き、喉を滑り、胃袋に落ちる。
 遅い朝食あるいは昼食前の食前酒としては少々アルコールが強い。
 優子の顔にまさに痛飲という表情が浮かぶ。
 眉間を寄せて胃袋に火を放り込まれたような刺激を堪える。
 一気に血圧を上げる方法は成功したようで、眼が覚めつつあった。
 重い体を無理にストレッチで目覚めさせる。
 アルコールを摂取してからのストレッチはあっという間に全身が火照り始めて頻脈となる。
 冬の寒気に負けないだけの体温を発すると、箪笥から部屋着である水色のスウェットの上下を取り出して身形を整える。
 突然のウイスキーとストレッチの洗礼を受けた体が尿意を訴えたのでトイレに向かう。その足取りは、完全に眼が覚めており、背筋も伸びている。
 寝室のベッドの脇に忘れられたように放置されたままのZKR-551が寂しそうに日光のハレーションを受けていた。
 トイレから戻るとそのまま、キッチンへ向かう。
 朝食は抜きと考えて、昼食を作る。
 夜更けの仕事から起きたばかりなので、物臭な思考に悩まされる。
 これと言った献立が思い浮かばない。
 優子にとってはいつもの事なので、いつもの手抜き料理で自分を満足させる事にした。
 ベーコンエッグに合わせ味噌の味噌汁。
 ベーコンエッグは4枚の厚切りベーコンを塩胡椒で下味を付け、そのまま少量のオリーブオイルで軽く炒める。
 ベーコン自体からも油分が出るのでオイルは少量で充分だ。
 ベーコンが脂を滴らせるほどに両面を軽く焼く。焦げ付きが出来るか否かの色具合を見てLサイズの卵を2個投入。
 片手で卵を持ちフライパンの角で割り、て片手で卵を開くようにして中身を既に熱っされたフライパンへ。
 手早く2個の卵をベーコンの上に落とす。間髪入れずに耐熱ガラスの蓋を被せる。
 白身が透明から半透明に変わり出してから心の中で20秒数える。
 数え終えると火力を消す。
 後は余熱でじわじわと黄身を温める。
 ベーコンエッグの黄身が仕上がるまでに、合せ味噌を用いた味噌汁を作る。
 熱湯を常にスタンバイさせている電気保温湯沸かし器から熱湯を鍋に移して大匙1杯の味噌と粉末のカツオ出汁を溶く。
 具材は乾燥わかめと予め細切りにして冷凍しておいた玉葱と人参だ。それらを鍋に放り込んで一煮立ちさせる。
 まだ具に味は染み込んでいないが、今夜再び火を通す頃には充分と味が芯まで伝わっているだろう。
 白飯は150g単位で計って冷凍させた物を解凍するだけだ。
 解凍ゆえにふっくらとした美味しさや甘さは期待できない。時間が無い時や調理が面倒な時が必ずやって来るので、普段からこまめに残りの白飯は冷凍して管理している。
 小鉢かレタスだけのサラダでも良いから野菜が欲しいところだ。
 胡瓜と大根をスライサーで下ろしたものをキャベツの千切りに添えてゴマダレ風味のドレッシングを垂らす。
 これらを器に盛ってキッチンのテーブルで黙々と食べる。
 独りなのだから特に喋る必要も無い。
 本日の昼食の出来栄えを咀嚼しながら評価するだけだ。
 ベーコンエッグは湯気が昇り黄身と白身のコンストラストが扇情的で食欲をそそる。それに拍車をかけるベーコンの塩気を含んだ脂の匂い。
 仄かな焦げの匂いと合わさって鼻腔を擽る。……箸を差し込めば黄身が蕩け出す。この時の粘度も絶妙で、ベーコンを浸して食べる。
 半熟状態の黄身が絡んだベーコンが口の中で脂分を破裂させたかのように広がり、炭水化物を掻っ込む勢いを与えてくれる。
 電子レンジで解凍しただけの白飯を口に運ぶ。
 最近の電子レンジは優秀だ。冷凍品を解凍する際に少量の水分を与えてレンジ用容器で暖めてやれば、炊きたての白飯に限りなく近い食感を再現してくれる。
 口の中を洗う為に味噌汁を口に含む。程よい塩分。
 塩胡椒を含む脂分を熱い液体が適度に削ぎ落としていく。
 具材の食感は未だ硬さが残っていたが、短時間で煮立てたのなら仕方が無いと納得する。それでも充分に及第点をクリアした総合点だ。今晩には美味しく仕上がるだろう。
 水分も飛んで更に味噌と塩分が引き締まって具も柔らかくなり美味しいに違いない。
 味噌汁で口の中の脂を落とし、応急的に作った野菜サラダを食べる。
 肉の脂分を摂取する時は生野菜が無いと箸の進みが違う。
 独りで焼肉屋へ食べに行っても、肉と白飯だけでは不満を感じるタイプなので、必ず野菜サラダをオーダーする。最後に味噌汁で喉を洗浄するのだ。
 そのパターンが凝縮された昼食だと言えた。
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