銃弾は間違えない

「…………!」
 思わず目を瞑る!
 あろう事か目前の標的から視線を逸らした。
 頭部左側でコンクリが弾けて塵埃が激しく舞う。左手で咄嗟に口元を押さえて片目を薄く開けながらZKR-551の銃口を標的の男が立っていた辺りに向けて振る。
「……!」
 ゆらりと、人影……男の体が溝に向かって、ゆっくりとしたモーションで倒れて落ちる。
 顎下に弾痕を作っていた。
 眼球が衝撃で飛び出ていた。
 脳天を破壊するほどの威力は無いが、その男の荒くれた人生に幕を下ろすのに充分な威力を発揮した。
 どさりと重々しい音を立て、男の体がコンクリの地面に倒れる。
 その男の屍を越えて、優子は走った。
 背後から銃撃。どうやら先ほどの左右へ折れる角はどちらへ向かっても罠が張っていたらしい。
 背後から追いかける足音。
 銃声。狙って撃っているのだろう。着弾が左右の壁を削る。
 背後からの襲撃者との距離は解らないが、背後の襲撃者が1秒でも停止して1拍でも呼吸を整えて冷静に狙えば、この場にて優子は仕留められる。
 それをしないのは状況に対応できていないのか、何かの意図があって殺さないように誘導しているのか?
 走りながらリップミラーを翳し、て背後の激しく揺れる世界を確認する。
 距離10m以上。
 15mも無い。
 リップミラーをポケットに落とし、走りながら呼吸を大きく吸い込む……そして……その場でジャンプ。
 作業員用の溝型通路を越える心つもりはない。体を捻りながら、棒高跳びのようにジャンプ。トレンチコートが左右の壁をはたく。
 あたかも、大きくはためくトレンチコートの裾が滞空時間を長引かせているように、優子の体はふわりと浮いた機動を見せる。
 背後を追う男の顔が驚愕に引き攣る。
 60cmほど足が浮いた優子はバレリーナが見せる回転のように中空に舞った瞬間に、着地するまでの僅かな時間……『と思われる長い時間の間』にZKR-551を両手で構えて発砲した。
 エキセントリックな機動を見せつけた後の理解に苦しむ応戦。
 男の腹部に38口径がめり込み、膝から地面に向かって倒れる。と、同時に優子も着地。
 男の苦悶の呼吸が聞こえる。まだまだ助かる負傷だ。……止めを刺してやる義理は無い。
 もう一つの理由でその男に優子はZKR-551の撃鉄を起こしながら近付く。
「はい。手短に応えて。クライアントは誰?」
 一番訊きたい事をストレートに訊く。
 短時間で口を割らなかった時の対応は出来ている。
「…………くたばれ……アバズレ!」
 男は血の泡を唇の端に付着させてそう答えた。
 遠慮無く躊躇無く情けも無く、引き金を引いた。男の後頭部が破壊されて即死に至る。
「…………」
 無く物を言わなくなった男の体を見下ろすと頭を屈めず、すっくと背筋を伸ばした。
 真正面15m先に有る右へと曲がる角を見る。……否、睨む。
 殺気。呼吸を感じる。徒ならぬ気配が漂う。
 そいつは、自分の位置を隠す気が無い。
 ZKR-551をゆっくりと前方に突き出して撃鉄を起こす。
 シリンダーの残弾4発。
 大人しくリロードの時間を与えてくれるとは思えない。
 4発以内にこの場でカタを付けなければ自分が死ぬ。
 その人物はゆっくりと幽鬼のように歩いて登場した。
 襤褸のマントを纏わない死神を連想させる歩き方。
 左右に重心が常に移動している。
 千鳥足のような覚束無い歩き方ではない。
 あらゆる事態に即応できるように、あらゆる角度からでも機動が悟られないように歩いている。
 ……その男の顔……と言うより、シルエットに見覚えが有った。
 あの夜の男だ。
 右目に医療用の白い眼帯をしている。
 胸の真ん中が膨らんでいる。喉元にサージカルテープの端が見える。右手にダラリと垂れ下がるように携えた6インチのコルト・ダイヤモンドバック。
 本来ならこの男は、使い捨てカイロの粉末で眼を痛め、コンテナの天辺で放置されたまま絶命しているはずの死体だ。
 胸。眼帯。……優子が足元で見つけた、銃弾の食い込んだジッポー。
 目前の男はコンテナの天辺で絶命したのではない。
 生還したのだ。
 まだ体は万全ではないだろう。
 胸にガーゼとコルセットを填めて、右目に眼帯。
 胸の負傷は愛用していたのであろう、アーマーモデルのジッポーが防ぎ、右目は使い捨てカイロの内容物が入り込んで治療中なのだろう。
 目と胸。
 引いては鋭い視覚と呼吸。
 殺し屋としてもならず者としても、それ以外の荒事専門の業者であっても、致命的な負傷だった。
 男の殺気から全てが氷解した。
 コルト・ダイヤモンドバックの男は自分の信用看板に塗られた泥をそそぐためにも今回のロケーションを態々用意したのだ。
 今時珍しい、古風な落とし前を求める男だった。
 その辺の任侠道を歩く者以上に気骨が有る男だ。
 そして、このような男と銃火を交える事ができるのは……何故か、不思議と、自分でも理解できないが、実に名誉な事だと思った。
 実に馬鹿な事だと解っていても、この男の落とし前に付き合うのが筋だと考え始めている。
 泥を塗られた男が居る。
 泥を塗った女が居る。
 勝負をするのにそれ以上の理由は無い。
 優子もこの男の毒気に中てられて思考を炙られたか。
 あの夜、優子が放った38口径を『胸のポケットに入れたままのジッポーで偶然、防いで一命を取り留めた男』だ。……強運も持ち合わせているのだろう。
 彼我の距離が20m以下に縮まる。
 前後にしか移動できない狭い空間。
 左右はコンクリの壁。
 左右一尋ばかりの広さ。
 逃げも隠れも躱しもできない条件。
 勝負が着くとすれば一瞬。
 左手の指の間からストラップが滑り落ちる。
 じりっとZKR551を両手で握る。
 アソセレススタンス。カップ&ソーサー。
 眼帯の男はコルト・ダイヤモンドバックを片手にだらりと下げたまま。
 冷たい空気。流れる時間。
 あらゆる感情が交じり合った意思がこの狭い空間を支配する。
 時間の感覚が麻痺する。肌を刺す殺気。既に殺意だけで牽制が始まる。
 眼力での圧し合い。
 男の片目は睨むよりも嗤いが含まれる。口元は抑揚が無く、何の感情も窺えない……コルト・ダイヤモンドバックを握る右手だけは内包する感情を大いに語っている。
 ……撃鉄が起きている。
 沈黙。1kgのZKR-551をどれだけ保持していたか。
 銃口が小刻みに震える。
 重さが疲労を招いている。
 銃口は男を捉えている。
 なのに、歩みを停めて尚、体が左右に揺れているように錯覚するその姿は得体が知れない。
 『先に銃を構えさせられた』と漠然としない悩みに陥る。
「…………」
「…………」
 夜風が吹き込む。体が冷える。
 頭が冴えるのに充分な時間。
 大きく息を吸い込み、不意に優子はトレンチコートの右前を大きく捲り、ZKR-551をガンベルトに差した。
「!」
 男のコルト・ダイヤモンドバックの銃身がピクリと動く。男の眉が怪訝な感情を訴える。
 優子はトレンチコートの右前を後ろ腰に回して腰を落とす。
 重心を落とし顎を引き、やや前かがみ。
 左手の指を伸ばして、へその辺りまで翳すように持ってくる。
 古典的なクイックドロウの姿勢。
 それを見た男はコルト・ダイヤモンドバックの銃口の向きを下に向けたまま、引き金を指先で撫でる。
 更に経過する時間。
 雪が降りそうなほどに冷えてきた。
 それ以上に2人の間の空気が冷たくなる。
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