銃弾は間違えない
クザーノの葉巻を横柄に銜えて、一吹かし。
大量の紫煙が暗い空に舞い上がって溶ける。
いつもの安心できる滑らかで芳醇な香り。新しい革製のシガーケースを買った。
距離、5m間隔。
勘が働く。
敵との距離ではない。
否、敵かもしれない。
気配が動く。
辺りが一斉にざめき立つ。
殺意に囲まれている。
危険。ここは危険。
ここで居座っていると危険。
誰よりも早く優子は反応した。
敵の姿は見えないのではない。
見えている。見えているが信じられなかった。
素早いバックステップを踏んで、敷条を踏まないように制御盤や電柱を背中に向けて走る。
敵は最初から居た。その4人だ。
顔に馴染みの無い4人のならず者が敵だ。
最初は勘だった。
殺気を感じた。
背中で誰もが語っている。
優子を殺すと。
金に目が眩んだ裏切り者ではない。
最初から仕組まれた通りに動いている。
その証拠に優子が脱兎の如く逃げ出すと、仲間の面をしていた4人の男達が一斉に懐に手を突っ込んで優子を追い始めた。
廃棄された車輌基地。レールが縦横に走る、足場の悪い場所。
車輌は皆無だが遮蔽には困らない。
作業に必要な資材やパレットが山積みになっている。優子は人の背丈ほどもある制御盤を遮蔽に、直ぐにトレンチコートを捲ってZKR-551を抜く。
撃鉄もほぼ同時に起こす。
左手の指の間に予備の実包を填め込んだストラップを挟む。
大きくクザーノ・コロナを吸い込むと、まだ3cmほどしか灰燼になっていないそれを吐き捨てる。
暗がりで自分から火種を銜えて居場所をアピールする必要は無い。
銃弾が予想通りに制御盤に集中する。
左右に回り込もうとする足音を聞くなり、制御盤の遮蔽を捨てて、右手側10mの位置に有る、山積みになったレールの束に飛び込む。
足元のレールや溝に気を取られながらの慣れない移動。
足元を掬われて転倒すれば生存率が大幅に下がる。
拳銃。4挺。自動拳銃。軍用の9mmパラベラム。
レールの遮蔽に飛び込むまでに新調したトレンチコートに早速孔を開けられる。
レールの束の山。
拳銃弾では絶対に貫通しない頼もしい遮蔽。
その鋼鉄の肌に銃弾が集中し、火花を散らす。
弾頭が爆ぜる甲高い金属音が耳障りだ。
情報の整理に脳内のタスクを割く。
明らかな罠。優子に敵意の有る誰かが情報屋を買収したに違いない。あの情報屋からはもう二度と情報を売り買いしないと決めた。
二股膏薬の情報屋を殺してやりたい衝動に駆られたが、殺してしまえば、あの情報屋を頼る他の顧客から恨みを買いそうなので何とか怒りを抑える。
頭を低くしたまま、詰まれたレールの隙間から辺りを窺う。
リップミラーを突き出し、更に広い視界を確保する。
気配を隠せない連中だった。4人に罪は無い。
逃げ出したい。だが、誰かに優子の抹殺を命じられていたのではここで逃げても同じだと考えを改める。
殺される理由は多過ぎて解らない。
掻き集められた敵となった4人。誰も連携が取れていない。彼らも事の真相は知らされていないのだろう。
彼らが知らない事を優子が知っているはずが無い。
4人の殺気を感じてここまで逃げられたのは奇跡だった。連中に背中や死角を見せて逃げられたのだから。
緩やかに始まる包囲網。
ZKR-551のグリップから少し力を抜く。
肩や背中の緊張を緩める。寒さで筋肉が強張っている。
少しでも柔軟に手足を動かせるように不要な緊張は解くように努力する。
いつも通りにハンドウォームには使い捨てカイロを忍ばせてある。スキットルには一瞬で体を温めるウイスキーも入っている。
自分の装備は万端だと、心で唱えて安心させて心理的な緊張を解す。 呼吸を整える。息が白い。喉が渇く。
いつも現場に臨む前にはコップ一杯の水を飲んでいるが足りるわけが無い。
喉を潤す水ではない。緊張を解す為に冷たい水で顔を洗うのと同じ効果を狙っているだけだ。
優子はその場で伏せた。
撃鉄をデコックして匍匐前進。
レールの端まで来るとプローンの体勢を維持してZKR-551を突き出し、地面から伏せた状態で星空を見上げるような格好で銃身を持ち上げる。
背後の外灯の明かりやつきの明かりで連中の包囲網の一端が見える。
4人中、1人を捕捉。
軍用大型自動拳銃らしきシルエットが確認できる。
ベレッタM92FSかそのコピーか。脅威には違いない。
蓄光ドットの向こうにその人影が重なる。
その辺りの電柱や低い遮蔽の位置から目算する。前方15m。
一番近い位置。
その向こうにもう1人。
こちらは遮蔽が多過ぎて全てのシルエットを視界に映し出すことが出来ない。
サイティングは完了している。
水没して全ての部品をばらした時に調整し直した。試射も済んでいる。
後は実戦で必ず発生する固体別の癖を微調整するまでだ。
引き金を引く。
撃鉄を起こしている。
故に軽いトリガープル。
この軽さが命の重さだ。
標的の命。自分の命。
命を博打のタネに斬った張ったを繰り返している。
もう慣れたはずの重さ。軽さ。軽い反動。軽い発砲音。
この鉄火場の火蓋を初めて切った。
久し振りに自分から開幕の狼煙を上げたのを思い出す。
今までは殺し屋の看板を掲げながらも使い捨ての鉄砲玉ばかりだった。今夜は自分の金にならない殺しをする。
前払いで全額、口座に振り込まれたが、自分が標的の鉄火場なので、実に理不尽な金額だ。
38口径の弾頭は15m先を歩いていた男のへその辺りに命中し、男は体を半分に折って前のめりに倒れた。
腹腔を被弾し、反撃を試みられる人間はそうは居ない。薬物を使用していても、体を動かす基本となる呼吸が円滑に行えないと、行動が著しく制限される。
これがバイタルゾーンゆえの特徴であり効果だ。
発砲すると直ぐに体勢を整えて、頭を低くしたまま、レールの遮蔽から飛び出す。
出来るだけ光源の恩恵に預かっていない場所を選んで移動する。
倒れた男を無視して残りの3人が先ほど優子が発砲した辺りを集中して銃撃しているが、勿論、そこにも、そこのレールの遮蔽にも、優子は居ない。
足音を出来るだけ消す。
爪先からの絶妙な重心移動が発揮し難い足元だった。柔らかめのラバーソールの靴底で助かったと何度も胸を撫で下ろす。
砂利を踏む音を最小限にする効果が高いからだ。
尤も、連中はトリガーハッピーに陥ったように執拗に銃弾をばら撒いている。プロの動きとは思えない。
一人一人ならばそれなりの動きをするのだろうが、目前で1人を無力化させられた場面を至近距離で見せつけられて、恐慌が伝播したらしい。……それならばそれで好都合だ。
大きく左手側に迂回。
連中の側面に来た辺りで再びプローンの体勢を作る。
地面を走るレールの間に体を埋めるような体勢。
レールに腕を乗せて固定する。
親指をかけて撃鉄を起こす。撃鉄がカチリと乾いた音を立てる。冷たく乾燥した無機質の極み。
サイトの向こうには反撃が無い事を怪訝に思い、銃撃を止めてレールの山を囲い込もうとする男たちの姿が見える。
3人。
レールの間隔と外灯の位置から距離を算出。
撃鉄が落ちる。
発砲。
20m先の男の背中に命中。
狙った位置より僅かに下。
サイティングが甘かったのか、風で押されたのか。兎も角、1人を無力化させる。
大量の紫煙が暗い空に舞い上がって溶ける。
いつもの安心できる滑らかで芳醇な香り。新しい革製のシガーケースを買った。
距離、5m間隔。
勘が働く。
敵との距離ではない。
否、敵かもしれない。
気配が動く。
辺りが一斉にざめき立つ。
殺意に囲まれている。
危険。ここは危険。
ここで居座っていると危険。
誰よりも早く優子は反応した。
敵の姿は見えないのではない。
見えている。見えているが信じられなかった。
素早いバックステップを踏んで、敷条を踏まないように制御盤や電柱を背中に向けて走る。
敵は最初から居た。その4人だ。
顔に馴染みの無い4人のならず者が敵だ。
最初は勘だった。
殺気を感じた。
背中で誰もが語っている。
優子を殺すと。
金に目が眩んだ裏切り者ではない。
最初から仕組まれた通りに動いている。
その証拠に優子が脱兎の如く逃げ出すと、仲間の面をしていた4人の男達が一斉に懐に手を突っ込んで優子を追い始めた。
廃棄された車輌基地。レールが縦横に走る、足場の悪い場所。
車輌は皆無だが遮蔽には困らない。
作業に必要な資材やパレットが山積みになっている。優子は人の背丈ほどもある制御盤を遮蔽に、直ぐにトレンチコートを捲ってZKR-551を抜く。
撃鉄もほぼ同時に起こす。
左手の指の間に予備の実包を填め込んだストラップを挟む。
大きくクザーノ・コロナを吸い込むと、まだ3cmほどしか灰燼になっていないそれを吐き捨てる。
暗がりで自分から火種を銜えて居場所をアピールする必要は無い。
銃弾が予想通りに制御盤に集中する。
左右に回り込もうとする足音を聞くなり、制御盤の遮蔽を捨てて、右手側10mの位置に有る、山積みになったレールの束に飛び込む。
足元のレールや溝に気を取られながらの慣れない移動。
足元を掬われて転倒すれば生存率が大幅に下がる。
拳銃。4挺。自動拳銃。軍用の9mmパラベラム。
レールの遮蔽に飛び込むまでに新調したトレンチコートに早速孔を開けられる。
レールの束の山。
拳銃弾では絶対に貫通しない頼もしい遮蔽。
その鋼鉄の肌に銃弾が集中し、火花を散らす。
弾頭が爆ぜる甲高い金属音が耳障りだ。
情報の整理に脳内のタスクを割く。
明らかな罠。優子に敵意の有る誰かが情報屋を買収したに違いない。あの情報屋からはもう二度と情報を売り買いしないと決めた。
二股膏薬の情報屋を殺してやりたい衝動に駆られたが、殺してしまえば、あの情報屋を頼る他の顧客から恨みを買いそうなので何とか怒りを抑える。
頭を低くしたまま、詰まれたレールの隙間から辺りを窺う。
リップミラーを突き出し、更に広い視界を確保する。
気配を隠せない連中だった。4人に罪は無い。
逃げ出したい。だが、誰かに優子の抹殺を命じられていたのではここで逃げても同じだと考えを改める。
殺される理由は多過ぎて解らない。
掻き集められた敵となった4人。誰も連携が取れていない。彼らも事の真相は知らされていないのだろう。
彼らが知らない事を優子が知っているはずが無い。
4人の殺気を感じてここまで逃げられたのは奇跡だった。連中に背中や死角を見せて逃げられたのだから。
緩やかに始まる包囲網。
ZKR-551のグリップから少し力を抜く。
肩や背中の緊張を緩める。寒さで筋肉が強張っている。
少しでも柔軟に手足を動かせるように不要な緊張は解くように努力する。
いつも通りにハンドウォームには使い捨てカイロを忍ばせてある。スキットルには一瞬で体を温めるウイスキーも入っている。
自分の装備は万端だと、心で唱えて安心させて心理的な緊張を解す。 呼吸を整える。息が白い。喉が渇く。
いつも現場に臨む前にはコップ一杯の水を飲んでいるが足りるわけが無い。
喉を潤す水ではない。緊張を解す為に冷たい水で顔を洗うのと同じ効果を狙っているだけだ。
優子はその場で伏せた。
撃鉄をデコックして匍匐前進。
レールの端まで来るとプローンの体勢を維持してZKR-551を突き出し、地面から伏せた状態で星空を見上げるような格好で銃身を持ち上げる。
背後の外灯の明かりやつきの明かりで連中の包囲網の一端が見える。
4人中、1人を捕捉。
軍用大型自動拳銃らしきシルエットが確認できる。
ベレッタM92FSかそのコピーか。脅威には違いない。
蓄光ドットの向こうにその人影が重なる。
その辺りの電柱や低い遮蔽の位置から目算する。前方15m。
一番近い位置。
その向こうにもう1人。
こちらは遮蔽が多過ぎて全てのシルエットを視界に映し出すことが出来ない。
サイティングは完了している。
水没して全ての部品をばらした時に調整し直した。試射も済んでいる。
後は実戦で必ず発生する固体別の癖を微調整するまでだ。
引き金を引く。
撃鉄を起こしている。
故に軽いトリガープル。
この軽さが命の重さだ。
標的の命。自分の命。
命を博打のタネに斬った張ったを繰り返している。
もう慣れたはずの重さ。軽さ。軽い反動。軽い発砲音。
この鉄火場の火蓋を初めて切った。
久し振りに自分から開幕の狼煙を上げたのを思い出す。
今までは殺し屋の看板を掲げながらも使い捨ての鉄砲玉ばかりだった。今夜は自分の金にならない殺しをする。
前払いで全額、口座に振り込まれたが、自分が標的の鉄火場なので、実に理不尽な金額だ。
38口径の弾頭は15m先を歩いていた男のへその辺りに命中し、男は体を半分に折って前のめりに倒れた。
腹腔を被弾し、反撃を試みられる人間はそうは居ない。薬物を使用していても、体を動かす基本となる呼吸が円滑に行えないと、行動が著しく制限される。
これがバイタルゾーンゆえの特徴であり効果だ。
発砲すると直ぐに体勢を整えて、頭を低くしたまま、レールの遮蔽から飛び出す。
出来るだけ光源の恩恵に預かっていない場所を選んで移動する。
倒れた男を無視して残りの3人が先ほど優子が発砲した辺りを集中して銃撃しているが、勿論、そこにも、そこのレールの遮蔽にも、優子は居ない。
足音を出来るだけ消す。
爪先からの絶妙な重心移動が発揮し難い足元だった。柔らかめのラバーソールの靴底で助かったと何度も胸を撫で下ろす。
砂利を踏む音を最小限にする効果が高いからだ。
尤も、連中はトリガーハッピーに陥ったように執拗に銃弾をばら撒いている。プロの動きとは思えない。
一人一人ならばそれなりの動きをするのだろうが、目前で1人を無力化させられた場面を至近距離で見せつけられて、恐慌が伝播したらしい。……それならばそれで好都合だ。
大きく左手側に迂回。
連中の側面に来た辺りで再びプローンの体勢を作る。
地面を走るレールの間に体を埋めるような体勢。
レールに腕を乗せて固定する。
親指をかけて撃鉄を起こす。撃鉄がカチリと乾いた音を立てる。冷たく乾燥した無機質の極み。
サイトの向こうには反撃が無い事を怪訝に思い、銃撃を止めてレールの山を囲い込もうとする男たちの姿が見える。
3人。
レールの間隔と外灯の位置から距離を算出。
撃鉄が落ちる。
発砲。
20m先の男の背中に命中。
狙った位置より僅かに下。
サイティングが甘かったのか、風で押されたのか。兎も角、1人を無力化させる。