銃弾は間違えない

 何時間寝たのか、寝ていたのかすら判然としない。
 熱にひたすら茹でられる。
 シーツも毛布も枕もぐっしょりと汗を吸い込む。
 尿意を催してトイレに這って行く。
 冷蔵庫を開けるのも億劫で、水道の水をコップで呷って飲む。
 熱い体内の胃袋に染み渡る。
 その時だけ数十秒間だけ意識や感覚が戻る。だが、直ぐに寒気と高熱を覚えてベッドに這って戻る。
 洗濯物を放り込んだ洗濯機を稼動させるのを忘れているので、異臭が漂う。
 それとは別に優子の汗や体臭も室内に漂い始める。汗と小便で何リットルも水分を排出しその度に何度も水道の水を飲んだ。
 何も食べていない。台所のどこかにあるはずのスポーツ飲料を探すまで思考が廻らない。砂糖と塩を何度か舐めた。
 抗生物質を飲むことを漸く思い出したのは、体内時間が狂って何日目だろうか。
 黒くなり始めた冷蔵庫に入れっぱなしだったバナナを齧って、以前に近所の内科医院で貰ったまま、飲み切らずに放置していた抗生物質と鎮痛解熱剤を飲んだ。
 それでも直ぐに効果が出るわけではなく、次に空腹を覚えるまでの半日以上を寒気と戦いながらベッドで寝て過ごした。
 ベッドサイドのテーブルに置かれた体温計。
 何度計測しても40度を超えている。
 冬の運河に衣服を着たまま飛び込んで体を冷やした結果の風邪だ。
 このままだと肺炎に進行する可能性も有る。
 兎に角体が熱くて痛い。
 寝ても寝ても……寝ても、症状が軽減している気がしない。
 塩水にどっぷり浸かったはずのZKR-551を早く分解して細かな部分までクリーニングして防錆処理をしなおさなければいけないのにそこまで思考力も体力も及ばない。
 革製のシガーケースやガンベルトも早く処置しなければ生地が駄目になる。
 スキットルの内部に納まったウイスキーは完全に金属イオンのお陰で味が変質しているだろう。
 それくらい長くベッドで過ごした。
 熱で様々な夢を見る。
 悪夢でも思い出でもない形容しがたい妙な夢。
 目を覚ましても夢を見た事しか覚えておらず、夢の内容は覚えていない。
 心が弱まっている今の優子には走馬灯とはこんな感じで脳裏に流れるのだろうと考えてしまい、思わず自嘲する。
 自嘲するだけの元気が出てきたが、またも、寝る。
 目を覚ます度に、空腹を覚える度に、解熱しているのが実感できた。内科の分野では高熱が出た場合の『4日ルール』というものが有るらしい。
 どんな高熱も風邪である限りは、殆どの場合4日目で体内の免疫が挽回し解熱作用を見せる。
 4日経過しても症状が変わらない場合は重篤な症状にシフトしていると可能性が高いという目安だ。
 その4日目辺りから次第に熱が下がり始め、食欲も出てきた。
 酷い倦怠感を覚えながらも台所に立つ事が出来た。 
1週間が経過する頃には、軽い頭痛を堪えながら散らかった室内を片付ける事が可能だった。
 ZKR-551の惨状は目を当てられない。
 丹田を着込んで体を冷やさないようにしながら、細部まで分解して水分を拭き取り、徹底的にクリーニングを施す。
 防錆オイルを吹き付ける傍ら、全てのパーツや部品の磨耗の度合いも調べる。
 新しく削り出しで作ってもらわないといけない細かな部品が多い。西側の規格で拵えられた物ではないので、今直ぐに解決する問題でもない。
 金を積んでも時間は買えない。
 1週間前にしくじって運河に飛び込んだ。
 その仕事の顛末を確認する為にクライアントに連絡を取ろうとするが、頼みの綱の電話が繋がらない。
 このような仕事を遣り取りする場合は、いつでも捨てられる電話番号を窓口にするのは定番だ。
 どうやらこの仕事、しくじったのは優子だけではなく、クライアントも大元を叩かれたと見た方が正しいだろう。懇意にしている情報屋を頼ってクライアントの動向を探ってもらうが、呆気ないほどに返事が返ってくる。
 クライアントの首魁は国外へ逃亡したのだ。
 ならず者を大量に雇っておきながら、その信用を簡単に切り捨てて逃亡を図った。
 あの組織……クライアントはもう国内ではまともな取引は出来ないだろう。
 クライアントが逃げたと言う事は、後払い分の報酬も立ち消えしたと言うことだ。今回ばかりはババを引かされたと諦めるしかない。
 ある日の午後。
 突然、葉巻を吸いたくなる。
 クザーノ・コロナの柑橘系を含んだような香ばしい香りが恋しくなる。
 体調が万全に回復した証拠だ。
 体調が悪いとニコチンを欲しない体質なので、丁度良い目安だった。


「……うーん…………今一つ」
 優子は新しいトレンチコートを赤いトレーナーとデニムパンツの上から羽織って姿見の前で一回りする。
 今年はよくトレンチコートを新調する機会が訪れる。勿論、トレンチコートから足が付くのを警戒して処分しての事だ。
 仕方なしに、今一つデザインがしっくり来ない黄土色のトレンチコートを纏い……脱いで、通販で買ったそれなりの値段がするそれをハンガーに引っ掛ける。
 水浸しになった革製のガンベルト。陰干ししながら予備を箪笥から引きずり出してウエストを合わせる。
 肺炎一歩手前の高熱で茹でられている間に放置した諸々の所用が片付くまで2日間も必要とした。


 風邪を引いて寝込んでまで命を張った仕事だったのに、報酬の不払いでクライアントが逃げた。
 そもそも、仕事の内容自体が途中から破綻して現場指揮官は、雇ったならず者を残して先に遁走したのだから指令系統も指揮権も何も無い。
 割に合わないが、前払いを先にもらえていただけでも運が良かった。
 落ち込む暇も無く、体力を取り戻すと同時に、依頼が舞い込んでいないか窓口である情報屋に電話をかける。
 暗黒社会の職業安定所に等しい情報交換を生業にする情報屋だ。情報屋といってもそれぞれの得意分野によって多岐に渡る。
 その情報屋の提供してくれた依頼の口に非常に魅力的な仕事が有った。
 先着1名。
 鉄砲玉の補充要員。
 主戦場は別働隊が引き受ける。
 全額前払い……そう。全額前払いなのだ!
 今直ぐ金が必要な優子にはこれ以上に魅力的な仕事は無い。
 ZKR-551の部品を揃えるのにこれから大金が必要になる。今度が、今のZKR-551の最後の仕事になるかもしれない。
 だからこそ新調する金が必要。
 更に完全にオーバーホールに出したとなれば半分ガンマン稼業の優子には表看板であるZKR-551が一時的に手元に無くなるので休業を余儀なくされる。
 ガンスミス探しの名目でバカンスも悪くは無い。
 一も二も無くその依頼を引き受けた。
 優子を指定しての依頼ではなかったが、この際、文句は言ってられない。


 郊外。列車の車輌基地。
 廃棄され、見事な廃墟の体を成している。
 作業員用の通路を照らす為の灯りには困らない。遮蔽が豊富。
 ロケーションとして申し分は無い。
 午前2時。
 電源は遮断されているはずだが、今夜の為にクライアントが手配したのだろう。それに鉄砲玉の予備要員だ。
 いつもの残党狩りとは少し違う。
 大方の仕事は主戦力の鉄砲玉が片付ける。その後ろに付いて一緒に移動し、敵を包囲して一網打尽にするだけ。
 残党狩りと違って、仲間となる雇われのならず者が視界に入っているので安心だ。
 4人の人数が視界に居る。
 誰も彼もが懐に拳銃を呑み込んでいる。
 互いの顔を確認したが、互いに知っている顔は居ない。
 知らない顔であっても、連携を見せるだけの腕前が有る事を願う。
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