銃弾は間違えない
夜。
寒い夜。
雪が降りそうなほどに寒い夜。
寒風が吹きすさび、遠くで霧笛が寂しく啼く。
港湾部のボラードに係留された中型の砂利運搬船が、荒れ気味の波に船体を揺らす。
潮と錆が混じった独特の臭い。
靴の底から地面の冷たさが這い上がってくるのを覚える。
彼女はチタンのスキットルを取り出すと徐にそれを呷る。一仕事終わった後の一口ならば問題は無いのだが、問題なのはこれからが仕事だということだ。
寒すぎて気付けにウイスキーで喉を湿らさないと頭の中身まで凍りそうだった。
スキットルという代物は映画のように大量に中身を呷るのに向いていない構造だ。
中身を少量ずつ口に含ませるように飲み口が狭く作られている。直ぐに大量のアルコールを摂取したいのならポケット瓶の方が向いている。 それでも彼女なりに拘りがあるのか、スキットルは手放さなかった。
暗い寒風の下。月も星も雲に隠れて見えない。
港の埠頭を、灯りが船舶の為に光源を提供しているだけ。
それ以外の灯りといえば作業員用の通路や作業車輌用の道路に設えられた外灯くらいでお世辞にも明るいとは言い難い。
スキットルを懐に直す。
右手をトレンチコートのハンドウォームに突っ込んで、そこに押し込んでいた使い捨てカイロをしっかりと握る。
これから始まる仕事で一番活躍してもらわないと困る利き手だからだ。
血流が悪くなると指先の反応も緩慢になり即応できなくなる。
左手で、トレンチコートのベルトを緩めて解く。
左手首に巻かれたロンジンのクロノグラフを見る。
午前1時。
夜も更け、寒さに拍車が掛かろうとする時間帯。彼女はじっと待った。
時間通りなら……そろそろ始まる。
いつまでもボラードに係留されたままの船を眺めていても仕方が無い。
この港湾部を抜けるにはこの道……彼女が立っている海に面したボトルネックのように狭くなっている道路を通過しないと国道に出る事が出来ない。
彼女の仕事はこの道の封鎖だった。
交通規制を張るわけではない。公の仕事ではない。
彼女は、唯、この道を抜けて逃げようとする標的を仕留めるだけの簡単な仕事の為に雇われた。
離れた区画では銃撃戦が始まっている。
耳を澄ませば散発的な銃声が潮風に乗って聞こえてくる。先ほどまでは派手な銃撃戦が展開されていたが、大方、カタが付いたらしい。
左耳に嵌めたブルートゥースのイヤホンからは戦況が伝わっていた。
それも最初だけで、今では銃撃戦に余裕が削がれて指揮を取っている雇い主の男の声が聞こえない。
通話自体がオフになっているのか、イヤホンは沈黙を守っていた。夜風の寒々しい風鳴りの方が大きな音だと認識する。
彼女は左手でやや乱れ気味なロングヘアを掻き毟る。退屈そうに左手で懐からセロファンに包まれた葉巻を取り出し、前歯と左手だけで剥き出しにしてキャップを前歯で噛み千切る。
本来ならこの部分をシガーカッターで綺麗にカットして口に銜えるのだが、今は非常時だ。
ニコチンの欲求に勝てずに葉巻を銜えた。
チープな造りのガスライターでフットを炙る。
ガス式のターボライターで葉巻への着火が前提に作られた代物なので長時間の連続着火に耐える。
ターボライターの青白い炎がフットの円周を炙り均一に炭化したところで、少し遠火でフット全面を満遍なく炙る。炙りながら唇を何度も窄めてパッパッと小さく煙を吐く。
フット全面が赤々と大きな火種を作るとターボライターをポケットに仕舞い込んで大きな、溜息とも最初の一服とも思える煙を吐く。
口腔一杯に吸い込んだ煙を遠慮なく吐き散らす。
ドミニカのローコストシガーであるクザーノ・コロナ。
ハバナシガーのビトラでいえば、プチコロナ程度の寸法だが、キューバ以外でビトラの定義が守られて葉巻が製造されている国は少ない。
全長125mm程度、直径16mmほどのクザーノ・コロナを横銜えにして彼女……大波優子(おおなみ ゆうこ)は右手をハンドウォームから抜き、ゆったりとした動作でトレンチコートの右懐を見せるように裾を腰に廻した。
身長170cm強の三十路後半。
荒くれた生き方をしていたのが解る雑な挙動。
女性らしさに求められる繊細な物腰は見られない。
猛禽類より人間に近い眼光を具えた切れ長の瞳は遠くの……夜陰の中、その更に向こうを見通す力を有するように鋭い。
丁寧に整えられた眉目も薄い化粧のお陰で本領を発揮できないでいる。磨けば輝く原石。原石が原石のまま放置されているのだ。
精悍に創られた輪郭も無作法な銜え葉巻で今は歪になっている。女性の薄い唇に銜え葉巻は似合わない。
トレンチコートの裾を後ろ腰に廻したその姿は西部劇のガンマンさながらだった。
ガンベルト。古風なシングルアクションリボルバーを収納するだけのホルスターが右腰に垂れ下がっている。
このスタイルのガンベルトは装着したまま歩き回るのは困難だ。
体のどこにも縛って固定できない。
西部劇のスクリーンの中では俳優は難なく走ったり乗馬したりしているが、映画の中で見かけるガンベルトの殆どは、嘗ての西部劇を主題にした映画の中で考案されたスタイルで本来の古典的な形式とは異なる。 ごく初期のガンベルトは本当に質素で、精々、ホルスターの銃口側に取り付けられた紐を太腿に撒きつけて簡易的に固定するのみだった。
その古典的なホルスターが彼女の腰に巻かれている。
しかし……ホルスターに収まっているのは期待を裏切って45口径のシングルアクションではなかった。
シングルアクションではあったのだが……出自が怪しい東側のシングルアクションリボルバーだったのだ。
ZKR-551。
チェコの射的競技用のリボルバーで装填排莢、撃発はコルトに代表されるシングルアクションと同じ手順だ。
1957年に発売された38口径6連発。
シンメトリーに角ばった、すらりとスマートな銃身が外見的特長で、グリップも近年の中型リボルバーと同じバナナグリップに似ている。
全長30cm近い大型リボルバー。
照準は射的用というだけあって微調整が出来る。
ただ、38splを使用する為に射的以外では外見負けしてしまいそうな雰囲気すらある。
6インチ近い銃身を活かして38口径を的確に標的に叩き込むにはこの形状が必要だったのだろう。
東側の射的競技オンリーにデザインされた輪胴式を腰に提げた優子。
彼女が見据える先には闇しかなかった。本当に闇なのだ。外灯の明かりが及ばない向こう。
その中でチラッと赤い銃火が見えた。彼女の出番がやって来た。
今まで沈黙を守っていたイヤホンに着信が入る。
直ぐに通話状態へ。
「……そちらに連中が廻った! 全部は解らないが、5人以上居る! 残党だ。遠慮なくやってくれ!」
「了解……」
優子は銜え葉巻の間からぶっきらぼうに返答した。
イヤホンは通話状態を維持。
顔面の半分が隠れるほどに大量の大きな煙を吐き出す。
右手をもう一度、トレンチコートのハンドウォームに突っ込んで軽く握ってからZKR-551のグリップの上方に浮かせるように待機させる。
早撃ち勝負に挑んだガンマンのように未だ見えぬ標的の足音を数える。
銃撃戦で聞こえた銃声から短機関銃や長物は携えていないようだ。
寒い夜。
雪が降りそうなほどに寒い夜。
寒風が吹きすさび、遠くで霧笛が寂しく啼く。
港湾部のボラードに係留された中型の砂利運搬船が、荒れ気味の波に船体を揺らす。
潮と錆が混じった独特の臭い。
靴の底から地面の冷たさが這い上がってくるのを覚える。
彼女はチタンのスキットルを取り出すと徐にそれを呷る。一仕事終わった後の一口ならば問題は無いのだが、問題なのはこれからが仕事だということだ。
寒すぎて気付けにウイスキーで喉を湿らさないと頭の中身まで凍りそうだった。
スキットルという代物は映画のように大量に中身を呷るのに向いていない構造だ。
中身を少量ずつ口に含ませるように飲み口が狭く作られている。直ぐに大量のアルコールを摂取したいのならポケット瓶の方が向いている。 それでも彼女なりに拘りがあるのか、スキットルは手放さなかった。
暗い寒風の下。月も星も雲に隠れて見えない。
港の埠頭を、灯りが船舶の為に光源を提供しているだけ。
それ以外の灯りといえば作業員用の通路や作業車輌用の道路に設えられた外灯くらいでお世辞にも明るいとは言い難い。
スキットルを懐に直す。
右手をトレンチコートのハンドウォームに突っ込んで、そこに押し込んでいた使い捨てカイロをしっかりと握る。
これから始まる仕事で一番活躍してもらわないと困る利き手だからだ。
血流が悪くなると指先の反応も緩慢になり即応できなくなる。
左手で、トレンチコートのベルトを緩めて解く。
左手首に巻かれたロンジンのクロノグラフを見る。
午前1時。
夜も更け、寒さに拍車が掛かろうとする時間帯。彼女はじっと待った。
時間通りなら……そろそろ始まる。
いつまでもボラードに係留されたままの船を眺めていても仕方が無い。
この港湾部を抜けるにはこの道……彼女が立っている海に面したボトルネックのように狭くなっている道路を通過しないと国道に出る事が出来ない。
彼女の仕事はこの道の封鎖だった。
交通規制を張るわけではない。公の仕事ではない。
彼女は、唯、この道を抜けて逃げようとする標的を仕留めるだけの簡単な仕事の為に雇われた。
離れた区画では銃撃戦が始まっている。
耳を澄ませば散発的な銃声が潮風に乗って聞こえてくる。先ほどまでは派手な銃撃戦が展開されていたが、大方、カタが付いたらしい。
左耳に嵌めたブルートゥースのイヤホンからは戦況が伝わっていた。
それも最初だけで、今では銃撃戦に余裕が削がれて指揮を取っている雇い主の男の声が聞こえない。
通話自体がオフになっているのか、イヤホンは沈黙を守っていた。夜風の寒々しい風鳴りの方が大きな音だと認識する。
彼女は左手でやや乱れ気味なロングヘアを掻き毟る。退屈そうに左手で懐からセロファンに包まれた葉巻を取り出し、前歯と左手だけで剥き出しにしてキャップを前歯で噛み千切る。
本来ならこの部分をシガーカッターで綺麗にカットして口に銜えるのだが、今は非常時だ。
ニコチンの欲求に勝てずに葉巻を銜えた。
チープな造りのガスライターでフットを炙る。
ガス式のターボライターで葉巻への着火が前提に作られた代物なので長時間の連続着火に耐える。
ターボライターの青白い炎がフットの円周を炙り均一に炭化したところで、少し遠火でフット全面を満遍なく炙る。炙りながら唇を何度も窄めてパッパッと小さく煙を吐く。
フット全面が赤々と大きな火種を作るとターボライターをポケットに仕舞い込んで大きな、溜息とも最初の一服とも思える煙を吐く。
口腔一杯に吸い込んだ煙を遠慮なく吐き散らす。
ドミニカのローコストシガーであるクザーノ・コロナ。
ハバナシガーのビトラでいえば、プチコロナ程度の寸法だが、キューバ以外でビトラの定義が守られて葉巻が製造されている国は少ない。
全長125mm程度、直径16mmほどのクザーノ・コロナを横銜えにして彼女……大波優子(おおなみ ゆうこ)は右手をハンドウォームから抜き、ゆったりとした動作でトレンチコートの右懐を見せるように裾を腰に廻した。
身長170cm強の三十路後半。
荒くれた生き方をしていたのが解る雑な挙動。
女性らしさに求められる繊細な物腰は見られない。
猛禽類より人間に近い眼光を具えた切れ長の瞳は遠くの……夜陰の中、その更に向こうを見通す力を有するように鋭い。
丁寧に整えられた眉目も薄い化粧のお陰で本領を発揮できないでいる。磨けば輝く原石。原石が原石のまま放置されているのだ。
精悍に創られた輪郭も無作法な銜え葉巻で今は歪になっている。女性の薄い唇に銜え葉巻は似合わない。
トレンチコートの裾を後ろ腰に廻したその姿は西部劇のガンマンさながらだった。
ガンベルト。古風なシングルアクションリボルバーを収納するだけのホルスターが右腰に垂れ下がっている。
このスタイルのガンベルトは装着したまま歩き回るのは困難だ。
体のどこにも縛って固定できない。
西部劇のスクリーンの中では俳優は難なく走ったり乗馬したりしているが、映画の中で見かけるガンベルトの殆どは、嘗ての西部劇を主題にした映画の中で考案されたスタイルで本来の古典的な形式とは異なる。 ごく初期のガンベルトは本当に質素で、精々、ホルスターの銃口側に取り付けられた紐を太腿に撒きつけて簡易的に固定するのみだった。
その古典的なホルスターが彼女の腰に巻かれている。
しかし……ホルスターに収まっているのは期待を裏切って45口径のシングルアクションではなかった。
シングルアクションではあったのだが……出自が怪しい東側のシングルアクションリボルバーだったのだ。
ZKR-551。
チェコの射的競技用のリボルバーで装填排莢、撃発はコルトに代表されるシングルアクションと同じ手順だ。
1957年に発売された38口径6連発。
シンメトリーに角ばった、すらりとスマートな銃身が外見的特長で、グリップも近年の中型リボルバーと同じバナナグリップに似ている。
全長30cm近い大型リボルバー。
照準は射的用というだけあって微調整が出来る。
ただ、38splを使用する為に射的以外では外見負けしてしまいそうな雰囲気すらある。
6インチ近い銃身を活かして38口径を的確に標的に叩き込むにはこの形状が必要だったのだろう。
東側の射的競技オンリーにデザインされた輪胴式を腰に提げた優子。
彼女が見据える先には闇しかなかった。本当に闇なのだ。外灯の明かりが及ばない向こう。
その中でチラッと赤い銃火が見えた。彼女の出番がやって来た。
今まで沈黙を守っていたイヤホンに着信が入る。
直ぐに通話状態へ。
「……そちらに連中が廻った! 全部は解らないが、5人以上居る! 残党だ。遠慮なくやってくれ!」
「了解……」
優子は銜え葉巻の間からぶっきらぼうに返答した。
イヤホンは通話状態を維持。
顔面の半分が隠れるほどに大量の大きな煙を吐き出す。
右手をもう一度、トレンチコートのハンドウォームに突っ込んで軽く握ってからZKR-551のグリップの上方に浮かせるように待機させる。
早撃ち勝負に挑んだガンマンのように未だ見えぬ標的の足音を数える。
銃撃戦で聞こえた銃声から短機関銃や長物は携えていないようだ。
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