風速で去る明日

 男は前のめりに呻き声を挙げる事もできずに倒れる。
 腹腔に孔を開けられると人間はしばし、痛みの余り、悶絶する。
 これが直進して胸部に命中していたら、この男の命はもっと酷い結末を迎えていただろう。この程度の負傷ならパニックに陥らなければ助かる可能性は高い。
 男の手から拳銃が零れ落ちる。蹴り飛ばす。それ以上は構わず。
 そのドアを遮蔽として銃撃を浴びせようとする、拳銃を握った手首が見えた。
 その手首を45口径で千切り飛ばし、大雑把にドアに2発叩き込む。手首の主に被弾したらしく、吐き出すような悲鳴を挙げて床に倒れる。
 その部屋に向かって歩みを進める。
 すでに開け放たれているドアの足元では二人の男が悶絶していた。苦しいだろうが止めを刺してやる義理は無い。
 下手な鉄砲。部屋の中から銃撃。だが、大きく外れる。
 あっという間の5発。
 38口径の輪胴式5連発だ。
 スナブノーズだ。
 熟練者でも命中が望めない距離。
 部屋の片隅でソファを遮蔽にして、標的の男が小型の輪胴式を乱射したのだが、6発目は出ない。弾切れだ。
 恐慌に陥って顔を青褪めさせ、目玉を剥く男の額に1発叩き込む。
 額のど真ん中に被弾。
 頭部にこの距離から45口径を被弾させられて生き生きとしている人間は人類の範疇ではない。
 呆気無く2人目を屠る。
 脳内の見取り図、展開。
 この隣の部屋がもう一人の標的が潜んでいると思われる部屋だ。
 町乃はベランダに躍り出てコルトM1911A1を再装填してから左手でロシー・オーバーランドSモデル99を引き抜き、非常時に突き破れるように薄い建材で拵えた壁に向けて2発発砲する。
 間髪入れず、ロシー・オーバーランドSモデル99は懐に差し込む。コルトM1911A1を構え、隣室のベランダと仕切る壁を蹴破り、ベランダ側から襲撃する。
 予想通り、反撃の銃撃は一拍遅れた。
 襲撃者は廊下から襲い来るものだと思い込んでいた警護要員が、廊下付近で展開し、部屋の中には警護対象……つまり殺害対象しか居ない状態だ。
 その殺害対象が大型自動拳銃を引き抜くのが大型ガラス窓越しに見えた。彼女は窓ガラスごと銃弾で叩き割り、その向こうに居る……直線距離で5mほどの位置に居る標的の男の体を45口径で縫い付ける。
 胸部と腹部に2発ずつ被弾したが、即死を提供できない。
 ……バイタルゾーンからずれている。
 応急処置が適切で今すぐ救急車を呼べば助かる可能性が高い。すなわち、このまま退散できない。確実な死を提供しなければならない。
 部屋の中に引き返してきた警護要員の2人――予想通り合計5人以上、居た――に牽制の為に残弾を吐き出して、怯んだ隙に弾倉を交換して警護要員が潜んでいるソファの遮蔽に散発的な銃撃を与えて出る頭を抑える。
 連中の再装填の隙をついて部屋に侵入し、殺害対象の男が放り出したSIG P226のクローンを拾って全弾、負傷して身動きが取れない男の頭部に叩き込む。
 この瞬間、勝利条件は満たした。
 コルトM1911A1の残弾を吐き散らしながら後退し、警護要員を牽制する。
 後は死に物狂いで遁走するだけだ。
 脳内の殺害対象は全て片付けた。
 馬鹿正直に警護要員の相手になってやる必要は無い。それにどこかしらに増援を要請したとしたら、そろそろ到着する時間だ。
 速やかな撤収の手際の良さも未来の評価に繋がる。
 弾倉を交換したコルトM1911A1を口に横銜えに、鉄製の雨樋を掴んでベランダから猿のようにスルスルと階下に降りる。
 階下の窓枠を蹴るとその反動で敷地の地面に降り立ち、夜陰に消える。
 背後から銃声が追いかけてきたが、次第に聞こえなくなる。
 この日の直接の成果は個人経営の殺し屋であるところの町乃の手柄だったが、町乃という人材を手配した未来の手柄にも繋がる功績となる。
 『私は確実にコロシを提供できる殺し屋を直ぐに手配できますよ』というセールス文句を少しばかり大きな声で謳う事ができる。
  ※ ※ ※
 先日のロッジ風宿泊施設での一件。
 新聞を読んでも、地方版で小さく報道されている程度だった。
 地元警察に対する賄賂が一応、効いている結果だと言える。
 そもそも暴力団同士の抗争で片付けられた。暴力団同士が市民を巻き添えにしない場所で殺し合いをしても地元警察としては、正直に言うと、腹も頭も痛くない。
 使用した弾薬の補給も滞りなく進んだ。
 未来には武器の流通経路と賄賂はケチるなと何度も言い聞かせた。特に武器弾薬。
 これから『従業員』や『作業員』が増えると、金も物も無いが、腕前だけは一人前の連中が集ってくる。
 その時に社長が甲斐性の有るところを見せ付けると人望が一気に高くなると付け加えたのだ。
 未来の家の縁側で悠々と葉巻を燻らせる夕方。
 毎度の三食は未来が作ってくれる。
 母親は早くに亡くして、家事全般を引き受けている傍ら、暗黒社会の住人として一旗揚げようと言うのだから若いとは怖いものだと、台所で立つ未来の背中を見ながら思う。
 高校には通わず、中学を卒業した時から手配師として生きていくのだと覚悟を決めたらしく、先代の父親に従事したが、旧い友人を亡くした心労から呆気なく他界した。
 そこから先に進むに当たって、まだ綺麗な体だった自分自身をどっぷりと暗い世界に漬け込んでしまうほどに先代の存在は眩しかったようだ。
 台所に立つ、エプロン姿の彼女は今直ぐにでも嫁いで行けるだけの気風の好さを持っていた。
 暗い世界の事情に疎いだけの暗い世界の住人だった。
 町乃と出会わなければ身元不明の遺体として港の沖に浮いている可能性も大きい。
 そんな危ない少女になぜ、ここまで構ってやる必要があるのか思い返せば不思議な話だった。
 そんな風に漠然と考えながら、夕方の空に吸い上げられるベガフィナ・コロナの煙を眺める。
 芳醇な葉巻の香りを押し返すような焼き魚の匂いがここまでたゆたう。
 仄かに味噌汁の香りも混じる。
 炊飯器の湿気が篭るからと、暑い季節の炊飯時はエアコンは使わず、家中の窓を全開にして台所に立つのだという。
 冷蔵庫を開けて小鉢に盛る和え物が収まった小さな容器を取り出す。 台所を左右に行きかう彼女の小さな尻が、そのままデザートに思えるほどに美味しそうで可愛らしかった。
 一日に何度か携帯電話の着信履歴を見る。
 ヤードから連絡は無い。
 おんぼろジムニーが解体されて売り払われていると言う事はまず無いだろうが、仕事の遅さに少し苛ついた。
 ジムニーの車検と整備が終わって偽物の車検証が発行できたら直ぐにでもこの街から逃げたい気持ちと、もう少し稼がないと割に合わない気持ちと……あの小さな手配師を放っておけない気持ちが混ざり合いながらせめぎ合いながら心の中で複雑なマーブルを描く。
 割と低価格帯のドミニカ葉巻を灰にした時、丁度、夕餉の準備が整った。
 6畳間の卓袱台の上に並べられた旧き姿の食卓に目を細めると、短くなった葉巻を庭のスコップで浅く掘り、そこに吸殻を捨てて埋める。
 欧米では職人が手巻きで作る葉巻は農作物に分類される場合も有る。そのまま土に埋めても農作地でない限り、無害で直ぐに土に還る。
「では、いただこうかな」
 縁側から6畳間に上がりこむと、未来に手を洗うように諭されて肩を竦めて洗面台に向かう。
 この日の夕餉は鯵の塩焼きをメインにした質素な物だった。その上、光立つ飯が旨いので何もかも満足だ。
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