風速で去る明日
勧められるままに卓袱台の前の座布団に座らされる。
どすんと胡坐で座ってから、町乃は言葉を鋭くして未来を叱り付けた。
「話をする前にこれだけは言っておく! どこの誰かも知らない人間をこんな時間に簡単に家に上げるな! 私が強盗だったらどうする? 私はまだ君に名前も名乗っていない! 君に辛く当たった『一度逃がした魚』なんだぞ! もしも私が逆上してここでハジキを抜けば君に何ができる!」
背中を向けてエアコンのリモコンを操作していた未来が少し小さくなった。
「…………っ」
「……? 何?」
「悪い人じゃないと思ったからここまで案内したんです!」
未来は振り向きながら、今にも泣きそうな、それで居て怒りを堪えているような顔で町乃を睨む。
闇社会の人間のビギナーが自分の本拠地に素性の知れない人間を上がりこませるのは、謂わば、社外秘を漏洩させるに等しい行為だった。
それほど未来は町乃に対して未練を捨てられなかったのだ。
「貴女を雇いたいんです! どうしても! ……一人前の手配師として旗を揚げたいので力を貸してください! お願いします!」
町乃の対面に正座した未来は恥も外聞も捨てて町乃に頭を下げた。
「…………どうして私なんだ? 手配師の娘なら多少の縁故で派遣できるタマの都合くらいつくだろう? それに手配師の組合にも加盟しているんだろう?」
数時間ぶりに疑問をぶつける。
今度は新しい疑問も交えてだ。
町乃は少し意地悪をした。
多数の質問を矢継ぎ早に未来に投げつけたのだ。
「はい! それはお姉さんが悪い人じゃないと思ったからです! それと手配師は確実に仕事をこなせる職人を依頼人に紹介するのが仕事です。お金に眼が眩んで主人を直ぐに鞍替えするような職人には用は有りません! 手配師の組合には加盟しています。ですけど、上納金が滞ってまともな庇護を受けていません!」
「…………」
見事だ。思わず拍手したくなる。
この少女の話に乗れば必ず貧乏クジを引かされる。
破綻や破局や破滅という恰好良い最後は、この少女の身に降りかからない。
普通の人間として普通に生涯を終えるだけだ。
今直ぐにでも闇社会とは関係の無い世界で生活させるべきだ。その責任が町乃に無くとも町乃の僅かな良心がチクリと刺さる。
町乃は口をやや開けて、説得の台詞を紡ぎ出そうとするがそれを制して未来はとんでもない発言をした。
「……私が……お姉さんが欲しくてわざと地元のヤクザを嗾けたとしたら?」
厳しく眉根が寄る町乃。未来を刺す眼で睨みつける。
「どうしてもお姉さんが欲しいんです。だから、少しでも説得する機会を逃がさない為に、余所者がこの街に流れてきたとタレ込みの電話を入れただけで蜂の巣を突いたように騒ぎ出してくれましたよ」
町乃は顔を歪めて忌々しく、未来を睨み続けた。
小癪で未熟。手段が子供そのものだ。
中学校のイジメの構図とどことなく似ている。
町乃自身が未来のペースに乗せられて怒り狂えば、それはそれで癪に障った。
自分を抑えるためにパーカーのハンドウォームから4連シガーケースとアーミーナイフを取り出してベガフィナ・コロナの吸い口を切る。
遠慮ない仕草にムッとした顔で来客用の瀬戸物の灰皿を差し出す未来。
町乃も未来も根底は同じレベルの人間かもしれない。
つまらぬ齟齬から発生する仲違いに似る光景。
ジッポーでフットを炙りながら町乃は思考を走らせる。
折角、トラブルを作ってくれたんだ。これを逆手にとって三下連中の敵対勢力に自分を売り込むのも悪くは無い。
「……!」
葉巻を銜えながら静電気に触れたような衝撃を覚える。
「……まさか……まさか、ねぇ……」
町乃の唇が軽く震える。
未来の口の端に微笑。
「私を売り込ませる口実を君が作ったのか! 『君経由で無ければ手配できない荒事専門のガンマンを手配させる為に!』」
「そうだとしたら……どうしますか?」
未来の微笑の面積が広がっていく。町乃の顔色が優れない。
三下を嗾けるのにも、手配師の宣伝を同時に流すのにも、それなりのリスクと金額が必要だ。
つまり、未来は如何に町乃を欲したのか、ということだ。
全てのリスクを背負って博打に出たわけだ。
町乃をここでスカウトできなければ自殺する覚悟だったろう。自殺は生き過ぎでも、それに近い行為をしていただろう。
町乃とい風来坊が欲しい。
手配師としての未来が、使える駒としての町乃を手に入れるために全てをかなぐり捨てたのだ。
仁義も筋も何も無い。打算しかない博打。
しばし、町乃と未来は互いを睨む視線で見つめ合う。
「浅木町乃だ……」
「え……」
唐突に町乃は名を名乗る。
未来に対して名を名乗るのは初めてだ。
吸わずに銜えていた葉巻の火が勝手に消えたので再着火する。
「その口車に乗ってあげる。博打のコインになってあげる。だけどね、私は根無し草なの。根を下ろすと死んじゃうの。だからいつか必ず姿を消す。誰にも何も言わずにね……そんな生活だから直ぐにお金が無くなっちゃう。だから今直ぐお金が必要なの。それを何とかしてくれるの? 『都合よく短期間の働き口でも紹介してくれる窓口をいつも探しているの』」
その言葉を聞いた未来の顔が、電灯が灯ったようにぱあっと明るくなる。
その表情に先ほどまでの険しい陰はどこにも無い。
「はい! 『わが社』では常に多数の取引先をご用意しております!」
※ ※ ※
次の日から、おかしな事に、形式上の従業員である町乃が雇用主の未来を連れ、関係各所に顔を出し、挨拶と交渉に出た。
弾薬の流通経路。警察などの公務司法機関への賄賂。この街の勢力図を記す地図の描き方。万が一の逃走ルートの確保。将来的にもっと従業員や手配先を増やす為のスカウトの交渉術。
……未来は広く浅く知っている程度で、殆どの状況で感嘆の声を挙げるほか何もできなかった。
細かくメモを取って、少しでも多くの事柄を町乃から吸収しようと必死になっている。
どれを怠っても死に直結する。
雇用主ともなれば従業員の命も預かる立場だ。
失敗どころか及第点に及ばない方策を採っただけで破滅が訪れる。
未来の持ち得るモノで頼りになったのは、辛うじて残っていた先代の伝とコネだけだ。
確かに先代の親父さんを信頼していたが、その娘となると態度が違う。
義理だけで付き合ってやっている連中が殆どだ。
先ずはその『現場作業員』の連中の支持を集める為に未来自身が大きな仕事を達成させる必要があった。勿論、大口の仕事の現場で鉄砲玉をばら撒くのは町乃の仕事だ。
未来をレクチャーして1週間が経過した。
今では未来の家で寝泊りしている町乃。
その町乃が、未来が『初めて手配された仕事場』に『依頼人の需要に応えられる作業員』を送り込む時が来た。
町乃が未来の手配で初めて現場に入る。
午前1時。
郊外山間部の宿泊施設。外見はロッジ風。
書面上では取り壊し待ちの建物だが、遠慮なく不法に占拠されて生活感溢れる佇まいとなっている。
3階建て。ペンションをイメージしたロッジという触れ込みで造られただけあって大型だ。ところどころ、部屋に電灯が灯っている。
どすんと胡坐で座ってから、町乃は言葉を鋭くして未来を叱り付けた。
「話をする前にこれだけは言っておく! どこの誰かも知らない人間をこんな時間に簡単に家に上げるな! 私が強盗だったらどうする? 私はまだ君に名前も名乗っていない! 君に辛く当たった『一度逃がした魚』なんだぞ! もしも私が逆上してここでハジキを抜けば君に何ができる!」
背中を向けてエアコンのリモコンを操作していた未来が少し小さくなった。
「…………っ」
「……? 何?」
「悪い人じゃないと思ったからここまで案内したんです!」
未来は振り向きながら、今にも泣きそうな、それで居て怒りを堪えているような顔で町乃を睨む。
闇社会の人間のビギナーが自分の本拠地に素性の知れない人間を上がりこませるのは、謂わば、社外秘を漏洩させるに等しい行為だった。
それほど未来は町乃に対して未練を捨てられなかったのだ。
「貴女を雇いたいんです! どうしても! ……一人前の手配師として旗を揚げたいので力を貸してください! お願いします!」
町乃の対面に正座した未来は恥も外聞も捨てて町乃に頭を下げた。
「…………どうして私なんだ? 手配師の娘なら多少の縁故で派遣できるタマの都合くらいつくだろう? それに手配師の組合にも加盟しているんだろう?」
数時間ぶりに疑問をぶつける。
今度は新しい疑問も交えてだ。
町乃は少し意地悪をした。
多数の質問を矢継ぎ早に未来に投げつけたのだ。
「はい! それはお姉さんが悪い人じゃないと思ったからです! それと手配師は確実に仕事をこなせる職人を依頼人に紹介するのが仕事です。お金に眼が眩んで主人を直ぐに鞍替えするような職人には用は有りません! 手配師の組合には加盟しています。ですけど、上納金が滞ってまともな庇護を受けていません!」
「…………」
見事だ。思わず拍手したくなる。
この少女の話に乗れば必ず貧乏クジを引かされる。
破綻や破局や破滅という恰好良い最後は、この少女の身に降りかからない。
普通の人間として普通に生涯を終えるだけだ。
今直ぐにでも闇社会とは関係の無い世界で生活させるべきだ。その責任が町乃に無くとも町乃の僅かな良心がチクリと刺さる。
町乃は口をやや開けて、説得の台詞を紡ぎ出そうとするがそれを制して未来はとんでもない発言をした。
「……私が……お姉さんが欲しくてわざと地元のヤクザを嗾けたとしたら?」
厳しく眉根が寄る町乃。未来を刺す眼で睨みつける。
「どうしてもお姉さんが欲しいんです。だから、少しでも説得する機会を逃がさない為に、余所者がこの街に流れてきたとタレ込みの電話を入れただけで蜂の巣を突いたように騒ぎ出してくれましたよ」
町乃は顔を歪めて忌々しく、未来を睨み続けた。
小癪で未熟。手段が子供そのものだ。
中学校のイジメの構図とどことなく似ている。
町乃自身が未来のペースに乗せられて怒り狂えば、それはそれで癪に障った。
自分を抑えるためにパーカーのハンドウォームから4連シガーケースとアーミーナイフを取り出してベガフィナ・コロナの吸い口を切る。
遠慮ない仕草にムッとした顔で来客用の瀬戸物の灰皿を差し出す未来。
町乃も未来も根底は同じレベルの人間かもしれない。
つまらぬ齟齬から発生する仲違いに似る光景。
ジッポーでフットを炙りながら町乃は思考を走らせる。
折角、トラブルを作ってくれたんだ。これを逆手にとって三下連中の敵対勢力に自分を売り込むのも悪くは無い。
「……!」
葉巻を銜えながら静電気に触れたような衝撃を覚える。
「……まさか……まさか、ねぇ……」
町乃の唇が軽く震える。
未来の口の端に微笑。
「私を売り込ませる口実を君が作ったのか! 『君経由で無ければ手配できない荒事専門のガンマンを手配させる為に!』」
「そうだとしたら……どうしますか?」
未来の微笑の面積が広がっていく。町乃の顔色が優れない。
三下を嗾けるのにも、手配師の宣伝を同時に流すのにも、それなりのリスクと金額が必要だ。
つまり、未来は如何に町乃を欲したのか、ということだ。
全てのリスクを背負って博打に出たわけだ。
町乃をここでスカウトできなければ自殺する覚悟だったろう。自殺は生き過ぎでも、それに近い行為をしていただろう。
町乃とい風来坊が欲しい。
手配師としての未来が、使える駒としての町乃を手に入れるために全てをかなぐり捨てたのだ。
仁義も筋も何も無い。打算しかない博打。
しばし、町乃と未来は互いを睨む視線で見つめ合う。
「浅木町乃だ……」
「え……」
唐突に町乃は名を名乗る。
未来に対して名を名乗るのは初めてだ。
吸わずに銜えていた葉巻の火が勝手に消えたので再着火する。
「その口車に乗ってあげる。博打のコインになってあげる。だけどね、私は根無し草なの。根を下ろすと死んじゃうの。だからいつか必ず姿を消す。誰にも何も言わずにね……そんな生活だから直ぐにお金が無くなっちゃう。だから今直ぐお金が必要なの。それを何とかしてくれるの? 『都合よく短期間の働き口でも紹介してくれる窓口をいつも探しているの』」
その言葉を聞いた未来の顔が、電灯が灯ったようにぱあっと明るくなる。
その表情に先ほどまでの険しい陰はどこにも無い。
「はい! 『わが社』では常に多数の取引先をご用意しております!」
※ ※ ※
次の日から、おかしな事に、形式上の従業員である町乃が雇用主の未来を連れ、関係各所に顔を出し、挨拶と交渉に出た。
弾薬の流通経路。警察などの公務司法機関への賄賂。この街の勢力図を記す地図の描き方。万が一の逃走ルートの確保。将来的にもっと従業員や手配先を増やす為のスカウトの交渉術。
……未来は広く浅く知っている程度で、殆どの状況で感嘆の声を挙げるほか何もできなかった。
細かくメモを取って、少しでも多くの事柄を町乃から吸収しようと必死になっている。
どれを怠っても死に直結する。
雇用主ともなれば従業員の命も預かる立場だ。
失敗どころか及第点に及ばない方策を採っただけで破滅が訪れる。
未来の持ち得るモノで頼りになったのは、辛うじて残っていた先代の伝とコネだけだ。
確かに先代の親父さんを信頼していたが、その娘となると態度が違う。
義理だけで付き合ってやっている連中が殆どだ。
先ずはその『現場作業員』の連中の支持を集める為に未来自身が大きな仕事を達成させる必要があった。勿論、大口の仕事の現場で鉄砲玉をばら撒くのは町乃の仕事だ。
未来をレクチャーして1週間が経過した。
今では未来の家で寝泊りしている町乃。
その町乃が、未来が『初めて手配された仕事場』に『依頼人の需要に応えられる作業員』を送り込む時が来た。
町乃が未来の手配で初めて現場に入る。
午前1時。
郊外山間部の宿泊施設。外見はロッジ風。
書面上では取り壊し待ちの建物だが、遠慮なく不法に占拠されて生活感溢れる佇まいとなっている。
3階建て。ペンションをイメージしたロッジという触れ込みで造られただけあって大型だ。ところどころ、部屋に電灯が灯っている。