風速で去る明日

「問答無用っていう方針は最初からだったんだ……」
 突如、町乃は目前の両手を挙げたままの三下の襟首を掴まえて自分の体に密着させる。
 そして三下の右脇下から突き出したロシー・オーバーランドSモデル99を発砲する。
 威勢良く飛び出した9粒弾を三下の背後に現れた、拳銃を携えた男達――密集した素人。合計5人――に浴びせる。その一撃では離れ過ぎた位置に居る男達に対して、誰も行動不能に陥れる事はできなかった。
 何人かは浅い負傷をしたらしいが一瞬だけ怯ませただけだった。
 その隙に目を白黒させている右手で掴んだ三下の襟首を離し、先ほど、散弾で負傷させた男の足元からコルトM1911A1を奪い返す。 トイレの前で散弾の洗礼を受けた二人の男は立ち上がって反撃するだけの気力は無いようだった。
 ロシー・オーバーランドSモデル99を右脇のホルスターに戻す。
 今度は左手で驚いたままの三下の襟首を掴んで後退する。
 右手にはコルトM1911A1。
 三下の男を弾除けに使っているのだ。ズルズルと後退。
 首元を掴まれている男は頻りに叫ぶ。
 命乞いと仲間に発砲しない事を大声で伝えている。
 そんな折角の、仲間たちへの嘆願も虚しく、20m以上の距離から発砲される。
 悲鳴を挙げながら小便を漏らす三下。
 突如形成された鉄火場で、自分の背後の事情が見えないのは大層な恐怖だろう。
 この三下は左脇に自動拳銃を吊り下げていたが、今はその命すら敵にも、味方にも投げ捨てられた存在なので逃げ出す事もできない。
 物理的に逃げる事ができない。
 町乃は三下を弾除けとして使いながらも1発ずつ、精度を高めた射撃で応戦する。
 コルトM1911A1にはたった8発しか装弾されていない。撃ち尽くすと再装填が面倒だ。ロシー・オーバーランドSモデル99には空のシェルしか詰まっていない。
 この場を切り抜けられるだけの弾薬を消費すればいい。
 持ち弾以上の弾薬は消費できない。
 まだこの街では弾薬の流通経路は確保していない。……無駄な弾は使いたくない。
 45口径の図太く短い空薬莢がアスファルトに転がる。
 重い弾頭を低速で叩き込み、停止力増大を図る思想は現代で一部の派閥で幻想に過ぎないと揶揄されているが、それでも発砲した際の銃声と反動は頼もしさと安心感を与えてくれる。
 その咆哮の猛々しさから、下手をすれば町乃はトリガーハッピーに陥りそうなのだ。
 5発ほどの発砲。
 何れも牽制以上の役割を果たさない。
 だが、ことごとく、追撃者の『頭』を押さえる事に成功し、その場からの離脱に成功しそうだと直感する。
「!」
 三下の体が小さく震えて、低い呻き声と共に脱力。地面にうつ伏せに倒れる。
 完全に脱力した人間の体は想像以上に重く、片手で保持するのが難しい。
 三下は血走った眼を見開きながら口を酸素不足の金魚のようにパクパクとさせて地面でもがく。
 背中と腰の間に仲間の放った銃弾が被弾したのだ。弾避けとして役に立たなくなった男を直ぐに手放し、路地へ通じる角を曲がりながら3発、発砲する。
 安全な遮蔽に隠れる為に弾倉と薬室の中身を全弾消費。
 遮蔽に飛び込んで直ぐに薄暗い路地を走りながらコルトM1911A1の弾倉を交換。ロシー・オーバーランドSモデル99のショットシェルを再装填。
 完全に追っ手を捲いた。
 安堵から、急激に喉の渇きを覚える。
 コルトM1911A1を左脇に戻し、珠のような汗を額に浮かべる酷い形相をカーブミラーで見かけて、自分の顔の汗をハンドタオルで押さえつけて吸い込ませる。……薄い化粧でも完全に剥がれてしまうと、それはそれで目立ってしまう。
 途中の自販機でミネラルウォーターを買い、喉を鳴らして飲む。
 人目が無かったら頭から被りたいぐらいに熱い。
 ミネラルウォーターをもう一本買って、頭の中身を整理しながら人通りの多くなる繁華街への道を歩く。
 少なくとも自分を襲った連中を敵に廻した。
 連中がどこの勢力なのか判然としないのは痛手だ。
 連中の所属する組織が解れば、それに敵対する組織に自分を売り込むチャンスが発生する。
 あるいは……町乃という粗暴な人間を、使い捨ての鉄砲玉や安上がりな殺し屋として雇ってくれる第三勢力のスカウトマンと交渉できるチャンスもある。
 そこまで考えが及んで、ふと、鏑未来を思い出した。
 何も頼れる綱を握らないうちに火種を拵えたので、一時の安全と身分を保証してくれる『雇い主』が必要だ。
 そうなれば一番手っ取り早いのが、手配師経由で一時的にフリーランスの殺し屋として席を置かせてもらうのが理想的だ。
 だが、どう考えてもあの娘には弾薬の流通経路の確保や、司直の手を誤魔化すだけの手腕が有るとは思えない。
「…………」
――――追っ手か!
 背後から人込みを泳いで急接近する気配。
 この距離だとナイフの一刺しでも危険だ。
 足早に雑踏を掻き分けて人の切れ目が無い呑み屋街の筋に入る。
 赤提灯が並ぶ細めの通り。街灯も充分で目撃者も多い。それに表通りより人の数が少なく早く走る事が出来る。
「……待って!」
 背後から数時間ぶりに聞く少女の声。鏑未来だ。
「お姉さん! 待って! 話を聞いて!」
 振り返らずに足を止める町乃。
 未来の声に止められた素振りを見せず、右手に握っていたペットボトルの水を呷る。
 少なくとも彼女の声に敵意は無い。
 振り返らずに暫し立ち止まる。
 左手側に未来がするりと腕を絡ませて猫撫で声で町乃を誘う。
「姉さん姉さん! 直ぐそこにいい店が有るんですよぉ。ちょっと行きましょうよぉ。ぶっちゃけると私もノルマがあるんで、へへへ。助けると思って、ね?」
 未来の台詞は完全に演技だ。
 町乃を路上で説得させるのは無理だと理解しているので、路上の違法な客引きを装って町乃を2人だけで話ができる場所に連れて行こうとしている。
 在り来たりな手段だが、周りには酔客しか居ない。
 2人を見ても客引きに捕まった鈍感な女程度にしか見えないだろう。 本来の客引きはターゲットの客の腕を掴んだ時点で違法だ。強引な手法を振るったと見做されるのだ。
「いい女は居るんだろうな?」
 町乃も話に乗った振りをする。
「そりゃあもぉ、勿論」
 と、未来は満面の演技の笑顔を見せる。
 2人は肩を並べて――厳密には未来の方が10cmほど背が低い――路地の奥に消える。


 タクシーで15分ほどの、繁華街から離れた雑多な住宅街……と繁華街へ通じる一般道の角地。
 そこの何の変哲も無い一戸建て平屋の前に2人は居た。
 タクシーに乗っている間も、方角と標識を頭に叩き込んでいた。
 乗車中は有り触れた客を演じる為に今度は少し立場が反転した演技をする。
 未来にウイスキーのポケット瓶を持たせてその彼女の肩を抱き、町乃が困った妹でも見るかのような顔でタクシーに乗り込んだ。
 ごく自然にこの演技の切り替えが2人ともできてしまった事に、両者とも、何の疑問も感じなかった。
 築20年ばかりの少し旧いデザインの和風平屋。
 雑多な住宅が犇き合う中では珍しくない拵えだ。
 表札は鏑と出ていたが、その下に表札と同じ大きさのアクリルプレートに【人材派遣業T.D】と記されていた。
 玄関から6畳の和室に未来の先導で進む。
 普通の民家だ。闇社会と繋がりの有る臭いが感じられない。……そのように欺瞞しているのか?
5/18ページ
スキ