風速で去る明日

 先代の威光が欲しいのではない。
 先代と友が築いていた強固な友情の姿に憧れているだけなのだ。
 まだまだ若い。子供特有の夢だけを夢中で追いかけているのと同じだ。
 だから……この少女はパートナーを欲したのだ。
 清水の舞台から飛び降りるつもりで町乃に声を掛けたのだろう。自惚れるわけではないが、町乃の『匂い』を嗅ぎつけた鼻は本物だと言えた。
「話は聴いた……『話』はね。だけど御免なさい。お金の匂いがしないわ他を当たりなさい」
 町乃は横柄にベガフィナ・コロナの煙を吐き散らす。ベンチを立った。
 大型ボストンバッグを両肩に掛けて未来を後にする。
 確かに未来の話は貧乏臭い香りが漂う。
 育てれば金蔓になるだろうが、そこまで面倒は見れない。
 少しは小遣い稼ぎのタネになるかと思ったが、下手をすれば出費の方が多そうだ。
 アンダーグラウンドでも手配師を専門に成長したいと大志を抱く若者が居たのは驚きだ。だが、若すぎる。
 もっと広い見識を持って、もっと深い思慮を廻らせるほどに経験を積む事だ。
 未来の呼び止める声を聞かずに町乃は公園から立ち去った。しばらくストーキングの気配を感じていたが、それも直ぐに消えた。
   ※ ※ ※
 ビジネスホテルの一室で携帯電話を放り出し、両肩の荷物を床に置き、腕時計を見る。午後5時。
 今夜の寝床のビジネスホテル。
 終電を逃したサラリーマンが大挙する前に部屋を確保した。
 上着のパーカーを脱いで洗濯物を選別している最中に突然、両脇に重量感を覚える。
「……!」
 ショルダーホルスターに吊り下げた2挺の銃が重い。
 重く感じる。
 経験上、不意にいつもの銃が重く感じられる時は鉄火場が近づいている前兆だ。
 すなわち、彼女の飯の種が近づいている。
 形の違う直感のようなものだ。
 浮き足立ち、ホテルを直ぐに飛び出す。
 景気付けに昨夜買ったまま、封を切っていないウイスキーのポケット瓶を開けて一口呑む。ノンエイジの安い味が喉を舐める。
 ホテルを飛び出てから観光案内のパンフレットで覚えた地図と脳内のこの街の勢力図を何とか合致させる。
 シンボリックな建物や名所がどこの勢力の縄張りかはっきりさせる為だ。
 町乃はシマ荒しではない。
 一時だけ自分の腕を買ってくれる勢力を探しているだけだ。
 時折、ウイスキーのポケット瓶を呷って口を濡らす。まだまだ暑い季節だ。直ぐに冷えた水が欲しくなる。
 雑踏が途切れる。繁華街の外れ。喧騒が少し遠い。
 ここは完全なシャッター街。
 商店街のアーチが錆に塗れて、どれほど廃れた地区で有るのかを知らせてくれる。勿論、こんな辺鄙な場所に歩いてきたのは意味がある。
 辛うじて生きている自販機でミネラルウォーターを買う。
 賞味期限を確認してから封を切って飲む。
 飲みながら、自分を尾行する影の気配を数える。
 未来のような可愛らしい足取りではない。
 複数の男。遮蔽の影に潜んでいる。歩幅からして尾行に慣れていない人間だと解る。
 ミネラルウォーターを飲み干し、またもウイスキーのポケット瓶を呷る。
 立ち呑み屋と小さな商店――今ではその二つもシャッターが降りて久しい――の間にある畳一畳分ほどのスペースしかない共用便所に入りドアを閉める。
 そのトイレのドアに向かって3人分の爪先が忍び寄る。
 町乃は用を足している振りをしてトイレの個室でコルトM1911A1を抜いた。セフティを解除。
 肌を刺す感触。
 駆け引きを一つでも間違えたら蜂の巣になる。
 そんなスリル。
 逃げ場も言い訳もできない状況。
 自分を買ってくれるかもしれない連中に対するアピール到来。
 町乃の脳内で様々な夢と希望が暗く渦巻く。
 自然と口元に笑みが浮かぶ。
 左半身。ウイーバースタンス。フィストグリップ。
「……ちょいと話をしませんか? 姐さん……『物騒なモンは仕舞ってくれませんか?』」
 ドアの向こうでそんな声が聞こえる。
 声の位置、足音、物音。3人。
 ドアの向こうに3人居る。
 アルミのドアをぶち抜いても直進する45口径ではない。ドア越しの奇襲は意味が無い。
「こちらの事情は察してくれるのかしら?」
 トイレのドアを開けながらセフティをかけたコルトM1911A1を右手の指にかけて一歩踏み出す。確かに男が3人居た。ヤクザになりきれない風体をした三下だ。
 三下の1人が町乃の右手から静かにコルトM1911A1を奪い取る。
 町乃は両手をホールドアップさせて敵意が無い事を示した。
 他の2人はそれを見て安堵したのか、左脇に伸ばそうとしていた右手を下ろした。
 ……その瞬間だった。
 町乃の左手が右脇に差し込まれて拳銃より遥かに大きなサイズの銃砲……ロシー・オーバーランドSモデル99を引き抜き、腰溜めにして間髪入れず、引き金を引いた。彼女の顔は眼だけが笑っていた。
 爆発に似た銃声。
 12番口径3インチシェルから放たれる9粒の散弾。
 コローンを形成するよりも早くパターンが広がり、2m程離れて真ん中で立っていた男と、左手側に立っていた男の胸部や腹部に命中した。仰向け気味に膝から崩れる。呻き声すら聞こえない。
 直ぐに銃口を右手側に振る。
 そこに居た、戦意を喪失した男は両手を挙げて降参した。
 反射的な降参のジェスチャーだった。
 敢えて、逃げ道の無いトイレに入り込んだ理由がこれだ。
 入り口が狭いトイレ。
 そこに密集してくる尾行者。
 コルトM1911A1を奪わせて安心させて、充分に引きつけた位置から散弾を撃つ。
 確率に言えば複数の標的を仕留められる。
 鉄火場で確率に任せるのは実にリスキーな行為だが、町乃にとっては日常だった。細かい計算は苦手だ。撃って当たって倒れてくれればそれで文句は無い。
「で、結果はこうなったが……私から拳銃を取り上げたんだ。私の何が気に喰わないの?」
 冷笑を浮かべながら目前に立つ麻のジャケットを着た30代前半と思しき男に12番口径の真っ黒な銃口を向けて言い放つ。
「よ、余所者が……ハジキを持った余所者がこの街にやって来たってタレ込みが有って……ウチに楯突く連中が外から雇った殺し屋かもしれない……と思ってずっとつけていたんだ」
「その割に殺す気しか感じられないけど? さっき言ってた話し合いはどこに行ったの?」
「……くっ」
「ちゃんと喋って……今ここで私はあんたを殺しても痛くも痒くもない。ここの街がどこの誰がどうやって仕切っているのかも知らない。私は少しの金を稼いだら直ぐにどこかへ流れるつもりなんだけど?」
 町乃の脳裏では、ヤードでの顧客リストが漏洩している事を疑った。
 ヤードは基本的に中立だ。
 金次第で仕事は引き受けるが、どこの勢力にも与しない事で安寧を保っている。
 そのヤードに内通者や情報屋と通じている人間が居ると睨んだ。
「まあ、いいわ。話を変えましょうか。私を雇う気は無い?」
「…………?」
 混乱の極みに立たされる三下。
 自分達を返り討ちにしておいて今更どの面を下げてそんな台詞が言えるのか神経を疑う。
 町乃は本気だ。
 先ほどはこの街の勢力は知らないと答えたが、勿論、嘘だ。
 この街は幾つかの反社会組織が辛うじて均衡を保って小康状態を維持しているのを知っている。わざと鎌をかけてみたのだ。
「ふん……なるほど……」
 急に冷笑が消えて眼が細くなる町乃。
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