風速で去る明日

 22口径ゆえに殺傷力は心許ないが、22口径でもこの距離から、1mと離れていない距離から後頭部と延髄を撃ち抜けば、三下の勝利だった。
 なのに、彼は弄びすぎた。
 勝利に浸るのが早すぎた。
 至近距離から12番口径マグナムを2発同時に叩き込まれた時、彼の顔は笑顔が張り付いたままだった。
 その顔のまま胸と腹の真ん中に全ての散弾の、全てのエネルギーを受けて巨大なハンマーで殴られたように大の字になって後方へ吹っ飛ばされた。
 背後で濡れた砂袋が落ちるような音を聞いた町乃は立ち上がりながらロシー・オーバーランドSモデル99の空シェルを捨てて温存していたスラッグ弾を詰めた。
 コルトM1911A1を回収。
 ……船外のタラップを降りる足音が聞こえた。
 2人、居る。
 1人が慌て、1人が抵抗する、明らかに未来が抵抗を示しているのだと理解できた。
 船外に出るべく駆ける。
 甲板に飛び出た瞬間、頬を生温い潮風に撫でられる。
 夜の桟橋だ。
 風も強い辺りも暗い。
 足元を照らす外灯は、一定間隔で設置されているので光源には困らない。
 2人……後ろ手に縛られて抵抗する未来の襟首を掴んで引き摺る黒いジャケット姿の男が見える。
 船の甲板から飛び降りたい気分を抑えて逸る自分を宥める。
 船の甲板。潮風がやや強い。光源のお陰で距離は測り易い。
 甲板のタラップ傍にある手摺の一部に落ちていた灰色に変色した綿のロープ――直径1cm。全長2m程の放置された物――を拾い、ロシー・オーバーランドSモデル99の銃身を甲板の手摺に括り付けて固定する。
 元からまともに照準が定められる銃ではない。
 かといって45口径では射程外だ。
 当たれば良い。
 それだけしか考えていない。
 咄嗟に込めたシェルは幸いスラッグ弾。
 射程は文句は無い。
 右片膝をつく。
 照準は適当。雑。大雑把。
 その方向に飛んで当たれば良い。未来に当たる可能性も否定できない。
 未来に当たったとしても、それでも『直ぐに死にはしない』。
 未来という『人質を失えば捨てて奴は逃げるだろう』。
 それはそれでOKだ。
 その時はその時だ。
 心の中で未来に謝る。先に謝る。
 引き金は異様に軽い。軽く感じた。
 ロシー・オーバーランドSモデル99を手摺に括って固定し、ある程度の命中精度を高めての狙撃の真似事。
 これで当たれば半分奇跡だ。
 引き金は異様に軽く感じた。
 その方向に向かって引き金を引いただけに等しい狙撃。
 狙撃と言うには余りにも大雑把。
 着弾。
 外れでも当たりでもいい。
 早く結果が欲しい。
 照準どころか、照門の延長線にはロープが有り、見通しも利かない。それでも引き金を引いた。
 コルトM1911A1なら照準は定められただろう。
 だが、弾頭は素直に飛んでくれる筈が無い。
 少しでも重く、少しでも高初速で、少しでも真っ直ぐ飛んでくれるタマが必要だった。
 着弾の知らせを町乃の眼が捉え、脳にその結果を報せるのに10分はかかったように、長く感じられた。
 実際はコンマ数秒後の事だったのに。
 男の右肩に命中したスラッグ弾。
 男は致命傷に遠い負傷を負い、体が着弾の衝撃で駒のように右足を軸に半回転した。
 何事か叫ぼうとしながら、男は手から放り出さずに握っていた拳銃を町乃の方へ向けた。
 ……町乃は引き金をもう一段、深く引き絞った。
 今度は感覚相応に、時間相応に視界から情報を得ることが出来た。
 男の胸部のど真ん中にスラッグ弾が命中し、男はその場に膝から崩れ落ちた。
 捉えていた男の手が離れた未来は、その場に尻餅を搗いた。
「…………」
 それらを確認。
 無意識に、吸い口を流れるような動作で切り落とした葉巻を銜えて背中を丸めてジッポーで先端を炙っていた。

※ ※ ※

 先日の晩の【誠雲会】がしでかした不始末を上位組織に報告した後、博打と鎌掛けを交えて交渉した結果、上位組織への賠償金の半分の更に半分を免除することで話はついた。
 上位組織なりに下位組織を制御できなかった、監督不行き届きを恥じたのだろう。
 町乃はいまだに未来の家で半野良生活を送っている。
 ヤードから連絡が入ったものの、処理が遅い事に対するクレームを入れてカンカンに怒っている『演技をした』。
 ……その結果、ヤードは顧客を失いたくない一心で下手に出た。
 それを見て空かさず、彼女はヤードに愛車の無料スクラップを申し出た。
 ヤードとしても断る理由は無い。
 それで、そんな事で、それ位の事で顧客の怒りが収まるのならと、勿論、先払いの1万円札の束は返してもらった。
 これで町乃はこの街を出る理由を一つ失った。
 折角のヤードからの返金も衣服や生活雑貨、それに命の源の葉巻に費えた。
 武器弾薬の入手ルートや警察への賄賂、従量制の情報屋への金など払っている余裕が無い。
 最終的に、町乃は手配師が手配してくれる仕事を待つだけの身分となった。
 即ち、街に逗留せねばならない理由が出来たのだ。
 ……そのような理由から、今夜も……否、今朝も命からがら鏑家に帰宅する。
 直帰ではなくアシを消す為に2日間、セーフハウスを転々として。
 午前7時。
 帰宅するなり、玄関から無造作に靴を脱ぎ、廊下を歩きながらパーカーを脱ぎ捨て、ショルダーホルスターを外し、銃が収まったまま廊下に落とし、ズボンのベルトを緩めて一気に引き抜く。
 するとゴトゴトと予備弾薬や予備の弾倉ポーチが廊下に落ちる。
 それを意に介さずにズボンを脱ぎ、シャツを脱ぎ捨て靴下も下着も脱ぎ捨てて、適当に髪を纏める。
 廊下を歩きながらそれら一連を行う。
 やがて鏑家の風呂場に到着。
 掛け湯もそこそこに湯船に浸かる。
 後から改装した風呂場だ。一坪風呂にしては湯船が広い。
「あー…………」
 そんな安堵の息が漏れる。
 町乃はすっかり未来に飼い慣らされた状態だ。
 秋の色が見え始める季節に、疲労を背負ってやや温い湯に浸かって存分に垢を落とす。
 望んでいた安息の形の一つがこうして叶った。
 風来坊失格。
 根無し草だが悦楽主義に浸る気概は無い。
 それでも一仕事終えた後の風呂は最高だ。
 そして風呂上りにTシャツにパンツだけで縁側に座り缶ビールを呷りながら燻らせるベガフィナ・コロナも筆舌し難い快楽。
 今は帰宅できるという、既に諦めた懐かしい雰囲気に浸れる幸せに身を任せていたい。
 未来が脱ぎ散らかした衣類や表看板の銃を拾いながら、何事か文句を喚いているがそれもいつもの風景になってしまった。



 もう少し稼いだら、次の街に行こう。
 そうだ。
 金を稼いだらまた元通りの生活だ。



 もう少し金を稼がなければ……。
 もう少し。
 もう少しだ。
 


 明確な額面? そんな事は瑣末な事だ。
 もう少し金を稼いだら街を出よう。
 未来には悪いが……それが私だ。



 縁側に座りながら、口から葉巻を離した町乃は急激に心地よい眠気に襲われて抵抗もせずに雪崩れるように縁側に寝転がる。
 葉巻を灰皿に置いたところまでは記憶に有る。

 もう少しだ……。

 彼女は一時の安息に身を任せた。




 手配師の協同組合理事長を任されるほど成功を収めた鏑未来が、常に黒いスーツに身を包んだ警護要員の町乃を連れて手配師組合で議題を進行させる大役を仰せつかるのは今から20年後の話。

 ……だが、それはまたの話だ。
 ……ずっと、後の話だ。

《風速で去る明日・了》
18/18ページ
スキ