風速で去る明日
手前の男に加勢に来た背後の男は、それを見て直ぐに来た道を戻り廊下の奥から遮蔽が多すぎて当たらない発砲を繰り返す。
手の甲に散弾を命中させられた男は体を前に折り、失った手首の負傷面を腹に抱えて苦痛を堪えた。自分が置かれている状況を鑑みない無謀な反応。
痛いものは仕方が無い。それを歯を食い縛って我慢する能力が、遮蔽に身を隠してから悶える反応が咄嗟に出来なかったのが男の悲劇だ。
遮蔽の角から頭だけが飛び出た男の右側頭部に45口径の鈍重鈍速の弾頭が叩き込まれて、男は手の甲の痛みから解放された。……この世のあらゆるしがらみから永遠に解放された。
「!」
ここまで何も余裕が有ったのではない。
彼女も被弾している。
アドレナリンが沸騰して痛みを一時的に遮断されているだけだ。
右耳朶の端が欠けていた。
左頬に擦過傷が有る。
デニムパンツの太腿部分から血が流れている。
脳内物質で痛覚が麻痺して、全身のあちらこちらに焼けた火箸を押し当てられた程度の痛みとしてしか認識できない。
右太腿の流血はちらりと視線を落としたが、深刻ではない。
表面の肉を浅く削られただけだ。
右耳朶の欠けた部位の痛みは無視できる程度で、治療が終わっても肉は欠けたままだろうが今は関係無い。
左頬の擦過傷は傷というより火傷のようなものだ。軟膏でも塗れば簡単に治ると思う。
小癪な小さな痛みに悩まされているだけだ。問題無い。動ける。動けないわけがない。
ここで尻尾を巻いてしまっては何もかもが報われない。
未来のためという大義名分は後回しだった。
葉巻代を稼ぐため。弾薬代を稼ぐため。闇医者に頼る金を稼ぐため。次の街で暮らす金を稼ぐため。ヤードから引き取った愛車のガソリン代を稼ぐため。
……そしてようやく、雇用主で手配師で仕事を紹介してくれる斡旋事業を生業としている少女を救うため、と脳裏に浮かぶ。
廊下の奥まった部分からの発砲が煩い。
五月蝿い。
もう鼓膜は限界だ。いい加減にしてくれ。
狭い場所での銃撃戦は何度か有るが、船の中は始めてだ。
客船の中でなら経験はあるが、こんなに狭い船の中でドンパチは初めてだ。
もう金輪際、船での撃ち合いはしない。
そんな話からは一目散で逃げる。
例え未来からの儲け話であっても、だ。
心の底から、あるいは頭の芯から泣き言が溢れ出てくる。
10m向こうでは相変わらずの銃声。
着弾箇所の塗料が剥げる。
眉目が深く皺を刻む。
苛つく心のざわめきと呪詛を込めてコルトM1911A1の引き金を引く。
10m向こうの、針の穴に糸を通すような隙間を縫って右手だけで大雑把に放った45口径の大口径低速弾は、人の気持ちも知らないで好きなだけ発砲する男の額に命中して少しだけの沈黙が訪れた。
これで残り2人を仕留め、未来を救出するのみとなったと咀嚼して自分に言い聞かせた。それを完了するのに30秒を必要とした。
船倉に降りる階段は少しばかり遮蔽の多い角を曲がらなければならなかった。
外へ出る扉は直ぐに見つかる。
船体の中央に砂利を積み込むスペースが大きく開いている。その外周を廻らなければ階段に行き当たらない。
露出するパイプや開け放たれたままの船内の扉が小癪に邪魔。
船内の扉……簡素な合板の物が多かったがその陰に誰かが潜んでいると思うと、蹴飛ばして視界から排除するのも躊躇われる。
遮蔽物の本当に怖い部分がそれだ。遮蔽物は弾除けではない。
防弾効果は皆無でも、そこに人間が隠れられる大きさの板が一枚有るだけで横切るのに勇気が必要になる。
遮蔽は見通しを悪くする為の存在だ。
使い方によれば大きな味方にもなる。
敵に使われれば敵が更に増えたのと同じ効果を及ぼす。
そこに誰か潜んでいるかもしれないと勘繰らせるだけで遮蔽物の有効な活用なのだ。
両手の愛銃をフルロードにする。慎重に進む。
コルトM1911A1を右手で構える。
左手は空ける。
ロシー・オーバーランドSモデル99はホルスターで納まっている。ロシー・オーバーランドSモデル99の予備弾薬は多くない。
強力な弾薬だが、それ故に大きく嵩張りポーチのスペースを大量に消費する。
予備のショットシェルは合計で12発しか持っていない。
船内に吶喊してここに来るまでにかなり消費した。
ショットシェルは拳銃弾より太く長い。
残りは散弾ではない。……スラッグ弾と呼ばれる、一粒弾だ。
今までは散弾だった。後は散弾ではなくサボというケースに包まれた大きく重い弾頭が有るだけだ。
散弾とは違い遠くへ飛ぶ。
大まかに言えば、散弾が空を飛ぶ鳥を撃つための実包なら、スラッグ弾は熊や鹿や猪を仕留める実包だ。
吶喊した際に零れたショットシェルや使用した分も含めて散弾は、今、薬室に詰めている分だけ。残りの2発はスラッグ弾だ。
単純な破壊力では圧倒的にスラッグ弾の方が上だが、ソウドオフの短い銃身ではその本領を発揮する前に弾速が落ちて威力が期待できないのが泣き所だ。
それにお世辞にも命中精度が高いとは言えない。
狙撃には不向きな銃で撃つからだ。
精密な狙撃に適した照門と照星は付いていない。寧ろ、照星部分は切り落とした。
コルトM1911A1の予備弾倉も残り1本しかない。いざとなったら死体の脇で落ちている拳銃を拾い、使う。
「…………!」
――――やばい!
どこかで扉が開く音がした。船内。自分が居る位置から反対側。船内に響く重厚な金属音。外部に出る扉だ。
走る。
細く長い曲がりくねった遮蔽の多い廊下を、走る。
「!」
迂闊だった。気が逸りすぎた。
足元を掬われる。
不意に角から飛び出した足払いに足元を取られる。
それを飛び越える事が出来ない位置だった。……すぐ頭上には露出したパイプが有ったのだ。
前転。無様。前のめりにずっこける。
体の前面が埃塗れになる。
コルトM1911A1を手放してしまう。
コルトM1911A1は擦過音を立てて床を滑る。
速やかに、死が、訪れた。
少なくともその瞬間はそう思っていた。
無防備な背中を敵と思しき人影に晒していたのだ。
引き金を引くのに十分な時間。
その銃は狙って、引き金を引くアクションを行えるのならタマが『当たる確率が発生するのだ』。
咄嗟に発作的に左手を右脇に差し込み、背中を相手に晒したまま――相手の姿形を確認したわけではない。呼吸音と足音で距離を測り、気配で察しただけだ――ロシー・オーバーランドSモデル99の引き金を強く深くしっかりと握り込んだ。
引いたのではない。握り込んだのだ。
人差し指でしがみつくように握り込んだ。
いつもの愛用のパーカーがマズルリングに吹き上げられて裾が大きく靡く。
パーカーの内側が大量の風圧で膨らんだようにも見えただろう。
ロシー・オーバーランドSモデル99の引き金を……2本有る引き金を一気に引いたのだ。
2本の銃身からほぼ同時に発砲された。
約54発の散弾が背後の見えない、気配だけの人影に向かって発砲された。
獲物を前に死を弄ぶ余裕を見せなければ、町乃の背中を取った三下の若者の勝利だった。
まだ20代前半だろう。手にしていたのは22口径10連発のコルトウッズマンだ。
年代物の中古品だ。
瑕だらけでひょろりと長い銃身が特徴的だった。
手の甲に散弾を命中させられた男は体を前に折り、失った手首の負傷面を腹に抱えて苦痛を堪えた。自分が置かれている状況を鑑みない無謀な反応。
痛いものは仕方が無い。それを歯を食い縛って我慢する能力が、遮蔽に身を隠してから悶える反応が咄嗟に出来なかったのが男の悲劇だ。
遮蔽の角から頭だけが飛び出た男の右側頭部に45口径の鈍重鈍速の弾頭が叩き込まれて、男は手の甲の痛みから解放された。……この世のあらゆるしがらみから永遠に解放された。
「!」
ここまで何も余裕が有ったのではない。
彼女も被弾している。
アドレナリンが沸騰して痛みを一時的に遮断されているだけだ。
右耳朶の端が欠けていた。
左頬に擦過傷が有る。
デニムパンツの太腿部分から血が流れている。
脳内物質で痛覚が麻痺して、全身のあちらこちらに焼けた火箸を押し当てられた程度の痛みとしてしか認識できない。
右太腿の流血はちらりと視線を落としたが、深刻ではない。
表面の肉を浅く削られただけだ。
右耳朶の欠けた部位の痛みは無視できる程度で、治療が終わっても肉は欠けたままだろうが今は関係無い。
左頬の擦過傷は傷というより火傷のようなものだ。軟膏でも塗れば簡単に治ると思う。
小癪な小さな痛みに悩まされているだけだ。問題無い。動ける。動けないわけがない。
ここで尻尾を巻いてしまっては何もかもが報われない。
未来のためという大義名分は後回しだった。
葉巻代を稼ぐため。弾薬代を稼ぐため。闇医者に頼る金を稼ぐため。次の街で暮らす金を稼ぐため。ヤードから引き取った愛車のガソリン代を稼ぐため。
……そしてようやく、雇用主で手配師で仕事を紹介してくれる斡旋事業を生業としている少女を救うため、と脳裏に浮かぶ。
廊下の奥まった部分からの発砲が煩い。
五月蝿い。
もう鼓膜は限界だ。いい加減にしてくれ。
狭い場所での銃撃戦は何度か有るが、船の中は始めてだ。
客船の中でなら経験はあるが、こんなに狭い船の中でドンパチは初めてだ。
もう金輪際、船での撃ち合いはしない。
そんな話からは一目散で逃げる。
例え未来からの儲け話であっても、だ。
心の底から、あるいは頭の芯から泣き言が溢れ出てくる。
10m向こうでは相変わらずの銃声。
着弾箇所の塗料が剥げる。
眉目が深く皺を刻む。
苛つく心のざわめきと呪詛を込めてコルトM1911A1の引き金を引く。
10m向こうの、針の穴に糸を通すような隙間を縫って右手だけで大雑把に放った45口径の大口径低速弾は、人の気持ちも知らないで好きなだけ発砲する男の額に命中して少しだけの沈黙が訪れた。
これで残り2人を仕留め、未来を救出するのみとなったと咀嚼して自分に言い聞かせた。それを完了するのに30秒を必要とした。
船倉に降りる階段は少しばかり遮蔽の多い角を曲がらなければならなかった。
外へ出る扉は直ぐに見つかる。
船体の中央に砂利を積み込むスペースが大きく開いている。その外周を廻らなければ階段に行き当たらない。
露出するパイプや開け放たれたままの船内の扉が小癪に邪魔。
船内の扉……簡素な合板の物が多かったがその陰に誰かが潜んでいると思うと、蹴飛ばして視界から排除するのも躊躇われる。
遮蔽物の本当に怖い部分がそれだ。遮蔽物は弾除けではない。
防弾効果は皆無でも、そこに人間が隠れられる大きさの板が一枚有るだけで横切るのに勇気が必要になる。
遮蔽は見通しを悪くする為の存在だ。
使い方によれば大きな味方にもなる。
敵に使われれば敵が更に増えたのと同じ効果を及ぼす。
そこに誰か潜んでいるかもしれないと勘繰らせるだけで遮蔽物の有効な活用なのだ。
両手の愛銃をフルロードにする。慎重に進む。
コルトM1911A1を右手で構える。
左手は空ける。
ロシー・オーバーランドSモデル99はホルスターで納まっている。ロシー・オーバーランドSモデル99の予備弾薬は多くない。
強力な弾薬だが、それ故に大きく嵩張りポーチのスペースを大量に消費する。
予備のショットシェルは合計で12発しか持っていない。
船内に吶喊してここに来るまでにかなり消費した。
ショットシェルは拳銃弾より太く長い。
残りは散弾ではない。……スラッグ弾と呼ばれる、一粒弾だ。
今までは散弾だった。後は散弾ではなくサボというケースに包まれた大きく重い弾頭が有るだけだ。
散弾とは違い遠くへ飛ぶ。
大まかに言えば、散弾が空を飛ぶ鳥を撃つための実包なら、スラッグ弾は熊や鹿や猪を仕留める実包だ。
吶喊した際に零れたショットシェルや使用した分も含めて散弾は、今、薬室に詰めている分だけ。残りの2発はスラッグ弾だ。
単純な破壊力では圧倒的にスラッグ弾の方が上だが、ソウドオフの短い銃身ではその本領を発揮する前に弾速が落ちて威力が期待できないのが泣き所だ。
それにお世辞にも命中精度が高いとは言えない。
狙撃には不向きな銃で撃つからだ。
精密な狙撃に適した照門と照星は付いていない。寧ろ、照星部分は切り落とした。
コルトM1911A1の予備弾倉も残り1本しかない。いざとなったら死体の脇で落ちている拳銃を拾い、使う。
「…………!」
――――やばい!
どこかで扉が開く音がした。船内。自分が居る位置から反対側。船内に響く重厚な金属音。外部に出る扉だ。
走る。
細く長い曲がりくねった遮蔽の多い廊下を、走る。
「!」
迂闊だった。気が逸りすぎた。
足元を掬われる。
不意に角から飛び出した足払いに足元を取られる。
それを飛び越える事が出来ない位置だった。……すぐ頭上には露出したパイプが有ったのだ。
前転。無様。前のめりにずっこける。
体の前面が埃塗れになる。
コルトM1911A1を手放してしまう。
コルトM1911A1は擦過音を立てて床を滑る。
速やかに、死が、訪れた。
少なくともその瞬間はそう思っていた。
無防備な背中を敵と思しき人影に晒していたのだ。
引き金を引くのに十分な時間。
その銃は狙って、引き金を引くアクションを行えるのならタマが『当たる確率が発生するのだ』。
咄嗟に発作的に左手を右脇に差し込み、背中を相手に晒したまま――相手の姿形を確認したわけではない。呼吸音と足音で距離を測り、気配で察しただけだ――ロシー・オーバーランドSモデル99の引き金を強く深くしっかりと握り込んだ。
引いたのではない。握り込んだのだ。
人差し指でしがみつくように握り込んだ。
いつもの愛用のパーカーがマズルリングに吹き上げられて裾が大きく靡く。
パーカーの内側が大量の風圧で膨らんだようにも見えただろう。
ロシー・オーバーランドSモデル99の引き金を……2本有る引き金を一気に引いたのだ。
2本の銃身からほぼ同時に発砲された。
約54発の散弾が背後の見えない、気配だけの人影に向かって発砲された。
獲物を前に死を弄ぶ余裕を見せなければ、町乃の背中を取った三下の若者の勝利だった。
まだ20代前半だろう。手にしていたのは22口径10連発のコルトウッズマンだ。
年代物の中古品だ。
瑕だらけでひょろりと長い銃身が特徴的だった。