風速で去る明日

 男は咄嗟に顔を伏せて、更に手で顔面を覆い、視界から町乃を消してしまう。
 その隙を見逃す町乃ではない。
 前転を止めて片膝を衝いて体勢を安定させるとフィストグリップでコルトM1911A1を保持してダブルタップ。
 5m離れた位置に居た、顔を伏せた男の胸部と腹部に1発ずつ命中し、男はそのまま仰向けに倒れた。
 残り6人。
 屠るべき敵の全戦力がこの作業船に乗り込んでいるのは都合がいい。連中からすれば文字通り総力戦を仕掛けたつもりだろうが、町乃の立場で考えると、狭い空間で目的の未来と鮨詰め状態の方が都合が良い場合が多い。
 コルトM1911A1を右手に。
 左手は今し方、佩いている刀でも抜くかのようにロシー・オーバーランドSモデル99を抜き放つ。
 相変わらずイリーガルなオーラを撒き散らすソウドオフが出番を焦がれている。
 ロシー・オーバーランドSモデル99でドアの蝶番を破壊する使い方は今回はしないだろう。
 ステンレスやアルミの建材やドアでは無い。扉はスチールだ。マグナムシェルで9粒弾を至近距離から叩き付けても表面の塗料を剥がして凹みをつけるのが関の山だろう。
 ……狭い空間だからこそ、散弾は心強い。散弾がスプレーを吹くように広がるソウドオフともなれば尚更だ。扉や壁や天井や床には無意味でも人間相手には大きな意味がある。
 船内の造りはシンプルだ。
 船員の居住に必要な箇所以外は効率良く作業に必要な諸々が押し込められている。
 専門の作業員でなければ扱えない代物も多い。素人が説明無しで往来できる場所は知れている。
 この船は合計で3層からなる。
 三下全員が素人だと仮定するなら、今、立っている場所から1階下に降りた辺りか操舵室に向かう階段を昇るだけだ。
 窮地の人間の心理からして、人質を盾にする人間が一層狭い操舵室に向かうとは考えられない。
 奥まった深い場所に陣取って篭城するはずだ……そんな事を扉を入って直ぐの場所に貼ってあった船内の見取り図を見ながら考えた。
 先ほどの銃声を聞きつけたのか2人分の足音が聞こえる。
 挟撃。
 距離は違うが左右から挟み撃ちにする心算なのだろう。
 一番足音がはっきり聞こえる右手側に走る。
 曲がり角。その角を曲がれば正面衝突する。角の向こうに居る人物の呼吸が聞こえる。自分の足音も聞こえているだろう。
 コルトM1911A1のスライド部分を横銜えにする。角に背を預けて、呼吸をヒュッと吸い込んで止める。
 1秒後、勢いが余った男が曲がり角から飛び出てくる。手に輪胴式拳銃を持っている。
 空いた右手で男の撃鉄が起きていない4インチのS&W M10の輪胴を握る。
 そのままの男の勢いを殺さずに闘牛士のようにひらりと体を回転させて、男の進むベクトルを左手側に巻きつけるように変更させる。
 先ほどの廊下……挟撃を目論んでいたもう一人が罵声を怒鳴りながら自動拳銃を乱射する。
 耳に障る甲高い音が鼓膜を刺す。
 S&W M10の男の背中に銃弾がめり込む。脱力した男が町乃に縋りながらずるずると力無く廊下に倒れていく。被弾した男の体を放棄した町乃は左手を持ち上げてロシー・オーバーランドSモデル99の銃口を大雑把に向けると発砲した。
 手元で爆薬が爆発したかと思うような発砲音だ。
 今度から耳栓も持ち歩こうと心に誓う。
 薬室に詰めていたのは前回の仕事で勝手に拝借した27粒の散弾が詰まったマグナムシェルだ。
 こんなに狭く近い距離――彼我の距離8m以下――で短い銃身から散弾をばら撒けば1発は当たる。
 まさに『下手な鉄砲』を数でカバーしているような状況だ。
 自動拳銃を乱射していた男は上半身に満遍なく被弾し、押し倒されるように仰向けに倒れる。巨大な掌で押されたかのようなモーションだった。
 コルトM1911A1を構えなおし、足元で虫の息の男に向かって発砲。後頭部を破壊する。前方8mの距離で悶える気力も無く息を荒くしている男の頭部も1発で破壊。
 残り4人。
 弾倉の残弾が心許ないコルトM1911A1の弾倉を交換しロシー・オーバーランドSモデル99の薬室から空のシェルを抜き、新しいショットシェルを装填する。
 空のショットシェルが固い床に跳ねて転がる。柔らかく愛嬌の有る図太い樹脂の筒だが、これには悪魔的殺傷力が先ほどまで詰まっていたのだ。
 ニコチンを欲する要求とは不条理なもので、それを欲しがるタイミングは読めるのに対処できない。
 葉巻を銜えて思いっきり紫煙を吐き散らしたいほど、町乃の神経は尖っている。
 脳内の一部分が場違いにも、クールダウンをせよと叫んでいるのだ。心理面でもっと具体的に「冷静になれ」とメタ認知として自分に言い聞かせるのなら論破も可能だが、生理的欲求は止められない。
 一仕事終えてからの一服は最高に旨い。その味は認める。だからできるだけ仕事中の喫煙は避けたい。
 そこまで理性的なのに、紫煙や臭いで居場所が察知されるとは考えたことが無い。
 自分に正直なだけだ……そんな彼女がニコチンの欲求と戦う理由は一つ。
 シガーケースにあと2本しか葉巻が無いのだ。
 情報に課金しすぎた今、1本1000円近い葉巻を気軽に買うだけの余裕が無い。
 早く未来を救出して仕事を手配してもらわなければ干上がってしまう。
 コンビニで安酒も買えない。こんな事ならジムニーをヤードに預けずに売り飛ばせばよかったと考え始める。
 思考が逸れる。一種の現実逃避。
 今度はシガリロで安く済まそう。否、満足感では葉巻が一番だ。だけどこれより安いドミニカ葉巻だと藁を吸っているようなものだ。ホンジュラスの低価格帯葉巻に乗り換えるか? ……思考がどんどん、逸れる。
 7人中3人を片付けた彼女だったのに、今し方の場所を大して移動する事もなく、廊下の奥からの銃撃でその場に釘付けにされてしまった。 思考が鈍ったのではない。
 思考が逸れただけだ。
 鉄火場で思考が逸れると、心の隙が体に現れてしまうためにアクションがことごとく、後手後手に廻る。
 顔の近くに着弾し、塗料とともに弾頭が砕けて弾けて顔に飛びかかる。思わず目を硬く瞑る。
 コルトM1911A1で応戦せずに、ロシー・オーバーランドSモデル99で相手になる。
 コルトM1911A1は腹のベルトに差し、右手に12番口径マグナムシェルを引っ掴む。散弾が1粒でも手足に当たれば勝機が見える。
 狙うより、適当に発砲して確率の高いラッキーパンチを待った方が賢い。
 角を遮蔽にして散弾をばら撒く。
 2発で54個の粒弾を撒き散らす。
 その1発1発の停止力は雀の涙程度だ。停止力は無くとも、当たれば痛い。
 10m以下の距離だと、違法改造されたガスガンから発射されるBB弾よりも遥かに痛い。
 皮膚にめり込んで皮膚が裂けて肉に埋まる。痛みのレベルでは即死に至らない小癪なレベルだ。
 それが複数発、体の到る場所に命中したとしたら……声も出ないほどに痛い。
 集中力が途切れてしまうほどに痛い。
 歯の奥から呼吸を搾り出すのがやっとなくらいに痛い。
 あと3m、距離が近ければ、全身に浴びれば押し倒されるような大きな衝撃を全身で覚える。
 散弾の粒弾は点では押さない。面で押す。
 4発目の12番口径を発砲した時に、待ちに待った勝機が訪れる。
 相手にしている銃撃の方面からもう1挺の銃声が加わったから焦り出した辺りだ。
 手前の男の手の甲に散弾が命中し、その衝撃と痛みに拳銃を放り出した。
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