風速で去る明日

 目指すは港湾部のランチの桟橋。
 そこで停泊している船に未来は拉致されている。
 自転車を放棄してから原付バイクや軽4車などを奪って乗り継ぎ、町乃らしくなく尾行や追跡を警戒せずに港湾部へ真っ直ぐ向かう。
 町乃の心の中で、確かに葛藤は有った。
 今まさに、この街から遁走するチャンスだと囁く自分と、雇用主を救い出すと言う細いながらも確たる筋を通せと叫ぶ自分。
 町乃にも解らない。
 町乃では解らないかもしれない。
 それでも町乃は両脇に銃を吊り下げて軽4車のハンドルを握って、市の港湾部へ辿り着く。
 完全に人気が絶えた倉庫街を抜けて、砂利運搬専門のランチが停泊する桟橋を目指す。
 何百艘と舳先を並べるランチ。
 その中から探し出さねば為らない。……この場合に汚いだの卑怯だの卑劣だのと言われる筋合いは存在しない。
 ハンドルを左手で握りながら迷わず、メールに視線を落として最後のURLをクリックしてアクセスする。
 『12号桟橋。左10m。浮浪者』……たったこれだけの文字列。たったこれだけの文字のみの情報を獲得するのに溜め込んだ金の殆どを使い切った。
 もう葉巻を悠々と吹かすだけの余裕も無い。
 12号桟橋の標識を左折。徐行に落としたところでドラム缶の陰でウイスキーの瓶を呷っている60代と思しき不健康そうな顔色をした痩躯の男が居た。
 無精髭に囲まれた顔。黒ずんで破れが酷い、元が何色か解らないキャップ。薄破れした作業ベストに袖を通して穴の開いた運動靴を履いた男がドラム缶の陰でうずくまって軽く手を挙げた。
「…………『買った者』だ」
 町乃は軽4車のワゴンを捨て、その男に近付きながら急ぐ息を殺して言う。
「この奥の……12号桟橋の奥から手前。ランチの中に、『普通の小型の運搬船』が泊まっている……『20分前に確認した』。間違いない……」
 浮浪者の風体をした情報屋のメッセンジャーはそれだけ言うと立ち去った。
 彼の仕事はここに来る人間……それが誰であっても町乃に言ったのと同じ台詞を一度だけ呟くと、後は何も喋らずにその場から離れるだけの仕事を仰せつかっている。
 情報屋が町乃が最後のURLをクリックして課金してまで情報を買ったからこそ、配置されたメッセンジャーだ。
 アンダーグラウンドでは、このような使いっ走りで生計を立てる人間専門で成り立つ商売も有るのだ。
 あたかも情報屋が町乃に高額な金で情報を押し売りするために未来を拉致したようにタイミングがいい。
 それが有料の、精度が高い情報屋の恐ろしいところだ。
 必要と有らば未来が小用を足した時に何十センチのトイレットペーパーを消費するのかも瞬時に調べ上げるだろう。
 情報屋にとって情報に意味が有る無しは関係無い。
 売れるか否かだ。
 他人にとってはクズ以下で不必要な情報でも、特定の方向にはダイヤモンドのように輝く情報と言う場合が多々有る。
 集められる物は集める。
 必要か必要でないかは関係無い。
 あくまで、売れるか否かだ。
 今回のように売れる情報が合致した場合、情報屋は笑いが止まらないほどの儲けを弾き出す。
 尤も、この時を予測して、未来には情報屋との連携も密にしろ、精度の高い情報屋を確保しろと口煩く聞かせている。
 情報を得るのは簡単だ。その情報を如何に有効に活用するか、だ。そしてその情報の鮮度が落ちる前に如何に料理するかが肝となる。
 それらの手順を予めショートカットしてくれるのが、腕のいい情報屋だ。
 今回のようにメッセンジャーを配置すれば顧客の満足度も上がってリピーターも増えるだろう。
 幅4mほどの鉄筋コンクリで拵えられた桟橋を走りながら右手にコルトM1911A1を抜く。
 桟橋。足場が無ければ海の上だ。潮風が強い。鉄錆臭い潮の香り。やや欠けた月がやけに黄色い。左手首に巻いたウエンガーのダイバーズウォッチは午前0時を報せた。
 平坦な造りをした砂利運搬用ランチが舳先を並べる中、確かに小型タンカーを思わせる外観をした船が一隻、停泊している。
 作業時以外は完全無人のランチと違って、夜でも周囲に存在を知らせるためのライトを点灯させる義務が有る排水量だ。
 人影がチラチラと甲板に現れる。
 煙草を吸う小さな火が消えると人影は船内に戻る。その光景は、船内の空気が淀んでいる事を予想させた。
 空気が停滞した、閉鎖した空間で過ごしているとエアコンが効いていても心理的に風の流れを求める。……人間の体は微細なセンサーの集合体なのだ。そのセンサーを微調整するために自ずと船外に出たがる心理が働く。
 連中が狭い空間で煙草を吸う事に戸惑いを覚える行儀のいい連中だとは思えない。
 タラップは降りたまま。
 こそこそと振舞う必要も無い。
 どうせ……。
「……!」
 ポケットの中で携帯電話が鳴る。
 予めマナーモードに設定してあったので慌てない。
 電話に出る。
「おい。風来坊! お前の女は預かっている。今から手足を落として送り届けてやるから待っていろ! ……まあ、お前がエンコしてから『誠意を見せてくれる』のなら話は聞いてやるがな。どうだ? ん?」
 男の声。横柄。嫌なタイプだ。
 誠意とはこの場合、金を幾ら包むか? と訊いているのだ。
 声の主は町乃が既に喉元に来ているのに気が付いていない。
 情報屋がイロをつけてくれた情報のお陰で敵戦力も判明している。この作業船の中に未来は居る。
 連中は全員、作業船の中に篭っている。
 そもそも、最初の商店街で3人ほど負傷させ、まともに動ける戦力は連中の手元には10人も居ない。
 この場合の勝利条件は、未来を救い出すだけではない。
 皆殺しと言う条件も付随される。
 そうでなければ、報復の繰り返しになる。
 不毛だ。
 故にここで全滅させる。
 仕事以上に丁寧なコロシを供給する必要性が有る……そんなに深刻に考えるほどの人数でもない。
 具体的に7人だ。末端組織だ。元から大した人数ではない。
 【誠雲会】が自分達のメンツを守る為に勝手に起こした事案だ。
 上層組織が介入してくる予定は無い。上層組織とは前に手打ちも済んでいる下位会組織の一つを失ったくらいで瓦解する零細組織ではない。
 携帯電話を切らずにそのまま好きなだけ喋らせる。
 タラップを注意深く上がりながら、甲板に立つ。
 そして携帯電話に向かってそっと囁く。
「……今から誠意を見せに行くから待っていなさいな。『12号桟橋で待っていなさい』」
 最後の一言を理解したのか、電話は直ぐに切れ、船内が騒がしくなる。
 開け放たれたままの鉄の扉を閉めようと三下連中が各所の扉を閉めて廻っているのだ。
 目前に有る、一番手近なドアを締め切られれば勿論、終了だ。その扉に飛びこむ。
 飛び込みながら前転する。
 立ったまま飛び込んでいたら勢いが良すぎて額を扉の上辺にぶつけている。
 前転を終えて立ち上がろうとした時に背後から銃声。
 この狭い空間では銃声は必要以上に大きく聞こえる。
 耳の奥がキーンと鳴る。近い。右手に携えていたコルトM1911A1のセフティを解除して牽制の発砲をする。
 たった1発の牽制でもその銃声は爆発したかのように大きく広がり、巻き上げたマズルフラッシュが顔を薄く軽く撫でる。
 無為に終わらない45口径の1発。
 ドアを閉める為にやってきた一人の男の顔面付近に着弾して弾頭が細かく破砕して男の顔に降りかかる。
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