風速で去る明日

 ここの事務所の最上階――4階部分――の全フロアを借りている暴力団事務所で暴れまわって欲しいとの依頼だが、実情は敵対組織が、警察にマークされていないこの事務所で火の手を上げて注目を集めさせて取引現場や密談の場として使い辛くなるように仕向けたいのだ。
 小学生がインターホンを押して逃げ出すのと同じレベルの嫌がらせだ。規模が大きくなると命が懸かると言う差異は出てくるが。
 流石に警察にもマークされていない、見かけは一般人が借りているように見えるテナントビルだ。
 1階から3階まで階段とエレベーター以外に蛍光灯は点っていない。残業中の社員が奮闘中の様子に見えなくもない。
 実際には不寝番と持ち回りの責任者である幹部が、合計12人でこのフロアで過ごしているだけだ。
 内訳は責任者1人。補佐1人。三下の不寝番10人だ。
 見取り図から人員配置から景気良く、クライアントが協力してくれた。余程、この拠点が小賢しいのだろう。
 計算外も勿論計算する。即ち、遁走に必要な退路だ。
 建物内部に入り込むと、進むも引くも不可能な状態に陥る時が有る。膠着すれば増援が到着して命の保障は無い。寧ろ、命の保障を求める方が間違いだ。
 ベガフィナ・コロナの吸い口を無粋にも軽く八重歯で噛み潰す。
 大きく吸い込んで大きく吐き散らす。
 焦げた中に甘さを見つける事が出来たのなら葉巻の味を理解した証拠だと言われるが、今の彼女の口中は苦虫を100匹ほど放り込んで噛み潰したように不快な感触だ。
 テナントビルの前に立つ前から両脇の銃が重いのだ。
 抜きもしていない、慣れたはずの重さがやけに重いと感じると決まって好い予感がしない。
 鉄火場が近い事を報せるジンクスを持っているのだ。
 町乃が、ではなく、両脇の銃が。
 彼女の心はどこの誰にも束縛されない。
 自分が思ったままの行動をしているだけだ……未来と言う不確定すぎる要素と出会ったのは計算外の外の更に外だったが……。
 ゆらりと銃を抜く。
 両手を同時に両脇に差し込み、ゆっくりと抜く。
 右手にコルトM1911A1。左手にロシー・オーバーランドSモデル99。
 両手の装弾数よりも控えている人間の方が多い。
 狭い空間では広いパターンを形成してくれるソウドオフのロシー・オーバーランドSモデル99の方が奇襲を仕掛け易い。
 連中が密集している部屋も判明している。1発で2、3人くらい仕留められることを願う。
 ソウドオフの2連発とは言え2kg近いので矢張り、片手で長く保持しているのは疲れる。
 早い決着で済ませたい。
 正面玄関には歩哨は居ない。
 物々しい雰囲気を払拭して市井に紛れ込むための欺瞞だろう。両手の銃を構えず、階段を踏みしめながら昇る。
 このテナントビルではエレベーターを使う人間は限られているはずなので警戒され易い。
 4階までの長い階段。途中、何度かフロアごとの階段脇にあるトイレに駆け込んで頭から水を被りたいと思ったことか。
 エアコンが効いているとは言え、湿度が高い。
 体感的な温度は気温計以上のはずだし、不快指数も見たくない数字のはずだ。パーカーを脱ぎ捨ててしまうと、剥き出しになる両脇のホルスターと腰周りの弾薬ポーチを見咎められた場合の言い訳が難しい。
 両脇のホルスターは少し手間と金を掛けて自作した会心の一作だ。コルトM1911A1とロシー・オーバーランドSモデル99を差し込めるショルダーホルスターは自作しない限り、この世に存在しない組み合わせだ。
 3階から4階へ通じる階段の踊り場を向き直りながら、右手のコルトM1911A1を右半身で片手だけで構える。
 背中を壁に任せる。
 左手のロシー・オーバーランドSモデル99はまだ脱力した状態で待機だ。
 4階のフロア各所から話し声が聞こえる。
 今夜の目的はシマ荒らし的行為だ。皆殺しでも万遍無い負傷でも構わない。
 出来るだけ凄惨な状況を作り上げればそれで勝利条件は満たされる。言外に皆殺しを示唆されているような依頼だ。
 未来にクライアントからの注文メールを読ませて貰ったが、表現が曖昧で必要なこと以外は何も明記されていない。
 報酬の割りが好いので、楽な仕事ではないのは覚悟していた。
「…………」
 火が完全に消えた、口に銜えっぱなしだった葉巻を通気窓の外に向かって吐き出す。葉巻に対する愛情の欠片も感じられない仕草だ。
 右手側に折れるとドアが並ぶ直線廊下。
 左手側はトイレと給湯室と清掃用具の倉庫。
 トイレと給湯室は頻繁に使われるのか蛍光灯が明々と点っている。
 小規模の事務室程度の部屋が4つ。脳内の見取り図ではそのように表示されている。
 ドアノブを捻り、廊下側から部屋側へ押すタイプの蝶番。廊下の一番奥に視線を向ける。非常階段へ通じるはずのドアは消火器の置き場になっており、非常時の逃走ルートに直ぐに使えない。
 非常階段が直ぐに使えないのは何も悲観したことばかりではない。
 この場に居る標的全員が逃走を図っても、直ぐに非常階段から外部へ逃げることが出来ないと言う利点も有る……勿論、常に町乃が優勢とは限らないが。
 手近なドア。ドアノブは捻らない。
 ロシー・オーバーランドSモデル99の銃口をドアノブに向けて一発発砲。
 これが戦闘開始の鏑矢となる。
 完全に破壊されたドアノブを蹴り飛ばし、勢いのまま部屋の中に転げて踊りこむ。
 回転する視界。上下の感覚が一瞬、無くなる。
 男たちの罵声やスチールデスクが軋む音も何もかもが耳障り。
 転がりながら右手を一杯に伸ばし、上下が逆様の世界に立つ慌てふためく顔の40代半ばと思われる男の胸に45口径のフルメタルジャケットを叩き込む。
 往々にしてこのような場合は銃口とは反対の方に脅威が存在する。
 直感的に左手を足の爪先の向こうへ差し、ちらりと一瞥しながらその手に握るロシー・オーバーランドSモデル99の引き金を引く。
 居た。
 そこに銃を抜こうとしている男が2人居た。
 5m離れた位置だ。
 缶ビールでも飲んでいたのか顔が赤い。その2人の腹部辺り……二人の立つ真ん中辺りに向けて引き金を引いた。二人は9粒の散弾を満遍なく浴びて大きな掌で体を押されたように後ろへ倒れて尻餅を搗いた。
 2人は起き上がる気配を見せない。フライパンの上の芋虫のように元気に悶えている。
 左手だけでロシー・オーバーランドSモデル99を操作し、排莢し中折れしたまま床に置く。
 右膝を突いて立ち上がり部屋の中を左右へ忙しなく銃口を振る。
 肩で息をする。呼吸を整えようにもアドレナリンが大量に分泌されて上手く呼吸できない。いくら息を吸っても酸素が足りない。鼻を突く硝煙の香りが直ぐに彼女を現実に戻す。
 この部屋にはもう誰もまともに立てる人間は居ない。
 片膝を突き直し、ロシー・オーバーランドSモデル99に片手で引き抜いた12番口径3インチマグナムシェルを薬室に押し込む。片手で薬室を閉じる。
 ソウドオフを再び左手に携えて廊下から出ようとする。咄嗟に踏みとどまる。
 部屋の端のハンガーに掛かっていた誰の物か分からない夏物の灰色のジャケットをロシー・オーバーランドSモデル99の銃口に引っ掛けて廊下に突き出す。
「!」
 予想通りの反撃。
 何発かの銃弾がジャケットに孔を作る。
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