風速で去る明日
前面左側のバンパーを大きく凹ませた赤いジムニー。
軽四車の世界では有名なオフロードモデル。その型落ちした旧いモデルのジムニーは持ち主の愛情が感じられない扱いを受けているのが良く解った。
あちらこちらに擦り傷を拵えながらも、錆止めと微妙に基調が違う赤いペイントで傷跡が誤魔化されている。
耐候性が限界を迎えそうなペイントも、よく目を凝らせば錆や綻びが見えている。
明らかに下駄履きとしての扱いしか受けていない。走ればいい。そんな思想しか窺い知れない。
エンジンの奏でる頼もしいはずの咆哮も、労咳を患って調子の悪い咳を繰り返すような排気音を吐き出す。
配送しか考えられていない牛乳配達で多用される軽四トラックの方がまだ車として幸せな生涯を送れるだろう。
次回の車検をクリアできるか否かより、今までどの様にして車検を乗り切ってきたのか不思議なほどだ。
調子の悪い排気音にガタガタと揺れる車体に目立つ傷を負ってもちゃんと自動車として走行していた。
事故を起こした決定的瞬間を誰にも見咎められなければ問題が無い。そんな赤いジムニーだった。
運転席からラゲッジまで、黒い幌を被せて速度を落として山間の道を行き、マシになった炎天に炙られながら車体を揺する。
舗装されていても細く、大粒の砂利が転がっている国内にしては珍しい悪路だ。
未舗装の道路よりはマシかと思えるが、大きな亀裂を超えるたびに尻を叩き上げる震動は不快だった。
おんぼろのジムニーの運転席側から空のミネラルウオーターのペットボトルが投げ捨てられる。
……このジムニーのオーナーはドライバーのマナーとしても宜しくない心掛けの持ち主だった。
午後4時。
山の合間にひっそりと存在するゴミの集積場を装ったヤードに到着。 広大な面積を不法に占拠し、ゴミの集積場の看板を出している。
そのヤードは身の丈の3倍も有りそうなブリキの壁で囲われており、唯一の出入り口であるゲート以外から中を覗くのは不可能だった。
尤も、山の稜線のようなもっと高い位置からなら全貌を見下ろす事は可能だ。
ヤード。即ち、盗難車輌の解体現場だ。
ゴミ集積場は世を忍ぶ仮の姿で、本当は後ろ暗い手段で集められた盗難車輌をネジのレベルまで解体分解し、海外に密輸したり国内の買い手に売りつける部品を生み出す夢の工場だ。
だが、このジムニーは高く売れない。
寧ろ引き取る為に手数料を払わなければならないほどに酷い有様の車体だった。
そのジムニーがゲートに来るや否や、日本人と中国人の中年2人が走り寄り険しい顔で運転席を覗いたが、幌に囲まれた運転席から1万円札の束が1つ掴まれた手が伸びると、それが通行証だと言わんばかりにゲートが勢いよく開いた。
巨大なアコーディオン型のゲートが開かれてジムニーは今にもエンジンが止まりそうな音を立て、徐行でヤードの内部に入っていく。
駐車場でも何でもない、開けた場所にジムニーが止まり、運転席側の脱落防止チェーンが外されて運転手がスラリと長い足を晒して地面に降り立った。
年の頃は20代後半。
余り手入れが行き届いていない長い黒髪を無造作にポニーテールにして、焦げ茶色のシュシュで纏めている。
オーバーサイズのオリーブドラブの夏物のパーカー。生地が薄く、有り触れたデザインで袖の長さも持て余しているのか、何重にも折って腕まくりをしている。
女だ。そんな女だ。
女というには余りにも大雑把な女だった。
パーカーの下には原色の青いTシャツ。デニムのズボン。トレッキングシューズ。
どこでも手に入る安上がりなファッション。
そもそも彼女にファッションという概念が存在するのかどうかも怪しい。
薄い化粧は施されていたが、唇に引いた淡いピンクのルージュがどこと無く儚げな印象を浮かび上がらせていた。
美貌には違いない。だが、活かされていない美貌。
磨けばシャープな輪郭も、静謐に整ったパーツも、スッと通った鼻筋も、たちまちの内に変貌を遂げる美貌が見事なまでに台無しにされている。
何より、目の色に精気が点っていない。
常に眠気と戦っているような、活力を感じさせない人間の目付きだった。
高い身長。170cmを越える。
女性らしい折角のラインも、二周り以上もオーバーなサイズのパーカーの所為で何も主張していない。
彼女……浅木町乃((あさき まちの)は愛車であるはずのジムニーのエンジンを切ったのにキーは抜かずに、プレハブ2階建ての大型の飯場に向かう。
広大なヤードのブリキの壁際にはうずたかく、使い物に成らない廃棄物が積み上げられている。
日本人や東南アジア系の顔付きの男連中がジムニーから降り立った来客に興味も示さずに通り過ぎる。
密売目的の解体現場のヤードだがもう一つの顔はモグリの車検場だ。 使えるパーツと交換して偽造の車検合格証を発行する。
全てのヤードがもぐりの車検場ではないので、ここはそれなりに儲けが良い商売をしているといえる。勿論、メカニックの腕前が良いという前提の下での評価だ。
浅木町乃はここに愛車というには扱いが雑なジムニーを預けにきたのだ。不具合箇所を整備して車検合格の証書が欲しい為だ。
町乃はしかるべき手続きを飯場で済ませると、ジムニーのラゲッジから大型ボストンバッグを二つ両肩に担ぎ、ヤードが用意した9人乗り仕様のハイエースに体を滑り込ませる。
このハイエースがこのヤードでは往復するタクシーを兼ねている。利用客は作業員が殆どだ。
町乃はハイエースに揺られながら街の入り口に着くまで、しばし眠った。
繁華街。午後7時。平日。
会社から帰宅途中の大きな人のうねり。
これからこの界隈が華やかに活気付く。
町乃はここに来るのは初めてだ。そもそも、町乃は根無し草の風来坊で街を転々として美味い儲け話に少しだけ加担し、上前の端っこを貰うと直ぐに退散して次の街に移動する生活を繰り返している。
定住が性に合わない。
海外で生活をしていた事も有るが、結局、日本に戻ってきた。
海外で覚えたのはイリーガルなライフハックだけだったが、日本国内でもアンダーグラウンドではある程度、役に立つのを実感したので無駄な放浪の旅ではなかったと思っている。
先ずは荷物をカプセルホテルに置く。
値段相応の女性用カプセルホテルだ。
酔客が終電を逃して寝場所がごった返す前にカプセルホテルを確保した。完全個室のシャワーブースで初めてオーバーサイズのパーカーを脱ぐ。
ショルダーホルスターが両脇に吊り下げられている。
右脇には水平2連発のソウドオフショットガン。
左脇にはM1911A1。
腹の辺りや後ろ腰には予備弾薬を収納しておくポーチがぎっちりと巻かれている。
M1911A1の弾倉に12番口径マグナムシェルの革ポーチ。
まともなルートで入手した代物ではない。
国内でも銃砲店で扱われている12番口径だが、彼女のポーチに納まっているのは色もメーカーもバラバラで統一性が無い。
シェルにプリントされている文字を見れば、スラッグ弾か九粒弾しかないのが解るが、シェルのメーカーがバラバラなので美しさに欠ける。
軽四車の世界では有名なオフロードモデル。その型落ちした旧いモデルのジムニーは持ち主の愛情が感じられない扱いを受けているのが良く解った。
あちらこちらに擦り傷を拵えながらも、錆止めと微妙に基調が違う赤いペイントで傷跡が誤魔化されている。
耐候性が限界を迎えそうなペイントも、よく目を凝らせば錆や綻びが見えている。
明らかに下駄履きとしての扱いしか受けていない。走ればいい。そんな思想しか窺い知れない。
エンジンの奏でる頼もしいはずの咆哮も、労咳を患って調子の悪い咳を繰り返すような排気音を吐き出す。
配送しか考えられていない牛乳配達で多用される軽四トラックの方がまだ車として幸せな生涯を送れるだろう。
次回の車検をクリアできるか否かより、今までどの様にして車検を乗り切ってきたのか不思議なほどだ。
調子の悪い排気音にガタガタと揺れる車体に目立つ傷を負ってもちゃんと自動車として走行していた。
事故を起こした決定的瞬間を誰にも見咎められなければ問題が無い。そんな赤いジムニーだった。
運転席からラゲッジまで、黒い幌を被せて速度を落として山間の道を行き、マシになった炎天に炙られながら車体を揺する。
舗装されていても細く、大粒の砂利が転がっている国内にしては珍しい悪路だ。
未舗装の道路よりはマシかと思えるが、大きな亀裂を超えるたびに尻を叩き上げる震動は不快だった。
おんぼろのジムニーの運転席側から空のミネラルウオーターのペットボトルが投げ捨てられる。
……このジムニーのオーナーはドライバーのマナーとしても宜しくない心掛けの持ち主だった。
午後4時。
山の合間にひっそりと存在するゴミの集積場を装ったヤードに到着。 広大な面積を不法に占拠し、ゴミの集積場の看板を出している。
そのヤードは身の丈の3倍も有りそうなブリキの壁で囲われており、唯一の出入り口であるゲート以外から中を覗くのは不可能だった。
尤も、山の稜線のようなもっと高い位置からなら全貌を見下ろす事は可能だ。
ヤード。即ち、盗難車輌の解体現場だ。
ゴミ集積場は世を忍ぶ仮の姿で、本当は後ろ暗い手段で集められた盗難車輌をネジのレベルまで解体分解し、海外に密輸したり国内の買い手に売りつける部品を生み出す夢の工場だ。
だが、このジムニーは高く売れない。
寧ろ引き取る為に手数料を払わなければならないほどに酷い有様の車体だった。
そのジムニーがゲートに来るや否や、日本人と中国人の中年2人が走り寄り険しい顔で運転席を覗いたが、幌に囲まれた運転席から1万円札の束が1つ掴まれた手が伸びると、それが通行証だと言わんばかりにゲートが勢いよく開いた。
巨大なアコーディオン型のゲートが開かれてジムニーは今にもエンジンが止まりそうな音を立て、徐行でヤードの内部に入っていく。
駐車場でも何でもない、開けた場所にジムニーが止まり、運転席側の脱落防止チェーンが外されて運転手がスラリと長い足を晒して地面に降り立った。
年の頃は20代後半。
余り手入れが行き届いていない長い黒髪を無造作にポニーテールにして、焦げ茶色のシュシュで纏めている。
オーバーサイズのオリーブドラブの夏物のパーカー。生地が薄く、有り触れたデザインで袖の長さも持て余しているのか、何重にも折って腕まくりをしている。
女だ。そんな女だ。
女というには余りにも大雑把な女だった。
パーカーの下には原色の青いTシャツ。デニムのズボン。トレッキングシューズ。
どこでも手に入る安上がりなファッション。
そもそも彼女にファッションという概念が存在するのかどうかも怪しい。
薄い化粧は施されていたが、唇に引いた淡いピンクのルージュがどこと無く儚げな印象を浮かび上がらせていた。
美貌には違いない。だが、活かされていない美貌。
磨けばシャープな輪郭も、静謐に整ったパーツも、スッと通った鼻筋も、たちまちの内に変貌を遂げる美貌が見事なまでに台無しにされている。
何より、目の色に精気が点っていない。
常に眠気と戦っているような、活力を感じさせない人間の目付きだった。
高い身長。170cmを越える。
女性らしい折角のラインも、二周り以上もオーバーなサイズのパーカーの所為で何も主張していない。
彼女……浅木町乃((あさき まちの)は愛車であるはずのジムニーのエンジンを切ったのにキーは抜かずに、プレハブ2階建ての大型の飯場に向かう。
広大なヤードのブリキの壁際にはうずたかく、使い物に成らない廃棄物が積み上げられている。
日本人や東南アジア系の顔付きの男連中がジムニーから降り立った来客に興味も示さずに通り過ぎる。
密売目的の解体現場のヤードだがもう一つの顔はモグリの車検場だ。 使えるパーツと交換して偽造の車検合格証を発行する。
全てのヤードがもぐりの車検場ではないので、ここはそれなりに儲けが良い商売をしているといえる。勿論、メカニックの腕前が良いという前提の下での評価だ。
浅木町乃はここに愛車というには扱いが雑なジムニーを預けにきたのだ。不具合箇所を整備して車検合格の証書が欲しい為だ。
町乃はしかるべき手続きを飯場で済ませると、ジムニーのラゲッジから大型ボストンバッグを二つ両肩に担ぎ、ヤードが用意した9人乗り仕様のハイエースに体を滑り込ませる。
このハイエースがこのヤードでは往復するタクシーを兼ねている。利用客は作業員が殆どだ。
町乃はハイエースに揺られながら街の入り口に着くまで、しばし眠った。
繁華街。午後7時。平日。
会社から帰宅途中の大きな人のうねり。
これからこの界隈が華やかに活気付く。
町乃はここに来るのは初めてだ。そもそも、町乃は根無し草の風来坊で街を転々として美味い儲け話に少しだけ加担し、上前の端っこを貰うと直ぐに退散して次の街に移動する生活を繰り返している。
定住が性に合わない。
海外で生活をしていた事も有るが、結局、日本に戻ってきた。
海外で覚えたのはイリーガルなライフハックだけだったが、日本国内でもアンダーグラウンドではある程度、役に立つのを実感したので無駄な放浪の旅ではなかったと思っている。
先ずは荷物をカプセルホテルに置く。
値段相応の女性用カプセルホテルだ。
酔客が終電を逃して寝場所がごった返す前にカプセルホテルを確保した。完全個室のシャワーブースで初めてオーバーサイズのパーカーを脱ぐ。
ショルダーホルスターが両脇に吊り下げられている。
右脇には水平2連発のソウドオフショットガン。
左脇にはM1911A1。
腹の辺りや後ろ腰には予備弾薬を収納しておくポーチがぎっちりと巻かれている。
M1911A1の弾倉に12番口径マグナムシェルの革ポーチ。
まともなルートで入手した代物ではない。
国内でも銃砲店で扱われている12番口径だが、彼女のポーチに納まっているのは色もメーカーもバラバラで統一性が無い。
シェルにプリントされている文字を見れば、スラッグ弾か九粒弾しかないのが解るが、シェルのメーカーがバラバラなので美しさに欠ける。
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