躊躇う脅迫者

 今回引き受けた依頼との関連性が明確でないので刺客を差し向けられた事は一旦保留する。
 繁華街を歩く。
 この界隈の情報屋を当たる。
 情報屋といえどもそれなりに組合が存在する。
 区域を所轄の壁として、隣町にはノータッチを貫く情報屋も少なくは無い。
 ネットで何でも検索できる時代に、実はアナログな義理を貫いて侠客の如く縄張りを守っているのは、世界に壁がないと思われている情報屋界隈なのだ。
 情報屋を尋ねながら脳内で香織と出会った時のことを反芻する。
 彼女の可愛らしさを思い返してその姿を投影させながらレズ専門の風俗嬢を抱くのも一興だったが、それ以上に気になる点が有った。
 何故、香織はあのホテルの契約の場で……厳密には契約に入る前に何も話を聞かずに、煙草を吸っているだけの素振りを見せている雪子に『資料に書かれてあったワードを洗い浚い全て話したのだろう?』
 通常は、依頼人が感情的に捲くし立てるように喋る時は、自分の思いの丈をぶつけるように内情を探偵にぶつけてくる。
 探して欲しい対象が自分に対してどんなに酷いことをしたのかとか、自分にとってどんなに大事なのかとか、どのような経緯が有って探して欲しいか、などだ。
 だが、香織は持参した資料に書かれてある事を、後で見返せば何も問題が無い事柄を、全て捲くし立てるように喋った。
 彼女の依頼に……依頼する表情に、対象の3人の人物に対する敵意や悪意や、はたまた敬意といったものは感じられなかった。
 情報屋を梯子。
 出来るだけ自分の街とは繋がりを持っていない情報屋を当たる。
 現在の探偵業は……情報屋を用いた探偵業はさながらパズルが如し。
 集めた情報を整理して、ピース同士を合わせて枠の広さやピースの数が解らないパズルに挑戦するようなものだ。
 そのピースの一つに香織も組み込まれている。
 探偵が依頼を引き受ける上で最低限守って欲しい大前提として、依頼人が一切嘘を吐いていないという点だ。
 依頼人が嘘を吐いていると大前提が崩れてしまい、何事も進まず何事も解決せず何事も達成できない。
 香織が嘘を吐いているとは思えない。
 本当にその3人を探して欲しいのだろう。
 だが……予想はしていたが、3人の名前を追跡するのは少し骨を折っただけで済んだが、どうしても加賀誠なる、姿形やプロフィール、所属する勢力も一切不明の名前しか判明していない人物に突き当たり、そこで頓挫する。
 追跡対象の3人は確かに時期を殆ど同じにして加賀誠と接触し、『地下に潜っている』と思われる。
 3人の人物を一挙に足跡不明にさせてしまう有力者。
 そして3人の経歴……対象である3人の経歴は何れも犯罪者だった。
 小悪党や三下という、湿気た使いっ走りではなく、それぞれが別々の勢力の中堅幹部以上のポストに座っているエリートだった。
 組織同士の抗争が起きれば必ず派閥を形成できるだけの実力を持った人物だった。
 表面上の、明るい世界向けのプロフィールは会社役員となっていたが、裏の世界では名前の通った人間ばかり。
 その3人が突如不在となったことで、それぞれの組織内部で謀反人を粛清する折に殺害されたらしいとの噂や、事故で重体に陥り出世ゲームから脱落したなどの噂。
 噂。噂の類以上に確実性信頼性信憑性の高い噂がヒットしない。
――――共通している点は……。
 雪子は喫煙区域のラベルを見かけた路地で立ち止まり、ジタンカポラルを銜えた。
――――『噂の上では』全員が死んでいるか、死にかけの傷を負っている事だなんだよね……。
 掌で覆いながら【サラトガ】のロゴが入った深緑のブックマッチで火を熾し、ジタンカポラルの先端に移す。
 先ずは大きく一服。
 口中に癖の有る重さを感じさせる甘苦い煙が充満して細く吐く。この見慣れた青い箱の1本が脳味噌に活力を与える錯覚を感じる。
――――全員が死亡乃至、負傷して出世街道から落伍した途端、突然加賀誠という人物の名前が上がる……。
――――加賀誠は『本当に3人と接触したのか?』
――――死んだ人間の遺体や死にかけの負け犬に何の用が有った?
 今回の依頼は全て加賀誠という人物に集約されている。
 当てにしていた情報屋に、逆に加賀誠という人物の情報を買い取らせてくれと頼まれる始末だ。
 3人の対象者を追跡するのは細心の注意が必要だ。
 その筋では名前が通った反社会組織――暴力団、第三国マフィア、密売シンジケート――の重鎮になりあがると思われていた人物たちだ。深入りして踏み外すと雪子が『消される』。
 2本目のジタンカポラルに火を点ける。今度はいつも通りにゆっくりと少しずつ味わう。
 対象の3人と加賀誠の接点。
 加賀誠が如何にして裏世界から、対象の3人を煙の如く消し去ったのか……そして香織の、3人を探す目的は? 似通ったワード。それぞれは絶妙に別の方向を向いている。
 香織の依頼は3人の行方。
 最優先事項は生死不問の確認。
 次に行方。
――――? 何故、『生死不問』なんだ?
 とっ捕まえてその首を香織に差し出せとは聞いていない。
 生死不問で行方が解ればそれで満足するのだろうか?
 それで彼女なりに解決する事案なのだろうか?
 香織は嘘を吐いていない。だが、全てを話していない。
 話す内容でないのかもしれない。
 探偵としての職掌を超えた何かを含んでいるので、嘘は吐かずに本当の事を喋らなかっただけなのかもしれない。
「…………」
 人混みが増してきた雑踏を眺めながら心ここにあらずという少し呆け気味な表情で視線を宙に向けてジタンカポラルを吹かす。


 それから数日間、近隣の街に出かけては情報屋を当たり、情報を掻き集めたが、似たり寄ったりでこれと言った収穫は無かった。
 左脇にSIG P230を吊るしたまま、繁華街の路地裏や浮浪者が集まる廃棄区画にも足を運ぶ。
 『自分が尾行されているのを認識していた』。
 襲撃の機会を窺っているのか、単純に雪子の行動パターンを調べたいだけなのか、粗末な尾行だった。
 時折、振り向いて複数の尾行者を睨んだら、どいつもこいつも心臓を鷲掴みされたような顔をして立ち止まる様が面白かった。
 自宅に帰ってぐっすりと眠っている間も、自宅内部に勝手に上がりこむ事が無いので何とも奇妙な尾行だった。
 それでも何度か命の危険を感じることは有った。
 身形も年齢もバラバラの男に数名の女性。
 それらの覚えた顔で情報屋に照合してもらったら、金で何でも引き受ける三下連中だと解る。
 暴力団の末端組織に属している三下なのだが、そのモンタージュ作業を繰り返している内に奇妙な符号が揃い始めた。
 指定暴力団の5次以下団体の三下だけだと思っていたのだが、第三国マフィアや密売シンジケートの斥候扱いのチンピラも混じり始めた……調査対象の3人が所属する組織の息が掛かった最低辺の組織から廻された使い捨て同然の連中だった。
 更に数日後。雪子は自分からモーションを掛けてみた。
 自分から、『情報源となる浮浪者が潜んでいない』、廃棄された倉庫街に1人で入り込み、尾行する連中を一まとめに集めたのだ。
 勿論、集めたと言っても穏便に会合を開くわけではない。
 実力行使だ。
 『口の聞ける奴から情報を聞きだす』つもりだ。
 午後11時を少しばかり経過。
 風が湿度を帯びる。
 海が近いので腐ったような潮の臭いも混じる。
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