躊躇う脅迫者

 きびすを返して、今走ってきた路地に向き直り、体を路地に突き出たエアコンの室外機に隠す。
 遮蔽としても防弾としても拳銃弾相手なら充分な役目を果たすだろう。その陰からコンパクトを取り出して追っ手の数を確認する。
――――4人か……。
――――分かれた連中は何人だ?
 連中は遠慮なく発砲する。同じ発砲音。
 同じ口径を使っているのだろう。
 自動拳銃らしく、金属の乾いた小さなノイズが聞こえる。
 弾き出された空薬莢が壁に当たって転がっているのだ。
 黴臭い路地裏に早くも硝煙の臭いが混じり始める。彼我の距離、15m。狙撃に自信はない。狙撃できるような拳銃は持ち合わせていない。それでも発砲。
「!」
 9mmショートのフルメタルジャケットが弾き出された瞬間に驚いたのは雪子の方だった。
 初弾が先頭を走る、遮蔽を使わずに愚直に発砲しながら突進してくる男の鳩尾に命中したのだ。
 男は前のめりにつんのめるようにして倒れる。一方的な優位性を信じていた追っ手の顔色に驚愕が浮かぶ。
 雪子が拳銃を所持していた事実を知らないという顔付きだ。
 慌てて追っ手の3人は遮蔽に飛び込もうとするも、遮蔽らしい陰が見当たらず、左右の壁に背中を任せて蟹のようにへばりつく。
 10m強の距離。外さない自信が有る。
 この隙に逃げる事を選ぶはずだが、雪子はその3人に、遮蔽らしい物に身を任せない、無防備な連中に向かって発砲した。
 雪子は自分の背後に足音を聞いたからだ。
 二手に分かれた連中の一方の集団だろう。
 目前の3人より人数が多いようだ。
 逃走ルートを脳内で再検索する。
 3人の間抜けで無防備な姿を晒している男達を片付けて真っ直ぐシャッター街に逃げた方が安全だ。……それの方がまだマシだった。
 目前10m強の位置に居る男達は兎に角弾幕を張った。
 トリガーハッピーに陥ったかのような乱射だった。
 弾幕を張っているうちは自分の命の安全性は保証されているという安心感を得るのだろう。
 彼らが放つ弾頭はことごとく雪子が潜む彼女の背丈ほどに積み上げられた室外機によって防がれる。
 銃声だけが乱調に轟く。
 空薬莢が規則性を感じさせずに耳障りな金属音を奏でる。
 直ぐに雪子にイニシアティブが移る。
 目前の3人の弾倉が空になったのだ。
 意外に短い乱射。シングルカアラムの自動拳銃なのだろうか。多弾数の軍用拳銃というシルエットではなかった。
 慌てふためいて弾倉交換をする連中に連携は見られない。
 前方の3人を障害物と見做して発砲。
 無駄な銃弾は使わない。
 胴体に1発ずつ叩き込む。
 重傷に陥るかもしれないが、重体にはならないだろう。
 男達が交換しようと手にしていた予備弾倉を放り出して前のめりに倒れる。
 呻き声をひねり出すだけの元気が有るので無視しようとしたが、男達の隙間を縫う直前に急ブレーキをかけて立ち止まり、放り出されて地面に転がっている予備弾倉を空かさず集めた。
 何れもワルサーPPK/Sの予備弾倉で、口径が9mmショートだった。雪子のSIG P230と共用できる実包だ。
 右手に握っていたSIG P230のデコッキングレバーを押し下げてハンマーを安全位置まで戻すとホルスターに一旦仕舞う。
 走りながら回収した3本の予備弾倉から次々と9mmショート弾を抜き出してバラ弾をジャケットのポケットに仕舞いこむ。
 21発分の実包をポケットに落とすと空弾倉を次々と捨てる。
 遮蔽になる路地の辻を見つけてそこを左に折れる。
 辻の角を遮蔽としながら、今し方拾った9mmショート弾を自分のSIG P230本体に差し込んである弾倉に補弾する。
 4発、補弾。
 2本しか予備弾倉を持っていない雪子には思いがけない拾得物だった。
 弾倉を叩き込んだSIG P230を再び右手に握ると、壁に背を任せて呼吸を整える。壁の冷たさがジャケット越しに伝わって体を冷やしてくれる。
 SIG P230の大きな難点として、片手で全ての操作を行えない点がある。
 全ての弾を撃ち切るとスライドが後退したまま停止するが、左手でスライドを数mmほど後退させ、スライドストップから離してスライドを前進させなければならないし、弾倉交換の際にはマガジン底部に有るコンチネンタル型と呼ばれるマガジンキャッチを左手で押し、弾倉を抜き取らなければならない。
 一瞬のロスも許されない戦闘区域では不利な事この上ないが、設計の不備ではなく、使用が想定される状況に合わせての事だ。
 ……SIG P230は私服警官の司法拳銃として設計された。
 長丁場の銃撃戦は想定されていない。
 小型軽量で普段は私服の下で邪魔にならず、撃つ時だけ9mmの火力が求められる護身用としての用途が大前提で設計された。
 銃撃戦が想定されるのならそれに相応しい銃を持てばいいという思想の元に考案されたので、タクティカルな側面は殆ど考慮されていない。実戦でのCQCでは9mmショートの出番すら威力不足で疑問なのだ。
――――何人? 何人着いて来た?
 コンパクトを翳して角の向こうを窺う。
――――暗いなぁ……。
――――4人、か?
 右手のSIG P230を握り直す。
 SIG P230には安全装置が付いていないので、その点だけは評価できる。
 今の時代、余程タイトな拵えをした自動拳銃でも使わない限り、土壇場での作動不良はありえないし、弾薬の質も向上しているので撃発不良も少なくなった。
 空薬莢を排莢口に噛み込む作動不良を起せば、もう一度スライドを引けば解決だし、撃発不良も同じく、スライドを引いて薬室の不良実包を強制的に排莢すればいい。
 一昔前はその辺りのリスクを鑑みて2インチの輪胴式拳銃を持ち歩くオフィサーが多かったが、最近では弾数による制圧力の都合から輪胴式を使う司法関係者も少なくなっている。
 国内に於いては未だに警官は38口径の輪胴式で予備弾も持たせてもらえず、私服警官もSIG P230の日本警察向けモデルのP230JPを採用しているが、口径は32口径で頼り無い火力だ。
 その分、弾数が増えているのでそちらの方で足りない部分をカバーしているのだろう。
 使えば使うほどに鉄火場向きでないと言う事を思い知らされるSIG P230を握りながら、追っ手の数を4人だと確認し、反撃はせずに路地の奥に向かい、遁走を図る。
 追っ手の殲滅が勝利条件ではない。
 無事な遁走が勝利条件だ。
 連中の拳銃を視れば解る。連中は大量に仕入れた拳銃を持たされただけで連携もままならない。
 即席の尾行集団。尾行と言うにもおこがましい。
 どこかの何者かが雪子を脅迫するのに差し向けた連中だろう。雪子を殺すつもりならさっさと腕利きの殺し屋を雇って『消している』。
 薄暮の時間帯を過ぎつつある。
 夜陰と言うには少し明るいが、追っ手の連中が自分達の仲間の呻き声に恐れ慄いている間に繁華街方面に爪先を向けて走り出した。


 隣町の繁華街。
 午後7時。
 賑わいが加速し出す時間。
 路地から抜けて繁華街の表通りに出てきた雪子は、何も知らぬ善良な市民を装って人の流れに紛れ込む。
 先ほどの追っ手の連中に心当りは無い……わけでも無い。
 探偵ともなれば仕事で得た情報を取捨選択して情報屋に売り渡すのもアルバイト代わりにしているので、情報漏洩を恐れた以前のクライアントが雇ったとも考えられる。
 情報が廻り廻って、自分の重要な情報が横溢しているしている事実を今頃知って、今頃刺客を差し向けたという事も考えられる。……過去に何度か同じ事が有った。
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