躊躇う脅迫者

 探してくれと言われたから商売で人探しをするだけ。たったそれだけなのだが……。
――――いや、よそう。
 それ以上深く考えるのは止めた。
 明るい世界の人間が何故、数多居る暗い世界の探偵の中から何故自分を選んだのかと、考えが及ぶと限りが無い。
 猜疑心と好奇心が入り混じった感情を一旦、押し殺す。
 折角の仕事だ。経費前払いも申し分ない。得意先に成る可能性はどこに潜んでいるのか解らない。
 雪子は良い仕事をしようと誓ってホテルの駐車場から帰宅した。

 即日、仕事開始。
 午後4時。
 脚で情報を集める探偵は現在では絶滅危惧種だ。
 無駄を省く為に使える伝や情報屋を総動員するのがオーソドックスだ。
 どこの情報屋を当たっても、有料の情報屋を頼りにしても、不思議なことに対象の3人ともが加賀誠(かが まこと)なる人物の庇護下に置かれた形跡以降が探れない。
 その加賀誠なる人物もどこのどのような人物であるのかが判然としない。
 自宅の2DK。ぼろい普請のアパート。3畳の申し訳程度のDK。4畳半と6畳の和室。風呂とトイレは後に改装したので真新しいが、お世辞にも広いとは言えない。
 組み立て式のロフトベッドが幅を利かせる6畳間。そこから、錆がびっしりと覆った、安全とは言い難いベランダに出られる。
 薄暗い部屋。
 日が差し込む時間は限られている。
 ジタンカポラルの煙で程好く燻された室内は潔癖を常とする人間が踏み込めば3分と尻を床に着けたくは無いだろう。
 女性の1人暮らしというより、昭和の香りが漂う貧乏な学生のアパート住まいを連想させた。
――――加賀? 誰だ? そんな有力者が居たのか?
 3人もの対象を探ってくれという依頼自体が本来なら異常だった。
 普通は1回の依頼で1人を対象として人探しを頼むものだが、3人とも居場所を突き止めてくれとは奇怪な依頼だ。
 それだけでも難易度が高いのに、3人とも加賀誠なる人物の庇護下に入った後の行動が不明瞭なのだ。
 そもそもそのような圧力と権威を持つ人物が暗い世界に存在したのか? ……プリペイド式スマートフォンのディスプレイを見ながら頭を抱える。
 6畳間に置いたロフトベッドの上で寝転がりながら、無為に時間が過ぎるのを実感する。
――――これは駄目だな。自分で『洗う』か……。
 複数の情報屋が口を揃えて加賀誠なる人物から先の情報を突き止められないと口走る。
 もっと高額な情報料を払えば別なのだろうが、1日当たりの経費を雪子自身が提示したので、必要経費といえど無闇に金はばら撒けない。
 寧ろ、金を撒いて情報屋を探れば対象に逆に悟られてしまう可能性がある。
 情報屋から入電があった携帯電話の画面を消し、紫煙臭い布団の上から床に降りる。
 組み立て式でナイロン製の簡易クローゼットからショルダーホルスターを抜き出し、サスペンダーを掛けるように装着する。
 ホルスターには既に中型の自動拳銃が控えている。
 ホルスターの反対側には2本の予備弾倉が差し込まれた、少し旧い型の革製システムショルダーホルスターだ。
 嫌な予感がする。
 勘や経験という実体験にもよるが、雲行きが怪しい方向に流れていくのを携帯電話のディスプレイを確認してから感じとった。
 一筋縄では行かない。
 アクシデントやハプニングやトラブルやインシデントの一つや二つは覚悟しなければならない。……そう悟った。


 いつものジャケット姿で自宅アパートから出て、頭に叩き込んだ3人の追跡対象の足跡を辿る。
 愛車のデミオを走らせて、隣町の駅前繁華街に到着。
 帰宅ラッシュと重なりかけの時間帯だったので多少は混雑したが、法定速度を遵守。
 繁華街の外れにある駐車場にデミオを停める。ここに来る途中で繁華街を運転しながら見て廻ったが、もう既に混雑をみせている。
 帰宅の混雑というより、呑める場所に足を速める帰宅中の会社員が多い。
「…………」
――――『地雷』、か……。
 駐車場から繁華街の中心まで徒歩20分。
 その間は人の波が遮断されたようにシャッター街が続く。
 繁華街の旺盛に客を取られて廃墟同然となった商店街の成れの果てだ。
 酔っ払いすらショートカットに選ばないシャッター街の歩道を歩いていると自分の足音以外の雑音を耳にする。
――――『地雷』っぽいと思ったんだよねぇ。
 尾行。尾行が職掌の探偵を尾行するとはいい度胸だ。
 複数の足並みは、揃える気が無いらしい。数で圧すつもりか。
 街灯が心許ない。
 だが、光源は充分だ。
 背後に複数の足音。
 雪子の前方の視界に入らなければ尾行は成功だと思っている節さえある。
 足音は二手に分かれたようで、足音の数が半分に減る。先回りしてシャッター街の出口付近を押さえる算段だろう。
 『途中に折れ曲がる事ができる路地裏への入り口が有るという事に目をつぶれば』及第点だった。
 急に歩調を上げて目前5mの路地へ折れる小路に体を滑り込ませる。 その直後だ。銃声。
 人気の無いシャッター街に乾いて響く。
 大型の癇癪球を鳴らしたような腑抜けな発砲音だが、直撃すれば命に関わる。
――――撃ってきた!
――――最初から容赦無しか!
 雪子も右手を左脇に滑り込ませ、そこで鎮座する自動拳銃のグリップを握る。
 左手首の腕時計に視線をチラリと落とす。薄暮の時間のはずだが、これからこの一帯は賑やかになる。
 寂れを通り越したシャッター街だから人は来ないとタカを括るには早い。
 連中の正体が何であるかを細かく推測するのは後回しだ。
 殺すつもりで連中は徒党を組んで尾行までして雪子を追っている。
 財布でも取り出すかのような、滑らかな手つきで自動拳銃を左脇から抜き出す。
 SIG P230。全長170mmにも満たない中型の自動拳銃だ。 9mmショートを7+1発飲み込む程度の火力だ。
 元々護身用として携行しているだけの拳銃なので大した期待は寄せていない。
 連中に隙を作らせて遁走すれば勝ちなのだ。
 SIG P230をメインアームとして最前線で活躍するのは些か、心許ない。
 いつでも薬室に実包を送り込んである。
 その上で撃つ時はセフティを解除する手間も惜しむので、元からセフティの付いていない、それでいて普段は目立たない軽量のこの自動拳銃を選んでいる。
 そもそも予備弾倉も2本しかない。長丁場の銃撃戦などは想定していない……過去に何度も鉄火場を経験しておきながら、SIG P230の火力不足に泣かされておきながら、それ以外の拳銃を入手しないのは単に金が無いだけのことだった。
 SIG P230の9mmショート弾では6mも離れれば相手のバイタルゾーンに的確に弾頭を叩き込んでも致死率は低い。
 無力化させるのなら充分だが、脳内麻薬で興奮している人間相手だと『命中した事にさえ気が付いてくれない』ケースも報告されているし、実際に経験している。
 SIG P230の排莢口付近のインジケーターを確認して薬室に実包が送り込まれている事を確認。
 その場に留まって反撃する事は考えない。
 SIG P230を構えたまま路地の奥へと進む。
 この方向だと繁華街から外れて雑居住宅街へ向かうはず。頭の中の地図ではこの先は雑居住宅街に入る前に広大なマンション建設予定地に突き当たる。……高いフェンスで大きな迂回を強要させられる。
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