躊躇う脅迫者
脳震盪を起している男をコンテナの中央に寄せるべく、両足を持とうと体をコンテナの端に晒した時に発砲音。
「…………」
頭を打ちつけた男が額を左手で押さえながら、涙目を堪えて自動拳銃を、頭上のこちらに向けている。
雪子は興味無さそうに、男が定まらぬ銃口で明後日の方向に弾丸を吐き散らしている間に、銜えていたジタンカポラルを、額を打ち付けた男の近辺に投げ捨てた。
途端。
男は驚愕の声を挙げてオレンジ色の炎に包まれた。
先ほどの異臭……揮発性の液体の臭いだった。それも引火する可能性が非常に高い。空気が澱んでいれば中毒状態に陥るほどに強烈な臭いだ。 コンテナ群の隙間を通る風のお陰でその毒性は薄められていたが、流石に、足元を濡らすその危険な液体――溶剤か何かしらのオイルか?――に煙草の火種のような剥き出しの高温を押し当てるといかに危険か。……小学生でも解る。
頭を打ちつけた男は炎に巻かれながら悶えていた。
大した高温ではないのか、直ぐに焼死するほどではない。炎の中で悶え苦しみ悲鳴を挙げ続ける声が耳障りだったので9mmショートを叩き込んで黙らせた。
「……さて」
新しいジタンカポラルを銜える。
風で煽られて火柱を作る炎を背景に、脳震盪の男をコンテナ中央に引き摺ってきて尋問が始まった。
早く効率よく尋問を行わないと、コンテナの隙間の小火で人が集まり出す。
翌日の午後9時。
自宅にて。
夜食の焼きそばパンを齧りながら情報屋の入電を紙に書きだして要点を纏めていた。
ロフトベッドの下の、本来ならパソコンを置くスペースのテーブルでだ。
――――……?
――――客。リスト。加賀誠は存在しない……。
先輩の探偵が遺言のように遺した言葉を反芻しながら何枚ものA4用紙に視線を走らせる。
――――昨夜の連中は……暴力団が寄越した子飼いの殺し屋だった……。
――――暴力団に所属していたのは木戸棗という女だ。
――――昨夜で得られた情報は……。
――――私の殺害命令が下った。連中の直轄の上司は焦っているらしい。
まだまだ錯綜する情報。
そんな中で、加賀誠という名前に違和感を覚え始める。
ゲシュタルト崩壊を起さんばかりに脳内で反芻していたので、混乱を来たしたのかもしれない。
『何が、誰が、どこか、どうして加賀誠なのか』と脳味噌が停滞を感じる。
その思考のループに陥る彼女を助けたのは先輩の探偵の遺言だった。
『客とリストと存在しない加賀誠』。
頭を掻き毟っていた手が止まって、猛然と右手の鉛筆を紙に走らせる。
時折、左手の焼きそばパンを齧る。
彼女の脳裏に閃く物があった。
『何が、誰が、どこか、どうして加賀誠なのか』に集約される糸口を掴んだような気がした。
曖昧な脳内の情報を紙に書き出して整理する。
その作業は実に10時間に及んだ。
情報屋からの入電が入るたびに書き足して削除して訂正を繰り返す。何本のジタンカポラルを灰にしたのか知れない。
アルミの灰皿から零れそうになる吸殻。足元にジタンカポラルの青い特徴的な空箱が3つほど転がっている。
『何が、誰が、どこか、どうして加賀誠なのか』。
これがキーだ。
何故、最初からこのような視点で今回の依頼を読み解く事ができなかったのか。
自分の馬鹿さ加減を責めるのは後回しだ。
脳裏に閃く物を忘れないうちに紙に書き出す。そして整理して順序だてて別紙に書き出す。
机の上の電動鉛筆削りで何度も何度も鉛筆を削り、短時間で1ダースの鉛筆を消費する。
――――最初からそうだった!
――――『最初から』だ!
――――『香織と顔を合わせる前からおかしかったんだ!』
嵌められた。否。嵌められている。
この図式が正しければ……紙に書いた、整理された情報が正解ならば、本当に危ないのは……。
窓の外が白くなり始めた頃に入った情報屋――高額な料金を払った、人探し専門の情報屋――からの入電が決め手となった。
地下に潜った人間と行方不明になった人間の数が合致するのだ。
人口の移動や流入流出が計測されている表の世界なら……普通なら当たり前の帰結だ。
だが、暗い世界に於いて、地下に潜った人間と行方不明になった人間の数は合致しないのが常だ。
整形して海外逃亡するルートが普通だからだ。
だが、検索対象を木戸棗、田市要次、佐渡一に集中して検索すると、どこにも移動しておらず、生命だけは確実に存在しているのだ。
『加賀誠を通過した3人は0人にならず、3人のまま、この国内で生存している』のだ。
やがて訪れた朝8時。
QEDを打ち込んだ彼女は机に突っ伏して寝てしまった。
紙の端に一言だけ気力を振り絞って書いた一文。
『香織の両親は健在か?』がQEDの直前に書きこまれた文字だった。
香織に連絡をした。どこかで会えないか、と。
香織は電話の向こうで暫し逡巡したように黙ったが、「では、あのホテルの一室を設けます。一両日中に連絡をします」と言った。
ホテルで合流し、依頼の詳細報告と遂行終了を報告しなければならないと同時に、彼女を少しばかり責め立てなければならない事態になると思うと少し気が重い。
午後3時。
【サラトガ】のカウンターで炭酸水を啜っている雪子。
もう命を狙われる心配は無い。
彼女が情報屋に有力な情報を3つに勢力にタレコミさせた。
とある『切っ掛け』でそれが売買されればされるほど、雪子の命の心配は無くなる。
5人の刺客とコンテナの迷路で対峙した時に得た情報から、連中も雪子も勘違いをしていただけだと判明したのだ。
連中は何も雪子に構う必要は無かった。
雪子は命が掛かっていたから防衛行動に出ただけだ。
右肩を撃ち抜かれて脳震盪を起した男を介抱し、彼の携帯電話を奪った。
香織の連絡を待つ。
電話口で彼女に『あなたに危険が迫っている』とは言えなかった。そう伝える方が遥かに彼女が危険だ。
依頼の背後に疑問を抱く悪い癖と、回転の鈍い思考能力のお陰で今回の依頼は遂行できたようなものだ。
さもなければ雪子は何も知らないまま、知らされないままに犬のように撃ち殺されていた。
臨時の危険手当の上乗せについての交渉も控えていると思うと気が重い。
……香織の表情が濁るのは見たくはない。
その日の晩。午後8時。
最初に香織と出会ったのと同じホテル。
部屋は前回とは違うが、同じクラスの価格帯だと思われる。
スイートから眺められる夜景は美しいというよりは、こじんまりと納まった普通の風景だった。
高層マンションの窓から見える夜景と変わらない感動の薄さだ。
花火祭りでも開催されるのなら少しは違うだろうが、まあ、雪子のボロアパートよりは違った気分で過ごせそうだ。
スイートの窓際に立ちながらジタンカポラルに【サラトガ】のブックマッチで火を点ける。いつものように最初は大きく一服。
窓ガラスに香織の姿が映る。
「さて……定時連絡以上に詳しくお話させていただきます。先に言いますと、あなたがお探しの3人は見つかりました」
口からジタンカポラルを離して、振向きながら香織に言う。
いつものように憂いを含んだ美貌は庇護欲を掻き立てられる。男はこの表情で道を間違えるのだ。涙を一筋でも流せば完璧だ。
香織は半ば悟っていたのか、緊張した顔色は見せなかったが、依頼の3人の話に触れると、早く聞きたい衝動に圧されたのか、半歩、踏み出した。
2人とも応接用のソファに対面で座る。
雪子は早くも灰燼に帰したジタンカポラルを大理石の灰皿に押し付ける。
「…………」
頭を打ちつけた男が額を左手で押さえながら、涙目を堪えて自動拳銃を、頭上のこちらに向けている。
雪子は興味無さそうに、男が定まらぬ銃口で明後日の方向に弾丸を吐き散らしている間に、銜えていたジタンカポラルを、額を打ち付けた男の近辺に投げ捨てた。
途端。
男は驚愕の声を挙げてオレンジ色の炎に包まれた。
先ほどの異臭……揮発性の液体の臭いだった。それも引火する可能性が非常に高い。空気が澱んでいれば中毒状態に陥るほどに強烈な臭いだ。 コンテナ群の隙間を通る風のお陰でその毒性は薄められていたが、流石に、足元を濡らすその危険な液体――溶剤か何かしらのオイルか?――に煙草の火種のような剥き出しの高温を押し当てるといかに危険か。……小学生でも解る。
頭を打ちつけた男は炎に巻かれながら悶えていた。
大した高温ではないのか、直ぐに焼死するほどではない。炎の中で悶え苦しみ悲鳴を挙げ続ける声が耳障りだったので9mmショートを叩き込んで黙らせた。
「……さて」
新しいジタンカポラルを銜える。
風で煽られて火柱を作る炎を背景に、脳震盪の男をコンテナ中央に引き摺ってきて尋問が始まった。
早く効率よく尋問を行わないと、コンテナの隙間の小火で人が集まり出す。
翌日の午後9時。
自宅にて。
夜食の焼きそばパンを齧りながら情報屋の入電を紙に書きだして要点を纏めていた。
ロフトベッドの下の、本来ならパソコンを置くスペースのテーブルでだ。
――――……?
――――客。リスト。加賀誠は存在しない……。
先輩の探偵が遺言のように遺した言葉を反芻しながら何枚ものA4用紙に視線を走らせる。
――――昨夜の連中は……暴力団が寄越した子飼いの殺し屋だった……。
――――暴力団に所属していたのは木戸棗という女だ。
――――昨夜で得られた情報は……。
――――私の殺害命令が下った。連中の直轄の上司は焦っているらしい。
まだまだ錯綜する情報。
そんな中で、加賀誠という名前に違和感を覚え始める。
ゲシュタルト崩壊を起さんばかりに脳内で反芻していたので、混乱を来たしたのかもしれない。
『何が、誰が、どこか、どうして加賀誠なのか』と脳味噌が停滞を感じる。
その思考のループに陥る彼女を助けたのは先輩の探偵の遺言だった。
『客とリストと存在しない加賀誠』。
頭を掻き毟っていた手が止まって、猛然と右手の鉛筆を紙に走らせる。
時折、左手の焼きそばパンを齧る。
彼女の脳裏に閃く物があった。
『何が、誰が、どこか、どうして加賀誠なのか』に集約される糸口を掴んだような気がした。
曖昧な脳内の情報を紙に書き出して整理する。
その作業は実に10時間に及んだ。
情報屋からの入電が入るたびに書き足して削除して訂正を繰り返す。何本のジタンカポラルを灰にしたのか知れない。
アルミの灰皿から零れそうになる吸殻。足元にジタンカポラルの青い特徴的な空箱が3つほど転がっている。
『何が、誰が、どこか、どうして加賀誠なのか』。
これがキーだ。
何故、最初からこのような視点で今回の依頼を読み解く事ができなかったのか。
自分の馬鹿さ加減を責めるのは後回しだ。
脳裏に閃く物を忘れないうちに紙に書き出す。そして整理して順序だてて別紙に書き出す。
机の上の電動鉛筆削りで何度も何度も鉛筆を削り、短時間で1ダースの鉛筆を消費する。
――――最初からそうだった!
――――『最初から』だ!
――――『香織と顔を合わせる前からおかしかったんだ!』
嵌められた。否。嵌められている。
この図式が正しければ……紙に書いた、整理された情報が正解ならば、本当に危ないのは……。
窓の外が白くなり始めた頃に入った情報屋――高額な料金を払った、人探し専門の情報屋――からの入電が決め手となった。
地下に潜った人間と行方不明になった人間の数が合致するのだ。
人口の移動や流入流出が計測されている表の世界なら……普通なら当たり前の帰結だ。
だが、暗い世界に於いて、地下に潜った人間と行方不明になった人間の数は合致しないのが常だ。
整形して海外逃亡するルートが普通だからだ。
だが、検索対象を木戸棗、田市要次、佐渡一に集中して検索すると、どこにも移動しておらず、生命だけは確実に存在しているのだ。
『加賀誠を通過した3人は0人にならず、3人のまま、この国内で生存している』のだ。
やがて訪れた朝8時。
QEDを打ち込んだ彼女は机に突っ伏して寝てしまった。
紙の端に一言だけ気力を振り絞って書いた一文。
『香織の両親は健在か?』がQEDの直前に書きこまれた文字だった。
香織に連絡をした。どこかで会えないか、と。
香織は電話の向こうで暫し逡巡したように黙ったが、「では、あのホテルの一室を設けます。一両日中に連絡をします」と言った。
ホテルで合流し、依頼の詳細報告と遂行終了を報告しなければならないと同時に、彼女を少しばかり責め立てなければならない事態になると思うと少し気が重い。
午後3時。
【サラトガ】のカウンターで炭酸水を啜っている雪子。
もう命を狙われる心配は無い。
彼女が情報屋に有力な情報を3つに勢力にタレコミさせた。
とある『切っ掛け』でそれが売買されればされるほど、雪子の命の心配は無くなる。
5人の刺客とコンテナの迷路で対峙した時に得た情報から、連中も雪子も勘違いをしていただけだと判明したのだ。
連中は何も雪子に構う必要は無かった。
雪子は命が掛かっていたから防衛行動に出ただけだ。
右肩を撃ち抜かれて脳震盪を起した男を介抱し、彼の携帯電話を奪った。
香織の連絡を待つ。
電話口で彼女に『あなたに危険が迫っている』とは言えなかった。そう伝える方が遥かに彼女が危険だ。
依頼の背後に疑問を抱く悪い癖と、回転の鈍い思考能力のお陰で今回の依頼は遂行できたようなものだ。
さもなければ雪子は何も知らないまま、知らされないままに犬のように撃ち殺されていた。
臨時の危険手当の上乗せについての交渉も控えていると思うと気が重い。
……香織の表情が濁るのは見たくはない。
その日の晩。午後8時。
最初に香織と出会ったのと同じホテル。
部屋は前回とは違うが、同じクラスの価格帯だと思われる。
スイートから眺められる夜景は美しいというよりは、こじんまりと納まった普通の風景だった。
高層マンションの窓から見える夜景と変わらない感動の薄さだ。
花火祭りでも開催されるのなら少しは違うだろうが、まあ、雪子のボロアパートよりは違った気分で過ごせそうだ。
スイートの窓際に立ちながらジタンカポラルに【サラトガ】のブックマッチで火を点ける。いつものように最初は大きく一服。
窓ガラスに香織の姿が映る。
「さて……定時連絡以上に詳しくお話させていただきます。先に言いますと、あなたがお探しの3人は見つかりました」
口からジタンカポラルを離して、振向きながら香織に言う。
いつものように憂いを含んだ美貌は庇護欲を掻き立てられる。男はこの表情で道を間違えるのだ。涙を一筋でも流せば完璧だ。
香織は半ば悟っていたのか、緊張した顔色は見せなかったが、依頼の3人の話に触れると、早く聞きたい衝動に圧されたのか、半歩、踏み出した。
2人とも応接用のソファに対面で座る。
雪子は早くも灰燼に帰したジタンカポラルを大理石の灰皿に押し付ける。