躊躇う脅迫者
雪子の脳内では先輩の探偵が遺した、不明瞭なワードが耳に残っているが、それはこの場を切り抜けてから考えるとする。
暗がりの中の手探りでの撤退……とはいかない。
先輩の探偵を殺したのか否か、殺したのならその理由を知りたいので最低一人は生かして捉えたい。
光源が乏しい中、背後の足音や呼吸音が近付く。
雪子も迷路のようなコンテナ群の隙間を縫いながら走る。
如何せん、光源が乏しい。
月明かりや運搬車専用道路の街灯くらいしか光源が無いのだ。
小型のLEDライトを持っていたが、自分から目映い光りを発するのは誤った判断だと思った。出来る限り、発砲も控えようと心掛ける。
自分に有利なのは、お互いに姿が見えないであろう状況だけだった。
お互いに姿が見えないのは何もデメリットばかりではない。
こちらは個人戦なのに対して、連中は団体競技のルールを用いる。
各個撃破が通用するということだ。
足元の梱包物をまとめていたと思われる、千切れたビニール紐を左手で拾う。
左手の予備弾倉は口に銜える。
SIG P230のデコッキングレバーを押し下げて撃鉄を安全位置に戻してショルダーホルスターに差し込む。
手にしたビニール紐を拙い指先の作業で、解いて伸ばして結んで1本の長い紐にする。スラックスの左ポケットに突っ込んでいたアーミーナイフを取り出して、前歯でハサミを展開した。
角を幾つも曲がりながら、連中には読めないであろう行動を見せる。 コンテナの壁が邪魔をして、雪子も連中の正確な位置が特定できないでいるが、連中はあくまで、団体で行動してくれているので助かる。
二手に分かれようにも、ランダムに逃げ回る雪子の足跡が辿り難いのだろう。
青色と思われるビニール紐をコンテナの角から角に張る。
足元の高さだ。
子供だまし同然の罠だが、掛かれば効果は大きい。鉄火場で転倒する事は生命の危機を意味する。
それを3箇所に仕掛ける。
途中で拾ったテグスのように細い針金のコイルも伸ばして今度は首の高さに張り巡らせる。
雪子が使うアーミーナイフはウエンガー社製のナイフだ。ウエンガー社が特許を取得した伝統のハサミは直径2mmくらいの針金なら釣り糸を切るように簡単に切断する。
先輩の探偵がこの場所を合流場所に指定してくれたのは計算が有っての事だ。
ここは携帯電話の電波が届かない地区だ。邪魔者を警戒しての事だった。お陰で連中は簡単に外部や拠点と連絡は取れない。
その有り難味が生きているうちにこのフィールドを最大限に活かす。
発砲音が雪子の背中に聞こえる。
その様子がおかしい。
その数瞬後にドサリと倒れる音。
誰かが簡易な罠に引っ掛かった。
足元を掬われたのだろう。派手に倒れたらしく思わずその人物は大声で罵声を飛ばした。
――――!
気配が二手に分かれたらしい。
一方は雪子を追うべく直進し、一方は気配が辿れない方向へと進む。 コンパクトをコンテナの陰から突き出して確認する。
一人の影が地面で頭を押さえて悶えている以外に影はない。
雪子を追っているはずのグループはどこへ行った?
――――真っ直ぐ来るはず……?
――――どこへ?
その場に居座るのは兎に角危険だと判断して、コンテナの隙間を再び走る。
行き先は無い。移動を繰り返さなければ恰好の標的になると直感が差囁く。
「!」
発砲音! 近い! 近過ぎる!
雪子は咄嗟に伏せなかった。
寧ろ歩幅を大きくして迷路めいた隙間を走った。
できるだけ複雑な、ランダムな移動を肝に銘じる。
発砲音が頭上からしたからだ。
雪子を追っていた連中はコンテナの天辺に移動し、彼女の頭上から襲撃したのだ。初弾は外れたが次弾も外れる保証は無い。
コンテナの上から、自分と同じ隙間から、二手に分かれたグループは確実に雪子を追い詰める。
今までの三下とは明らかに訓練の度合いが違う。
この狭い空間で無駄に発砲してこないのも恐ろしい。
矢鱈目ったらな銃撃が無いのも、跳弾による自分たちへの被害を恐れての事だろう。状況に際して判断出来るだけの思考が廻る手練ということだ。
再び抜いたSIG P230。撃鉄は起さない。
走りながら軽い引き金を安全に保持する自信が無いからだ。
6本の予備弾倉が体の幹を揺らす。
後ろ腰に2本ずつ差せるポーチを左右に指しているが、走れば走るほど体のブレが大きくなって走り難い。
たかが予備弾倉。
されど予備弾倉。
それらには重量が存在する。
カタログスペックで見る以上に、ウエイトのアンバランスは重大な疲労を引き起こす。
システムショルダーホルスターにしたところで、ホルスターの反対側に2本の予備弾倉を差し込めるポーチが取り付けられているからこそ、重いながらもバランスが取れている。
SIG P230を抜けば、右脇の予備弾倉の収まったポーチは左右へ激しく揺れる不安定な錘に早変わりだ。
長丁場の銃撃戦になれば疲労は累乗で圧し掛かる。
背後を追跡するグループは牽制の発砲を繰り出す機会が有れば距離を離すことは可能だが、遮蔽の無い頭上から追跡してくるグループは要注意だった。
今も足音を忍ばせる気が無く、コンテナの上辺を走って追い駆けてくるのが解る。
猿のようにコンテナの隙間を飛び越えるのだから厄介だ。
真っ直ぐ走っていたのなら、頭上のグループは最短距離で雪子の前に現れてあっと言う間に後続のグループと挟撃にかかるだろう。
考えが無い事もない。
走り続ける雪子だが、そのルートは大きくコンテナ群の中を周回し、やがて最初に自分が転がり込んできたコンテナの影に辿り着く。
そこに行くまでに連中の戦力を削いでおきたかった。
雪子は発砲をできるだけ控えた。
狙える距離、機会が訪れるまで発砲は控えた。
牽制を放つ事はあるが、跳弾の危険性を考えるとそれも気が引けた。
狭い空間に複数の荒い呼吸が渦巻く。
駆ける足音。
暗がりの中で慣れた目だが、ネコ科の動物には及ばない。
体がどんどん重くなる。
身にまとう全ての物を放り出して、遁走だけに集中したい。
ニコチンと水の両方が欲しい。
その二つが有れば直ぐにでも失った体力を挽回できそうな気がする。
頭上からの発砲。足元でコンクリ片を巻き上げる。
頭を押さえて腕を遮蔽にする考えがすっ飛んでいる。
現実的考えても、この距離なら最悪の場合、発砲音が聞こえた瞬間に脳天に命中している。
連中のハジキの腕前が僅かに低い事を願うしかない。
連中も移動しながらの発砲は効率が悪いと理解しているのか、滅多に撃ってこない。
当初の乱射で持ち弾の殆ど使い切ったと楽観的な憶測は禁止だ。
連中が弾薬を再分配すれば更に火力は平均化されて戦闘力にばらつきは無くなる。
この場合では考え過ぎという考えは放棄した方がいい。
左手でコンパクトを取り出し、頭上を追うグループの人数を数える。 小さな鏡の世界で索敵する範囲では2人。
恐らく後続は2人だろう。
最初に1人が罠でスッ転んで頭を打って今でも悶えている事を願う。……いつかはその1人も体勢を整えて戦列に復帰するだろう。
幸いにも、頭上を追うグループの方が確認し易かった。
明るい夜空を背景にしているので、シルエットが明確に浮き彫りになっているのだ。
それに2人ともコンテナの端を走って常に眼下の雪子を追っている。その2人からしても、頭上に位置しているというだけで、これといった遮蔽物が無い、追いかける標的の数が少なければリスキーな陣取りだと言える。
暗がりの中の手探りでの撤退……とはいかない。
先輩の探偵を殺したのか否か、殺したのならその理由を知りたいので最低一人は生かして捉えたい。
光源が乏しい中、背後の足音や呼吸音が近付く。
雪子も迷路のようなコンテナ群の隙間を縫いながら走る。
如何せん、光源が乏しい。
月明かりや運搬車専用道路の街灯くらいしか光源が無いのだ。
小型のLEDライトを持っていたが、自分から目映い光りを発するのは誤った判断だと思った。出来る限り、発砲も控えようと心掛ける。
自分に有利なのは、お互いに姿が見えないであろう状況だけだった。
お互いに姿が見えないのは何もデメリットばかりではない。
こちらは個人戦なのに対して、連中は団体競技のルールを用いる。
各個撃破が通用するということだ。
足元の梱包物をまとめていたと思われる、千切れたビニール紐を左手で拾う。
左手の予備弾倉は口に銜える。
SIG P230のデコッキングレバーを押し下げて撃鉄を安全位置に戻してショルダーホルスターに差し込む。
手にしたビニール紐を拙い指先の作業で、解いて伸ばして結んで1本の長い紐にする。スラックスの左ポケットに突っ込んでいたアーミーナイフを取り出して、前歯でハサミを展開した。
角を幾つも曲がりながら、連中には読めないであろう行動を見せる。 コンテナの壁が邪魔をして、雪子も連中の正確な位置が特定できないでいるが、連中はあくまで、団体で行動してくれているので助かる。
二手に分かれようにも、ランダムに逃げ回る雪子の足跡が辿り難いのだろう。
青色と思われるビニール紐をコンテナの角から角に張る。
足元の高さだ。
子供だまし同然の罠だが、掛かれば効果は大きい。鉄火場で転倒する事は生命の危機を意味する。
それを3箇所に仕掛ける。
途中で拾ったテグスのように細い針金のコイルも伸ばして今度は首の高さに張り巡らせる。
雪子が使うアーミーナイフはウエンガー社製のナイフだ。ウエンガー社が特許を取得した伝統のハサミは直径2mmくらいの針金なら釣り糸を切るように簡単に切断する。
先輩の探偵がこの場所を合流場所に指定してくれたのは計算が有っての事だ。
ここは携帯電話の電波が届かない地区だ。邪魔者を警戒しての事だった。お陰で連中は簡単に外部や拠点と連絡は取れない。
その有り難味が生きているうちにこのフィールドを最大限に活かす。
発砲音が雪子の背中に聞こえる。
その様子がおかしい。
その数瞬後にドサリと倒れる音。
誰かが簡易な罠に引っ掛かった。
足元を掬われたのだろう。派手に倒れたらしく思わずその人物は大声で罵声を飛ばした。
――――!
気配が二手に分かれたらしい。
一方は雪子を追うべく直進し、一方は気配が辿れない方向へと進む。 コンパクトをコンテナの陰から突き出して確認する。
一人の影が地面で頭を押さえて悶えている以外に影はない。
雪子を追っているはずのグループはどこへ行った?
――――真っ直ぐ来るはず……?
――――どこへ?
その場に居座るのは兎に角危険だと判断して、コンテナの隙間を再び走る。
行き先は無い。移動を繰り返さなければ恰好の標的になると直感が差囁く。
「!」
発砲音! 近い! 近過ぎる!
雪子は咄嗟に伏せなかった。
寧ろ歩幅を大きくして迷路めいた隙間を走った。
できるだけ複雑な、ランダムな移動を肝に銘じる。
発砲音が頭上からしたからだ。
雪子を追っていた連中はコンテナの天辺に移動し、彼女の頭上から襲撃したのだ。初弾は外れたが次弾も外れる保証は無い。
コンテナの上から、自分と同じ隙間から、二手に分かれたグループは確実に雪子を追い詰める。
今までの三下とは明らかに訓練の度合いが違う。
この狭い空間で無駄に発砲してこないのも恐ろしい。
矢鱈目ったらな銃撃が無いのも、跳弾による自分たちへの被害を恐れての事だろう。状況に際して判断出来るだけの思考が廻る手練ということだ。
再び抜いたSIG P230。撃鉄は起さない。
走りながら軽い引き金を安全に保持する自信が無いからだ。
6本の予備弾倉が体の幹を揺らす。
後ろ腰に2本ずつ差せるポーチを左右に指しているが、走れば走るほど体のブレが大きくなって走り難い。
たかが予備弾倉。
されど予備弾倉。
それらには重量が存在する。
カタログスペックで見る以上に、ウエイトのアンバランスは重大な疲労を引き起こす。
システムショルダーホルスターにしたところで、ホルスターの反対側に2本の予備弾倉を差し込めるポーチが取り付けられているからこそ、重いながらもバランスが取れている。
SIG P230を抜けば、右脇の予備弾倉の収まったポーチは左右へ激しく揺れる不安定な錘に早変わりだ。
長丁場の銃撃戦になれば疲労は累乗で圧し掛かる。
背後を追跡するグループは牽制の発砲を繰り出す機会が有れば距離を離すことは可能だが、遮蔽の無い頭上から追跡してくるグループは要注意だった。
今も足音を忍ばせる気が無く、コンテナの上辺を走って追い駆けてくるのが解る。
猿のようにコンテナの隙間を飛び越えるのだから厄介だ。
真っ直ぐ走っていたのなら、頭上のグループは最短距離で雪子の前に現れてあっと言う間に後続のグループと挟撃にかかるだろう。
考えが無い事もない。
走り続ける雪子だが、そのルートは大きくコンテナ群の中を周回し、やがて最初に自分が転がり込んできたコンテナの影に辿り着く。
そこに行くまでに連中の戦力を削いでおきたかった。
雪子は発砲をできるだけ控えた。
狙える距離、機会が訪れるまで発砲は控えた。
牽制を放つ事はあるが、跳弾の危険性を考えるとそれも気が引けた。
狭い空間に複数の荒い呼吸が渦巻く。
駆ける足音。
暗がりの中で慣れた目だが、ネコ科の動物には及ばない。
体がどんどん重くなる。
身にまとう全ての物を放り出して、遁走だけに集中したい。
ニコチンと水の両方が欲しい。
その二つが有れば直ぐにでも失った体力を挽回できそうな気がする。
頭上からの発砲。足元でコンクリ片を巻き上げる。
頭を押さえて腕を遮蔽にする考えがすっ飛んでいる。
現実的考えても、この距離なら最悪の場合、発砲音が聞こえた瞬間に脳天に命中している。
連中のハジキの腕前が僅かに低い事を願うしかない。
連中も移動しながらの発砲は効率が悪いと理解しているのか、滅多に撃ってこない。
当初の乱射で持ち弾の殆ど使い切ったと楽観的な憶測は禁止だ。
連中が弾薬を再分配すれば更に火力は平均化されて戦闘力にばらつきは無くなる。
この場合では考え過ぎという考えは放棄した方がいい。
左手でコンパクトを取り出し、頭上を追うグループの人数を数える。 小さな鏡の世界で索敵する範囲では2人。
恐らく後続は2人だろう。
最初に1人が罠でスッ転んで頭を打って今でも悶えている事を願う。……いつかはその1人も体勢を整えて戦列に復帰するだろう。
幸いにも、頭上を追うグループの方が確認し易かった。
明るい夜空を背景にしているので、シルエットが明確に浮き彫りになっているのだ。
それに2人ともコンテナの端を走って常に眼下の雪子を追っている。その2人からしても、頭上に位置しているというだけで、これといった遮蔽物が無い、追いかける標的の数が少なければリスキーな陣取りだと言える。