無明の瑕

 標的はこの間と同じ暴力団だが、暗殺と違って、暴力団の拠点を強襲して場を荒らして引き揚げるだけの内容だ。
 情報の入手から経費の立替などの後方支援は成功報酬と同時に振り込み。
 即ち、依頼を達成して生きて帰った人間にだけ報酬を払う阿漕な手口だ。
 この依頼のウラは仲介業者の名前を見て安心できる。ウラに仕掛けも何も無い。掲載されている全ての仕事が罠では無いという保証は無いのだ。
 その仕事を請け負う前に、入札する前に、仲介業者のクチコミを辿って公安や司直と関連性が無いかも調べなければならない。……もしかすると、お礼参りのために、同じ暗黒社会の組織が特定の個人を釣り上げるために撒いたエサかもしれない。
 そのウラ取りもクリア。
 だとすれば、その場で結成された即席の鉄砲玉チームで一所に投入されて有りっ丈の弾丸を短時間でばら撒いて帰還するということだ。
 有り体に言えば、この仕事に乗っからない理由は無い。
 生きて帰った人数で報酬を分割して配るという形式でもない。
 振り込まれる報酬を考えれば危険度は高い。
 それでも、少々は生活費に余裕が出る金額だった。スキットルを呷ると『入札』をクリックした。



 見事に『落札』した4人。
 その中に美奈も居た。
 4tトラックに揺られている。
 その荷台の中。幌が掛かった、光源の乏しい空間。
 1人は運転席でハンドルを握っている。
 荷台の3人は無言。
 何れもこの業界でも名前の知れた顔だった。
 有名人と共同作業ができて光栄の極みだと軽口を叩く余裕は無い。
 何しろ、即席のチームだ。打ち合わせも何も無い。拠点事務所を掻き乱すのに余計な情報の共有は邪魔だった。
 トラックを玄関にぶつける。降車。吶喊。強襲。死体の山を築く。撤収。生きて制限時間内に合流地点に集まる。そこで終了。生存していても合流地点に顔を出さなければ報酬の席に招待されない。
 たったそれだけのシンプルな仕事。
 シンプルゆえの落とし穴があちらこちらに仕掛けられているのが厄介だった。
 面子を見ても、短機関銃やソウドオフの散弾銃を用いる連中ばかりだ。
 フレンドでもないのにフレンドリーファイヤーを蒙る可能性が非常に高い。
 それに今の今まで、誰がどこにどうやって吶喊して鉄火場の導火線に火を点けるのか決まっていない。
 荷台の中は緊張の空気だけが張り詰めており、誰も口を開こうとしない。
 何度も腕時計を確認する奴。執拗にサイトの蓄光塗料にLEDライトを照射する奴。狭い空間でも遠慮なく煙草をチェーンスモークする奴……誰もが慣れた依頼でも、命を落とすのには慣れていないのだ。
 美奈は無言でバラクラバを被る。
 服装はいつものスーツにトレンチコート。バラクラバを被る時になってまたも長い髪が邪魔だと舌打ちし、今度こそカットしようと誓う。
 紅一点の美奈を見る同業者の物珍しい視線は……無い。
 美奈もそれなりに名前の通った殺し屋だ。
 殺し屋『だったのに』復帰を果たし、この業界に舞い戻ってきた女の殺し屋と謂えば数は少ない。
 男連中は誰も誰とも視線を合わせない。無言の連携が取れているのではない。次の職場ではお互いに殺し合うかもしれない間柄だからだ。馴れ合いは極力避ける。
 現場で危機を救って恩を売るのが一番効率の良いコネの作り方だが、自分が恩を売られる立場だといつ、どこで恩着せがましい交渉をされるか知れたものではない。
 荷台と運転席を隔てる壁の向こうからコンコンと鈍い打音が聞こえた。
 到着5分前の合図だ。
 この合図だけは打ち合わせをしておいた。
 あとは上手く行くようにそれぞれが信仰する神様にでも祈るだけだ。
 荷台の縁に掴まり、衝撃に備える。
 5分後に紳士的に停車してくれるのではない。正面衝突を敢行するのだ。
 4階建てのテナントビル1本丸ごとが戦場。
 その場に居る組事務所関係者を全員皆殺し。
 若しくは重傷へ叩き落す。
 標的の総数は10人以上。10人ではない。
 どこのフロアに何人潜んでいるのか、アクティブな情報は無い。
 流石に情報屋に無理だと断られた。
 どんな序列の、どんな顔をした構成員が居るのかも不明。明らかなテロリズム。暴力団同士の掟の無いテロリズムを金で買われて実行するだけの駒だ。
 美奈の脳内には何も投影されない。
 仕事に関する事も娘の事も。
 自分の命の行方さえ、だ。
 白いままの、テナントビルの見取り図だけが何も無い世界に幽鬼の様に浮かび上がる。
 何も、無い。……何も、だ。
 左脇に右手が伸びる。
 そこには確かに安心できる感触と重量感が有った。
 この世で絶対の理を与えてくれる強大な暴力が静かに出番を焦がれていた。
 刹那、衝撃。
 破裂に似て非なる破裂音。
 脳震盪を起す直前の激しい揺れ。
 急に加速したと思ったら、急激に現実に引き戻されて突然の衝撃。
 運が悪い奴はここでリタイヤしてもおかしくない衝撃。
 ドラム缶の中に放り込まれて、階段から転がったような衝撃。
 体が無重力になるのを感じる衝撃。
 あらゆる衝撃を1秒以下の世界で堪能した。
 どんなアトラクションもこれには降参するだろう。
 トラックが停車した。停車せざるを得ない。トラックの運転席はテナントビルの正面玄関に突っ込んでいるのだ。
 運転席側からウインドウを叩き割る音が聞こえて怒声が炸裂する。
 美奈より反応が早かった荷台の男達もそれぞれの得物を携えて飛び降りて散らばる。
 展開というほど洗練されていないのは仕方が無い。悔しいが、男女の身体能力の差異を見せ付けられた美奈は一歩で遅れて吶喊する。
 運転席の男が一番乗りを果たしたようだが、大して前進しないうちに呻き声と共に愛銃の短機関銃共々黙ってしまう。
 後続の男達は疎らな牽制射撃を繰り返しながら、運転手役の男の死体を乗り越え、突き進む。
 或る者は1階フロアを、或る者は階段を駆け上がる、或る者は非常階段側に回る。
 美奈は直感に従って階段を駆け上がる。
 オートマグⅢを引き抜き、セフティを解除。左手で予備弾倉を抜き口に横銜えにする。たった8+1発では対処できない予感がする。
 2階フロアでソウドオフの水平2連発を2挺撃ちしている男が奮戦していた。
 合計でたった4発しか撃てない得物を器用に扱い、再装填を繰り返している。
 3階へ進む。
 ここには誰も吶喊していない。一番乗りの彼女へ反撃はあった。
 3階へ駆け上ろうとした矢先に無様なアソセレススタンス……というより、ヤクザ映画の鉄砲玉が構えるような腰を据えて両手で力一杯拳銃を握り大股で標的の真正面に立って発砲するあの、美しさの欠片も無い構え方だ。
 ……力み過ぎだ。
 銃口が美奈の方を向いた瞬間に、美奈は体を右側面の壁にぴったりとくっつける。
 その美奈の左側面を虚しく銃弾が空を切る。
 全身が力み過ぎて指先がガチガチに固まり、咄嗟に照準の移動や引き金を引き絞る動作ができないのだ。
 その威勢だけは良い下っ端のヤクザ者は30カービンで黙らされる。胸骨より上、喉より下の部分に被弾。
 仰向けに派手に倒れる。
 この距離で357マグナム以上の破壊力の直撃を受けたのだ。見えないハンマーで殴られたかのような、まるで芝居がかった大の字で倒れた。
 狭い階段の壁に反響した30カービンの轟音は暴力的に鼓膜を襲う。鼓膜が劈かれる思いをした。
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