無明の瑕

 再び銃口を2階に向けて引き金を引く。
 先ほど右腕を30カービン弾で千切り飛ばされた男の体を抱えて遁走を図ろうとしていた男の頚部に無常にも命中する。
 胴体を狙ったが運悪く致命的な負傷を与えた。
 頚部が不自然な方向に、不自然なほど捻じれて、負傷者を抱えたままその男は首を捻じったままうつ伏せに倒れる。
 あれほど嫌っていた握り難いグリップが手に吸い付く。
 決して、しっかり掴んでいる感触は無い。
 掌からすっぽ抜ける気がしないのだ。
 銃声に晒されて興奮状態なのか、疲労すら感じない。
 重いはずのオートマグⅢがただの大型オートのように軽い。軽く感じる。
 鳩尾が冷える。アドレナリンの噴出を感じる。
 自分の潜む廊下の角を貫通した拳銃弾の弾頭が力無く脇腹に当たって床に落ちても、何の感動も無い。何の恐怖も無い。
 背筋は嫌な汗をかいているというのに、その不快感だけが、この世の混濁を思わせるほどに感覚が狭窄している。
 細長い30カービン弾の空薬莢が床に幾つか転がる。
 弾倉と薬室に残っているのは合計4発のはず。
 弾倉交換の機会にしては中途半端な数字だ。
 小五月蝿いという感覚まで鈍ってしまった反撃の銃声の一つを無造作にフルメタルジャケットで黙らせた。……それがこのフロアで最後の反撃だったと認識する。階段を駆け上がりながら弾倉を交換。
 予備弾倉は残り3本。
 戦争に行くのではない。全身の至る箇所にマガジンポーチを取り付けなくとも何とかなる。
 弾倉1本辺りの装弾数が8発と少ない分、停止力……否、初活力で仕事をしてもらうためのオートマグⅢなのだ。
 その暴虐的なまでの破壊力に惚れ込んで、このような金槌のような拳銃を携行している。
 弾が切れてもそのまま鈍器として充分に活用できそうな重量だ。
 2階へ上がると、左右に廊下が伸びていた。慎重に右手側に走る。この方向は標的が潜む寝室とは反対側だったが、パニックルームへと続く廊下だ。……その証拠に、今し方、目前の、右手に折れる角から反撃の銃火が閃いた。
 角を遮蔽としていたが、構わずに角の先端を狙って2発ほど牽制で叩き込み頭を押さえる。
 反撃する銃口が角に引っ込んだところで、3mほどの距離を一気に駆けて縮める。再び突き出された銃口を左手で掴み驚愕の表情を貼り付けた男を陰から引き摺りだす。
 そして、軽い引き金を引く。けっして相手の体に密着させない。
 現行の多くの大型自動拳銃は相手の体に密着させて発砲すると、撃つ事はできるが、ショートリコイルの運動が完璧に行えずに必ず作動不良を起す。
 落ち着いてスライドを引いてやれば大概の場合、解決するが、その時に失うイニシアチブは二度と手に入らない場合が往々にしてある。
 戦闘とは、鉄火場とは生き物だ。
 主導権をボールに見立てて人数がちぐはぐなラグビーをしているのと同じだ。
 ルールが無いというルールの下、コンマ数秒の世界でイニシアチブを奪い合う。
 戦場の優勢優劣が水の流れや勢いの向きで例えられるのと同じだ。従って、相棒が作動不良を起このはそれだけ自身の命が危険に晒される事を意味する。
 ……それは作動不良をリカバリする瞬間だけではない。
 残弾の認識や残弾の計算間違い、予備弾倉の配置の悪さから来る体幹のブレ、予備弾倉や空弾倉を携行したままの長丁場での計算以上の疲労、様々な場所に不安要素は転がっている。
 鉄火場に臨む前から、予期不安に飲み込まれて死ぬ妄想に包まれたら戦う前から最期が訪れたと言っても過言ではない。
 角で出くわした男をさっさと永遠に黙らせる。
 胸骨を叩き割って心臓に到達した30カービンが確実な死を提供し損ねたとは考え難い。
 直線。2m。たったそれだけ。
 2m先にパニックルームのスライドドアが有る。
 一見すると納戸のドアだが、そう見えるように偽装した鋼鉄のスライドドアだ。
 そのドアの重量は1tを超える。
 この家の中心に1階と2階をブチ抜いた鋼鉄の部屋が埋め込まれているのだ。この部屋に篭城されると対戦車兵器でも持ってこない限り突破は不可能だ。
 地上に突き出た核シェルターを一般家屋で包み込んでいる拵え。
 この邸宅もパニックルーム有りきで設計された事は事前に調査済みだ。
 だからこその好機だった。
 目前2mに団子状態の黒服連中が見える。
 準幹部のバッジが安っぽく光る。その奥で喚く声の主が今回の主人公である標的の男だ。
 何も迷わなかった。たった2m。
 拳銃を携えた黒いスーツの男が6人。
 その向こうに標的。
 狭い廊下で団子状態。
 誰の銃口も美奈を向いていない。
 否、銃口を向けようとするモーションがスローに視界に映る。
 美奈のオートマグⅢは速かった。
 誰よりも早く銃口が男達の向こうに居る標的の顔を捉えた。
 たった2m。
 その中央にパニックルームを解放する取っ手が有る。
 そこに触れさせない事が、最大の勝利条件だった。
 乱射。
 それは、乱射に見える。
 ヘッドショット。
 殴りあった方が早い距離。
 だが、殴るよりも30カービンの威力は桁違いに絶大だ。
 先ずは手前の男の頭が爆ぜた。
 咄嗟に左掌で視界の多くを塞ぐ。返り血が眼に飛び込むのを防ぐために。
 射入孔より射出孔の被害の方が大きい。
 後続する黒服子連中の顔面に盛大に脳漿と血飛沫が浴びせられ、穢す。
 その瞬間での乱射だった。
 目を閉じた奴は数瞬遅れで頭を吹き飛ばされる。
 目を閉じつつも咄嗟に銃口をこちらに向けようとする反射神経の良い奴から真っ先に絶命させる。
 2m平米の空間を.30カービンの轟音が席巻する。
 悲鳴すら聞こえない。
 悲鳴を挙げる機会も、悲鳴を挙げられるだけの生命力も無い。
 文字通り、生命は吹き消される。
 6人の頭部の無い死体がドミノ倒しのように後方へ倒れていく。
 最後尾に標的の男が居る。
 依頼人から渡された資料の画像に有った顔と合致する。
 銃を握っていない。尻餅を搗いて小便を垂れ流している。
 40代後半の下腹が出た、ガマガエルを連想させる顔付きの男だった。
 躊躇う余地は無い。迷う意味も無い。逡巡する機会も無い。この男を消す為にここへ来たのだ。
 引き金。引く。軽い。反して腹に響く咆哮。
 右手に伝わる反動で自分が漸く、右手のみでこの数瞬を生き抜いていたのだと感じる。
 弾倉を交換しながら脱力。
 後には6つの死体と頚部を完全に破壊されて首が皮一枚で繋がっている新しい死体が仲間に加わった。
 美奈は……パニックルームへと進んだ。
 パニックルームは文字通りパニック的状況で活用される設備だ。
 恐慌状態の人間でも操作できる簡素なシステムしか並んでいない。
 プリミティブだろうとハイテクだろうと、単純明快なシステムの集合体だ。
 そこへ体を滑り込ませると、大きなボタン……キーボードというには大き過ぎるそれを幾つか操作して、緊急脱出経路へ続く扉を開放する。この見取り図を前提に今回の吶喊は行われた。
 どんなに深く潜り込んでもパニックルームを押さえれば生きて帰ることが出来ると最初から計算していた。
   ※ ※ ※
 パニックルームの出口を脱出。
 しかし、翌日に元の場所に来てみれば駐車しておいた車の辺りに警官とマスコミが犇いておりとてもじゃないが車を回収できる状態ではなかった。
 結局、その車は放置して破棄する事に決めた。
 そんなわけで偽装ナンバーを取り付けた新しい盗難車を用立てするのにまたも出費。
6/18ページ
スキ