無明の瑕

 死に目を誰かに看取られる事は有り得ないという噂を身を以って学習した若い殺し屋の最期だった。
 廊下に出た美奈は廊下に沿って玄関へと進む。
 廊下を勢いを付けてスライディング。
 母屋のメインの部屋……8畳間の前を通過する前に姿勢を出来るだけ低くして移動した。
 匍匐前進では不向きだ。勢いを充分に活かしたスライディングでその部屋の縁側に面した廊下を滑る。
「!」
「!」
 短機関銃を構えた30代前半と思しき男と目が合う。
 スライディングの勢いを殺せないまま、オートマグⅢを発砲。
 相手とは距離が近い。
 出来るだけ牽制の効果を得たいので、無理な体勢から無理な発砲を2発繰り出す。
 弾倉が軽い。残弾2発。
 厳密には薬室1発に弾倉1発といったところだろう。エマージェンシーリロード不可避のシチュエーション。
 牽制の発砲に頭を押さえられた短機関銃遣いは文字通り、咄嗟に頭をUZI短機関銃で守って身を丸める。
 牽制程度の発砲はその男の左上腕の袖を破っただけで肉体的ダメージは与えられなかった。
 UZIの男が固く閉じた目を再び開いた時には、どこにも標的たる女の姿は無かった。
 玄関から脱出させたかと、慌てて廊下を駆けて間口の広い玄関に出ようと駆ける。
 しかし、突如、足元を玄関目前の角から飛び出た足首に引っ掛けられて転倒する。携えたUZIの引き金を思わず引き絞りながら、前のめりに倒れる。
 無為に銃弾がばらまかれてあっと言う間に弾倉が空になる。
 無様にうつ伏せに倒れるUZIの男が自分に何が起きたのか必死で理解しようと起き上がりながら左右に視線を振るが何も捉えられない。
「…………」
 UZIの男は心臓を吐き出しそうな荒い呼吸を飲み込み、大粒の汗をかきながらぶっきらぼうに言った。
 言葉はぶっきらぼうだが、その言葉が含む意味は大きかった。
「……やれよ……」
 途端に男の後頭部が爆ぜた。
 四つん這い状態の男の後頭部に30カービン弾が違わず命中し、一撃の下に絶命させた。
 小脳を破壊されて生命活動を続けられる人類は存在しない。
 美奈は四つん這いから崩れた頭部のない死体を見下ろしながら、表情の無い顔で弾倉を交換した。
 咄嗟の反撃で思わず人の命を絶つより、覚悟の決まった人間の命を吹き消すのは大きな心的疲労として蓄積される。
 ……特に最期に遺す言葉を聴いた後は。
 だから出来るだけ無視をした。無視をした振りをする。無視をしたのだと自分に言い聞かせる。
 薬室に1発。弾倉は空。直ぐに弾倉を交換し、視線を真っ直ぐ玄関へと向ける。
「あ、あ……あ……」
 若い男。
 二十歳になったかどうかの若者。
 手に拳銃を握っていたが、銃口は視線と全く違う方向を向いていた。玄関から屋内を覗いたところ、弾倉を交換し終えたばかりの美奈の眼と合った。
 男の選択肢は限られる。
 逃げるか、反撃するか、命乞いするか。
 どれを選んでも、今し方の屠殺の風景を見ていたのでは足が震えて、まともな判断ができずに失敗に終わる。
 青い顔にグリスを塗りたくったような汗を浮かせ、震える手で大型自動拳銃を両手で構えようと胸元に持ってくる。
 彼自身が、この場合、どの様な判断をすれば良いのか解らずに頭がショートしてしまっているのだろう。
 美奈は無表情のまま言い放つ。
「逃げなさいな……」
 青年は折角構えた拳銃を再びだらりと脇に垂らして後退りしながら玄関の間口から遠ざかる。
「『逃げられたら』、逃げなさいな」
 青年の背中を、撃つ。
 青年の表情は恐怖の色を貼り付けたまま前のめりに倒れて動かなくなった。否、動けないのだろう。
 背骨の一点を完全に破壊されたのだ。その上、衝撃は重要な臓器に及ぶ。死に捉われた痙攣を始めるまで大した時間は掛からなかった。その最期を美奈は確認していない。
 美奈は青年に興味を失くした顔で、正面の玄関に爪先を向け、台所近辺に有る勝手口を目指す。
 連中の数からして相当数を屠ったはずだが、まだ生き残りは居る。
 生き残り……その表現が正しいのかどうかは不明だ。
 どちらが優勢でどちらが不利なのかが判然としないからだ。
 勝手口から警戒しながら出る。
 家屋の外は暗い。
 疎らな街灯が心許無い光源を提供してくれている。
 風が冷たい。気配が読み難い。
 準夜帯を過ぎようとしている時間。
 硝煙と血の臭いが寒風に巻き上げられて虚空に消えていく。
 強い殺気が冷える風に乗って漂う。
 ……経験からして、相当な使い手。
 不思議と硝煙の臭いが強くない。
 その辺りに潜んでいるのは肌で感じられるのに、鉄とオイルの臭いがしない。樹脂フレームの銃を使っている雰囲気でもない。
 この空気。この雰囲気。この気配。
 過去に経験が有る。相当な昔だ。
 脳味噌の記憶を手繰るのに時間が掛かる。それほどの昔。
 昔に経験したことは覚えている。
 そして命辛々の勝利を収めたのも覚えている。
 静かだったが、激しい衝突だった。
 そんな経験。そんな過去。そんな昔話。
 潜む気配の数は単数。
 殺気を隠そうとしない。
 自己主張が強いのではない。
 わざと殺気を制御していない遣い手のようだ。
「……」
 勝手口から出て5歩、歩く。
 街灯の下。
 普通なら危険だ。
 セオリー通りなら回避するべきポイントだ。だが、『あの夜もそうだった。あの夜もこのような殺気に塗れた夜だった』。
 記憶の底に引っ掛かる断片を少しずつ再構築。
 後もう一つピースが揃えば完全に思い出す。忘れたい過去ではなく、忘れてしまっていた過去を蘇らせる事ができる。
 小さな知的探求心のために、自ずと街灯の下に自分の体を晒してしまった。
 非常に危険なのは百も承知。
 暗がりであれば更に危険なのを咄嗟に感じたのだ。
 たった一つの……気配と殺気。
 相手の呼吸が聞こえる錯覚。
「!」
 背後からの襲撃。
 背中に目玉が付いているかのように身を左側に咄嗟に逸らす。躱すのは無理だ。
――――『やっぱりね。あの時の……』
 白刃一閃。
 美奈の左半身を必殺の剣戟が空を切る。
――――『返し』が来る!
 地面を切り裂かんばかりの切っ先が振り上げられる。
 それを今度は前方に一歩踏み込んで射程外に出る。
 切っ先を返さずに振り上げる動作で……峰の部分での下段からの打撃。
 一歩早く踏み出していなかったら、左脇腹に峰の部分が深くめり込んでいただろう。
 素早く振り向き、オートマグⅢの銃口を定めようとするも直ぐにその手を引く。
 そのオートマグⅢの片手での無理な体勢からの発砲を読まれていた。完全に腕を伸ばしきっていたらその右腕は切断されていただろう。
「…………」
「…………」
 正面に日本刀を構える30代前半の男。
 精悍な顔付きで髪をオールバックに纏めてスーツの上から軽量のフィールドコートを羽織っている。
 たったの2m。彼我の距離2m。
 お互いが2歩踏み込めば殴り合いができる距離。
 だが、その距離は非常に遠い。
 オートマグⅢを構える素振りを見せれば、その隙に剣戟が襲い来る。 目前の日本刀の男は中段正眼に刀を構えている。
 美奈は日本刀の造詣は浅い方だが、それが放つ秋水でただのナマクラでないことは直ぐに理解した。
 人を斬り続けた生命力を感じる。
 ただの飾りじゃない。
 きっと名の有る刀匠が鍛えたのだろう。
 記憶がサルベージされる。
 睨み合ったまま、嘗ての記憶が脳裏にフルカラーで浮かび上がる。
 彼女が酒を初めて呑まずにはいられないと思わせた事件も同時に浮かび上がる。
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