無明の瑕

 美奈は確信していることが有る。
 それは、自分自身が何らかの勢力の標的になっているということだ。だが、善良な市民に化けている時には絶対に手出しをしない。
 美奈はそんな紳士協定を結んだ記憶が無い。
 相手が個人だろうと集団だろうと、攻撃してくるのならウラの顔の時だけにして欲しいと嘆願した記憶は無い。
 美奈をつけ狙う集団はウラの顔の美奈に用が有り、オモテの顔をしている時には恐ろしいほど紳士的でちょっかいの一つも出してこない。
 それこそ、自宅の中は安全地帯だと錯覚するほどに静かな毎日だった。
 連中は何かを狙っている。何かを待っている。
 それが何なのか解らないだけだ。
 暴力団事務所が入るテナントビルを襲撃する前に何かが有ったのだろうが、心当りがない。見当が付かない。
 そもそも、引き金となった出来事は一体なんなのか。
 いつも贔屓にしている仲介業者でさえ最早、信じられない。その仲介業者を利用した依頼だけ不穏な影がチラリと見える。仲介業者が買収されたか。仲介業者も虎視眈々と何かを狙う集団の一派だったのか?
「!」
 半分だけ締められた雨戸の向こうに人の気配を感じたので、咄嗟に、発砲。
 凄まじい轟音は室内のあらゆる物を震わせた。
 弾頭は雨戸をボール紙のように貫通して、その向こうに居た男の左脇に命中した。男は拳銃を滑り落とすと、体を折って、前のめりに倒れたまま動かなくなった。
 ふと、寒気。
 咄嗟に倒れる。
 派手に、盛大に、大袈裟に、仰向けに倒れる。
 まるでジャンプ力の足りないバク転を見ているようだった。
 寒気の正体。
 殺気を絡めた銃口が自分を睨んでいる。向いている。牙を剥いている。
 うつ伏せに倒れたのでは、オートマグⅢの銃口が反対方向を向く。
 背中に感じる寒気に従って、仰向けに倒れて無様に伏せた。
 その途端に窓ガラスが派手に破砕されて、散弾銃と思しき銃撃が襲い掛かる。
 間髪入れずに世界が上下反転したままの状態でオートマグⅢを構えて窓ガラスの向こうに見える、初撃をしくじった人影に向かって発砲。
 またも轟音。
 少なくとも、予想外の体勢の、予想外の方向からの銃撃に対処できなかったその人影は、頭部を後方にほぼ直角に折ってそのまま倒れる。恐らく顔面のど真ん中に命中したのだろう。やや薄暗い外の陽光でははっきりと確認できない。
 直ぐに体勢を整える。
 右片膝立ちに体を起す。
 起し様に、発砲。
 偶々、視界の端に入った人影に向かっての発砲。
 発砲した直線上には障子とガラス戸が有ったが、この距離で30カービン弾の前では障害物でもなんでもない。拳銃を放り出したような大の字のリアクションで、家屋内部に侵入してこようとしていた男は尻餅を搗いてそのまま動かなくなった。腹部に命中した衝撃が全身を駆け巡ったのか。
 この家屋を一斉に揺るがす銃声が轟く。
 短機関銃の乱射だ。
 再び伏せる。できるだけ頭を低くして、匍匐前進で家屋の出来るだけ真ん中辺りの部屋に移動する。
 短機関銃といえども、拳銃弾だ。
 貫通力まで劇的に上昇するわけでは無い。
 短機関銃の音を聞きながら移動。
 2挺、居る。
 一方向からではない。
 西と東側の壁を拳銃弾で派手に叩いている。
 煙でネズミを燻り出す要領なのだろう。そして燻り出しで効果が薄いと必ず、駆除業者よろしくテリトリーに土足で上がる。
 床の震動や軋みで伝わってくる。
 どかどかと複数の足音が西側から入ってくる。東側の銃撃は止んでいる。この家屋内部で一気に短期決戦を決め込むつもりか。
 合計で5部屋ある家屋。
 築20年といったところか。家人の射殺体は玄関付近で見ただけでそれ以外の部屋では確認できない。
 自動拳銃と思しき銃声を撒き散らしながら、イナセな男が6畳間の部屋に大股で入ってくる。
 薬物でもキメているのか、足の歩幅や呼吸が正常じゃない。
 それでも手にした拳銃の威力は変わらない。命中すればお終いだ。美奈はオートマグⅢの引き金を引いた。
 隣の6畳間から障子の隙間を頼りに、無遠慮で作法の成っていないその男の右脇腹に暴力的な30口径がめりこんだ。
 男は3mもない距離からの不意な銃撃と被弾に顔色を変える暇も無く、左手側に吹っ飛ばされて障子を押し倒してそのまま起き上がらなくなった。
 薄暗い部屋。電灯を点けていないので当たり前の家屋内部。
 その家屋内部のあちらこちらでスイッチが入る音を聞く。
 侵入してきた連中が光源を確保するために蛍光灯を点けているのだ。半径10m内に少なくとも3人の人間が居る。
 足音。床の軋み。移動する気配。
 短機関銃の銃声が止んだと思ったら、既にこんなに近くに3人の敵を近づけていた。
 先ほどからのオートマグⅢの咆哮で美奈の大体の位置は掴まれているだろう。
 この家屋内部で無駄な発砲は命取りに繋がる。
 1発で1人を仕留める気概を強く持たねばならない。弾倉には5発。予備弾倉を抜き出し、左手の指の間に挟む。
 いつもと感覚が違うと思ったらバラクラバを被っていない。
 依頼を請け、標的とされていた人物に近付くまでバラクラバを被ったまま軽トラックを運転していたのでは目立ち過ぎると思い、被っていなかったのだ。
 道理で普段より、肌で感じる緊迫感が突き刺さるように痛いわけだ。
 牽制の発砲が各部屋で轟く。
 追い込み漁で追い立てられている魚の気分だ。
 30カービン弾のフルメタルジャケットを用いる強みを活かすには充分な狭さ。鉄筋が入っていない土と漆喰の壁など貫通させるのに造作も無い。
 金で雇われただけにしては活気と威勢の有る連中だ。これだけの火力と腕っ節の差を見せ付けられても誰も怯んでいない。荒事業界の信用のためにもそうであって欲しいものだ。
 この業界は信用看板だ。
 どこかの誰かが腑抜けだと、その信頼の失墜は業界全体の風評被害となって同業者やそれに繋がる業者の信用まで低くしてしまう。
 自分の命が危険に晒されている中での解離した思考……美奈は恐怖に呑まれかけている証拠だ。有り体に言えば現実逃避が始まっていると言える。
 美奈の霞が掛かる思考を吹き飛ばしたのは、隣の部屋からの銃声だ。腹にくぐもる銃声。その轟音だけの勝負ならオートマグⅢもかくやと言うべき恐ろしい音響。
 散弾銃だ。
「!」
 散弾銃。
 発砲の後に聞こえる大袈裟な金属質の掠過音。
 ポンプアクションの散弾銃だ。
 こちらに向かって、障子越しに発砲された散弾は充分なパターンを形成する前に、美奈の右脇を過ぎ去り、その向こうの襖に孔を開ける。
 牽制が垣間見れる発砲。
 右手のみでの発砲ゆえに連射や速射は無理だった。
 咄嗟に散弾で破れた障子を目掛けて発砲した。
 体を右半回転させつつこの部屋から飛び出す考えだった。……だが、牽制の発砲以降に散弾銃の追撃は無かった。
 牽制といってもたった1発の発砲だ。反動が大き過ぎて片手で抑え込めずに、銃声で怯ませた隙の遁走を狙ったのだが、障子の向こうで畳や襖が派手に擦れる音がした……と、思ったらそれ以来、反撃が無かった。
 目前1mの障子を開ければ、何故反撃が行われないのか、何故散弾銃遣いが沈黙したのか理由がはっきりと解りそうなものだが、彼女はそれを行わず、現在地の6畳間から廊下へ飛び出た。
 美奈が飛び出した後に、散弾銃遣いが居たはずの部屋で、この業界に入って3年目の二十代前半の若い殺し屋ーー前に見た事のある顔だーーは散弾銃を抱いたまま、心臓に30カービン弾の直撃を受けて絶命していた。
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