無明の瑕
近年では初心者や入門者ほどシガリロに手を出すという心理を逆手にとって、バニラやコーヒー、チョコレートなどの着香料が使われた菓子のようなシガリロが市場に出回り、一応の成功を収めている。
ホタル族の美奈はどんなに天候や気温が過酷でも、必ず屋外で紫煙を吹かす。
美津乃が帰ってきたときにヤニ臭いときっと不快に思うに違いない。
シガリロを吹かしながら呆ける。
何も考えずに頭の中があやふやになる。
葉巻を吸うと体は非常にリラックスした状態になるのに、思考はそれに反し、冴え渡る。
喫煙中の外見はだらりと脱力してリラックスしているようでも脳内ではあらゆる思索が繰り返されている。
あらゆる思索が浮かんでは消えている。
内向的作業にニコチンの力を借りる人間が多いのもこれが理由だ。
――――あの狙撃手……。
――――最初からあそこに陣取っていた?
――――暴力団連中が雇ったんじゃない……?
――――暴力団連中が雇ったのなら襲撃される前に自分達を血祭りに上げるはず。
――――誰が雇った?
――――襲撃される時間と位置を知っていて、ビルを制圧してからの狙撃。
――――クライアントから情報漏洩?
――――クライアントは一銭もケチらずに報酬を払った。
――――誰が? 何のために? どこの勢力?
先日の夜に命辛々生き延びた、暴力団のテナントビルの一件がふと脳裏に浮かび、止め処も無く詮索してしまう。
狙撃されるタイミングに疑問を感じたのだ。
明らかに狙撃手はビルを制圧してから、襲撃者である美奈達を殺しに掛かった。
いつでも狙撃できる機会は有ったのに、だ。
狙撃手の腕前から心当りを検索する。
ビル風と寒風が吹き荒れる中、目測で200mm向こうから狙っていた。
200mという数字の根拠は、狙撃される前に窓の外を見たときにビルが開けた空間が200mに有ったのを覚えていたからだ。
近場のビルの室内からの狙撃だと銃口を振る範囲が限られて仕舞うために頻繁な移動を強いられる。その度に標的を見失うはずだ。
窓を穿った孔から察するに、口径は7.62mmクラス。338ラプアやハーフインチの長距離狙撃銃ではない。
尤も、どんなに思考を繰り返したところで無意味に近い。
狙撃手が襲撃者全員の暗殺の任を背負っていたのなら、既に美奈は死んでいる。
こうしている間にも頭を撃ち抜かれて死んでいる。
金で雇われただけの狙撃手なのは充分に解っている。
誰が何のために美奈達を始末しようと目論んだのか、だ。
それも、穏便に。静謐に。秘密裏に。
有り難くも美奈の日常生活はこうして守られている。
表向きの顔を妨害される事無く生きている。
美奈のオモテとウラを知っている人物が関与していると思えば良いだろう。
シガリロがもたらす思考能力は終わりを告げることがなく、1本を灰にした後も寒空の下で体育座りのまま、式も解も代数も解らない公式を考えるのに時間を浪費した。
※ ※ ※
呼吸、荒い。
コロシだけの仕事。報酬は中の上。
手軽に終わるはずの仕事の部類。
達成難易度も美奈自身が大きなドジを踏まなければ問題は無い依頼。依頼のウラは取れている。いつも懇意にしてくれている仲介業者の仕事を『落札』した。
山間部の過疎地に逃げ込んだ逃亡者を仕留めるだけの簡単な仕事。
……それだけのはずが、10挺近い銃声に歓迎されて、脆くも敗れ去る。
当初の依頼の目標は反故だ。
今は生きて帰る事だけが目的となる。
過疎地。全人口20人も居ない深い山間部の過疎地。
辛うじて携帯電話の範囲に入っている、滅ぶのを待つだけの集落。人口は20人も居ない。
疎らに家屋が建っているだけだが、2年後にこの集落は近くの一回り大きな集落と合併されて地図から無くなる予定の地区だ。
そこに逃げ込んだ逃亡者を抹殺して欲しいとの依頼を喜んで引き受けた。引き受ける事ができた。
なのに、蓋を開ければ、全人口の半分近い人間が銃を携えて美奈を追いかけているという有様だ。
家屋を遮蔽にと、飛び込んだが、そこの家人が射殺体で転がっているのを確認した。
その瞬間に悟った。これは罠だ。
この集落は謎の集団により既に皆殺しにされている。
短機関銃に散弾銃。拳銃が半分。連携は今一つでも火力が大きいので強敵だ。
この場限りで雇われた人間なのは解っている。動きがそれぞれ素人では無いのに、それぞれが連携していない。
売り出し中の新人を安い金額で雇った場合にこのような例に遭遇する事が有るが、その典型だった。
まだ反撃はしていない。午後4時。
山間部ということも有り、直ぐに日没が訪れるだろう。
夜陰に乗じて遁走を図る。
そして仲介業者にクレームを付ける。生きて帰らなければ違約金の交渉もできない。
集落のほぼ中央に入り込んだ辺りでの襲撃。物陰からの銃撃。下手に動けない。……上手に動かないといけない。
マズルフラッシュの数をじっくり数えるのに神経を使う。
戦力の分析もできないのに、無闇矢鱈に走り去るのは馬鹿げている。彼らは陽動で本命の狙撃手ーー或いはその任を背尾った人間ーーがどこかで隠れている可能性も有るのだ。
家屋を繋ぐ1本の路。
普通車が通れる程度の幅よりは大きい。
この過疎地に踏み込んで違和感を覚えたのが始まりだった。
どの家屋も電灯がついていない上に過疎地にありがちな飛び飛びの田畑に人が誰も居なかった。
遮蔽が乏しいロケーション。
厳密には、遮蔽から遮蔽への間隔が大き過ぎて全速力で走るしか被弾の確率を下げる移動の手段は無い。
いつものトレンチコート。足元は山の路を想定して動き易い運動靴の機能を持ったパンプスだったのが幸いだ。
過疎地の入り口から盗難した軽四輪のトラックで、徐行に近い速度で走っていたが、トラックの右側面に銃弾が浴びせられ呆気無く軽トラックはパンク。
這って助手席側のドアから脱出して一番近くの遮蔽物に飛び込んだ。遮蔽物と言っても、田畑の土手で、休耕地らしく、何も植えていなかった。
土は乾き気味だったが、多少のトレンチコートの汚れは仕方が無いと諦める。
右手にオートマグⅢを抜いた。牽制の発砲は控えて、遮蔽の土手伝いに小型耕運機やビニールハウスの陰などを伝いながら逃げ回って……現在に到る。
今は一番近場の家屋の陰で辺りの様子を窺っているが、少ない遮蔽を伝いながら10人近い人数が徐々に包囲網を狭めつつある。
1階建てスレート平屋の内部に飛び込むほか無かった。
この家の家人が無残に射殺体となって玄関付近で倒れていた。
勝手口から家に上がりこむ。この辺りは2階建て家屋は少ないらしい。
土地だけはあるので建物の床面積が広く、全ての窓から外部を確認するのに家屋の中を走り回らなければならなかった。電灯は点けない。薄暮の明かりももう直ぐ夕闇に消える。その暗さを活用できないものかと思案する。
潜んでいる家屋に向けて銃弾が叩き込まれる。
狙った発砲ではない。美奈の姿が見える訳が無いのだ。棒で藪を払って蛇を探すのと同じ行動だ。
無制限に持ち歩いているわけではない弾薬の無駄遣いだ。
拳銃遣いと呼ばれるほどの練度に足りていないのか、無駄弾が多い。散弾銃や短機関銃を携えた者は合計で5人ほど確認できたが、何れも、軽トラックの襲撃以外では無駄な発砲は控えている。
発砲したとしても、美奈の遁走先をまるで操作するかのような足止めの発砲だった。
ホタル族の美奈はどんなに天候や気温が過酷でも、必ず屋外で紫煙を吹かす。
美津乃が帰ってきたときにヤニ臭いときっと不快に思うに違いない。
シガリロを吹かしながら呆ける。
何も考えずに頭の中があやふやになる。
葉巻を吸うと体は非常にリラックスした状態になるのに、思考はそれに反し、冴え渡る。
喫煙中の外見はだらりと脱力してリラックスしているようでも脳内ではあらゆる思索が繰り返されている。
あらゆる思索が浮かんでは消えている。
内向的作業にニコチンの力を借りる人間が多いのもこれが理由だ。
――――あの狙撃手……。
――――最初からあそこに陣取っていた?
――――暴力団連中が雇ったんじゃない……?
――――暴力団連中が雇ったのなら襲撃される前に自分達を血祭りに上げるはず。
――――誰が雇った?
――――襲撃される時間と位置を知っていて、ビルを制圧してからの狙撃。
――――クライアントから情報漏洩?
――――クライアントは一銭もケチらずに報酬を払った。
――――誰が? 何のために? どこの勢力?
先日の夜に命辛々生き延びた、暴力団のテナントビルの一件がふと脳裏に浮かび、止め処も無く詮索してしまう。
狙撃されるタイミングに疑問を感じたのだ。
明らかに狙撃手はビルを制圧してから、襲撃者である美奈達を殺しに掛かった。
いつでも狙撃できる機会は有ったのに、だ。
狙撃手の腕前から心当りを検索する。
ビル風と寒風が吹き荒れる中、目測で200mm向こうから狙っていた。
200mという数字の根拠は、狙撃される前に窓の外を見たときにビルが開けた空間が200mに有ったのを覚えていたからだ。
近場のビルの室内からの狙撃だと銃口を振る範囲が限られて仕舞うために頻繁な移動を強いられる。その度に標的を見失うはずだ。
窓を穿った孔から察するに、口径は7.62mmクラス。338ラプアやハーフインチの長距離狙撃銃ではない。
尤も、どんなに思考を繰り返したところで無意味に近い。
狙撃手が襲撃者全員の暗殺の任を背負っていたのなら、既に美奈は死んでいる。
こうしている間にも頭を撃ち抜かれて死んでいる。
金で雇われただけの狙撃手なのは充分に解っている。
誰が何のために美奈達を始末しようと目論んだのか、だ。
それも、穏便に。静謐に。秘密裏に。
有り難くも美奈の日常生活はこうして守られている。
表向きの顔を妨害される事無く生きている。
美奈のオモテとウラを知っている人物が関与していると思えば良いだろう。
シガリロがもたらす思考能力は終わりを告げることがなく、1本を灰にした後も寒空の下で体育座りのまま、式も解も代数も解らない公式を考えるのに時間を浪費した。
※ ※ ※
呼吸、荒い。
コロシだけの仕事。報酬は中の上。
手軽に終わるはずの仕事の部類。
達成難易度も美奈自身が大きなドジを踏まなければ問題は無い依頼。依頼のウラは取れている。いつも懇意にしてくれている仲介業者の仕事を『落札』した。
山間部の過疎地に逃げ込んだ逃亡者を仕留めるだけの簡単な仕事。
……それだけのはずが、10挺近い銃声に歓迎されて、脆くも敗れ去る。
当初の依頼の目標は反故だ。
今は生きて帰る事だけが目的となる。
過疎地。全人口20人も居ない深い山間部の過疎地。
辛うじて携帯電話の範囲に入っている、滅ぶのを待つだけの集落。人口は20人も居ない。
疎らに家屋が建っているだけだが、2年後にこの集落は近くの一回り大きな集落と合併されて地図から無くなる予定の地区だ。
そこに逃げ込んだ逃亡者を抹殺して欲しいとの依頼を喜んで引き受けた。引き受ける事ができた。
なのに、蓋を開ければ、全人口の半分近い人間が銃を携えて美奈を追いかけているという有様だ。
家屋を遮蔽にと、飛び込んだが、そこの家人が射殺体で転がっているのを確認した。
その瞬間に悟った。これは罠だ。
この集落は謎の集団により既に皆殺しにされている。
短機関銃に散弾銃。拳銃が半分。連携は今一つでも火力が大きいので強敵だ。
この場限りで雇われた人間なのは解っている。動きがそれぞれ素人では無いのに、それぞれが連携していない。
売り出し中の新人を安い金額で雇った場合にこのような例に遭遇する事が有るが、その典型だった。
まだ反撃はしていない。午後4時。
山間部ということも有り、直ぐに日没が訪れるだろう。
夜陰に乗じて遁走を図る。
そして仲介業者にクレームを付ける。生きて帰らなければ違約金の交渉もできない。
集落のほぼ中央に入り込んだ辺りでの襲撃。物陰からの銃撃。下手に動けない。……上手に動かないといけない。
マズルフラッシュの数をじっくり数えるのに神経を使う。
戦力の分析もできないのに、無闇矢鱈に走り去るのは馬鹿げている。彼らは陽動で本命の狙撃手ーー或いはその任を背尾った人間ーーがどこかで隠れている可能性も有るのだ。
家屋を繋ぐ1本の路。
普通車が通れる程度の幅よりは大きい。
この過疎地に踏み込んで違和感を覚えたのが始まりだった。
どの家屋も電灯がついていない上に過疎地にありがちな飛び飛びの田畑に人が誰も居なかった。
遮蔽が乏しいロケーション。
厳密には、遮蔽から遮蔽への間隔が大き過ぎて全速力で走るしか被弾の確率を下げる移動の手段は無い。
いつものトレンチコート。足元は山の路を想定して動き易い運動靴の機能を持ったパンプスだったのが幸いだ。
過疎地の入り口から盗難した軽四輪のトラックで、徐行に近い速度で走っていたが、トラックの右側面に銃弾が浴びせられ呆気無く軽トラックはパンク。
這って助手席側のドアから脱出して一番近くの遮蔽物に飛び込んだ。遮蔽物と言っても、田畑の土手で、休耕地らしく、何も植えていなかった。
土は乾き気味だったが、多少のトレンチコートの汚れは仕方が無いと諦める。
右手にオートマグⅢを抜いた。牽制の発砲は控えて、遮蔽の土手伝いに小型耕運機やビニールハウスの陰などを伝いながら逃げ回って……現在に到る。
今は一番近場の家屋の陰で辺りの様子を窺っているが、少ない遮蔽を伝いながら10人近い人数が徐々に包囲網を狭めつつある。
1階建てスレート平屋の内部に飛び込むほか無かった。
この家の家人が無残に射殺体となって玄関付近で倒れていた。
勝手口から家に上がりこむ。この辺りは2階建て家屋は少ないらしい。
土地だけはあるので建物の床面積が広く、全ての窓から外部を確認するのに家屋の中を走り回らなければならなかった。電灯は点けない。薄暮の明かりももう直ぐ夕闇に消える。その暗さを活用できないものかと思案する。
潜んでいる家屋に向けて銃弾が叩き込まれる。
狙った発砲ではない。美奈の姿が見える訳が無いのだ。棒で藪を払って蛇を探すのと同じ行動だ。
無制限に持ち歩いているわけではない弾薬の無駄遣いだ。
拳銃遣いと呼ばれるほどの練度に足りていないのか、無駄弾が多い。散弾銃や短機関銃を携えた者は合計で5人ほど確認できたが、何れも、軽トラックの襲撃以外では無駄な発砲は控えている。
発砲したとしても、美奈の遁走先をまるで操作するかのような足止めの発砲だった。