無明の瑕

 腹のど真ん中に被弾。
 紙風船を踏み潰したような破裂音がした。
 腹腔が被弾の衝撃で破裂したのだ。死なないでもないが、助からないかもしれない負傷だ。
 今直ぐ立ち上がって銃を取るのは不可能。
 ミニUZIの男との一瞬の遣り取りに隙を見た機転は褒められるが、それに伴う実力が具わっていなかったのを悔やんでもらうほかない。
 直ぐに体を反転させる。
 ウイーバースタンス気味の構えで、残弾を侵攻すべき部屋のドアの蝶番に叩き込んで軽く蹴り倒しただけで開くようにする。
 弾倉を交換しながら部屋の中からの反撃に備える。
 他の階が阿鼻叫喚と銃声の合唱が渦巻いている中、美奈が担当するこの階は静かな方だと言えた。
 彼女が提供するのはオーバーキルに近い打撃で、被弾した者は2度と立ち上がらない。2度と口を開かない。
 ドアの蝶番側に立って踵をドアの足元に叩き込んで、脆くなったドアを衝撃で弛ませてドアの自重で倒す。
 反撃は無い。
 息を潜めている。複数の気配。
 足元で転がっているはずの複数の死体は、部屋の中に引きずり込まれたらしい。
 仲間を弔う意識が強いのか、仲間が携行している武器弾薬が惜しいのか。
 3秒経過。3秒だけ待ってやった。
 3秒ほど時間が経つと廊下に等間隔で配置されている消火器を手に取り、力一杯、部屋の中にそれを放り込む。
 たった1本の消火器を敵だと思い込んだのか、敵に見えたのか、的になる物なら何でも良かったのか、一斉に銃声が吼える。
 屈強な大型犬を前にしても、飼い主の前では最強だと思い込んでいる愛玩犬のように小賢しく銃声が吼える。
 五月蝿い。
 連携の不備が織り成す不協和音は騒音に聞こえる。
 消火器が室内のオフィスじみたデスクや応接テーブルに派手に衝突して更に耳障りな騒音を掻き立てる……そのお陰で室内の人間の数が分かる。
 バラバラの銃声でも幾つかの口径違いや発砲の間隔から割り出せる。
 勿論、不協和音だ。
 不協和音しか奏でられない連中が連携を保って互いの装填ロスをカバーし合えるはずがない。
 室内に数瞬の沈黙。
 瞬き数回。
 呼吸一拍も無い。
 充分な時間だ。
 美奈は斜めに倒れたドアを猫のように飛び越えて室内に滑り込み、勢いを殺すために床で一回転して片膝立ちになる。
 その場で固定銃座と化して30カービン弾をばら撒く。
 室内を席巻する轟音。窓ガラスが30カービン弾の音響に空震する。銃口を右手側から左手側へ。
 カカシを的にするのと何ら変わりの無い一方的屠殺。
 再装填が間に合わなかった4人の男達は何れも拳銃を放り出して仰向けに派手に倒れる。
 2m~4mの距離での胸部への直撃。
 まともに息を吹き返すのは難しいだろう。
 身の丈ほどの観葉植物を遮蔽にしている男も居たが、この距離では何の役にも立たない。準幹部のバッヂを襟に付けた男達が床に崩れ落ちる。一応の目標は達成したと言える。だが、クライアントは更に丁寧で乱雑な暴力を希望している。
 このビル1本丸々、墓標にしてほしいと言外に言っていた。
 他の階の制圧と掃討は手際よく進んでいるらしい。景気の良い短機関銃の唸り声がここまで聞こえる。
 今し方、制圧したフロアを更に探索。
 殺し損ねた標的を探す。
 先ほどと同じ25平米ほどのオフィス。幾つかのセクション毎にパーテーションで仕切られていた。
 部屋の中はどこを見ても乱雑。拳銃を仕舞ってある隠し場所を慌ててひっくり返したのだろう。
「…………」
 箒が足元に散らばっている。
 清掃具を仕舞ってあるロッカーに自然と視線が向けられる。
 迷わなかった。ロッカーに向かって発砲。
 ロッカー内部で何かが崩れ落ちる音がした。みるみるうちにロッカーの下段の隙間からドス黒い血液が染み出してくる。
「!」
 左手側……窓の外。屋外。遥か向こうというほどでもない距離。
 視線を感じた。
 『強烈な視線』だ。
 途端、階下の短機関銃の唸り声が止んだ。
 咄嗟に臥せる。
 狙撃手が居る。
 雑居ビルが林立する最悪の条件で狙撃してきたのだ。
 狙撃を初弾で命中させるのには、様々な条件が揃わなければ先ず不可能だ。
 それに狙撃自体が離れた位置からの精密な射撃だと思われがちだが、実際はできるだけ標的に近付いて、狙撃手が得意とする、絶対に外さない距離で仕留めるのがセオリー。
 ビル風が渦巻き、冬の寒風が吹き荒れるこの条件下でテナントビルに飛び込んだ狙撃手によって、同業者はことごとく黙らされたらしい。
 建物の中では銃声が途切れる。
 狙撃手は目測で難しい距離から凶弾を放てる。
 頭を高くすれば命は無い。勿論の事、オートマグⅢで勝負しようとは思わない。遁走の経路を素早く脳内に投影する。
 自分が殺される側に一瞬で叩き落された恐怖に、喉から心臓が迫り出しそうだった。
 背中に氷を押し当てられたような気分だ。
 喉が急激に渇く。
 酒と葉巻を一緒に渇望する緊迫。
 半鐘のような心臓を落ち着かせなければ自分が自分で無くなる錯覚。
 狙撃手の正体や現れた経緯はどうでもいい。
 早くこの場から撤収しないと自分がカカシになる。
 血の池が広がり始める床を避ける。
 ブラインドを締めて室内の照明を消す。この間に3発の銃弾が窓ガラスを突き破って美奈を襲った。
 バラクラバから溢れた髪を掠った。
 トレンチコートの襟を叩いた。
 その度に反射的に頭を下げた。
 狙撃手からは遊んでいる気配を感じない。
 気配と言っても、狙撃の間隔や狙う箇所などで狙撃手が遊んでいるか真面目に殺すつもりか大雑把に分かるだけだ。
 その観点で言えば、狙撃手は真面目に殺す機外に溢れていた。
 他の階の同業者が次々と黙らされていくのが何よりの証拠だ。
 何の意味が有って美奈を最後に残していたのか……恐らく狙い難いから、最後に廻しただけだろう。
 憶測で狙撃手にまつわる事柄なら幾らでも思い付くが、いずれも今ここでそれを詮索しても何も変わらない。
 出番が無いと思われるオートマグⅢはセフティを掛けて左脇に仕舞う。
 ドアを予め破壊しておいて良かったと思う。少ないアクションで部屋の外に這い出る事ができるのだから。
 恐らく、非常階段は遁走経路としては不向きだ。
 非常階段を担当していた同業者が沈黙していた。恐らく、狙撃されたのだろう。ビルの真正面と西側は直線で見晴らしがいいので避けなければならない。
「…………」
――――嫌なルートだこと!
 脳内の見取り図に無いルートが浮かび上がる。
 廊下を伏せて移動し、強化ガラスを叩き割り、雨樋と室外機へのダクトパイプを渡り歩いて降下する方法しか思い浮かばないのだ。指や爪先を滑らせれば一巻の終わりだ。
 暫しの逡巡の後、廊下に出て、コンクリの壁に背を任せると消火器を手に取り、強化ガラスにぶつけて叩き割った。
 この夜、彼女は依頼人との合流場所に這う這うの体で辿り着いたのだが、どの様にして到着したのかは不明だった。
 気が付けば、4ozのスキットルには弾痕が開き、空だった。
   ※ ※ ※
 狙撃された案件。
 詳しく調べるつもりは無い。
 今となっては3日前の話だ。
 美奈を殺すつもりならばとっくに頭を撃ち抜かれて路上で死んでいる。
 ただの雇われた狙撃手ならば、身元を割り出してお礼参りする価値が無い。
 向こうもビジネスで狙撃をしているのだ。
 コロシを生業にしている以上、誰に殺されるのか解らない。誰にどんな恨みを売り買いしたか覚えていない。
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