人を喰う噺
ショットバーで支払いを済ませて早々に帰路に就く。
あの女……竹居江利は逃げない。
不意を衝かれて、街中でのストーキングに気がついただけだ。
竹居江利をガードする連中がいるのなら、邪魔者を排除させる手駒も持っていると考えた方がいい。
単純に数の問題だ。
1人の女に胆を冷やされて逃げ出すような女が、手下を従えられるはずがない。
金で雇った人員だとすれば尚更だ。逃げだせばコストが合わないからだ。
『この街で居座るために短機関銃を携える人間を雇ったのだろう』。
そして最大の焦点は竹居江利の背後関係。
情報屋からの収穫をまとめると、竹居江利はハニートラップ専門の工作要員としてこの街の近隣で散々、男を篭絡し組織にとって手放せない駒となった。
駒を通り越して指揮官となった節さえある。
あろうことか、自分を飼う上司とねんごろな関係に漕ぎ付けて、この街に帰ってきた。
上級幹部を篭絡した彼女は、権力と資金を与えられて大規模クラブの総支配人を任されたという。
雇われ店長ではなく正式な総支配人だ。
これはつまり、地元暴力団と一戦交えるための橋頭堡の確保を任命されたのと同じ、重要なポジションだ。
早職を飼う地元暴力団としても自分達の喉元に刃を突きつけられて穏やかに眠れないだろう。
遅かれ早かれクラブハウスに鉄砲玉を送り込まれて均衡しつつある勢力図を一気に傾けさせる作戦を実行するのは目に見えている。
ちょっとした市街戦の火蓋が切られる。
それを鑑みて自分の振り上げた拳の向ける先を理性的に考える。
落とし前をつけさせる元社長は破砕機でミンチだ。どうしようもない。
地元勢力と縁を切って雲隠れすると、借金のカタをつけさせるという名目で、地元暴力団の内情を全て知る早職を抹殺すべく次から次へと殺し屋が送り込まれるのでその手段は無しだ。
地元暴力団とこれからも良い付き合いを続けたくとも最終的な頂上作戦では早職も戦闘員の1人として本当に使い捨てにされる。
ならば先手必勝。
しかし、狙うのは竹居江利か? 竹居江利を囲う直轄の組織か? 少なくとも地元暴力団と均衡を維持しつつある敵対組織全部を相手に大立ち回りをする自信は無い。
鋭く。素早く。奥深く。
竹居江利の全てだけを狙う。
命を奪うのと即ちイコールではない。
社会的……少なくとも狭い組織図の中に組み込まれなくなるほどのダメージを与えてから落とし前をつけさせてもらう。
複雑な怒りの矛先だ。
ただの八つ当たり。腹癒せ。逆恨み。
元社長を素直に引き渡せばこんなことになっていないのに、という自分勝手な論法。
だがしかし……それを無事遂行できれば少なくとも早職の心は晴れる。
振り下ろす拳が気持ち良く相手の顔面を捉えれば文句は無い。
小まめな性格だが、基本的に快楽主義者の早職には明確な標的が与えられれば、少なくとも心のベクトルを維持できる。
具体的にいえば竹居江利に恨みは無い。
恨みの根源を作った、迂遠な恨みを晴らしたいだけの存在。それで充分だ。
若しも竹居江利が元社長を篭絡しなければ、馴れ合いだけで中立を保つ私立探偵事務所は今も健在だったかもしれない。
当時十代の少女1人で危ない橋を渡る探偵の真似事を強制させられる事も無かっただろう。
ただの家出少女のまま平穏に生温い実家に帰ってなんと無く生きているだけの今時の未成年を満喫できただろう。
それは儚くも潰えた。
二十歳の頃には既にFNブローニングBDACを握り、死線を潜っていた。
誰も何も教えてくれない世界を一人で生きてきた。
自分の時間を清算させるためだ……と、そこまで考えが到ると早職の腹の底にドス黒い鬱屈が噴出口を求めて滾りだした。
※ ※ ※
FNブローニングBDAC。普通では考えられないルートを通り、早職の手元に遣って来た珍銃。
180mmに満たない小さな拳銃。
デザイナーの脳細胞を疑うほどに短いグリップ。
成人男性が握るときっと、親指と人差し指と薬指だけで保持することを強要されて、発砲すると間違いなく掌から……否、指から反動でこの銃はすっぽ抜ける。
それを早職はフルサイズマガジンをエクステンションマガジンと兼用させることで一応の問題解決を図った。
ここまで使い込んでやるつもりは無くとも、何故か手元から離れない拳銃。
岸壁から海に投げ捨てたことがあったが、釣り人が釣り針を引っ掛けて釣り上げてしまい、出所を探られると危険な事態になるのを予想した卸先の武器屋が、釣り人をひっそりと殺し、回収したFNブローニングBDACを丁寧にクリーニングした後、手数料の請求込みで郵便で探偵事務所に送り届けてくれた。
何がどのように作用してFNブローニングBDACが早職をストーカー紛いにつきまとうのか解らない。
バックアップにと所持していた9mmパラベラムの1911クローンを使おうとしてもジャムの連発で危うい目に遭った。
憎たらしいほどに快調に作動するFNブローニングBDAC。
プレス機にかけて圧潰させてやるか、溶鉱炉に叩き落してやりたい拳銃を、今日ほど頼りにしたことは無かった。
業腹ながら……非常に不本意ながら、武器屋が臨時で『地下に潜った』ために新しい火器が手に入らず、弾薬のみ別ルートで購入していた。
鼻の下を嗅がされているはずの警察で、異例の人事異動が発生して取締りが厳しくなり、表立って武器屋は店を開くことができなくなった。
髪を切った。
ばっさりとベリーショートにした。
ショットバーで竹居江利の情報を得た翌日に髪を切った。
この日のために髪を切った。
バラクラバを被るためだ。
先手必勝。
繁華街の中心に位置する一等地。
即ち両方の勢力が常に火花を散らしている導火線だらけのフロントライン。
そこに竹居江利が総支配人を務めるクラブが有った。
周りが毒々しいネオンに彩られている中、逆に控え目な光彩の落ち着いた看板がオアシスに見えてしまう。
高級なホステスを揃えたクラブ。
この敷居を跨ぐ人間の身形は、上から下まで総計30万円以上の布をまとっている。
不思議と人間離れした獰猛な顔つきの客ほど高級な布をまとっている。
連れている取り巻きの数も多い。どいつもこいつもどこかで見た顔だ。決して表に出ずに水面下でのロビー活動で成功してきたフィクサー連中だ。
市議会や県議会で保守革新、左派右派が喧々囂々と唾を飛ばして甲論乙駁としている様子はテレビでも窺えるが、あの無様な茶番は視聴者と有権者に対するポーズでしかなく、実際は表舞台に出ない人間達の間で料亭会議で以って否決が定められていく。
議員達は操られている自覚も無いままに、自らの尊い精神を抽出されて神輿とされているだけだ。
往来と通行が激しい大通りの道路一本を挟んだ斜め向かいのビルの屋上からカールツァイスのスポッティングスコープで客の出入りを観察する。
表の黒服が邪魔だ。
これでは粗末な身形の女が近付いただけでも顔を覚えられる。
取捨選択として裏口からの侵入を決意して10分後には決行していた。
流石に一等地の裏口がある路地裏だ。
街灯が眩しく、人通りも多い。各店舗を忙しく廻る酒類業者が納品と空き瓶の回収に余念が無い。
大きく息を吸う。
夜風の便りで秋の香りが解るほどに黴臭さは皆無。
午後11時。
まだ誰も眠らない時間。
目出し帽よりスタイリッシュなバラクラバはスルッと被れた。
あの女……竹居江利は逃げない。
不意を衝かれて、街中でのストーキングに気がついただけだ。
竹居江利をガードする連中がいるのなら、邪魔者を排除させる手駒も持っていると考えた方がいい。
単純に数の問題だ。
1人の女に胆を冷やされて逃げ出すような女が、手下を従えられるはずがない。
金で雇った人員だとすれば尚更だ。逃げだせばコストが合わないからだ。
『この街で居座るために短機関銃を携える人間を雇ったのだろう』。
そして最大の焦点は竹居江利の背後関係。
情報屋からの収穫をまとめると、竹居江利はハニートラップ専門の工作要員としてこの街の近隣で散々、男を篭絡し組織にとって手放せない駒となった。
駒を通り越して指揮官となった節さえある。
あろうことか、自分を飼う上司とねんごろな関係に漕ぎ付けて、この街に帰ってきた。
上級幹部を篭絡した彼女は、権力と資金を与えられて大規模クラブの総支配人を任されたという。
雇われ店長ではなく正式な総支配人だ。
これはつまり、地元暴力団と一戦交えるための橋頭堡の確保を任命されたのと同じ、重要なポジションだ。
早職を飼う地元暴力団としても自分達の喉元に刃を突きつけられて穏やかに眠れないだろう。
遅かれ早かれクラブハウスに鉄砲玉を送り込まれて均衡しつつある勢力図を一気に傾けさせる作戦を実行するのは目に見えている。
ちょっとした市街戦の火蓋が切られる。
それを鑑みて自分の振り上げた拳の向ける先を理性的に考える。
落とし前をつけさせる元社長は破砕機でミンチだ。どうしようもない。
地元勢力と縁を切って雲隠れすると、借金のカタをつけさせるという名目で、地元暴力団の内情を全て知る早職を抹殺すべく次から次へと殺し屋が送り込まれるのでその手段は無しだ。
地元暴力団とこれからも良い付き合いを続けたくとも最終的な頂上作戦では早職も戦闘員の1人として本当に使い捨てにされる。
ならば先手必勝。
しかし、狙うのは竹居江利か? 竹居江利を囲う直轄の組織か? 少なくとも地元暴力団と均衡を維持しつつある敵対組織全部を相手に大立ち回りをする自信は無い。
鋭く。素早く。奥深く。
竹居江利の全てだけを狙う。
命を奪うのと即ちイコールではない。
社会的……少なくとも狭い組織図の中に組み込まれなくなるほどのダメージを与えてから落とし前をつけさせてもらう。
複雑な怒りの矛先だ。
ただの八つ当たり。腹癒せ。逆恨み。
元社長を素直に引き渡せばこんなことになっていないのに、という自分勝手な論法。
だがしかし……それを無事遂行できれば少なくとも早職の心は晴れる。
振り下ろす拳が気持ち良く相手の顔面を捉えれば文句は無い。
小まめな性格だが、基本的に快楽主義者の早職には明確な標的が与えられれば、少なくとも心のベクトルを維持できる。
具体的にいえば竹居江利に恨みは無い。
恨みの根源を作った、迂遠な恨みを晴らしたいだけの存在。それで充分だ。
若しも竹居江利が元社長を篭絡しなければ、馴れ合いだけで中立を保つ私立探偵事務所は今も健在だったかもしれない。
当時十代の少女1人で危ない橋を渡る探偵の真似事を強制させられる事も無かっただろう。
ただの家出少女のまま平穏に生温い実家に帰ってなんと無く生きているだけの今時の未成年を満喫できただろう。
それは儚くも潰えた。
二十歳の頃には既にFNブローニングBDACを握り、死線を潜っていた。
誰も何も教えてくれない世界を一人で生きてきた。
自分の時間を清算させるためだ……と、そこまで考えが到ると早職の腹の底にドス黒い鬱屈が噴出口を求めて滾りだした。
※ ※ ※
FNブローニングBDAC。普通では考えられないルートを通り、早職の手元に遣って来た珍銃。
180mmに満たない小さな拳銃。
デザイナーの脳細胞を疑うほどに短いグリップ。
成人男性が握るときっと、親指と人差し指と薬指だけで保持することを強要されて、発砲すると間違いなく掌から……否、指から反動でこの銃はすっぽ抜ける。
それを早職はフルサイズマガジンをエクステンションマガジンと兼用させることで一応の問題解決を図った。
ここまで使い込んでやるつもりは無くとも、何故か手元から離れない拳銃。
岸壁から海に投げ捨てたことがあったが、釣り人が釣り針を引っ掛けて釣り上げてしまい、出所を探られると危険な事態になるのを予想した卸先の武器屋が、釣り人をひっそりと殺し、回収したFNブローニングBDACを丁寧にクリーニングした後、手数料の請求込みで郵便で探偵事務所に送り届けてくれた。
何がどのように作用してFNブローニングBDACが早職をストーカー紛いにつきまとうのか解らない。
バックアップにと所持していた9mmパラベラムの1911クローンを使おうとしてもジャムの連発で危うい目に遭った。
憎たらしいほどに快調に作動するFNブローニングBDAC。
プレス機にかけて圧潰させてやるか、溶鉱炉に叩き落してやりたい拳銃を、今日ほど頼りにしたことは無かった。
業腹ながら……非常に不本意ながら、武器屋が臨時で『地下に潜った』ために新しい火器が手に入らず、弾薬のみ別ルートで購入していた。
鼻の下を嗅がされているはずの警察で、異例の人事異動が発生して取締りが厳しくなり、表立って武器屋は店を開くことができなくなった。
髪を切った。
ばっさりとベリーショートにした。
ショットバーで竹居江利の情報を得た翌日に髪を切った。
この日のために髪を切った。
バラクラバを被るためだ。
先手必勝。
繁華街の中心に位置する一等地。
即ち両方の勢力が常に火花を散らしている導火線だらけのフロントライン。
そこに竹居江利が総支配人を務めるクラブが有った。
周りが毒々しいネオンに彩られている中、逆に控え目な光彩の落ち着いた看板がオアシスに見えてしまう。
高級なホステスを揃えたクラブ。
この敷居を跨ぐ人間の身形は、上から下まで総計30万円以上の布をまとっている。
不思議と人間離れした獰猛な顔つきの客ほど高級な布をまとっている。
連れている取り巻きの数も多い。どいつもこいつもどこかで見た顔だ。決して表に出ずに水面下でのロビー活動で成功してきたフィクサー連中だ。
市議会や県議会で保守革新、左派右派が喧々囂々と唾を飛ばして甲論乙駁としている様子はテレビでも窺えるが、あの無様な茶番は視聴者と有権者に対するポーズでしかなく、実際は表舞台に出ない人間達の間で料亭会議で以って否決が定められていく。
議員達は操られている自覚も無いままに、自らの尊い精神を抽出されて神輿とされているだけだ。
往来と通行が激しい大通りの道路一本を挟んだ斜め向かいのビルの屋上からカールツァイスのスポッティングスコープで客の出入りを観察する。
表の黒服が邪魔だ。
これでは粗末な身形の女が近付いただけでも顔を覚えられる。
取捨選択として裏口からの侵入を決意して10分後には決行していた。
流石に一等地の裏口がある路地裏だ。
街灯が眩しく、人通りも多い。各店舗を忙しく廻る酒類業者が納品と空き瓶の回収に余念が無い。
大きく息を吸う。
夜風の便りで秋の香りが解るほどに黴臭さは皆無。
午後11時。
まだ誰も眠らない時間。
目出し帽よりスタイリッシュなバラクラバはスルッと被れた。