人を喰う噺
電話の向こうの情報屋がリークしてくれた女の名前は竹居江利(たけい えり)。
元キャバ嬢で脳内の資料が正しいのなら今年で37歳になるはずだ。 男を狂わせるほどの美貌ではないが、どこか薄幸で物静かな雰囲気をまとい、男の庇護欲を擽るタイプの小悪魔だといえた。
この女に入れ込んだ元社長は金を貢ぎ、いまだ何の関係もなかった地元暴力団の息が掛かったサラ金から金を借り、首が廻らなくなった。
そこまでは早職としては許せる。
許せないのは早職を人柱に、探偵事務所ごと権利を売り飛ばして事実上の奴隷として扱われる身分に叩き落されたことが許せない。
落とし前をつけさせなければ腹の虫が治まらない。
単純な感情論だが、早職にとっては何よりも優先される重要な案件だ。
自分の命があったからそれでいいという、楽観で諦観な考えはできない。
ウエイトレスが運んできたハイボールで喉を潤しながら、電話口の向こうの保留音が途切れるのを待つ。
電話の向こうでは販売する情報に値段をつけるべく情報の鮮度を審議している最中なのだろう。
ガラスの灰皿に置いた甘ったるい喫味が特徴のポンポンオペラが、ジリジリと灰燼と化す。
人工甘味料だらけのこのガスステーションシガーはフィラー以外にナチュラルリーフを使用していないので、紙巻煙草のように放っておいても勝手に燃える。
「お待たせしました。12Eの広告の件ですね……こちらは……」
先程の若い男が再び電話口に出る。
早職は甘いドライシガーとハイボールのロンググラスを交互に口に運びながら提供される情報に耳を立てる。
先に序の口を聞かせておいて、重要な部分に差し掛かったり、重要な部分を深く聞こうとすれば本格的な料金が発生するシステムだ。
構わず情報を聞く。
料金は振込みではなく、別のサイトで表示される宣伝やプレゼントで使われる無名のノベルティグッズのベース――使い捨てライターやボールペンの詰め合わせ、ハンドタオルなど――をロット単位でネット通販するのだ。
その請求が月末に携帯電話の請求書に表示され、自動的に銀行から引き落としされる。
グレーゾーンギリギリの支配方法だ。
少し前は形の違うぼったくり金融としてカタギが標的にされていたが、アンダーグラウンドでは安全に金を運用、振込みする方法として多用されている。
店内の客や店員に不審がられないように肴のサラミとチーズもオーダーする。
店に入るなりハイボール1杯で携帯電話に齧りついている女の客では、辺りの印象に残ってしまう。
情報屋の情報源である私立探偵でも、ソースの出所が違うと全くレーダーに欲しい情報がキャッチできないことも多い。
だから情報で情報を売買をする。
それでも手に入らない情報になると、業腹ながら情報を金で買わなければならない。
電話の向こうで声の通りがよい若い男の述べる情報をひたすら聴く。キナ臭い情報ばかりが聴けるので早職の顔に表情がなくなってくる。
竹居江利という女。元社長の通うキャバクラに勤めたばかりの素人という触れ込みだった。
元社長を篭絡させたと同時にキャバクラを辞めている。
入れ込んでいた元社長と駆け落ちでもしたのだろうと、誰も不審に思わなかった。
そのような話はこの街では当たり前に転がっている日常だ。
早職が知りたいのはそこから先だ。
その程度の話は早職でも掴んでいる。
空かさず料金を請求する若い声。構わず情報を買い取る。
竹居江利は、私立探偵事務所を乗っ取った地元暴力団の敵対組織が放ったハニートラップだった。
……少しばかり混乱する。話が解らないのではなく、話のスケールが急に大きくなったからだ。
「……」
――――『仕組むために仕組まれていた?』
携帯電話を切り、ハイボールで喉の渇きを潤しながら得た情報をまとめる。
自分の眉目がしかめっ面になっているのを察知して眉根を揉む。
今現在の情報をまとめると……敵対勢力が元社長の情報網とどこの勢力も手出しできない情報を握っていた。
故に中立を保てた。どんなに財政的に苦しくともどの勢力の傘下にも収まらなかった。
だが、均衡を崩したのは、後に敵対勢力となる外部組織で欧州系マフィアの末端組織だった。
元社長を『外見からは、誑かされて女に狂って夜逃げした甲斐性無し』と映る。
実際そうとしか思えない姿の消し方だ。
そしてずっと疑問だった事柄が一つ消える。……それは後に自分の飼い主になる地元暴力団の介入だ。
地元暴力団が探偵事務所を買い取り、早職の逃げ道を塞ぐ速度が速過ぎた。
常に見張られていたかのようなタイミングだ。
そう考えれば地元暴力団は早職と事務所を同時に飼い慣らすことで、使い捨ての駒とシマの拠点を確保したことになる。
今までは中立で誰も手出しできなかった探偵事務所が手に入るのだ。勿論、事務所やそれが入るビルには価値はない。陣取りゲームで小さな角を取ったのと同じで事務所単体では価値は皆無だ。
だが、拠点と、そこで働く早職を『会社』として扱い、使い捨ての利く陣地とすれば……早職が死んでも引き継ぐ人間は幾らでもいる。
無職の野良犬……早職1人では大した力がなくとも、『会社社長』の肩書きを与えておけば情報の流通拠点が出来上がる。
文字通り、タッチの差で地元暴力団の傘下に収められたのだ。
数時間でも遅ければ今頃、探偵事務所は敵対組織の傘下として使われていただろう。
そしてその相違点は、任侠道を根幹とする地元暴力団は無闇な死体の製造で公安に眼をつけられたくないので、素性を知る早職を殺さなかったことと、敵対組織である欧州マフィアの末端組織は容赦なく早職を殺して魚の餌にして社長の首を挿げ替えるつもりだったこと。
双方の組織の使われ方は同じでも早職の命があるかないかで全く違う。
そして元社長の行方は……数ヶ月前に岩石の粉砕機に砕かれた死体が発見されて、身元不明のまま無縁仏にされてしまった。
捜査進行のためにDNAは保存しているが、ボロキレになった衣服をパッチワークすれば、前日に防犯カメラに映っていた姿と一致するという。
死亡したと考えるのが妥当だろう。
自分が非業の最期を遂げることを察知し、前々からDNAを公的機関に遺して死ぬような、準備のいい死に方をする人間などいない。
従って、しかるべき機関に保存されているDNAが元社長のものであることを裏付ける証拠にはならない。
それに早職が司法だの公安だの警察だのが頻繁に利用する機関に顔を出すのは自殺行為だ。
竹居江利はほとぼりが冷めたつい最近にこの街に舞い戻ってきたのだ。
まさか自分が命令されて篭絡した人間の部下が、今でも恨みを募らせて居座っているとは思わないだろう。
竹居江利からすれば、『あの探偵事務所は自分の雇い主にとっくの昔に吸収されて社員は全て魚の餌になっている』と信じ込んでいるのだから。
その情報の端を掴んだ早職が街中で物理的に追跡中に邪魔されて今に到る。
追われていることを知っていた竹居江利。
追われていることを知らせた者。
追われている彼女を助ける組織。
流石に有料の情報網を頼っただけある。
ただの追跡劇が途端に雲行きの怪しい話に膨れ上がる。
情報に尾鰭背びれがつきものだという、裏事情を知る早職が聴いても不明瞭な点はない。
自分も情報を提供する側の人間だ。何かの情報工作が有れば『鼻が嗅ぎつける』。
元キャバ嬢で脳内の資料が正しいのなら今年で37歳になるはずだ。 男を狂わせるほどの美貌ではないが、どこか薄幸で物静かな雰囲気をまとい、男の庇護欲を擽るタイプの小悪魔だといえた。
この女に入れ込んだ元社長は金を貢ぎ、いまだ何の関係もなかった地元暴力団の息が掛かったサラ金から金を借り、首が廻らなくなった。
そこまでは早職としては許せる。
許せないのは早職を人柱に、探偵事務所ごと権利を売り飛ばして事実上の奴隷として扱われる身分に叩き落されたことが許せない。
落とし前をつけさせなければ腹の虫が治まらない。
単純な感情論だが、早職にとっては何よりも優先される重要な案件だ。
自分の命があったからそれでいいという、楽観で諦観な考えはできない。
ウエイトレスが運んできたハイボールで喉を潤しながら、電話口の向こうの保留音が途切れるのを待つ。
電話の向こうでは販売する情報に値段をつけるべく情報の鮮度を審議している最中なのだろう。
ガラスの灰皿に置いた甘ったるい喫味が特徴のポンポンオペラが、ジリジリと灰燼と化す。
人工甘味料だらけのこのガスステーションシガーはフィラー以外にナチュラルリーフを使用していないので、紙巻煙草のように放っておいても勝手に燃える。
「お待たせしました。12Eの広告の件ですね……こちらは……」
先程の若い男が再び電話口に出る。
早職は甘いドライシガーとハイボールのロンググラスを交互に口に運びながら提供される情報に耳を立てる。
先に序の口を聞かせておいて、重要な部分に差し掛かったり、重要な部分を深く聞こうとすれば本格的な料金が発生するシステムだ。
構わず情報を聞く。
料金は振込みではなく、別のサイトで表示される宣伝やプレゼントで使われる無名のノベルティグッズのベース――使い捨てライターやボールペンの詰め合わせ、ハンドタオルなど――をロット単位でネット通販するのだ。
その請求が月末に携帯電話の請求書に表示され、自動的に銀行から引き落としされる。
グレーゾーンギリギリの支配方法だ。
少し前は形の違うぼったくり金融としてカタギが標的にされていたが、アンダーグラウンドでは安全に金を運用、振込みする方法として多用されている。
店内の客や店員に不審がられないように肴のサラミとチーズもオーダーする。
店に入るなりハイボール1杯で携帯電話に齧りついている女の客では、辺りの印象に残ってしまう。
情報屋の情報源である私立探偵でも、ソースの出所が違うと全くレーダーに欲しい情報がキャッチできないことも多い。
だから情報で情報を売買をする。
それでも手に入らない情報になると、業腹ながら情報を金で買わなければならない。
電話の向こうで声の通りがよい若い男の述べる情報をひたすら聴く。キナ臭い情報ばかりが聴けるので早職の顔に表情がなくなってくる。
竹居江利という女。元社長の通うキャバクラに勤めたばかりの素人という触れ込みだった。
元社長を篭絡させたと同時にキャバクラを辞めている。
入れ込んでいた元社長と駆け落ちでもしたのだろうと、誰も不審に思わなかった。
そのような話はこの街では当たり前に転がっている日常だ。
早職が知りたいのはそこから先だ。
その程度の話は早職でも掴んでいる。
空かさず料金を請求する若い声。構わず情報を買い取る。
竹居江利は、私立探偵事務所を乗っ取った地元暴力団の敵対組織が放ったハニートラップだった。
……少しばかり混乱する。話が解らないのではなく、話のスケールが急に大きくなったからだ。
「……」
――――『仕組むために仕組まれていた?』
携帯電話を切り、ハイボールで喉の渇きを潤しながら得た情報をまとめる。
自分の眉目がしかめっ面になっているのを察知して眉根を揉む。
今現在の情報をまとめると……敵対勢力が元社長の情報網とどこの勢力も手出しできない情報を握っていた。
故に中立を保てた。どんなに財政的に苦しくともどの勢力の傘下にも収まらなかった。
だが、均衡を崩したのは、後に敵対勢力となる外部組織で欧州系マフィアの末端組織だった。
元社長を『外見からは、誑かされて女に狂って夜逃げした甲斐性無し』と映る。
実際そうとしか思えない姿の消し方だ。
そしてずっと疑問だった事柄が一つ消える。……それは後に自分の飼い主になる地元暴力団の介入だ。
地元暴力団が探偵事務所を買い取り、早職の逃げ道を塞ぐ速度が速過ぎた。
常に見張られていたかのようなタイミングだ。
そう考えれば地元暴力団は早職と事務所を同時に飼い慣らすことで、使い捨ての駒とシマの拠点を確保したことになる。
今までは中立で誰も手出しできなかった探偵事務所が手に入るのだ。勿論、事務所やそれが入るビルには価値はない。陣取りゲームで小さな角を取ったのと同じで事務所単体では価値は皆無だ。
だが、拠点と、そこで働く早職を『会社』として扱い、使い捨ての利く陣地とすれば……早職が死んでも引き継ぐ人間は幾らでもいる。
無職の野良犬……早職1人では大した力がなくとも、『会社社長』の肩書きを与えておけば情報の流通拠点が出来上がる。
文字通り、タッチの差で地元暴力団の傘下に収められたのだ。
数時間でも遅ければ今頃、探偵事務所は敵対組織の傘下として使われていただろう。
そしてその相違点は、任侠道を根幹とする地元暴力団は無闇な死体の製造で公安に眼をつけられたくないので、素性を知る早職を殺さなかったことと、敵対組織である欧州マフィアの末端組織は容赦なく早職を殺して魚の餌にして社長の首を挿げ替えるつもりだったこと。
双方の組織の使われ方は同じでも早職の命があるかないかで全く違う。
そして元社長の行方は……数ヶ月前に岩石の粉砕機に砕かれた死体が発見されて、身元不明のまま無縁仏にされてしまった。
捜査進行のためにDNAは保存しているが、ボロキレになった衣服をパッチワークすれば、前日に防犯カメラに映っていた姿と一致するという。
死亡したと考えるのが妥当だろう。
自分が非業の最期を遂げることを察知し、前々からDNAを公的機関に遺して死ぬような、準備のいい死に方をする人間などいない。
従って、しかるべき機関に保存されているDNAが元社長のものであることを裏付ける証拠にはならない。
それに早職が司法だの公安だの警察だのが頻繁に利用する機関に顔を出すのは自殺行為だ。
竹居江利はほとぼりが冷めたつい最近にこの街に舞い戻ってきたのだ。
まさか自分が命令されて篭絡した人間の部下が、今でも恨みを募らせて居座っているとは思わないだろう。
竹居江利からすれば、『あの探偵事務所は自分の雇い主にとっくの昔に吸収されて社員は全て魚の餌になっている』と信じ込んでいるのだから。
その情報の端を掴んだ早職が街中で物理的に追跡中に邪魔されて今に到る。
追われていることを知っていた竹居江利。
追われていることを知らせた者。
追われている彼女を助ける組織。
流石に有料の情報網を頼っただけある。
ただの追跡劇が途端に雲行きの怪しい話に膨れ上がる。
情報に尾鰭背びれがつきものだという、裏事情を知る早職が聴いても不明瞭な点はない。
自分も情報を提供する側の人間だ。何かの情報工作が有れば『鼻が嗅ぎつける』。