人を喰う噺

 仕事には違いないが、命がすぐに消える殺伐とした分野でないだけ、気楽なものだ。
 FNブローニングBDCAのクリーニングが終わると直ぐに組み立てて可動部位のチェック。シリコンの擬似弾を使って空撃ち。弾倉のバネのへたり具合も調べる。
 どんなに手入れしても通常分解だ。本当の不具合が発生するとするならば、通常分解で対処できない部位で発生する確率が高い。
 工業製品なら磨耗と経年劣化による不具合も覚悟しなければならない。それを早くに発見して策を講じるためのクリーニングでもある。
 情報屋との情報の売買は気楽なものだ。
 自分を生かしてくれている地元の暴力団に不利になるような内情をばらさなければ幾らでも売買できる。
 また、その権利も地元の暴力団から認められている。
 地元暴力団が、敵勢力の情報が欲しいと申し出るのなら、交換できる価値のある情報や、相当の金額を提示する情報屋と商談するだけだ。
 回りまわって自分が売り捌いた情報が、早職自身に不利に働いて命の危機に陥る可能性も勿論存在するが、それは半分、不可抗力で予想外の出来事だ。
 情報に尾鰭や背びれ、誇張、欺瞞は付き物で情報の流れを操作することで標的を社会的に抹殺する、変わったスタイルの殺し屋も存在する。
 クリーニングキットとリキッドを片付けて汚れた手をウェスでよく拭き、いつもの黄色い箱からドライシガーを1本抜く。
 セロファン包装を前歯で解きながら季節の変わり目がすぐそこにやってきている青空を眺める。
 Tシャツにトレーニングパンツ、サンダルで屋上に出ていられるのも長くはないだろう。
 屋上の荒れる風を体と掌で庇いながら、使い捨てライターで口に銜えたガスステーションシガーの代名詞のような味付けの葉巻に火を点ける。
 口中に煙を含んだ途端に、爆発するように砂糖と蜂蜜の中間の甘さが広がる。
 ポンポンオペラ。
 間抜けな名前で人工のタバコシートを用いた、正真正銘のお菓子代わりの機械巻き葉巻。
 米国ではこのようなニコチンの摂取より、人工の味と大量の煙を愉しむのが目的の安っぽい葉巻がガソリンスタンドでも売られていることからガスステーションシガーと呼ばれる。
 米国映画で登場するトラック運転手が横銜えで煙を吹かしている葉巻は大概、こういった類の葉巻だ。
 湿度管理も必要なく、安いので手荒に扱える。正に高級葉巻愛好家から非難が挙がりそうな存在だ。
 とはいえ……嗜好品だ。好きなものは好きだからしょうがない。
 5本入りの黄色い箱から視線を手元に落とす。薬室を空にして実包が詰まった7連発弾倉を差し込む。
 ちらりとウエンガーの腕時計を見る。
 そろそろ情報屋から売買の電話が殺到する時間だ。
 口に銜えた、『葉巻の顔をした偽物』を大きく吹かしながら誰にどの情報を売ろうか考えを巡らせる。
   ※ ※ ※
 私立探偵の看板を掲げてはいるが、事実上のチンピラだ。
 有り体にいえば金を貰えば何でもする。
 流石にカチコミ要員や鉄砲玉といった荒事は専門外なので断るが、恐喝や恫喝やブラフで他人を戦慄たらしめ、金品や情報を得ることもある。
 今回はその途上で拾った情報が元で発展したトラブル……否、ハプニングでつまづきそうだった。
 女を追っていた。
 借金だけを残し、血縁でも連帯保証人でもなんでもない早職を非合法に借金塗れにさせた張本人である元社長の足取りが掴めそうなのだ。
 その女を追っている最中の出来事だ。
 元社長と関係を持っていた女。
 この女に恨みはないが、ひっ捕まえて元社長の居場所を聞き出し清算させる必要がある。
 街中を泳ぐように掻き分け、足早に歩みを進める。
 全く別件の仕事の報酬として入手した情報を吟味している最中に聞き覚えのある名前を耳にし、直感に従って情報を収集しているとビンゴだった。
 あの女には恨みはない。
 あの女の持つ、元社長に関する情報が、洗い浚い欲しい。
 夜9時。
 下手に路地裏を走らず、サイケデリックなネオンが華々しい表通りを行くあの女の背中は異常に遠く感じられた。
 身長は差職より5cmは低いか。歩幅はそんなに大きいとは思えない。なのに一向に距離が縮まらない。
――――?
――――あの女……素人じゃないわね……。
 赤茶けたロングの髪を揺らしながら早足に歩くあの女は、『この人いきれの中で誰にもぶつからずに軽く駆けている』のだ。
 ことごとく肩が通行人とぶつかって速度が低下する早職とは大きな違いだ。
 なるほど。人気のない路地裏を伝って、さらに人気のない裏通りのシャッター街に出ると、通行人という障害物がないから簡単に捕まると判断したのだろう。
 いい判断だ。
 そして早職という追っ手が迫っていることを直前で察知するとは随分と動物的勘が働くものだと感心した。
 自分も女も、街中で発砲するほどの馬鹿ではないので安心していた……それがトラブル……もとい、ハプニングの種だった。
 銃声。
 否、銃撃。
 短機関銃の、銃撃。
 雑踏の中で短機関銃の銃撃。
 女の発砲でも早職の発砲でもない。
 前を行く女が携帯電話に手を伸ばして、数分後の出来事だ。
 スズメバチの羽音を思わせる銃声が繁華街の雑踏の中で湧き上がる。音からして、銃口は空に向けられている。
――――何? 誰?
――――誰なの!
 伏せる衆人に紛れて自分も地面に伏せる。
 ノーネクタイの灰色のスーツを着た男が極端に小さいイングラムM11を無為に空に向かって乱射している。その向こうに脱兎のごとく、走って逃げる女の背中がみえる。
 イングラムの男は駆け付けた警邏中の警官と即座に撃ち合いを繰り広げる。
 男はイングラムとワンセットで御馴染みのサプレッサーを装着していないので無暗に9mmパラベラムを撒き散らすだけだった。撒き散らしながら警官達を牽制して路地裏に消えた。
 後日談ではあるが、この夜の銃撃では死傷者はゼロだ。
 あの男の目的は衆人を撹乱させて早職の追撃をシャットダウンさせることだった。
 辺りが混乱している間に逃げ惑う大多数と一緒に路地裏に入り込み、比較的安全な通りまで逃げると、すぐにショットバーに滑り込み、空いているボックス席に座った。
 携帯電話を取り出し、求人広告一覧を掲載しているサイトにアクセスして画面内の目立たない場所に埋め込まれているテキストボックスに数桁の数字とアルファベットを打ち込む。
 これまた画面の端に突如としてポップアップするメッセージウインドゥの番号を覚え、その番号を携帯電話で通話を繋ぐ。
「はい。大浦エージェンシー」
 男の声。若い。テレフォンアポインターの口調。構わず早職は話し出す。
「広告の12Eを見たんですけど、詳細を教えてもらえますか?」
「少しお待ち下さい」
 保留音が鳴っている間に、ハイボールをオーダーし、懐のポケットから黄色い箱のドライシガーを取り出す。
「12E担当の平内と申します」
「少し調べて欲しいことが……」
 情報屋の欺瞞サイトから得た番号で情報を買う。
 この通話先は交流窓口みたいなものだ。
 あの女の情報がもっと欲しい。
 それにあの女の謎が深まったと同時に判明したことがある。
 武装した三下をいつでも呼べるだけの権力を持っている。あるいは武装した三下をガードにつけるだけの金額を持っている。
 あの三下……腕前は大したことなさそうだが、TPOを弁える短機関銃の使い方をしていた。
 その場だけを混乱させればいい。誰も殺傷する必要はない。
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