人を喰う噺

 自分達に代わって刑務所に入ってくれると気軽に考えていたのだろう。
 だが、電卓の示した数字は『良心的な金額』だということを説明した。
 そしてこうとも付け加えた。
「あなた達がこの地図の辺りで飼っている不動産屋を手配してください。そうすればここに提示された金額が端金に思える金額が手に入ります……その価値が有るからあなたのボスは『あなたのような使い捨ての三下を仕向けて私のような使い捨ての探偵を頼らせたのでしょ?』……あなたと私……どちらが逮捕されてもボスは痛くも痒くもない。なら、大きく勝負してみては?」
 カミソリのように細くなる早職の眼。
 勝負を賭ける時に見せる彼女の癖だ。
 気圧された三下は壊れたオモチャのようにガクガクと首を縦に振って了承し、直ぐに直属の上司と思われる人物と携帯電話で話をする。
 商談の場で断りもなくいきなり携帯電話をかけるなど、ビジネスの現場では無礼千万。
 この人物は表の世界でも成功しない人種に違いない。



 1週間後。
 件の三下が夕飯時にアポもノックもなしに事務所に転がり込んでくる。
「た、探偵さん! あんた、どんな落とし方したんだ!」
 先代の社長の机でコンビニ弁当に舌鼓を打っていた早職の顔色が一瞬、酷いしかめっ面に変わるが、直ぐに口元をナプキンで拭いてマグカップのウーロン茶で口中を洗う。
 後ろ頭を掻きながら「まあ、お掛けになって」と三下にソファを勧める。
 早職は給湯室に入って、簡易ドリップコーヒーを作る。
 コーヒーを作りながら説明する。
 そんなに離れていないので普通の音量で会話できる。
「あの金額は必要経費です。エキストラを20人雇いました。隣の物件……店舗用テナントビルの一室を借りました……そして居抜きのまま看板を出すのに、作業員と工賃と取り付け費とその後の撤去に掛かる費用も前払いしました」
 頭に疑問符が浮かんでばかりで理解できていない三下。
 語彙や文法は解る。故に解らない。
 それらが何を起してどのように作用して物事が『成功してしまったのか』。
「少し前に爆発物を使った大規模テロを敢行した極左過激派組織の隠れ蓑を『偽装して、その情報を近隣に触れ込みました』。表向きはNPOのセミナーの会場として使うが、実態は過激派組織の集会所で『常に公安がマークしていると思われても仕方が無い』というアジを飛ばしています。ですが……」
 ドリップコーヒーを三下の前に置いて話を続ける早職。
「それも『偽装』です。『悪い噂をマッチポンプで立てました。後は何もしなくても地価が下がります』」
 そこで漸く三下が、あっと声を挙げた。
「だから不動産屋を!」
「そうです。あなた達の息が掛かった不動産屋から連絡があったでしょう? 言い値で買ってくれと申し出があった、と。……店舗は店舗です。客が寄り付かないと商売は出来ません。それに公安がマークしている地域はそれだけで悪評のターゲットです。どんなに高価な土地でもあっと言う間に価値が下がります」
 喉を鳴らして唾を飲み込む三下。
 目の前の、探偵を自称する女がヤクザ以上のヤクザに見えてくる。
「そして……不動産屋が買い取ったところで土地の評価を戻す為に後始末しました。もうすぐ地価は前のラインまで回復するでしょう……どうです? たったあれだけの金額で誰も『別荘』行きにならずに済んだでしょ? 店舗と土地の権利者が土下座をして売りにきたんじゃないかしら?」
 頑固すぎて誰も手出しできなかったあの店舗の主人が突然、不動産屋に好きな価格で買い取ってくれと土下座してきた理由が解った。
 たったそれだけの方法で嘘のように地上げに成功した。
 尤も、傍から見れば法律が定めるところの地上げ行為に限りなくグレーゾーンだ……この仕組みを外部に漏らさなければ。
「では。履行ということで報酬の振込みはこちらの口座にお願いします」
 早職は雛形で作られた必要書類を差し出すと、営業用の笑顔で対応した。
   ※ ※ ※
 勿論の事……否、不本意ながら、先日の地上げ行為のように穏やかに職務が遂行できる依頼ばかりではない。
 もっとアンダーグラウンドの中心に近い人間らしい仕事も舞い込む。
 先日の廃工場での銃撃戦が良い例だ。
 大概は詰まらないドジを踏んで火種が大きくなる。
 今日もそうだった。
 依頼内容は至極簡単。密輸の取引現場を撮影して持ち帰るだけ。
 このように寂れた状況だとWI-FIの恩恵を享受できない場合が多い。
 山間部。夕方。秋の空。過疎地を開拓した造成地。
 小さなプレハブ事務所にトイレブースが1個だけ。
 資材と廃材が転々と身の丈ほどに積まれている殺風景なロケーション。
 もっと深入りするために持参した指向性マイクを突き出した結果、取引現場に居合わせた6人の男に気付かれた。
 奮発した指向性マイクの先端を銃弾が掠った。
 山積する廃材や資材を遮蔽とし、急いでマイクや撮影機材をいつもの40cm角のケースに押し込む。
 プレハブの中で行われている密談を洗い浚いデジタルメディアに収めるつもりだった。
 近付き過ぎた上に空き缶を踏んでしまい、外周を警戒していたボディガードに勘付かれる間抜けっぷりに自分の頭を撃ちぬきたくなった。
 今も昔も重要な密談は対面形式だ。
 それも少数で。
 大規模な人数だと外部組織に動向を悟られる。
 電話での遣り取りは通信に関するスパイ防止法が制定されていない国内では誰でも簡単に無線の周波数を傍受する機材が買える。
 ゆえに対面での密談は重要だ。
 その場に居合わせたのが上級幹部でなくとも、メッセンジャーボーイ同士の言伝であっても、全く事情を知らない勢力からすれば貴重な情報源だ……残念ながらその場に居合わせたのはメッセンジャーボーイではなくボディガードを2人連れた幹部が2組。合計6人。
 気付かれるや否や銃弾が飛来。
 連なる銃声。 
 黒いパーカーの裾に孔が開く。
 最初から鉄火場を想像していないので顔を隠す物は何も持っていない。
 本来の目的は充分に果たしてあるのが幸いだった。
 それ以上の収穫を得るために深入りしたのが早職のミスだった。
 記録媒体を持ち帰っても誰にも褒められるわけではない。
 プロがプロの仕事をして当然なのだ。
 だが、『最期の仕事としての証』になるかもしれないこの依頼を遂行せずに殉職するのは死んでも成仏できない。
 自分が身を潜めている遮蔽――廃材の山――の足元の陰に機材ケースを押し込んで右手を左脇に滑り込ませる。
 素早く、携帯電話を取り出すのと同じモーションで抜き出したのは拳銃。
 FNブローニングBDAC。
 FN BDAのカットダウンモデルとして製造されたが、一般には流通していない。
 スライドの刻印が違う民生向けモデルは現在でも入手可能だが、そのオリジナルのFNブローニングBDACが米軍並びにFNハースタル関係者が手に取ることなど有り得ない。
 軍隊専用という意味ではなく、米軍の正式拳銃のトライアルの際に少量生産されただけで、元から民生向けに価格すら付けられていない。
 当時の米軍のトライアルでは項目の一つに『カットダウンモデルも製造可能なこと』とあったために、無理矢理FN BDAを切り詰めたアンバランス極まりないカットダウンモデルのシルエットと相成った。
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