人を喰う噺

 シンプルな素材で財布に優しい値段設定のサラダ。昨今の生鮮野菜の値段高騰の煽りを受けてとうとう、レタスだけのサラダを発売したが、チョイスに困るドレッシングの豊富さで飽きがこない。
 宝石箱のごとく彩り豊かな野菜が詰まったサラダパックも大変美味なものだが、たまにはシンプルな素材でドレッシングが仄かに効いた派手だが素朴さを感じる生野菜が有りがたい。
 熱くホクホクで肉厚のアナゴのテンプラから弾け出る濃厚な脂を削ぎ落とし、舌をリフレッシュさせるのに、中華ドレッシングをまとったレタスは最適だといえた。
 白飯。アナゴ。サラダ。この順番だといくらでも胃袋に入る錯覚がする。
 300gの大盛りの白飯が入ったパックを選んだのは正解だった。
 風が秋の香りを含み出した季節であれど、まだまだ残暑は厳しい。ジリジリと塩分と体力を削られる日中を活動する人間としては、ミネラルやたんぱく質、カロリーを大量に摂取できて、それでいて胃袋に満腹以外の満足感と倦怠感を覚えさせないアナゴのテンプラを中心としたメニューは味覚も胃袋も大満足だった。
 箸納めとしてレタスチップのサラダに乗っかっていた3枚の胡瓜スライスを一気に摘んで、御椀型パックの下に溜まった中華ドレッシングに浸して口に運ぶ。
 白飯やアナゴやレタスとも違う植物繊維の歯応えのある食感が食餌の最後を報せている雰囲気さえある。
 仄かに鼻腔を抜ける中華ドレッシングの風味。
 アナゴのテンプラと阻害しあわない。
 脂と油の優雅なマッチング。
 胃袋を満たすことしか考えていない未熟な味覚では決して味わえない気品の有る食後感。
 事務所の備品で淹れていた熱いソバ茶で名残惜しくも口中から喉、食道に掛けて洗い流す。脂も油も舌に沁み入る気品高い風味も全てがむに帰してしまう。
 暴食で始まったかのような食餌を、濃厚なソバ茶がラストを飾り、体の全てが悦んでいるのを実感させられる。
 「美味かった。また食べたい。もっと食べたい」と、全身の血管を通じて打ち震える。
 満腹で尚も飽きを感じさせない組み合わせは直感的に外れではない。いつものコンビニで見掛けただけの、気紛れで併せただけの、値段の割りに量が多いという理由で選んだだけのメニューに感謝だった。
 2杯目のソバ茶をゆっくりと味わいながら、食卓代わりの社長のデスクに足を放り出す。
 はしたないと解っていてもこのスタイルは気楽に脱力できるので気に入っている。
 元社長がだらけているときは必ずこのかっこうだった。
 食後の余韻に、満足感をプラスしようといつもの黄色い紙箱から安っぽいドライシガーを取り出して前歯でセロファンを破る。
   ※ ※ ※
 それから数日が経過。
 相変わらずいつも利用している武器屋は地下に潜ったままで、実包や予備弾倉の供給が停止中。
 その間に2度ばかり、竹居江利が仕切るクラブに小癪な奇襲を仕掛けた。
 一度目は大胆にもかつらを被り、ニセの履歴書と欺瞞の免許証を持参して、ホステスとして面接を受けに行った。
 勿論、選抜から落ちるように対面での印象を悪くする態度で面接に挑んだ。
 目的は前回とは別の、関係者用通路に水とマグネシウムで発火する装置と連携させた、駄菓子屋で売られている煙玉を設置することだけだった。そのために奥深く……面接できるほどのバックヤードに近づく必要があった。
 通路の途中で置くように設置した500mlのビール缶の外見をした簡素な発火装置が作動して面接中に警報装置が作動し、蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。
 竹居江利が面接を担当していなかったのが幸いか、その場は合否の連絡は後ほど、と面接の中年がいったまま、またもスプリンクラーが降り注ぐ通路を辿り、『逃げ惑う客と同じ雰囲気で逃走した』。
 採用だろうが不採用だろうが、名前も住所も連絡先も偽物だ。店側からコンタクトの取りようがない。
 二度目はクラブ正面出入り口の街路樹の茂みに空き缶を2個ほど隠して忍ばせた。 
 350mlのジュースの空き缶。
 中身は2挺のブーツピストルが仕掛けられた発砲装置だった。
 サタデーナイトスペシャル以下の精度で単発シングルアクション。デリンジャーほどの大きさで410番口径を装填する。
 無名の密造拳銃で、この界隈では浮浪者が護身用に買い求めるポピュラーな護身火器だった。
 2個の空き缶。中身はそれぞれ2挺の単発拳銃。合計4発が一斉に発砲。
 時限式で白昼堂々の発砲。
 410番口径の散弾は何人かの通行人を巻き込んだが、いずれも軽傷だ。
 散弾がマホガニー調の木製ドアに食い込んだ。
 そろそろ緊張の頂点に達していた店側は、その発砲を聞きつけるや否や白昼でも構わずに拳銃を携えた黒服や警備要員が飛び出してきた。
 勿論、時限式で発動するので、店の外に出ても誰もいない。
 その場には仕掛けた早職の姿は既に無い。
 早職の姿は防犯カメラに映っていたが、小柄な男性を真似て拵えた体躯で、歩く際の肩の揺れや歩幅も意識して変えていたし、履いている靴も二周りも大きなシークレットシューズだった。
 4発もの銃撃を正面の入り口に白昼堂々叩き込まれたのでは流石に警察への通報を遅らせるわけには行かない。
 竹居江利の指揮が早くとも、それとは別に負傷した通行人が通報する。
 先日の襲撃前に髪をベリーショートにしたお陰でカツラの幅が広がって変装が容易だ。
 さらに数日が経過したが、早職の面が割れる情報は市場に出回っていない。
 それに引き換え、面白い情報が転がり込む。竹居江利がクラブの経営を一時休業したという。直接の経営から離れただけで、別の幹部の女が居座ることになった。
 事実上の左遷だろう。
 警察や消防に嗅がせる鼻薬も莫大な金額となったはずだ。
 司法組織内部で潰せる案件でも、マスコミに垂れ込む情報屋が後を絶たずにストーカー紛いのブン屋が五月蝿く飛び回っている。ほとぼりが冷めるまで戦線離脱させられたというわけだ。
 呆気ないモノだが、これで一応の早職の溜飲は下った。
 社会的抹殺より辛い、組織内部での低評価が実行されたので、竹居江利の居場所は所属する組織の内部には事実上、存在しない。
 竹居の所属する組織……組織というからには歯車が一つでも不良品であれば即座に交換せねば全体が歪む結果になる。
 体を張ってまで権力と金と地位に固執していた竹居江利という人間の強欲からすれば、それらが一気に全て失われる苦しみは自殺に相当する苦しみだ。
 元から命まで奪おうとは考えていなかった。
 命を奪うのは簡単な話だ。
 ……だが、人間は死んでしまうとそれまでの存在で、死体は精神的苦痛を感じない。
 死体は、恨み節を垂れながら酒に溺れて廃人になりはしない。
 ここから挽回するような人間であるのなら、早職は竹居江利に対しては何も興味は示さない。
 報復は終わった。腹の虫も治まった。執拗に精神的ダメージを与え続ける必要性も感じない。
 寧ろ、竹居江利に付きまとえば逆に早職の面が割れるのが早くなる。適当な頃合だと早職は悟った。
 もう、報復はお終いだ。竹居江利に居場所はない。また体を張って一から自分の居場所を築き上げてくれ……脂の乗った女体にしか興味がない男なんていくらでもいるさ、と薄ら笑いを浮かべながら他人事のように願うだけだった。
   ※ ※ ※
 さらに数日が経過。
 ここのところ、女絡みの殺人事件が立て続けに発生している。
 それも後ろ暗いプロフィールの女ばかりだ。
 フィクサーの愛人。暴力団幹部の妻。ヤクザの娘で今は天涯孤独のOLなど……脛に瑕を持った女達が次々に殺害されている。
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