驟雨の前に珈琲を

 藜直衛の左片手での輪胴式再装填。
 ……人差し指でサムピースを押し込み、自分の胸――恐らく胸骨の辺り――にシリンダーを押し付けてそれを押し出す。そのまま、長大な銃身をズボンの腹の辺りに差し込み、人差し指でエキストラクターを押して排莢。その後、スピードローダーを差し込んで捻り薬室に実包を落とし込む。親指を除く4本指でシリンダーを押し戻しながら親指でグリップを抱え込み、シリンダーを押し込んだ4本指はそのままグリップを握り込む……これでズボンから銃身を引き抜き、完了だ。
 銃身が太くて縦幅の広い輪胴式拳銃……シルエットからS&W M629だと解る。
 長い銃身下部の、銃口まで続くエキストラクターシュラウドと一体化したバランサーが再装填時の鍵となるのだろう。
 44マグナムを用いるだけの、昨今では特に特徴のない輪胴式大型拳銃だが、実力の差をみせつけられた。
 ただの強力な弾薬を使う輪胴式がここまで映えると、畏敬の念さえ生まれる。そして畏怖する。畏れる。
 両手を用いての特殊ローダーと片手のスピードローダー。
 単純な正面衝突だと勝負する気が起きない。
 『あれは拳銃遣いの所作』だ。
――――拙い……撃ち合あっちゃ駄目だ!
 ビルの壁面を下降しながら、出来るだけ藜直衛の背後に回るべく降り立つ位置を微調整する。
 それから2分後、藜直衛の背後に足音を殺してストンと着地。
 藜直衛を釘づけにしてくれていた同業者に感謝だ。尤も、釘づけにしていたというのは望実の主観で、実際には賞金稼ぎ連中の死角になる場所から藜直衛が悠々と発砲して確実に1人ずつ排除していた。
 左半身の構えから弾き出される44口径は獰猛に命を喰い散らかす。筋骨の優れた体躯だからこそなせる技なのだろう。
 光源の乏しい位置。
 藜直衛から40mほど背後に位置する望実。
 生温いビル風が複雑に通り抜ける。
 条件が違えば40m先で突っ立っている人間を仕留めるのは簡単だが、今の環境では精密な狙撃は期待できない。38口径1発を胴体に叩き込んでも、大人しく倒れてくれる保証はない。
 望実は遮蔽に乏しい路地裏を慎重に進む。
 ウイーバースタンス。フィストグリップ。トリガーディシプリンは守らない。
 1m、距離を詰めるごとに藜直衛の背中に浮かぶ、殺意とは異なる覇気に中てられて眩暈や耳鳴りを覚える。
 30m。30mだ。これ以上は無理だと望実の危険予知能力が警鐘を鳴らす。
 30m向こうを臨める位置で望実の足は止まる。
 30m向こうに藜直衛のシルエットがある。
 藜直衛が発砲するたびに、辺りはマズルフラッシュで一瞬明るくなり、彼の顔が浮かぶ……荒削りで生命力に溢れた、野生と知性が同居する精悍なマスク。
 手配書の顔の人物だが、雰囲気は平面の画像から得られる以上に男性的で力強い印象を受ける。
 中年の域の男性。横溢して氾濫する生命力は遊び盛りの子供のように輝いている。
 片腕欠損というハンデを追いながらも暗黒社会で図太く生きてきた彼の生い立ちや存在そのものに強く魅せられる。
 ……思わず、自分の頬を左手で叩く。……はずだったが、止めた。ここで間抜けな音を発して藜直衛に気づかれるわけにはいかない。
 再装填の機会を待つ。
 遮蔽が少ないので、左肩を壁面に添えて銃口を固定する。
 藜直衛もこの壁のこの銃口の直線上にいる。
 呼吸を吸い込みピタリと止める。
 引き金を引く。
 発砲。
 いつも通り、メンテナンスの行き届いたマテバMTR―8は好い仕事を提供してくれる。
 44マグナムに格段に劣る発砲音。だが38口径のジャケッテッドホローポイントは確かにバイタルゾーンに命中した。
 彼の右半身胸部の上方に命中した。
 サイトは確かに頚部と頭部の継ぎ目を狙っていた。
 ……なのに、非人間的な『破砕音』とともに38口径の弾頭は彼に致命的な一撃を与えられずに必殺の機会を逃した。
 藜直衛は鉄火場では飾り程度の右手の能動義手を、体幹から発生する遠心力で威勢よく振り上げ、指先の役目を果たすフック状の金具やハーネスが集中する造りものの身手首で38口径の弾頭を防いだ。
 勿論、ただの装具である能動義手だ。拳銃弾を防ぐ役目は想定されていない。それでも38口径の変形しやすい弾頭を停止させる、ただ一度きりの『障害物』としては充分に役目を果たした。
 健常者でいえば、重傷覚悟で掌で銃弾を止めて手首、尺骨、肘、上腕部の筋肉を総動員して衝撃を緩和し、腕一本を不具にしたのと同じだ。
「!」
――――そんな!
――――読まれていた?
 焦る気持ちを脳内の端に押し込み、再び引き金を引く。
 半身を翻した藜直衛と同じ速さ。
 彼が被弾して体が独楽のように回転したのだと思い込んだ。
「!」
 目前左側の壁面が爆発する。
 藜直衛の44マグナムが掠ったのだ。
 44口径の弾頭がビルの壁面を削る。粉塵が舞い、顔に欠片が叩き付けられて視界を遮られる。
 藜直衛の再装填の隙を窺ったときに、彼は既に視線を背後に走らせて望実の存在を把握していた。
 初弾が藜直衛の右肩付け根で花が咲いたように義手が破砕した瞬間を辛うじて視界に捉えたと思ったら、44マグナムの洗礼。
 幸いにもその大口径は壁を派手に削っただけ。
 望実は塵埃が舞う世界で躊躇わずに仰向けに倒れて左手で受身を取りつつ、後転を繰り返し距離を取った。
 2秒も経過していない。
 後転の最中にも44マグナムの発砲。
 塵埃に塗れた世界に着弾。
 またも壁を削る。
 今度の高さと位置は『何もせずに突っ立っていたままであれば、確実に望実に命中していた位置』に着弾していた。
 2秒の間に仰向けからの後転を行わなければ次弾が望実の命を絶っていた。
 30mの距離から44口径のマグナムだ。
 胴体のどこに命中しても、問答無用で致命傷に直結する。
 即死の可能性も高い。
 十中八九、この破壊力がこの区画の賞金稼ぎ連中を屠ったのだろう。
 後転を続けて室外機の陰に滑り込む。
 3発目が強襲したがそれは室外機の外装に大穴を開けただけで貫通はしなかった。
 鼓膜が劈かれるような金属音が響く。
 あたかも44マグナムの被弾で室外機が悲鳴を挙げているように思えた。
 発砲3発。何れも望実を襲うものではない。
 辻の向こうの賞金稼ぎ連中に放たれたもので、牽制の意図があったのか、発砲しながら辻を遮蔽物としていた藜直衛は、辻の角から飛び出し移動を始めた。
「…………」
――――死ぬ!
――――死んでた!
――――死なないはずがない!
 九死に一生を得た安堵感と、今頃、群雲のごとく湧き上がる恐怖感に心臓を掴まれる。
 銃声を聞いただけで心臓麻痺で死亡した事例を聞いたことがあるが、それは冗談でも笑い話でもなく本当に起こり得る話なのだと思い知る。
 心臓が荒馬のように跳ね回り、過呼吸を起こしそうなほど酸素を求める。
 マラリアに罹ったような震えに襲われたがすぐに治まる。
 カーゴパンツのポケットからミントのタブレットを取り出して2粒口に放り込んで咀嚼する……これは彼女なりのパニックや恐怖に対する自己暗示の儀式だ。
 オペラント条件付けに似ている自分だけの儀式。
 ミントのタブレットを噛み砕き、その強烈な清涼感で意識を覚醒させれば必ず普通に戻るという、根拠も理由もない思い込みだが、根拠も理由も通用しない恐怖を払拭するには、深層心理に刻み込まれた安息の記憶を呼び戻すのが一番効果的だ。
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